月夜にまたたく魔法の意思 第8話9



 これまで優は、特定の男の子と付き合ったことがなかった。だから、男の子を好きになるというのがよく分からない。
 三次のことを好きかと言えば、もちろん好きだ。けれど多分それは、友達として。

 調理場で一通りの片づけを終える頃には、優がオーブンに入れたスコーンも焼き上がりを迎えていた。
 釜蓋を開いてグリル棒で皿を取り出すと、中のスコーンは思ったよりは膨らんでいなかったものの、懸念していた焦げもなく、普通に食べられそうな見た目をしていた。
一つのケーキのように焼き上がったそれを、優は少し冷ましてから4つに切り分けて、ボール紙で作った箱に入れた。プレゼントとして贈るには、このままではあまりに味気ないので、パーティー用に持ってきていた髪飾りの紐でリボンをつくり、箱に飾り付けた。
 出来あいのものばかりで作ったものだが、生まれて初めて、誰かのために作ったお菓子だ。
 三次が喜んでくれるといいな、と思いながらも、そのとき不意に優の頭の隅に浮かんだのは意地悪な朱雀の顔だった。
 なぜか溜め息が出た。

 大して気にとめていたわけではないのに、大広間で朱雀と美空がキスをしていた光景が蘇る。
 美空と朱雀はお似合いだ、と優は思った。
 どちらも性格はマズイが、表面的には美男美女の素敵カップルだ。それに対して、優はボサボサ頭の痩せっぽッちで、生まれて初めての舞踏会でダンスに誘ってくれる相手もいなくて、陰ながらスコーンを焼いたりしているのだから、惨めな気持ちになった。

 もしも私がもっと可愛かったら。炎の魔法使いなんかじゃなくて、普通の安全な女の子だったら……。
そうしたら誰かが、優のことを好きになってくれただろうか。そうしたら優は、誰かのことを自分のことよりも好きになれたのだろうか。
両親を亡くしてから、優は自分に自信が持てなかったし、いつも不安で、孤独だった。

――それでも毎日は続いて行く。

 呪いの予言は消えない。立ち止まらずに、前に進むことしかできない。

 調理場で一人佇んでいた優は、すっかり冷えてしまったスコーンを持って、ゆっくりと歩き出した。



 石畳のうす暗い廊下を進んで行くと、温かいスープや肉が焦げる香ばしい匂いが漂ってきた。
 どうやらすでに昼食の時間になったようだが、優にはそんなに長い間調理場にこもっていた自覚がなく、軽いタイムスリップをした気分になった。
 中庭に面する石畳の回廊は、正午には日の光が届かず影になってうす暗く涼しい。そして今は昼食時なので、皆が食堂に行っているはずだから優の他には誰もいない。
 だが、不意に炎の熱を感じて優は振り返った。

 確かめるまでもなく、そこには思った通り朱雀がいた。
 回廊の柱に寄りかかり、腕組をしている朱雀は、いつものダイナモンの灰色のブレザーを着ていなかった。
 そういえば、今日は春の陽気が強くて、山の上にあるダイナモンの校舎内でもさすがに少し蒸し暑いような気がした。

「ブレザー、どうしたの」
「熱いから」

 互いに不自然なほど、無感情な会話のやりとり。
 朱雀は無表情に、優の両手に抱えられているボール紙の箱を見つめた。流和と永久の話では、それは自分に贈られるもののはずだった。
認めたくはないのだが、期待が高まるのを抑えられない。
 優の手に大切そうに持たれているそれは、不器用に切り取られたボール紙で形作られたちょっと歪な箱で、優と同じ瞳の色のリボンが結ばれている。しかも、そのリボンはプレゼント用の安っぽいものではなく、もとは何か別の、おそらくドレスか髪飾りか何かのリボンだったことが、朱雀には簡単に予想できた。いかにも手作りっぽい包みの中に、手作りのお菓子……。
 胸がくすぐったくて、感情を表に出さずにいることが難しいくらいだった。
 朱雀はそれがどんな出来であっても、優からのプレゼントを紳士に、喜んで受け取るつもりだった。
 それなのに、

「そう」

 優は機械的にそう合槌を打つと、朱雀に背を向けて歩き出して行くではないか。
 これには朱雀も目を疑った。
 わざわざ人目につかないところで、優がプレゼントを渡しやすいように待ってやっていたのに、このチャンスを逃すつもりだろうか。
「おい、どこへ行く?」
「どこって、食堂だよ。ところで三次ってもう食堂に来てた?」
「は?」

