月夜にまたたく魔法の意思 第9話5



 明け方近くにやっと眠りに着いた優は、明け方にはもう起きだして、ドラゴン小屋に向かった。
 昨晩の闇の魔法使いの襲撃で、ドラゴンたちにも何か異常があるかもしれないと心配したものの、中央の炎は穏やかに燃えていたし、ドラゴンたちはいつも通りに優を迎えてくれた。
 天井の白い竜、サンクタス・フミアルビーはいつも通り優を無視しているし、チビのシュピシャードラゴンは籠の中でパチパチ火花を散らしながら暴れ回っている。
 モンシーヌアス・レッド・ドラゴンのローと、灼熱岩のカーロル・ジュオテルマルは、檻の中で静かに眠っているようだ。
 先日、出産を終えたばかりのフィアンマ・インテンサ・ドラゴンのグルエリオーサは、まだ中央の炎の中で安静中だった。

「おはよう、みんな」
 優が挨拶を交わして、いつものようにファイヤー・ストームを焚き始めると、グルエリオーサの前脚の下から、生まれたばかりのノステールが這い出て来た。
――我らの友。
 という意味の名前は、朱雀がつけたものだ。

 チビのシュピシャードラゴンと同じくらいの大きさをしているノステールは、グルエリオーサと同じ石炭のように黒い肌をしていて、目だけがサファイヤのように深い青色をしている。臆病で、ちょっとした音にもすぐに驚いてグルエリオーサの陰に隠れてしまうくせに、好奇心は異常なほど旺盛で、何にでも噛みついて、イタズラばかりする。

――「ノステール! 燃える石炭を散らかしちゃダメよ。積み木の玩具じゃないんだからね」

――「ノステール! フミアルビーにちょっかいを出さないの。冗談が通じる相手じゃないんだからね、また痛い思いをすることになるわよ」

 ノステールは外に出て遊びたくてたまらないといった様子で、綺麗に整えられている石炭や敷き藁を玩具代わりにしたり、他のドラゴンの檻に入り込んだり、ドラゴン飼育員にも遊んでもらおうとして絡みついて来て、これまでよりもずっと、皆を忙しくさせるのだ。今朝も、ファイヤー・ストームを焚きながら、優は何度もノステールを注意しなければならなかった。
 まったく、ドラゴンの赤ちゃんはヤンチャで、手に負えない、と優は思った。けれど、ノステールはみんなから愛されていて、獰猛なサンクタス・フミアルビーでさえ、ノステールに髭を噛まれても、仕返しに鞭のような銀の髭で手酷く叩き返して、追い払うだけの報復ですませている。
 ノステールが一番可愛く見えるのは、グルエリオーサからお乳をたくさんもらって、正体を失くして深い眠りについているときだった。そんなふうに眠っているときには、突いても抱っこしても全然起きないので、ドラゴン小屋に束の間の平安が訪れるのだった。


 今日は、舞踏会が開けた日曜日なので、優はファイヤー・ストームを焚き終えた後も、ドラゴン小屋でゆっくりしていた。
 しかも、昨夜は闇の襲撃事件のせいでみんな明け方まで起きていたから、今日は朝食の時間もゆっくりになるだろう。早朝から定刻通りに働いている生徒は、きっとドラゴン飼育員くらいなものだろう。
 やがて三次がドラゴンたちの朝食を荷車に乗せてやって来た。

「おはよう、三次」
「おはよう、優」
 少し疲れた顔をしていたけど、三次はいつもの通り元気だ。
「昨日の今日なのに、君の竜の巣は衰えることを知らないんだね。ドラゴンたちがこんなに落ちついているなんて、すごいや」

 グルエリオーサに乾いた綿花を与えている三次に、優は何気なく聞いてみた。

「ねえ、三次。闇の魔法使いと闘うこと、恐い、って思う?」
「そりゃあもちろん。すごく恐いよ」
 三次は戸惑いもせずに、そう答えた。

「それでもやっぱり、魔法戦士として戦おうって、思う?」
「うん。どうしてだろう……そうするべきだ、って気がするんだ」
 そう言って、三次は少しだけ手を休めてから、何かを考え込んだかと思うと、すぐにまた忙しそうに燃える石炭をドラゴンたちに配り始めた。

