月夜にまたたく魔法の意思 第9話6




 ダイナモンの医務室は半地下にある。天井近くに細い窓があるきりで、外からの光が十分にいきわたらない薄暗いその部屋は、ダイナモンに来てからというもの、優にはお馴染みの場所だ。
 木扉を押しあけると、一番奥のベッドにいる朱雀がこちらを見ていた。部屋に入っていく前から、朱雀には優がやって来たのが分かっていたんだろう。

「おはよう」
「おはよう、って時間でもないだろう」
 起きあがった朱雀は、まだ少し顔色が悪かった。
 医務室には時計がなかったが、窓から差し込む光の角度が、すでに昼近いことを示していた。

 手前のベッドには吏紀と空が横たわっていて、それぞれに永久と流和が付き添っていた。
 吏紀は毛布にくるまって震えていて、額には大粒の汗を浮かべているうえに、真っ青な顔をしている。
 空は全身ギブスで身動きがとれない状態で、流和からかいがいしくスープを飲ませてもらっているところだ。

 今、部屋にいるのは、優たち6人だけで、優はそこにいる全員を見回して、ホッと安心したように息をついた。
 優のその様子に、空が苦笑いする。

「なんだよ、やけに嬉しそうだな。弱っている俺たちを見るのがそんなにハッピーなのかい。さすがは火の魔法使だ、誰かさんにソックリだぜ」
 そう言って空は、ちらりと朱雀の方に目配せをした。
「違うよ」
 優は暖炉の火の燃える医務室に入って行くと、劇場の女優のように両手を広げて笑顔をつくった。
「今朝はみんなの光が朝露を照らすお日さまみたいに本当に綺麗だわね。なんだか私、昔と全然かわらない幼馴染に会ったときみたいに、嬉しい気持ちよ」
 くるりと回って濃紺のプリーツスカートがなびいても、誰も皆、呆けた顔で見つめるだけで拍手はない。
「魔力はそうかもしれないが……、体の方は、ゲホッ、……死にそうだ……」
 吏紀が苦しそうに唸った。

「吏紀くん、熱が全然下がらないのよ。 マリー先生のお薬も飲んだし、暖炉の火だってこんなに燃やしてるのに、寒気がとれないの。恐ろしい魔法のせいだわ……」
 永久が不安に眉をひそめながら、さっきからずっと毛布の上から吏紀の体をさすってやっている。

「マリー先生、もう平気なの?」
 優のその質問には、流和が答えた。
「ええ、マリー先生も桜坂教頭先生も、それから小間内夫妻も、今朝にはみんな回復して持ち場に戻っていらっしゃるわ。ただ、播磨先生だけは、猿飛先生たちと面談中よ。城の守護を破ってしまった今回の件について、播磨先生は、魔女に操られたと言っているらしいわ」
「奴は朱雀にも何かしたんだ。そのせいで、昨夜は本当にヤバかった」

 優は昨夜、庭で見た播磨先生の様子を思い出した。あのとき、播磨先生の中には二つの人格があるように見えた。
 暗闇の間で魔女に憑依されたときの永久に似ていると思った。
「でも、もう大丈夫」
 優は自分にもみんなにも言い聞かせるようにそう言った。
 播磨先生は闇の魔法使いではないし、朱雀だってもう二度と闇に堕ちかけることはないと、優は堅く信じている。

 暖炉では、溢れそうなほど高く組まれた薪に、これでもかというくらい炎が燃え上がっていたが、その炎には優がドラゴン小屋で焚いているような温かさがなかった。とてもよく燃えて熱いけれど、感情のない無機質な炎だ。
 優は炎に向かってフウッと息を吹きかけた。すると炎は一度だけ、大きく揺らぐと、あとはこれまで通り赤々と燃え続けた。ただ、その赤みが血のように真っ赤な輝きに変わった。

