月夜にまたたく魔法の意思 第9話1




 庭ですっかり眠りこんでしまっていた優は、朱雀に呼ばれたような気がして目を覚ました。
「朱雀?」 
 
 目を開くと、辺りが真っ暗だった。あれほど澄んでいた空にも、今は星一つない。

 すでに庭妖精たちの姿はなく、遠くに聞こえていた舞踏会の音楽も今は聞こえない。かすかに届いていた燭台の灯りも、光の妖精たちも、そして空の星までもが光を失って、辺りが異常に重苦しい闇に包まれている。
――寒い。

「ルーメン エスト」
 優の魔法で辺りに一筋の明るさが戻った時、自分の吐く息が白いことに気づいた優は、この異常事態の原因を悟る。
 そう、闇の魔法使いが近くにいるに違いない、と。
 だが不思議と、以前よりもこの冷気を恐ろしいとは感じなかった。確かに寒くはあるが、でも、それでも優の中には熱い炎が、何にも揺るがされることなく煌々と燃え上がっているからだった。
 これは、闇の魔法使いの冷たさに脅かされないほどに、優の中の紅の炎の力が増していることを意味したが、優はこれを、朱雀がくれた指輪のおかげだと思った。

 庭の草花には霜が降りて、先ほどまでの芳しさが嘘のように、みな枯れてしまっている。
 ただ優の横たわっていた場所の草だけが、今も青々としていた。
 
 不可解なのは、ダイナモンは聖アトス族の石に守られているはずなのに、一体なぜ、こんな事態になっているのかということだった。

 その時、草木を掻き分けて誰かが走って来る音が聞こえたので、優はとっさに光を消して身を伏せた。

――サードニクスの光……!?
 魔力探知能力によりそう知った直後、優のすぐ近くを走りぬけて行ったのは、魔法戦争学の播磨先生だった。しかも、なんだかとっても様子が変だ。
 いつも播磨先生が左目にしている眼帯がなく、代わりに両手で抑えつけている。
 そして、冷静ないつもの様子とは裏腹に、ひどく取り乱して、「やめてくれ!」とか、「ダメだ!」という言葉とともに、
優が聞いたことのない誰かの名前をしきりに叫びながら城の方へ走り去って行ってしまった。

 もしかして、すでに城で何かが起こったんだろうか?
 優は地面から飛び起きて、真っ暗闇の中を、一目散に城に向かって駆けだした。


 舞踏会の会場に駆け戻った優は、我が目を疑った。

 テラスは黒く焼け焦げ、窓ガラスが割れて辺りに破片が飛び散っているし、さっきまで華やかなパーティーを楽しんでいたはずのダイナモンの生徒たちが、臨戦態勢で杖を構えて、みんな蒼白な顔をしているではないか。
 そして、瀕死と見える吏紀と空。
 床の上に仰向けに倒れている吏紀は虫の息で、胸から氷の結晶が突き出ていた。まるで花が咲いているみたいに見えるそれは、黒いダイヤモンドの魔法だろうか、その暗い力が吏紀のアメジストの光を少しずつ奪い去っているのが分かった。

 一方、空は黒い炎の中に浮いていて、すでに意識を失っている。朱雀の呪縛魔法にかかったことがある優は、その魔法がどういうものなのかをすぐに理解した。このままでは、空は死んでしまうだろう。
 
 辺りの顛末を伺い知って、優が険しい顔になる。城で何かが起こっているのではないかと思って走って来たのだが、そこにはダイナモンの先生たちや、朱雀や吏紀や空がいたはずなのだ。だからまさか、ここまで切迫した状況になっているとは予測さえしていなかったから、優は動揺した。
 さらに床に転がっている黄金とルビーの杖を見つけて、優はハッとする。

「一体、何があったの?……、朱雀は?」
「優、……朱雀が……、闇の魔法使いに連れて行かれた……」
 優の顔を見るなり、流和が顔をくしゃくしゃにして激しく泣きだした。
「彼を引き渡すべきじゃなかったのに、私たち、何もできなかった……ごめんなさい。ごめんなさい、……優」

 とっさに、優は魔力を集中させて感覚を研ぎ澄ませた。その魔力に呼応して、優のシュコロボヴィッツの光が、一層輝きを増し、そして、優はすぐに朱雀の光を感じ取った。朱雀がまだそんなに遠くに行っていないことを、魔力探知魔法が教えてくれた。
「大丈夫。まだそんなに遠くに行ってない。今から行けば、追いつけるよ。でもその前に……」
 優は空宙からルビーの杖を召喚した。それだけで優の杖の先から炎がこぼれ、周りの生徒たちがビクっとする。
「おいおい気をつけてくれよ、この状況でお前の炎にやられたら、俺たちは一瞬で全滅だぞ!」
 と、東條が神経質に怒鳴る。