「今朝、熊骸先生から聞いたんだけど、魔法公安部が僕たちの出動を迫ってるみたいだ。もう、そんなに時間はないだろう、って」
「魔女退治に行くってこと?」
「まだ詳しい作戦は決まってないみたいだけど、試しの門を通った僕ら10人が、西の森に遣わされるのは確からしい。あそこは闇の力が強くて、魔法公安部も近寄れないらしいんだ」
「そうなんだ」

 灼熱岩のカーロル・ジュオテルマルの鼻筋を撫でてやりながら、三次が優を振り返った。
「優は、高円寺くんと魔法の特訓をしているんだよね? 正直、炎の魔法使いって、本当にすごいよ」
「どうして?」
「心がすごく、強いって感じがする。その心が魔法にあらわれてるから、あんなに強いんだろうな……って。昨日、命がけで龍崎さんを守った高円寺くんもそうだけど、連れ去られた高円寺くんを助けに行くって言った君も、……本当に強くて、勇気があるよ。僕には、そんな強さはない……」

 足もとにノステールがやってきたので、優はその黒ん坊やを抱き上げて、暖炉の側に座った。

「強さって、相手をやっつけることのできる力を持ってること? 攻撃にあっても傷つかないこと? あるいはもしかしたら、どんなことも恐れない心? 私は、力ではかなわない相手はいるし、傷ついて倒れることだってあるし、何物をも恐れずにいることなんて、無理だと思うよ。けど、それって、弱いこと?」

「優も、……恐い?」
 三次に問われ、優は真面目な顔で頷いた。
「うん、とても恐い」

「君は、恐い物なんて、何もないと思ってた」
「私は、三次は私なんかよりずっと強いと思ってるよ」
「え、どうして? 僕は、オパールの魔法使いだよ」
「石が重要なんじゃなくて、『心』が大切なんだよ。三次の光、すっごく綺麗な命の色をしてるよ」

 優の言葉に、三次は目を見開いて、言葉を失った。

「僕にも何か、できると思う?」

 ただ、そこにいるだけで奇跡みたいに輝いているのに、どうしてみんな、自分の輝きに自信をなくしちゃうんだろう。
 淡く緑色がかった三次の七色の光は、命に溢れ、人に幸せを与える強い明るさをもっているんだ。
 石が特別なんじゃない。それは、三次自身が持つ、心の強さの証だ。

「うん、できると思う。もし三次がいなかったら、私はすごく不安になったと思う」
「……ありがとう」
「うん。それじゃあ私、そろそろ行くね。お腹すいちゃった」
 優はノステールをグルエリオーサの炎の中に戻すと、ミルトスの扉に歩いて行った。

「優」
 優の去り際に、三次が呼びとめて、微笑みかけた。
「ダイナモンに来てくれてありがとう。僕ら10人、最後まで一緒に戦おう」

 初めて会ったときのように、三次が拳を掲げて見せた。――親愛なる友への挨拶。
 優も笑って、拳を上げた。
「うん。私たちみんなで、誰一人欠けずに、戻ってこよう」

 そう言って、優はドラゴン小屋を後にした。

 城に続く回廊には、強い朝日が差し込んでいて、優は眩しさに目を細めた。
 欠伸をしながら回廊を歩いて行くと、いつもならこの時間には人を見かけることはないのに、まだ朝露に濡れた中庭に東條晃がいるのが見えた。
 ダイナモンの制服ではなく、格闘訓練用の黒い作務衣を着た東條は、3つ4つの光の円盤に自分を襲わせていた。
 あれは確か、かつて石壁の間で空とデュエルを行ったときに召喚した光の妖精ルミーナ、別名『光の鬼』だ。東條晃は、そのクルクルと回る円盤に自分を襲わせて、攻撃を交わしたり、反撃したりすることで、一人で戦闘訓練をしているらしかった。

 初めて会ったときとは、だいぶ様子が違って見えるな、と優は思った。
 残酷で高慢で、自分の名誉を高めるためなら手段を選ばないような狡猾さがあったのに、今、質素な作務衣を汗で濡らして、素手でルミーナと闘っている東條は、この先の何かを見据えて、真剣に自己の鍛練に励んでいるように見えた。
 正直、優は東條がこんなふうに陰ながら一人で努力をするような魔法使いだとは思っていなかったのだ。

