月夜にまたたく魔法の意思 第9話13
空と吏紀が復帰してから、攻撃魔法と守護魔法の実戦的訓練が始まった。
「永久と優に関しては、それぞれがどれくらいの攻撃力を持っているのかを一度、見てみたいな」
「それは言えてる。力勝負になったときの、押しの強さを知りたい」
空と吏紀が加わり、熟練した魔法使いが東條の他に、流和、美空と合わせて全部で5人になったことで、魔法に不慣れな優や永久がある程度大きな魔法を使っても、大抵の事故は防げるだろうと誰もが思った。けど、優だけはこの練習に反対だった。
「私はまた今度にする」
優だけは、攻撃魔法を発動させることに、首を振った。
「まさか、朱雀がいないから出来ないとか言うんじゃないだろうな」
空に言われたことは図星だった。
「そんなことないけど、空も吏紀も病み上がりだしさ。私、攻撃魔法だけはまだ、加減がわからなくて……」
「加減はいらない。俺たちも、病み上がりで暴れたい気分だし、リハビリにはそれくらいが調度いい。ほら、全力でこいよ」
「でも……」
優があんまり渋るので、永久が助け舟を出した。
「じゃあまずは、私からやってみるわ。優にはその間に心の準備をしてもらいましょうよ」
「仕方ないな。東條、同じダイヤモンドだろ。永久の相手になって力を見てくれ」
「仰せのままに」
今日は濃紺ではなく、黒い作務衣に身を包んだ東條が、空宙から杖を召喚しながら永久の前に立った。
永久も輝くダイヤモンドの杖を召喚してから、そこで初めて、不安そうな顔で吏紀を振り返った。
「もしも怪我をさせちゃいそうになったら……」
吏紀は永久の心配を察知して、すぐに頷いた。
「怪我人が出ないように俺たちがフォローする。本気を出して大丈夫だよ」
吏紀の言葉を聞き取った東條がムッとした。
「言っておくが、俺にフォローは必要ない。もしも無理でも、なんとかするさ」
「ああそうかい」
東條の言葉を軽く聞き流しながら、吏紀が少し離れた所で自分の杖を召喚した。万が一にも永久の魔力が暴発したら、それを抑えるつもりだ。
「じゃあ、いきます」
永久は簡潔に宣言してから、魔法の言葉を唱え始めた。体の正面で横向きに構えたダイヤモンドの杖に、光の力が凝集されていくのが誰の目にも見て取れた。
「詠唱に時間がかかりすぎだ」
と、東條が言った。それは永久をけなしたというよりも、まだ改善の余地がある、と指摘したように聞こえた。
詠唱が終わると、永久の周囲に輝く六角柱の鋭い刃がいくつも浮かび上がった。
――レイマ!
回転させた杖の先を東條に向けた時、刃が一斉に東條を目がけて飛んで行った。
その瞬間、東條も杖を回転させるのが見えた。杖の先が床を擦り、東條の足もとに光の線を引いた。
――ペリート!
東條が手を掲げると、線から光が立ち上り、盾となって永久の刃を防いだ。
「硬度は悪くない。けど、攻撃が一直線すぎる」
と、攻撃を受けながら東條が指摘した。
そこで永久は再び杖を回転させた。すると空中から新たに光の刃が召喚されて、今度はそれが四方に別れて回転しながら東條に向かって落ちて行った。
一つは東條の盾で防げたが、盾を回避して左右から攻めて来た刃を、東條は自分の杖で素早く叩き落とした。
永久の刃と東條の杖がぶつかり合って、物凄い光のフラッシュが飛び、空気が震えるほどの衝撃が走った。
最後に、頭上から攻めて来た刃を、東條はかろうじてバック転で交わしたのだった。
刃はそのまま東條がいた場所に、大きな穴を開けた。あれをまともに喰らったら、肉体は粉々になっていただろう。
「強度はダイヤモンドの魔法使いにふさわしい。けど、欲を言えば、術に柔軟性が欲しいな。一度や二度交わされても敵を追跡しつづけるような粘り強さがあれば、もっと実戦的だ」
東條にそう言われながら、永久はほっとしたように、杖を降ろした。
「術の柔軟性については、他の魔法でも吏紀くんにいつも言われてるの。確かに、改善すべき点ね。それにしても怪我人が出なくて良かった……。魔法の力で人を攻撃するのって、やっぱりすごく恐いわ」
「今の業は初めて見たな」
と、吏紀が関心して言った。