 けれど、優がその場で杖を召喚しただけで、広間の冷気が急速に祓われて、青い顔で震えていたダイナモンの生徒たちに、たちまち生気が戻って行く。
 光の妖精たちも、息を吹き返して羽ばたき始めた。

「我、友のために鍵を開く者。我らの前にふさわしくない穢れし炎よ、黄泉に去れ」
 そう唱えた優は、いきなり呪縛魔法の中に手を突っ込んで、中から空を引きずりだした。

「優!! そんなことをすればあなたが!」
 流和が悲痛に叫ぶ。
 炎の中に突っ込んだ優の右手から煙が上がったが、「イテテテ」と軽く言って手を振る優には、さほどダメージがある風でもなかった。

「大丈夫だよ流和。こんなの、あのときの朱雀の呪縛魔法に比べればザルみたいなものだよ。見た瞬間に分かったもん」

 空を解放した黒炎の呪縛魔法が、一瞬にしてスーっと掻き消えた。
 意識のない空に流和が駆け寄る。全身が冷たくなっているが、空のエメラルドの光がまだしっかりと輝きを放っていることに気がついて、流和の瞳に大粒の涙が浮かんだ。
「よかった……」

 それから優は倒れている吏紀の上に屈みこんでから、少し考えて、ダイナモンの生徒たちを見回した。
「誰か、治癒魔法ができる人いる?」
「私、できるわ」
 と、一人の女の子がすぐに優のところにやってきた。
 その顔を見て、優がホッとして微笑む。それは、試しの門を一緒にくぐり抜けた、ピンクパールの輝きを持つ桜だった。

「私が溶かすから、あなたが吏紀を助けて。きっとこの氷をとかしたら、胸からたくさん血が出てすぐに死んじゃうと思うの」
「わかった。止血して、気道を確保するわ。あの魔女みたいな女は、彼の肺を潰したって言ってたの。だから、水の魔法で一時的に彼の体を半漁人に変化させて、エラ呼吸にするのはどうかって思うのだけど」
「桜ちゃん! それってすっごいイイ考えだと思う! じゃあ、それで。いくよ」

 朱雀に教えてもらって覚えたばかりの、燃やすけど燃やさない血のように真っ赤な炎で、優は吏紀の体を覆った。
 そうして吏紀の胸の氷が少しずつ解け始めた頃合いを見計らって、桜が鈴の鳴るような澄んだ声で魔法を唱えた。

「エモースタシー」
 桜の手から、優しいピンク色の光が吏紀の胸に浸みこんで行く。
 続いて、今度は杖を使って、ゆっくりと、慎重に長い魔法の言葉を唱えると、吏紀の胸が空気を吸い込んで上下し始めた。

 だが、吏紀の姿が一向に魚っぽく変化しないのを見て、優が物足りないとでも言いたげに、桜に聞いた。
「エラって、耳の後ろとかに出来るんじゃないの?」
「エラは脇の下にできているはず」
「シャツを脱がせて、見てみてもいい?」
「炎の魔法使いを、助けに行くんじゃないの?」
 優よりも一つ年下の桜が眉をしかめる。
 好奇心ばかりが先立つのは優の悪い癖だ。
 そうだった、と、優は無言で頷き、すぐに真っすぐにテラスに向かって歩き始めた。

「一人で行くなんて無茶よ!」
 と、美空が優を引きとめた。
「相手は朱雀の両親よ!? 誰もやつらに適わなかったんだから、あなたが行ってどうにかなる問題じゃない! 無駄死にするだけよ!」
「そうだよ、播磨先生の魔法戦争学の教えを思い出せよ! 仲間を見捨てたと言われるかもしれないが、適わない相手には立ち向かわず、被害を最小限に抑えるために保守作戦に移行するべきだ!」
 と、東條も美空に賛成して言った。

「なにそれ、私そんな授業、知らないよ」
 優が首をかしげた。
 というのもその授業があったとき、優は闇の間で受けた傷のために、医務室で療養中だったのだ。

「だから魔法戦争学では……」
「でも、播磨先生は、どうするべきかは私たち自身が決めて、選び取って行くのだとも言ったわ!」
 永久の声が、静まり返っていた広間に凛と響いた。
「実際の戦いでは、誰にも答えの出せないことが次々に起こる……、私たちが考え、選択し、私たちの意思で行動するんだって、播磨先生は言ってた。どんな決断をしようと、何が正しくて間違っているかなんて、誰も言うことができない。だから、私は、優が行くなら一緒に朱雀君を助けに行く!」
 そう言った永久が、輝くダイヤの杖を握りしめて、優の隣まで早足でやって来た。