 朱雀がベッドの中でニヤリとする。
 まるで、自分がかけた魔法が大成功したときのように、誇らしげだ。

 優は空中からブックを取り出すと、開かれたページを声に出して読み上げた。
「サニターテムの火の粉は悪い寒気を祓う――魔法の言葉は、友を思う優しい言葉、一言。……なるほどね」

 優が暖炉に手を伸ばすと、火の粉が生き物のように帯を引いて宙に舞い上がった。そして火の粉は羽衣のように優の体の周りにとどまった。
 火の粉の羽衣を棚引いた優が吏紀のベッドの傍らに行き、その震える体に触れて、「吏紀、はやく良くなってね」と言うと、火の粉はまた帯となって宙に舞い上がり、吏紀の胸の中にキラキラと降り注いで消えた。
 一連の動きが流れるようにスムーズだったので、誰も「何をするのか」と聞いたり、「それは何なのか」と尋ねることができなかった。
「驚いたな、すごく楽になった」
 たちどころに体の震えがおさまって、吏紀が不思議そうに優を見上げた。
「ありがとう……一体何をしたんだ?」

「優、そんな魔法、いつ覚えたの? すごいよ!」
「サニターテムの炎だよ。朱雀から教えてもらったんだけど、これが一番難しくて、成功したのは今が初めて」
「……初めて?」
 と、吏紀。
「念の為聞くが、もし失敗してたらどうなってたんだ?」
 と、空。
「燃えてたさ! それも盛大にな」
 と、たまりかねた朱雀が笑いを吹きだした。

「もう! 暖炉の火を見て大丈夫だってわかってたんでしょう。よくもそう、意地悪なことが言えるね」
 と、優が口を尖らせる。
「ああ、気づいてたさ。いい炎だ」

 満足そうにベッドに横たわる朱雀を見て、流和が溜め息をついた。
「なんだ、朱雀には分かってたのね。私はまた、優が失敗するリスクも考えず、」
「つまり吏紀を丸焼きにするリスクだな」
「そうよ。そのリスクを考えずに無茶な魔法をかけたんじゃないかって……ああ驚いた。成功することがわかってたんなら……それならいいのよ、傍観してもね。けど、私は思うわけ、もし優が無茶な魔法をやろうとしたら、それを止める責任は朱雀にあるってね」
「みんな私のことをどんな酷い炎オンチだと思ってるわけ? 本当に信頼ないんだから。これでも最近じゃ、少しずつ上達してきてるのよ。もっといろいろ見せようか? 今ここで」

「え!?」
「いい、いい、いい!」
「結構だ」
「また次の機会にしましょうよ!」
 指一本振る余地も与えぬ勢いで、口々に流和、空、吏紀、永久が遮った。
 万が一、狭い医務室の半地下空間で優の魔法が暴発すれば逃げ場所はない。しかも、唯一、優の力を抑えることができる朱雀も、今は「なりかけ」あがりで魔法が使えないときている。

 みんなに拒まれて優は心底傷ついてムッとする。
「でも、優が頑張っていることは認めなくちゃ。毎日、朱雀との特訓で努力していたんだもの、サニターテムの炎まで扱えるようになるなんて、すごい進歩だわ!」
 流和がとりなすと、すぐに空がけなした。
「あれはまだ記憶に新しい……。リュウマチ薬を作ろうとしてファイヤーストームを起こしたのは誰でしたかね」

「ドラゴン飼育員の仕事も立派にこなしてるわ。毎朝早起きしてファイヤーストームを焚いていることも、きっといい練習になっているのよ」
 永久が褒めると、今度は吏紀が異議を唱えた。
「スコーンで朱雀を爆発させたのが、昨日のことのようだ」