「舞踏会の夜、朱雀のお母様がやったのを見てイメージが湧いたの。私にとってはすごく恐ろしい経験だったけど、強い印象を受けたから、その印象を具現化できると思ったわけ。そうしたら、ブックにさっきの魔法が現れたから、吏紀くんが医務室で休んでいる間、私も少しだけ頑張ったの」
吏紀が嬉しそうに永久を見つめた。
「対抗策としてはいいアプローチだと思う。刃には刃ってわけだ」
「そうだな。朱雀の親父さんも恐いが、あのお袋さんは冗談が通じない感じの恐ろしさがある。こっちにもあの術に対抗できる魔法使いがいれば心強い。実際、俺も吏紀も、とどめはあのお袋さんに刺されてるしな。できることなら二度とは会いたくない相手だ」
「そうだな。世界の恐ろしい女ベストワンだな」
と、吏紀が笑った。
「魔女じゃないの?」
と優が訊ねると、
「魔女には会ったことがないから、実感が湧かないんだ」
という。
なんて脳天気な人たちだろう。
優は、暗闇の間で、永久に憑依した魔女に会っている。だから優にとっては、一番恐ろしいのは間違いなく魔女だった。逆に、朱雀のお母さんやお父さんには近くで会ったことがないから、吏紀や空が言うような実感が湧かない。
「よし、じゃあ次は優の番だ」
「えっ! 私はいいって、自信ないよ……」
「なに甘いこと言ってんだ。俺が相手になってやるから、さっさと杖を構えろよ。もう、朱雀がいないと出来ないなんて言わせないぜ」
空が慣れた手つきでエメラルドの杖を構えるのを見ながら、まあ、そうかもしれない、と優は思った。
いつまでも朱雀に頼ってばかりじゃダメなんだってことは、優にも分かっていた。
思い返せば、薬草学の教室でファイヤー・ストームが暴発したときも、食堂で朱雀が爆発したときも、みんな上手く逃げていたっけ。実は優が思いつめているより心配する必要はないのかもしれない。
「優、頑張って」
「空は思ったより弱くないわよ。あなたの本気を見せてやるチャンスよ」
と、永久と流和がエールを送ってくれている。
優は空と対峙して立ちながら、頷いた。
そして、これから自分がやろうとしている攻撃魔法について考えを集中する。
優にとっては遠距離からの範囲魔法が一番得意だっが、空は風の魔法使いだ。火の魔法使いにとって、風の魔法使いは相性が悪い。もし中途半端な範囲魔法を浴びせれば、空の風の力で倍になって跳ね返される可能性がある。と、すると、この場合、最も有効な攻撃は……。
「それじゃあ、明王児 優、いっきまーす」
これまで朱雀と一緒に練習したり、話したりしたことを思い出しながら、優は覚悟を決めて燃えるルビーの杖を召喚した。
その瞬間、優の炎の力が跳ね上がり、広間に熱気が立ち込めた。
空が身構えるのを瞳の端で確認しながら、だが優は、そこで攻撃を繰り出すことはせず、『空』の中に身を隠した。同時に魔力防御探知魔法を発動させ、相手にこちらの居場所が悟られないようにする。力差のある相手を前にしたときには、背後に回りこめ。それはここ数日で、優が東條から教えられたことでもある。
――最大の力を前に、そして拳に込めて。
優は瞬身魔法で空の背後に回りこみ、ためらうことなく燃える炎の拳を真っすぐ空のこめかみ目指して突き出した。
間一髪、空が振り返り、杖と腕で優の拳をガードしたが、炎の勢いはとどまらずに広がって、瞬時に空を包みこんだ。
優が狙っていたのは、近接攻撃からの魔力発動。これなら、空の風の力に跳ね返される危険が低い。
『フランマ!!』
「ちょ、まっ……タンマ!」
だが、空の声は優に届かなかった。
「ぐっ!……マジかよ」
炎が紅色に変色し、空が今まで感じたことがないほどの熱気を帯びた。これは危険だ、と全神経が警笛を鳴らす。空がにわかに青ざめた。
空を覆う炎が竜のように渦を巻き始めたのを見て、吏紀、東條、美空、流和がほぼ同時に杖を抜いた。
優は浮力を利用して足の踏ん張りと上半身の振りを増大させ、ガードされている炎の拳を思い切り打ち抜いた。
「う、わあああ!」
空が広間の反対側まで吹き飛ばされていくと、炎の竜が火を吹きながらその後を追いかけて行く。
――ネロウ!
