月夜にまたたく魔法の意思 第9話12
東條との練習を始めた二日目の夜から、全員が制服ではなく私服で参加することになった。というのも、格闘訓練中に女子がミニスカートを履いていたのでは、東條いわく、「見るに堪えない」らしい。
永久はボタンのデザインが可愛らしいデニムのキュロットパンツにニット素材のカットソーで可愛らしく、一方で流和はジーパンにカットシャツを合わせるというシンプルな格好なのだが、かえってスタイルのよさが際立って制服のときよりも女性らしさが出ているように見えた。スカートは禁止ということだったのだが、優はスカートしか持っていなかったので、悩んだあげくに持ち合わせの中で一番無難な、赤のチェックのスカートを履いて行ったら、案の定、東條にイヤな顔をされた。
そういう東條は、格闘訓練用の作務衣を着ている。
少し遅れてやってきた美空は、朱雀にその日の夕食を運ぶ当番をしてくれたのだったが、上下黒の、伸縮性のある動きやすそうなパンツとシャツに身を包んでいた。それが流和と同じく、シンプルで飾り気がないのに、やけに色っぽく見えてしまうから不思議だ。
そうして優が他の女子たちのファッションチェックをしているうちに、東條は昨夜と同じ手際の良さで、訓練を開始した。
「近接系の格闘技術は、一朝一夕には獲得できない。肉体と精神を鍛錬し、経験を積み重ねなければ実戦では使えない。だから本番ではお前たちは前に出ず、後方からの遠距離攻撃や支援にあたるのが現実的だと思う。だが、実際の戦いになれば敵と近接することが避けられない局面もあるから、最低限必要な知識は身につけておいた方がいい。1つ、逃げること」
「前に出て闘わない方がいいって、そんなの、ただの足手まといじゃない」
と、永久が聞くと、「そうだ」という応えが即座に返ってきて、いきなり東條が優を後ろから抑えつけて、片手で優の顎を掴んだ。
「動くな。この状態から首を折れば、こいつは即死だ」
優は動かなかった。というよりも、少しも動けなかった。
東條が動くなと言ったのは、流和や永久、美空に対してだった。
沈黙の山でゲイルの予言書を奪われたときの状況に似ている、と優は思った。
あのとき捕えられていたのは、美空と聖羅だった。
「もし戦闘中に仲間が敵に捕捉されたら、ヘルド・ホステイジ、つまり他の者はそいつの命と引き換えに動きを封じられることになる。そうなれば俺たち全員が危険にさらされるんだ。第一に、このヘルド・ホステイジという状況を生ませないために、素人は前に出ないほうがいい。足手まといだからな。けど、現実問題、闇の魔法使いとの戦いで、ヘルド・ホステイジは避けられないと思う。どんなに気をつけていても、かなり高い確率で想定される事態の一つだ」
「どうすればいいの?」
「自分がヘルド・ホステイジにあったら、他の誰かに助けてもらうことを期待するな。冷静になって、自分で逃げだす時間を稼ぐんだ」
そう言って、東條は優を人体モデルとして、人の体にある最も狙いやすい6つの急所を一つずつ指差しながら教えてくれた。
「人体には50を越える急所があるとされているが、今から教えるのは、素人でも狙いやすく、かつ致命的なダメージを負わせる急所だ。顔に4つ、首に1つ、あと、相手が男なら金的と呼ばれる場所がそうだ」
「それが一番わかりやすいね」
と、優が少し笑った。
「けど体の中心にあるから、防御は硬いからな。狙うなら、よほど隙をついて確実に攻めた方がいい」
「今みたいに背後から捕捉されているときには、顎が狙い目よ」
と、美空が教えてくれた。
その言葉に呼応するように、東條が再び優を後ろから抑えつけた。
「ちょっと待って、この状態から、どうやって東條の顎を殴るの?」
「手で殴るんじゃなく、首を前後に振って、頭突きをするのよ。顎への強烈な一撃は、構造上テコの原理で脳を激しく震動させ、上手くいけば相手の動きをしばらく封じることができるわ」
「ああ、そっか! ふぐっ……」
実際にやってみようとしたら、東條が優の顔を鷲づかみにして抑えた。
「戦闘に慣れている奴ほど、攻撃を察知するのも早いからな。今みたいに、明らかに狙ってくると分かっていてジッとしている奴はいないぞ。あくまでも、相手の隙をついて決めるんだ。山口や明王児のような素人は、かえって素人だということを前面に出して、敵の油断を誘うのが効果的だ。捕まえられたらキャーキャー喚いて涙目にでもなってれば、敵の意識も他に逸れて、まさかど素人が急所を狙ってくるなんて思わないだろうからな」