 優は空と吏紀の発言を無視して朱雀の枕元に立った。
「ところで、朱雀はいつごろ退院できるの?」
「最低3日はここから出られない。アトスの聖水を苦いと感じなくなるまで、ミルトスの薬を飲み続けなくちゃならないんだ」
「アトスの聖水が苦いの?」
「俺は『なりかけた』から、体が完全に浄化されるまでは苦いと感じるのさ。まったく……医務室に泊まりこむなんて、初めてだよ。ここのベッドがこんなに寝心地が悪いとは知らなかった」
 朱雀が救いを求めるように手を差し出すのを、優が握り取った。
「何か欲しい物、ある?」
「別に」
 朱雀はしばらく優を無言で見つめた後、パッと手を放して、両手を頭の下で組んで目を閉じた。
「……ただ、こうジッとしてると、ムラムラするな。せめて一人部屋だったらよかったのに。ここじゃ他人の目が多すぎる……」

 優は首をかしげたが、流和がギロリと朱雀を睨み、永久はかすかに気まずそうに顔をそむけた。

「その気持ちはわかるけど、口に出しては言わないよな、ふつう」
 と、空が呟く。
 すると吏紀が、呆れたように、
「アトスの聖水を浴びるほど飲むがいい」
 と言い捨てた。

 優はベッドの端に浅く腰かけると、ブレザーのポケットから銀紙に包まれたスティック状のものを差し出した。
「チョコバー持って来たよ。昨日のパーティーの残りだけど、食べる?」

 優が朱雀に差し出したそれを、流和、永久、空、吏紀の4人は無言で見つめた。
 スコーン爆発事件があったので、また変な魔法がかかっているんじゃないのか、という疑惑。
 そして、朱雀に甘い物をあげるなど、まったくの的外れなのを優がどう理解するかという心配。
 今までの朱雀なら、チョコやキャンディーなどの贈り物は『受け取らない』か、『あとで捨てる』かのどちらかだった。まるで憎んででもいるかのように、朱雀は甘い物を嫌っている。

 なのに、朱雀は優から銀の包みを受け取った。
 そしてちょっとだけ困った顔をして包紙を破った。

 優はブレザーのポケットからもう一つの銀包みを取り出して、素早く剥いて自分も口に頬張った。

「チョコバーってさ、心がキューンって幸せになる味よね」
 かぶりつき方が性急なので、口の端にチョコがついてしまっているが、優は気づかずモグモグしたまま話し続ける。
「朱雀は好き?」
 聞かれた朱雀は、豪快にふた口でチョコバーを口に入れ、男らしく呑み込んだ。
「子どもの頃は、好きだった。けど、泣きながら食べたことのほうが多かったな。これを食べさせてもらえるときには、何か酷いことが起こるか、起こった後だった」
「そんな悲しいことってないね……」
 優は残りのチョコバーを全部口の中に押し込めて、隙間の無くなった頬を膨らませてモゴモゴした。その口の端にはさっきよりべったりチョコがついている。
「じゃあ、チョコバーは嫌い? それは残念……」
「なに言ってんだ」
 と、不意に朱雀が起きあがり、上体を屈めて優の顔を覗きこんだ。
――音もなく永久が息を呑み、その永久の手を呆けた顔で吏紀が無意識に掴んだとき。
――流和と空は熟年カップルの貫録よろしく、無表情に朱雀と優を見つめていた。