流和が呼びだした水が竜の前に立ちはだかったが、水は瞬く間に蒸気と代わった。
――スカッツワル!
――アヴィエンテ!
吏紀と東條が空をかばって咄嗟に防御壁を構成したが、炎の竜の衝撃で二人とも吹き飛ばされそうになる。
「なんて力だ!」
「想定内だったんじゃないのか!?」
永久と美空が後方から支援魔法を繰り出さなければ、二人とも簡単に吹き飛ばされていただろう。
「まずいわね、コントロールできてないの!?」
「ううん、きっとコントロールできてる。だって優、笑ってるみたい」
炎を思いのままに操れて楽しい。まるで親しい友人と戯れているみたいに、優は楽しんでいる。
優の炎に包まれながら、永久はそんなふうに感じ取ったのだった。物凄い熱さで、息を吸えば肺が焼けそうなほど苦しい。けれどこの炎の中には優の喜びがある。
不思議と、舞踏会の夜に闇の魔法使いと対峙したときのような、不気味な恐怖心は湧いてこない。圧倒的に強いこの力は、邪悪とは無縁な、聖なるもの。
吏紀や東條、美空や流和とともに杖を構えて炎の力に抗いながら、永久はこのとき、闇なる力と聖なる力の違いを身を持って学びとった。
「炎よ、鎮まれ」
優が杖を掲げると、炎の竜たちがおとなしくなって、たちまちルビーの杖に吸い込まれて消えた。
「やってみれば、意外にできるものだね」
優はケロリとした顔で、術の感触に満足して微笑んだ。
辺りが何事もなかったかのように静まると、吏紀と東條がグッタリと地面に膝をついた。永久も美空も流和も、息が上がってしまって、すぐに喋ることができない。苦しい、熱い。
空の体からは煙があがって、ブレザーと前髪が焦げていた。
「業の発動スピードはどうだった? 詠唱をしなくてもいいように、基本的な魔法を組み合わせたの。だから、遅くはなかったでしょう?」
「……。」
正直、素人とは思えないほど早かった。戦闘術にたけている空でも、攻撃を防ぐだけで精いっぱいだった。けれど、空はまだ言葉を発せなかった。
「本番は近接攻撃は避けるつもりだけど、相手が風属性の魔法使いの場合は、今みたいのがいいかなって思ったの。風は炎よりも優位だって、何かの本で読んだんだ」
「……。」
「難があるのは瞬身魔法なんだよね。正確さにはまだ自信がないから、もっと練習しないと」
「さっきの言葉は、撤回する」
と、息をつきながら、吏紀がなんとか口を開いた。
「世界で一番恐ろしい女は、明王児 優に決定だ」
「はあ?」
「異議なし」
と、空も嫌味たっぷりに呟いた。
「朱雀とどっちが強いかな」
乱れた制服を整えながら、ブレザーの前のボタンが衝撃で取れてしまっているのを見つけた吏紀が、「俺も次からは私服で参加するべきだな」とか呟いている。
「変な事言わないでよ、朱雀に決まってるでしょ」
「いいや、火力だけで言えば、かなりいい勝負だと思うぜ。しかもさっきのは、これまでの『暴発』よりもヤバい」
「どういう意味? ちゃんと制御できてたよ」
「コントロールが効いて力が一点に集中されている分、暴発のときよりも威力が増してた。ふう、死ぬかと思った」
焦げてもう着れなくなったブレザーを脱ぎ捨てながら、空が優に言った。
「朱雀が復活するまで、優は攻撃魔法禁止な」
「どうして? 今の、結構いい感触だったのに」
「絶対ダメだ! あ、あと、昨日言ってた『支援魔法』とかいうやつも、朱雀が安全を保障するまでは俺たちにかけるの禁止だからな。……マジで死人が出るぞ」
最初に優をけしかけて本気でやれと言ったのは空なのに、今度は言っていることが全く逆だ。
優はムッと膨れた。
けれど、優の力を他の6人の力でなんとかギリギリ凌いだ直後とあっては、誰も優に味方してくれないのだった。
ただ流和だけが、優を憐れむように肩をたたいてくれた。
そんなわけでその日は、みんなが攻撃と守護の魔法を練習している間、優だけが広間の隅で、地味な支援魔法の練習を繰り返す羽目になった。