「人間出のくせに、何を言ってるんだよ……、本気で死にたいのか!?」
 東條が目を丸くして怒鳴る。
 すると、今度は流和が静かに、だが確かな決意がみなぎる声で言った。
「優と永久が行くなら、私も行く。朱雀は私を守ってくれたわ。命をかけて救い出しに行く価値のある、仲間と思う」
「流和……」
 空が意識を取り戻して、流和の手を握った。
「空、ごめんね。私、朱雀を見捨てられない。無茶だって言われるかもしれないけど、今、行かなかったら一生後悔すると思う……」
「わかってるさ。お前の、決めた通りにしていいよ。信じてるから、絶対に生きて、帰れよな」
 息をするのも辛いだろう空が、流和を心配させまいとして笑顔を見せた。
「空……。愛しているわ」
 流和は空の唇にキスをしてから、涙を拭って、決心した強い眼差しで優と永久に続いた。

 優の周りに、紅の炎の力が湧きあがって行く。流和のサファイヤと、永久のダイヤモンドの輝きも力を増す。
「大丈夫だよ、必ず朱雀を連れ戻すから。助けるって約束してるんだ」
「優、朱雀を頼む。一生の、お願いだ……」
 起きあがろうとするも力が入らない空が、必死に懇願した。顔はよく見えなかったが、泣いているのかもしれなかった。
「うん、任せておいて」
 そう言って、優は浮力をつかんで宙に舞い上がると、暗い空へ向かって勢いよく飛び立って行った。その後を、流和と永久が追う。

「なんて、無茶なの……」
 美空がその場に力なく座りこんで、泣き出した。

 優、流和、永久の3人が飛び立ったすぐ後に、魔法戦争学の播磨先生が混乱の広間に姿を見せた。
 生徒の一人が先生に駆け寄って事態を説明し始めると、播磨先生はそれを制して言った。

「何があったかは大方想像がつく。闇の軍勢との闘いに出ている猿飛校長の部隊に救難信号を送った。すでにダイナモンに向けて引き返しているだろう。だから今は、我々にできることをして校長の帰りを待とう。死者、怪我人はどれくらいいる?」
「桜坂教頭と小間内夫妻、それにマリー先生が敵にやられて意識がありません! でも、かろうじてまだ息はあるみたいです」
 と、ダイナモンの生徒の一人が叫んだ。

「九門吏紀が重体。まだ意識が戻らないけど、多分、一命はとりとめたと思う」
 と、桜が淡々と報告した。

「東雲空が重傷です」
 と、完結に言ったのは東條だ。

「わかった。他に怪我人は?」
「他の者はかすり傷程度の軽傷です。ただ……、高円寺朱雀が闇の魔法使いに連れ去られました」
「なんだって!?」
「朱雀を連れ戻すために、ベラドンナの明王児優、龍崎流和、そして山口永久が後を追って行きました」
「なんということだ……。誰も、止めなかったのか?」
「止めたけど聞かなかったんです」
「そうか……」
 播磨先生の顔が強張っていた。
 だが、それでもどこか、自分の子を誇りに思って喜ぶ親のように、一瞬だけ温かい目をした播磨先生に、東條をはじめ、何人かの生徒たちが気づいた。

「命を投げ出すなんて、間違っているわ……」
 と、美空が呟くのを聞いて、播磨先生が優しく言った。

「これは彼女たち自身の決断で、彼女たちにとっての正解なのだ。その決断をした彼女たちの『魔法の意思』が本物ならば、命は決して無駄にはならないはずだよ」

 答えのない答えを探して、誰もが悩んでいた。そして、自分はどうするべきだったのかと、どうするべきなのかと、勇気と恐怖の狭間で、誰もが葛藤してもいた。
 播磨先生が魔法戦争学の授業で言っていたのは、このことだったのだ。
 実際の戦いではテキスト通りのことは起こらない。だから常に自分で考え、自分で選択し、自分の意思で行動するんだ。
 どの選択が優れているかなんて、誰にも決められない。その中で皆、迷いながら、恐れながら、それでも仲間とともに立ち向かっていくのだということを、ダイナモンの生徒たちはこのとき身を持って知ったのだった。




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