月夜にまたたく魔法の意思 第9話7




 ベラドンナの3人が去った医務室で、空が呟いた。
「さっきの、なに」

 朱雀が寝返りを打って空の方に向き、肘をついて手の上に頭をのせた。
「なにって、何が」

「キスしたいならすればいいのに、なんであんなまどろっこしいことするわけ。なんだか気味が悪いぜ」
「キスしたら、噛まれそうだからな」
 と、朱雀が天井を見上げて少し笑った。

「ちゃかすなよ。昨日のパーティーでだっていい雰囲気だったじゃん。なのに気付いたら美空と踊ってるし……まったく、お前たちには唖然とさせられてばかりだよ」
「言っておくけど、美空と踊ったのは優の提案だったんだ。最後の舞踏会になるかもしれないから、けじめをつけろっていう意味だったらしい。俺たちなりに、納得してやったことだ」

「優とキスしたのか」
「いや。……火花の散る人工呼吸ならしたけどな」
「ちゃんとしたキスをまだしてないんだな?」
「いいだろ、べつに。多分、吏紀だってまだしてないぜ」
「俺たちを巻き込まないでくれ」
 と、それまで黙っていた吏紀が迷惑そうな顔をする。

「吏紀は貞節な男だから、キスしてないとしても不思議じゃない。けど朱雀は……出会って瞬き3回でキスするような男だろう。少なくとも今までは、いろんな女とそうだったのに、優とはそういかないなんて、変だろ」
「おせっかいするんじゃない、空」
 と、吏紀が口を挟んだ。そろそろ、朱雀が怒りだすのではないかと懸念したからだった。
 けれど、朱雀は逆に面白そうに空を見つめて言った。

「何を心配してる?」
「それを言ったら、怒りそうだから言いたくない」
「怒ったって今は魔法は使えない。言うなら今だぜ」
「じゃあ言うけど、俺は心底心配なのさ。お前はちゃんと、優を心から好きなのか? 闇の魔法使いにナリかけたことで、心がおかしくなったりしてないよな?」

 朱雀は不意にベッドから抜け出すと、空の上で屈みこんで、両手をついた。
 そしていきなり、空の顎をつかむと口を開いて濃厚なキスを仕掛けた。
「ん!」
 抵抗しようにも、空は全身がギブスでぐるぐる巻きなので、顔をそむけることすらできない。

 隣のベッドから見ていた吏紀が、この上もなく嫌な顔で朱雀の行為を見つめていた。
「気でも触れたのか……」

 空にとっては、永遠とも思えるような時間が経過した後、朱雀が強引な唇を放したので、やっと息をすることができた。
 心拍の上昇と、呼吸が制限されていたことが重なって、空の息が乱れる。
「なんてことするんだ、馬鹿野郎!」
 と、空が顔を真っ赤にして怒鳴った。
 だが、朱雀は真顔で問う。
「どうだった?」
「最悪だよ!」
 そうは言ったものの、他の女子が朱雀に腰抜けにされてきた理由が、空にはこのとき少しだけ分かったような気がした。――実に不本意ながら。

 朱雀は熱を帯びた目で空を見下ろすと、だが、その目は空を見てはいない、少し困った顔をして言った。

「優のことを思うと、内側から湧いてくる衝動を抑えるのは楽じゃないさ。こんなんじゃまだまだ足りない。けど、きっと本番になっても、こんなふうには気持ちをぶつけられないに決まってる……。嫌われるのが恐いんだ」

「はあ? バカみたいなこと言ってないで、さっさとやることやれよ! こっちは、いい迷惑だ!」

「俺にとって優は、この先ずっとともに生きてゆきたい特別な女なんだ。単なる淡い恋心で終わらせるつもりはないし、すでにもう、淡い恋心なんていうレベルじゃない。ああ……優があんなにウブじゃなければよかったのに……男と女が普通にやるようなことを、あいつがちゃんと理解しているとは思えない。それが問題なのさ」
 朱雀は気だるく自分のベッドに戻ると、仰向けになってまた頭の下で手を組んだ。

「なにいってるんだ? ウブというなら、俺の流和だって、吏紀の永久だって同じだと思うぜ。そんなのは言い訳さ」
「流和のどこがウブなんだよ。10代でセックスを経験してる女はウブとは言わないんだぜ」
 と、朱雀が空を睨んで言った。空が少しだけ頬を赤らめて反論する。
「けど、俺たちは真剣に結婚まで考えてるし、それに、流和は俺が初めてで最後だ」
「なら、空もウブだな」
「どこが! 頭の中でいろいろやってるぜ。ウブっていうのは吏紀みたいなのを言うのさ」
「言わせてもらうが」
 と、これには吏紀が異議を唱えた。
「知識と洞察力を持っているという点で俺もウブじゃない。強いて言うなら、九門家の名に恥じない貞節と清純を守っているというだけのことだ。ただ、永久は、……彼女はウブと言えるかもしれない」