あんまり面白くないので、優はいつもより早く練習を切り上げて、そそくさと医務室に降りて行くことにした。
ところが朱雀に事情を話すと、慰めてくれるどころか、笑うばかり。
「明日には俺も復活だから、少しイイ子にして待ってろよ」とか言って、全然、深刻に受け止めてくれないのだ。
優は完全にふてくされて朱雀の隣のベッドに倒れ込んだ。今朝まで空が使っていたそのベッドは、すでにマリー先生によってシーツを取りかえられ、綺麗に整えられている。優はその上で腕組して、ムッツリ黙りこんで天井を見上げている。
「まあ、そうふてくされるなって。空も吏紀も、きっともう少し何とかできるはずだと思ったのさ。けど、優のは紅炎だからな。理論的には、俺の碧炎よりも火力は強い。俺から言わせれば、6人だけで凌げたのは大したもんさ。けどあいつらのことだから、多少なりともプライドを傷つけられて、今頃は必死に業を磨いてると思うぜ」
「熱い炎は出せるけど、技術やセンスはないもん。私だってもっと練習しなきゃいけないのに。仲間はずれにされた気分だよ」
「力を過信しないことはいいことだ。けど今夜は」
隣のベッドで、朱雀が起きあがる気配を感じた。
「何?」
「やっと二人きりだな」
自分のベッドに浅く腰をかけた体勢で、朱雀が優を見下ろしていた。
その眼差しが意味深なので、優は眉を寄せて寝返りをうち、肘枕をして朱雀を見上げた。
「また胸を触る気?」
「二人きりだゼ? もっとサービスしろよ」
朱雀が脅すように真顔になったが、優はクスリと笑った。
「なんだよ。お前ってどうしてそう、色気がないわけ? 少しは動揺したり、照れたり、おびえたりしないものかね。この状況で俺が何かするって、思わないのって、ちょっと無防備すぎるぞ?」
「朱雀は私が嫌がることはしないと思う」
「なんで。欲求不満の男は、強引だぜ」
「でも朱雀はしないと思う。意外に紳士だからね」
「紳士って……、初めて言われた。もしかして、俺に性的な魅力を感じてないとか?」
「魅力は感じてるよ。ハンサムだし、優しいし、それに綺麗な手をしてる」
「手……?」
「うん、舞踏会の夜、一緒にダンスをしたとき気づいたんだよ。私、朱雀の手が好き」
これも初めて言われたことだった。
「俺に魅力を感じてるなら、もっと、いろいろなことがしたいと思わない?」
「いろいろって、もしかしてセックスのこと言ってる?」
「選択肢の一つではある。今夜実行するかどうかは別として」
「セックスはダメだよ!」
声がデカイ。
朱雀の方が少し動揺した。
朱雀の表情を読み取って、優もそれとなく空気を察したのか、次は声を落としてこう言った。
「私たちまだ高校生だよ? どんなに好き同士でも、セックスはまだ早いと思う」
ふと、素朴な疑問が朱雀の頭に浮かんだ。
「もしかして優、バージンなのか?」
これには優が、呆れたという表情をしながらかぶりを振った。
「当たり前でしょう」
優の応答に、少しの間、朱雀は言葉を失った。すると今度は、優が疑問を投げかけて来た。
「もしかして朱雀は、バージンじゃないの?」
「もう18だからな。大抵のことは経験してる」
「嘘……、それって、つまり」
「俺がバージンなわけないだろ」
「今まで、ただの冗談だと思ってた……」
優はショックを受けたようにベッドから飛び起きると、朱雀から距離をおきながら、医務室の扉に駆け寄り、張り付いた。
「私たち、付き合ったのは間違いだと思う」
「は?」
「さようなら……」
そう言って、優はいきなり涙目で医務室から飛び出して行ってしまった。
後に残された朱雀は、状況を理解できずに首をかしげるばかりだ。
「なんだ?」
性の問題で意見が食い違ったというのは理解できるが、それで振られることがあるだろうか。付き合ってたったの3日で?
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