 朱雀は早足で優に追いつき、肩を掴んで止めた。
「なんで」
「なんでって、何が?」
 朱雀は馬鹿じゃない。だから、このとき迷惑そうに見上げて来る優の顔を見て、すぐに事態を悟った。
「まさか、それを三次に渡すつもりか」

 言われた優の頬が、すぐさま赤くなる。
 というのは、ダンスに誘ってもらうために自分が陰ながら努力しているのを朱雀に見抜かれたようで恥ずかしかったからだ。
「どうして……」
「朱雀には関係ないでしょう。放っておいてよね」

 このとき、朱雀は不思議でならなかった。一体どうして、優は自分のことを好きにならず、三次を選ぶのだろうか。恥ずかしそうに赤面までしている優の仕草が妙に腹立たしくさえ感じられた。俺の方がずっと優の傍に居るのに。
 普通の女子なら、もうとっくに朱雀に惚れていて当然なのに。
 世界中のすべての女子をオとせるとは思っていないまでも、少なくとも朱雀は優に対して、自分のできることは何でもしてきたつもりだった。だから少しは自分に好意を寄せてもいいのに、優の頭には朱雀ではなく、三次がいるのだ。年に一度の舞踏会の夜を優が一緒に過ごしたいと思うのは、朱雀ではなく三次なのだ。

「反純血魔法使いのくせに、思いあがるのもいい加減にしろよ」
「なんのこと? 別に思いあがってなんかないよ。自分の分はわかってるつもりだよ」
 だから誰も優をダンスに誘ってくれないのだ。優にはそれが分かっている。デキソコナイ魔法使いだから、魔法使いの男性には敬遠されるし、中途半端に魔法使いだから人間の男性とも普通に付き合うことができない。結局誰も、優のことを本当に好きになってはくれない。でもそれでも舞踏会には行きたいから、たった一晩だけ一緒にいてくれる人をなんとか見つけたいのだ。それを朱雀は思いあがっていると言うのだろうか。
 優はムッとして朱雀を無視して駆けだした。

 食堂に駆けこんで行く優の姿を見ながら、朱雀は愕然としてその場にたたずんでいた。
「俺がいるのに、なんでアイツなわけ……」

 朱雀の漆黒の瞳が、辺りにたちこめる炎の熱気とともにシュコロボヴィッツの紅色の輝きに変わる。
 くだらない嫉妬や羞恥心で泣き寝入りするような朱雀ではない。欲しいものは自分の力で手に入れる。
もし、朱雀がどんなにイイ男なのかということを優がまだ知らないなら、それを証明し、必ず優に確信させてやる。
 朱雀は両手をズボンのポケットにつっこみ、ゆっくりと、優のあとを追って食堂に入って行った。

 食堂ではいつものように羽のペンや食器が忙しく飛び交い、生徒たちが昼食を楽しみながら雑談で盛り上がっていた。
 奥のテーブルから吏紀と空が呼びかけるのには目もくれず、朱雀は真っすぐに優と、そして三次のいるテーブルに向かって歩いて行った。

「朱雀……」
「嫌な予感がする」
 吏紀と空が視線を交わして顔を強張らせた。同じテーブルに座る永久と流和も、不安な面持ちで優を見つめる。
「ねえ、優が持ってるのって多分、手作りのお菓子よね……おかしいじゃない」
「まさか、優がお菓子を渡そうとしてるのって、三次!?」
「うっそ!そんなことって」
「てっきり朱雀とばかり思ってた!」
「おいおいどうするんだ、朱雀が接近中だぞ」
「デュエルじゃすまないかもな。死人が出たりして、はは」
「笑ってる場合じゃないでしょ空、止めなくちゃ!」


 まさにその時、優は三次のいるテーブルでプレゼントを差し出そうとしているところだった。
 三次はちょうど、他の女の子と楽しそうに昼食をとっているところだ。それは試しの門で一緒だった「桜」という名の、ピンクパールの輝きを持つ女の子だ。小柄で華奢な体つきだが、とても賢そうな顔つきをしている。それでいて、三次と冗談を言って笑う顔には気どったところがなくて、何とも言えずチャーミングだった。その子の瞳を見ただけで分かる、優たちより学年は下だが、試しの門を受けただけのことはある、真っすぐな『勇気』があること。
 三次と桜もまた、お似合いのカップルなのだということを、優は一瞬で悟った。