東條は賢い、と優は思った。
今まではどこか狡い奴と思っていたのだが、そうではないんだ。
まともにやり合うには力が不足している、敵わない相手に対して、今ある力で何ができるのかを、東條はいつも考えているのだった。それは今までダイナモンで、常に朱雀や空という自分には敵わない相手を前にしてきた東條が身に付けた「賢さ」で、今それが、圧倒的な力差がある闇の魔法使いとの戦闘において、優や永久に活かされようとしている。
それからその夜の練習は、ヘルド・ホステイジにあいにくいポジション取りや、瞬身魔法での敵の交わし方、ヘルド・ホステイジにあった場合の基本的な心構えと動き方について、繰り返し練習を行った。
後ろから抱きつくように捕捉されたら、顎に頭突き、振り返って鼻下に右ストレートを一発、それから瞬身魔法で安全なポジションに素早く退避。というように、AされたらBというように、動きをセットにして頭に叩き込んだ。
その日の練習を終えて、皆がそれぞれ広間を出て行った後も、優は少しだけ魔法の練習をすることにした。朱雀とやっていた、様々な炎の使い分けだ。最近では、朝のドラゴン小屋や、授業のない空き時間などにも、一人で練習することが多い。癒しの炎や、守護の炎、穢れを祓う炎といろいろあるが、一番最近覚えたばかりなのは、支援の炎だ。風、大地、火、水、光という五大属性のそれぞれに協調しながら、仲間の魔法を強化する効果があるはずだった。
――ナスクム・ノーメン・マヌス・アウキシリアム!
優は簡単に『支援の炎』と解釈しているが、ブックには、「名もなき助け手」と記載されている。支援魔法の中で唯一、使用する相手の魔法属性を限定せずに支援を行える魔法。
というのも普通は、火は水に相反する力なので、火の力で水を支援することはできないはずだが、優のブックに突如現れたこの「名もなき助け手」なら、例えば流和の水魔法も強化することができるというわけだ。だから少し難しい術ではあるけれど、優は他のもっと簡単な支援魔法よりも、これを覚えることにしたんだ。
ただし、もし失敗したら、対象者に怪我をさせてしまうかもしれないから、まだ誰にも使っていない。
朱雀が復帰してから、まずは朱雀に実験台になってもらおうと思っていたりするのだった。
朱雀ならば優の炎で何かあっても大丈夫なはずだからだ。
これまで、術の発動に時間がかかりすぎるのが課題だったのだが、その時間は回を重ねるごとに確実に短縮している。
炎の安定感と、各属性に合わせた変質にも、これといって問題がないように思える。けど、やっぱりこればかりは実際に誰かに試してみないと、効果を検証できない。今はただ、様々な炎を空中に漂わせては、すぐに消すばかりだ。傍から見れば、優が何をしているのか分からないだろう。とても地味な練習だった。
納得がいくまで練習をしてから、ふと広間の鷲時計を見ると、またしても夜中の12時を過ぎていた。広間の反対側で居残り特訓をしていた東條も、部屋に戻ることにしたようだ。
東側の寮に向かって歩いて行く東條に、優が声をかけた。
「ありがとう」
「礼を言うのは生きて戻ってからにしろ」
と、無愛想な返事が返ってきた。
「また明日もよろしくね!」
「明日は東雲と九門が復帰だろ。俺の負担もやっと軽くなる」
優は東條に手を振って別れると、あくびをしながら医務室に降りて行った。もうちょっと早く切りあげるつもりが、すっかり遅くなってしまった。完全に寝不足だから、明日はもっと早くに切り上げようと思った。
真夜中だというのに、今日は流和、永久、美空がまだ医務室にいて、ベッドの病人たちは3人とも起きていた。
「優、やっと来たわね」
「私たち、マリー先生のことを話してたのよ」
「何かわかった?」
「思うに、女性の心の秘密を探るのにこの人たちは不向きよ」
と、美空が言った。今では、美空もマリー先生の秘密を知る一人となっている。
「なーんだ、収穫なしなんだ」
「努力はしたんだぜ? 俺は、マリー先生の過去の恋愛経験について探りを入れてみたんだ」
「ウザがられてたよな、空。俺はマリー先生の家族構成について伺いをたててみたんだが、」
「そういう吏紀だって、完全に怪しまれてたゼ。あれでマリー先生は完全に俺たちに心を閉ざした」
「お陰さまで、俺と空は明日の朝一番に退院することになったよ」