 優があっという間もないうちに、朱雀は優の口元についたチョコを舐めりとった。
「ん!」
「この前のスコーンよりか、全然マシ」
 優は煩そうに朱雀を押しのけた。
「あれは失敗作! 次は気をつけるよ……」
「ああ、気をつけろよ。今度やるときは、……まだついてる」
 朱雀は親指で優の口の端のチョコを拭いとって、それも舐める。
「うそ、ついてた? ……今度やるときって?」
 優はブレザーのポケットからハンカチを取り出して、自分で口元を拭きとった。今までに一度も使ったことがなさそうな、真っ白なハンカチだった。リボン模様の小さな刺繍が施されている。
「ガラスの破片みたいに硬い欠片を入れないでくれよな。口が切れた。あと、ドラゴンの塩と木漏れ日妖精の粉は混ぜるな。『混ぜるな危険』て書いてあるはずだからな」
「わかったよ。でもさ、嫌いなら、無理して食べなくていいんだよ。チョコバーだって」
「お前が好きなら、付き合ってやるよ」
「うん、だーい好き。でも明日は、朱雀に合わせてラムチョップを持って来るね」
「なんで? 今日はもう来ないのか」
「夜は魔法の特訓をするから、いろいろ準備したいんだよ。でも特訓が終わったら、ちょっとだけ顔を出そうかな」
「俺がいないのに、誰と特訓?」
「えーっとね……、……、と」
「は? 聞こえない」
「だから、……東條晃と」
 隣のベッドで、朱雀のかわりに空が奇声を上げた。
「はあ!?」

 けれど、朱雀は冷静だった。
「お前は、あいつを嫌ってると思ってたよ。でもまた、なんで東條なんだ?」 
「実は、私から頼んだんだよ。朱雀が回復するまで、戦闘術を教えてって。吏紀も空もダメだし、他に頼めそうな人がいなかったんだもん。ちょうど今朝、東條が一人で特訓しているのを見かけたんだよ」
「それで、東條はなんて言った」
「初めは渋ってたけど、OKしてくれたよ。甘やかしはしないって。私たち全員の命がかかっていることだから、真剣にやるつもりだよ」
「ふうん」
 朱雀としては、優が選んだ修行相手が三次ではなく東條であることが少し意外だっただけで、別段反対する理由はないように思われた。

「あの、優。私もその特訓に混ぜてもらえないかしら。私も、できることをしたいの」
「永久、君には僕が教える約束だ」
「吏紀くんが回復するまでの間だけ。ねえ、いいでしょう? 昨日、吏紀くんたちが闘っている時、私、何もできなかった。それが悔しくて、自分が情けないの……」
「永久……君がそんなことを思う必要はないんだよ。精一杯やってるさ」
「でも、今のままじゃ吏紀くんや、みんなの足手まといになる。それだけは嫌なの。だから、やるわ」
 こうなったら、永久は後に引かないというのを吏紀も理解して、渋々頷いた。
 そして心の中では、一日も早く回復して彼女のもとに戻ろうと決心するのだった。

「優と永久がやるなら、私も加わるわよ。二人だけじゃ心配だしね」
「はじまった……。俺は反対だからな、流和」
 たちまち不機嫌な顔色になるギブスの好青年を、流和がにこやかになだめた。
「そう思うなら、一刻も早く自力でベッドから起き上がれるようになることね、ハンサムさん」
 流和は空の額に優しくキスを落とすと、永久と優の二人を手招きして出口に向かった。

「もう行くのか?」
「男たちは薬の時間でしょう。マリー先生が来る前に、私たちはランチに行ってくるわ。また後でね、空」
 流和が出て行くと、その後について永久が吏紀に手を振って医務室を出て行った。

「狼男に会ったことがあるか?」
 去り際の優を引き止めて、朱雀が唐突に聞いてきた。
「ないけど」
「先に言っておくと、ミルトスの薬を飲んだ後の俺は、マリー先生いわく、『狼男もどき』なんだそうだ。自分ではほとんど記憶がないんだが、酷く暴れたり、叫んだりするらしい。できれば、見られたくない」
 優は内心、狼男のようになる朱雀を見てみたいと思ったが、素直に頷いた。
「わかった」

「薬を飲むのは、優がドラゴン小屋にいる早朝と、夜の訓練時間にしてもらう。見舞いにはちゃんと来てくれよ。日に2回は顔を見せてほしい」
「いいよ。じゃあ、後で」

 優は流和と永久の後を追って、ゆっくりと医務室を出た。
 ドアを出たすぐの所で、流和と永久の二人が優を待っていてくれた。

 

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