「優? どうしたの。……もしかしてそれ、僕に?」
 優に気づいた三次が、何も言い出せずにいる優に話しかけて来てくれた。
「あ、うん……。実はね、舞踏会に誘ってくれる相手を探していて、これ……」
 三次に断られることは覚悟のうえで、それでもここまできてしまったら抑えが利かずに、優は手にしていたスコーンの箱を三次に差し出した。
 だが三次がそれを受け取る前に、箱は横から乱暴に取り上げられた。

「……朱雀!」
「悪い、俺のツレが血迷ったみたいで。コイツの相手は俺だから」
 朱雀はそう言うと、三次と桜にウィンクしてから、優には目もくれずにプレゼントの箱を開いて中に入っていたスコーンを一気に口に詰め込み始めた。

「ちょっと! 何してるのよ、せっかく作ったのに!」
「ゴホッ!……」
 朱雀はむせ込みながらも、顔を真っ赤にして4つあったスコーンを瞬く間にすべて口に突っ込んでしまった。

 スコーンはボサボサしていて口の中の水分を奪う食感なので、朱雀はそれだけで窒息しそうになった。また、噛むごとに何かジャリジャリしたものが口の中で弾けて怪我をしそうだった。一気に口に詰め込んだので、味は良く分からなかった。だが、口に入れた瞬間からそのスコーンに何か魔力が込められているのが感じられ、それは呑み込んだときに確信へと変わった。
――強い炎の魔法!
 スコーンをすべて呑み込んだ朱雀は、全身が燃え上がるような熱に覆われて行くのを感じた。
例えて言うなら、ファイヤーストームが腹の中を駆け回っているような感覚。あるいは、燃える石炭を呑みこんだかのような感覚!

「ゲホッ……」
 激しくむせ込みながら、朱雀は瞳に涙を浮かべて悶え苦しみ、床に倒れ込んだ。
 周りにいた生徒が驚いて朱雀と、そして優を見ている。
 朱雀は顔を真っ赤にして、額には大粒の汗……。苦しそうに胸元を握りしめて、肩を震わせて何とか息をしているといった風だ。
「ちょっと、冗談でしょう。やめてよ、みんなが心配するでしょう」
「冗談なものか。はあ、はあ……、お前、何を入れたんだ……」
「特には、何も……」
 そう言いながらも、優の頭にはいくつか思い当たるものがあった。一番最初に思い浮かんだのはバツ印のついたドラゴンのマークの塩だ。だが、あれは少ししか入れていない。あとは、星の金平糖だろうか。それかもしかしたら、妖精の粉を入れすぎたのか……?

 優はいよいよ心配になって屈みこみ、倒れている朱雀の顔を覗きこんだ。本当に苦しそうにしているではないか。
「どうしよう……私、初めてお菓子を作ったから……」
「ったく、俺じゃなかったら死んでたぞ……」
 朱雀が苦しみのさなかニヤリと笑って優の手を掴んだ。
「良かったな、俺で」

 朱雀の意図するところが汲み取れなかったものの、その掴まれた手が危険なほど熱いことに気づいた優は咄嗟に叫んだ。
「みんな離れて! ファイヤー・ストームを感じる!」
 それはいわゆる、魔力の暴発。
 普段は抑え込まれている朱雀の強力な炎の力が、優が意図せず調合した何かによって解放されたのだ。

 まるで火山が噴火するかのように、朱雀の全身から一気に紅の炎が噴き上がった。
それは天井に達し、洞窟のように細長い食堂をたちまち覆い尽くした。

「みんなすぐに外に出るんだ!」
 吏紀が叫ぶのと同時に、食堂にいた生徒たちが互いにひしめきながらただ一つの出口に向かって駆けだし始めた。
 空と流和が同時に杖を召喚した。
「時間を稼ぐわ! ――テレッド・フラグマ!」
 流和が杖の先でなぞった地面から大水の壁が立ち上り、朱雀の炎の勢いから生徒たちを守った。
 間髪いれず、空もエメラルドの杖を掲げて言霊を唱える。
「ヴァヴァンカ!」
 すると、永久を含め逃げていた生徒たちの体が宙に浮き上がり、物凄い勢いで食堂の出口の方へ跳ばされて行った。

 流和の水防壁は朱雀の炎でたちまち蒸気となったものの、食堂にいた全員が外に避難するだけの時間は稼げた。優だけが、朱雀に掴まれたまま炎の中にいて無事だった。
 食堂はその日、朱雀の炎によってテーブルも椅子もすべてが灰と化した。




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