 空と吏紀の反論で話がそれそうになったので、朱雀は面倒くさそうに手を振って遮った。

「流和と永久がウブだとして、けどな。あの二人は優と違って、心構えができている気がする。つまり、男女の関係についての構えだ。こちらがキスしようという雰囲気を作れば、それを察知してYESかNOか反応を返してくると思うぜ。けど優にはそういう構えがないんだ。押していいのかダメなのかが全然わからない。だってそうだろ、さっき俺がムラムラするって暗にほのめかしても、きょとんとしてるし。唇の端を舐めても、頬一つ赤らめないんだから」
 そう言いながら朱雀は、ダイナモンの地下浴場で、朱雀の全裸を見た優が泣き叫んだのを思い出した。
 あれは、朱雀が優に忌み嫌われた瞬間だった。今思いだすと、すごく心が痛んだ。
 あの時みたいに優に拒絶されるのはイヤだった。だから強引なことはしたくないのに、どこまで許容してもらえるのかという境界もイマイチ分からないから、悩むのだ。

「それは言えてるかもな」
 と、吏紀が頷くと、空が真剣に言った。
「そう思うんだったら、少しずつやっていけばいいだろう。いきなりさっきみたいな濃厚なキスはよして、初めは頬にでもさ。それから『キスするぞ』って明確に宣言してから、相手の了解を得た後に、軽く唇に触れるやつを。……俺だって、初めて流和とキスしたときは先に、「キスしていいかい?」って聞いたぜ。それを何回か繰り返して下積みをしてから、あとは自然の流れに任せればいいんだ」

「ああ、なんとも簡単そうだな」
 と、朱雀は投げやりに溜め息をついた。



 同じ頃、遅めの昼食をとっていた流和、永久、優の3人も、先ほどあった医務室での出来事を話し合っていた。
 口火を切ったのは永久だった。
「ねえ、優。さっき医務室で、朱雀くんが優にキスみたいなことをしたように見えたんだけど、優はなんとも思わなかった?」
「え? キスなんてしてないよ。いつ?」
「やっぱり気づいてなかったんだ! ほら、チョコバーを食べてたときよ」
「私には朱雀が、優の口の端を舐めたように見えたわ」
 と、流和。

「ああ、あれ。チョコがついてたのを取ってくれたんだよ」
「……。」
「……。」

 言葉を失う流和と永久をよそに、優はフルーツサラダの上にヨーグルトクリームをたっぷりかけて、ホークで軽快に掻きまわした。

「朱雀とはもう、キスをした?」
「したよ、おでこに」
「そうじゃなくて、ちゃんとした唇のキス」
「それは、あ! そういえば昨日、朱雀を暗闇から引き戻すときにしたんだった。本当は舞踏会の終わりにキスする約束だったんだけど、あんなことがあったでしょ……」
「んーー、それもなんか、ちゃんとしたキスとしてカウントするにはイマイチね」
「じゃあ優は、朱雀くんとキスしたいと思ってる?」
 永久の質問に、優がホークを止めた。
「どうしてそんなことを聞くの?」
「なんていうか……、優って、そういうことに興味がないように見えたから、どうなのかな、って」
「ええ!? うそ、私ってそんなふうに見えてる? 私、すーっごくキスするの好きだよ!」
 優の声があまり大きいので、食堂にまばらにいたダイナモンの生徒が何人か振り返った。

「興味がないのは朱雀の方じゃないの? まだ関係が浅いっていうのもあるけど、これまでのところ、朱雀がそういうことをしようとしたこと、ないもの。口ではいろいろ言うけどね」
「……。」
「……。」

 流和が咳払いをして、紅茶のカップを置いた。
「私が口を出すようなことじゃないかもしれないけど、ダイナモンに入学したときからずっと朱雀を遠めに見て来た私の目には、朱雀が優にキスしたがっているように見えるわ」
「え、そうかな」
「空もそういうところがあるんだけど、男って、あんまりジらしたり、こちらが無反応だったりすると、勝手に傷ついて自信を失くしたりするところがあるのよね。優が悪いんじゃなくて、多分、朱雀の愛情表現が優に上手く伝わっていないだけなんだと思うのよ。だから、優がもしキスしてもいいって思っているのだったら、朱雀にその気持ちを伝えてもいいのじゃないかしら」
 流和の熟練したアドバイスに、永久もうんうんと頷いた。
「私もそうするのがいいと思う。朱雀くん、なんだかちょっと寂しそうだったもん」

 二人がそんなことを言うとは思わなかったので、優は正直、とっても驚いた。他人の恋愛事情には敏感なつもりだったのに、いざ自分のこととなると鈍感なのだろうか。流和と永久から指摘されるまで、朱雀がそんなふうな様子だなんて、優にはさっぱり分からなかったんだ。今だって、あまり実感が湧かない。
 でもひとまず、今夜、医務室に行ったら朱雀と話してみようと思った。

「うん、わかったよ」

 一方、流和と永久の二人は、またしても優があまりにあっけなく二人の言ったことを承諾したので、ちゃんと意味が分かっているのかしら? と不安になった。けれど、二人ともそれ以上は何も言わないことにした。




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