「ていよく追放されるのさ、医務室からね」
「ギブスを外してもらって良かったじゃないの空」
「まだ痛いんだよ……」
空は流和におでこを撫でてもらいながら、甘えた声を出している。
朱雀だけが、会話に加わらずに本を読んでいた。
「朱雀は?」
優が近付いて行くと、朱雀は音をたてて本を閉じた。
「今日も遅くまでやってたんだな。東條がそんなにいい先生だったとは、驚きだよ」
いきなり噛みあっていない会話が始まって、全員が口を閉ざした。
「それとも、俺に焼き餅をやかせようとしてるのか? それなら大成功だぜ。俺はベッドから一歩も出られずに、くだらない本なんか読んで、涼しい顔をして気を鎮めているのさ」
「ああ、そういうこと」
たちどころに気まずい雰囲気がたちこめて皆が押し黙る中、優はものともせずに朱雀のベッドに座った。
「東條と私は、それぞれ別の練習をしてたんだよ。広間の向こう側と、こっち側でね。私が練習してたのは、新しく覚えた『支援の炎』。まだ誰にも試したことがないけど、朱雀が復帰したら、試させてほしいんだ」
「一人で、覚えたのか?」
「うん、ブックに現われたからね」
「なら、最初は俺で試すのが妥当だな。他の奴なら死ぬかもしれない」
「うん。それと実際、東條は私たちにとっていい先生になってくれてるよ」
「お前……やっぱり俺に、焼き餅をやかせようとしているだろう」
「そうじゃなくて、認め合ってほしいの」
「あの小狡い厄介者を?」
「朱雀は才能に恵まれていて、すごく強いと思うよ。だからこれまで、敵わない相手とやりあったり、負けた経験ってあんまり無いでしょう? それとは違って、東條は自分の限界や弱さを知っているって感じがするの。だから、敵わない相手を前にしたときに、自分に何ができるのかを考えるのがすごく上手」
「褒めすぎじゃないのか」
「私も最初は東條のことを『狡い』って思ったんだけど、それって、ある種の『賢さ』なんだって気づいたんだ。その東條の賢さが、これから闇の魔法使いたちと闘わなくちゃいけない素人の私には、すごく役立つものなんだよ。考えて見れば、東條がそうなったのって、朱雀や空の影響でしょ? これまで、ダイナモンの中で東條自身が敵わない相手と対峙してきたからこそ身に着いた特性なんだよ」
「生まれつきさ」
「そんなことないって。私たちは巡り巡って、互いを補い合ってるし、試しの門を一緒にくぐりぬけただけのことはあるって思う。東條も仲間だよ」
優に説得されて、朱雀はちょっと納得したようだった。けれど、まだ何か気に入らない様子だ。
「認めてないわけじゃないけど、好きな女をとられるのは嫌だ」
「人を物みたいに言わないでよ。石ころじゃないんだから」
「俺を指し置いて夜練してること自体が、そもそも気に入らないんだ。それって、取ってることになるんじゃないか」
「それは取ってるって言わないよ」
「あーあ、朱雀ってそんなキャラだった? もう遅いから、私は先に休ませてもらうわね」
と、美空が欠伸混じりに歩き出したのを皮切りに、流和と永久もそれぞれ空と吏紀におやすみの挨拶をして動きだした。
みんなに続いて、最後に優も朱雀のベッドから立ち上がった。
「私ももう休まないと。これ以上夜更かししたら、成長が遅れちゃうもん。おやすみ、朱雀」
これ以上、子どもみたいに拗ねている朱雀に付き合うわけにはいかないと、早々に退散しようとした優を、朱雀が捕まえた。
軽々と腰を持ち上げられて、朱雀の膝の上に座らされる格好となった優は、そのまま朱雀にキスをされた。
「わーお、昨日に比べたらすごい進歩ね、炎の魔法使いさん。昨晩はあんなに『シャイ』だったのに」
あまりに朱雀のキスが上手だったので、優が笑った。
すると、朱雀が意地悪に笑い返し、ブラウス越しに優の胸を軽く掴んできた。
「確かに、発育不全は否めないな。ゆっくり睡眠をとったほうがいいゼ」
優は朱雀の手をピシャリと撃ち落とし、ベッドから飛び降りた。
「付き合って2日で胸を触る人がいる? 明日はないわよ、高円寺くん」
マリー先生の怒ったときの口調にそっくりだ。
「正確には付き合って3日だ。明日はもっと早く来いよ、優」
涼しい顔で見送る朱雀とは裏腹に、優は赤鬼のように恐い顔をして医務室の扉を静かに閉めた。
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