 話しかけては邪魔をしてしまう、と感じたので、優はしばらく黙って東條の様子を見守っていた。
 すると、不意に東條がダイヤモンドの杖を空中から取り出して、ルミーナの動きを制した。

「なんの用だ。そこに居られると気が散るだろ」
「気づいてたの?」
「火の魔法使いが側を通れば、嫌でも気づくさ」
「こんな朝早くから、何をしてるの?」
「別に」
 と、東條は無愛想にそっぽを向いてしまった。
 あくまでも、優には知られたくないらしい。

「朱雀の傷が治るまで、戦闘術を教えてくれる人がいないんだ。私に、教えてくれない?」
「はあ? なんで俺が」
「強いんでしょ」
「……闇の魔法使いに通用するかは、わからないぞ」
 驚いた。東條がそんなことを言うとは思わなかったからだ。

「随分、弱気なんだね」
「物事を楽観視していないだけだ。勇気があるのと、無謀なのとは違う。恐れているからと言って、弱虫とは言えないさ。俺は、弱虫じゃない」
 東條の言葉からは、揺るがない決意が感じられた。
 この時初めて、優は東條のことを、これからともに闘う仲間として明確に意識した。
「朱雀も空も吏紀も医務室だから、あなたに教えてもらいたい。同じ試しの門を通った仲間だし。チームワークも大事でしょ」
「4番手とは! 光栄だね」

「お願い」
「朱雀との練習は、夜8時からだったか」
「夜8時から、だいたい2、3時間」
「わかった」
「いいの?」
「早速今夜からはじめよう。ただし、女だからって甘えは許さない。……命がかかってるんだからな、俺たち、全員の」

「うん。わかった。じゃあ、今夜」


 優は東條と別れて、城の中に戻って行った。
 まだうす暗い中央広間まで戻ってくると、今度はまたそこに、人影があった。
 ダイナモンの制服をきっちり着こなした美空が、中央広間の真ん中に一人たたずみ、魔力を集中させていた。容易には近寄ってはいけないと思わせられるような、強い魔力が辺りに満ちていた。
 すると、美空の瞳が黄金色に輝き、その手の中に大きな光が生まれた。
 優が見ていると、光は実体のある黄金色の弓となり、美空の手に握られた。
 美空が弦に手をかけると、光の矢が現れ、美空はその矢を天井に向けて打ち上げた。すると、打ち上げられた一本の矢が、無数の光の矢となって雨のように地面に降り注いだ。

「すごい……」
 優は、そんなに美しくて強い魔法を、これまでに見たことがなかった。
 美空って、すごい魔法使いなんだ。

 けれど、美空はまだその魔法に納得がいかないのか、ああでもない、こうでもないと呟きながら、何度も光の矢を射続けるのだった。

 優は、美空の集中を途切らせてはいけないと思い、そっとその場を立ち去った。

 闇の魔法使いとの戦いを前に、みんなが何かを思い、自分に何ができるのかと模索し、努力している。
 ただ単に、特別な力に恵まれた『選ばれし10人』ではないんだ。
 敗北と痛みを味わい、辛酸を舐め、恐れを抱き、それでも前に進むために這いつくばっている。優も同じだ。ここで、立ち止まるわけにはいかない。
 これからの戦いでみんなとともに生き残る術を身につけるために、どんな努力でもしよう、と優は思った。

 みんなの笑顔や、存在を守りたかった。
 絶望と悲しみしかない、暗闇に屈してしまうのは嫌だった。


 イチジク寮の部屋に戻った優は、早速、暖炉の前に座ってミルトスの皮表紙のブックを開いた。
 今の優にできることは何なのか。

 流和と永久は二人とも、すでに部屋にはいなかった。きっと、空たちのお見舞いに、医務室に降りて行ったのだろう。
 ブックの新しいページに目を通しながら、優も朱雀のお見舞いに行こう、と思った。食堂から何か食べ物を持って行ってあげよう……
 そんなことを考えているうち、前夜の疲れも残っていて、優は知らず知らずのうちに暖炉の前で眠りに落ちてしまった。



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