月夜にまたたく魔法の意思 第8話10



 急速に終息していく炎の中で、優の豊かな巻き毛がパチパチと火の粉を浴びて紅色の光を帯びていた。
 火の粉は優の髪に触れると線香花火のように美しく弾けて消えて行く。
 綺麗だな、と、朱雀は思った。
 だが、優は怒っている。
「ちょっと、手を放してよね! 私まで巻き添えになって死ぬところだったじゃん!」
「薄情なやつだな、誰のせいで俺がこんな目にあってると思ってる」
 これに対しては、優はいつになく冷ややかな態度で返答する。
「他の人のを朱雀が勝手に食べたからだよ。自業自得でしょう」
 朱雀がムッとする。
「お前とパーティーに行くのは俺に決まってるのに、なんでアイツのためにわざわざ菓子を作ったか理解できないね」
「誘ってくれなかったくせによく言う! だって、毎晩練習で会ってるのに、誘ってくれなかったでしょう、私のこと。だから、朱雀は美空と行くんだと思ってたけど、違うの?」
「誘わなかったのは、お前が菓子を作るまで待てって流和と永久が……ああ、もういい。この話はこれで終わりだ。とにかく、俺のパートナーはお前だから」
 朱雀はズボンの埃を払いながら立ち上がり、フウと息をついた。
「それにしても、何を入れたんだ? ここが、すっげー熱いんだけど」
 そう言って、朱雀は親指で自分の胸を指した。
 優が口を半開きにして、きょとんと首をかしげる。怒っているようではない。笑っている。優には朱雀が何を思っているのか分からない。

 けれど、ひとまず舞踏会には朱雀が一緒に行ってくれるというのが分かって、ホッとした気持ちだ。
 果たして本当に?
 優には朱雀の言うことがにわかには信じられない気もした。


 食堂が焼け野原となった日の午後には、もう通常通りの授業が行われることになった。
 人間界であれば集団下校にでもなって、授業なんて休みになるはずだが、魔法による修復作業で夕食までには間に合うということだった。
「ありえないってゆーのよ」
「確かに朱雀の火力はすごい。けど薬草学の教室を灰にしたお前が言うなよ」
 空の言う通り、優は薬草学の教室でファイヤー・ストームを暴発させ、そこを灰としたのだった。
 罰としてドラゴン飼育員としての奉仕を任じられたわけだが、朱雀にはどんな罰がくだされるのかと思いきや、燃やしたのが『教室』ではなく『食堂』であることと、朱雀が暴発したのは本人に過失のない不可抗力だということになり、なんのお咎めもないのだ。
 なんでも、食堂のように皆がただ集まって食事をする場所よりも、貴重な本や薬品が保管されていた薬草学の教室を燃やしてしまうことのほうがよっぽど罪は重いらしい。
 まったく不公平な話だ。

 教室に向かいながら優が頬を膨らませる。
「そうじゃなくて、午後の授業も休みになると思ったのよ」
 
「たとえ死者が出てたとしても中止にはならなかったと思うぜ。特に、この授業はな」
「どうして? 午前の授業は中止になったじゃん」
 と、優が文句を言う。
「天文数理魔法学の安寿先生は狂人なのさ」
「狂人?」
「いつも決められたことを、決められた通りにやらなければ気が済まない人なのよ」
 と、流和が付け加えた。

「狂人は言いすぎじゃないの? 『ちょっと几帳面』なくらいの言い方の方が失礼がないんじゃない?」
 と永久。
 すると、流暢な口ぶりで空と吏紀が交互に話し始めた。
「部屋から食堂まで136歩で歩かなければ気が済まない人なのさ」
「他にもあるぞ。この学校にあるすべての階段の段数を暗記し、奇数で終わる階段は決して利用しない」
「あと、毎朝食べるゆで卵の数は必ず2個。食べない日はないって話もある」
「それに素数には悪い力があると信じ込み、先が3本や5本に分かれているフォークは決して使用しないんだ。他にも先生の奇妙な行動は数多くあるぜ。これは几帳面のレベルじゃないだろう。イカれてるのさ!」
「思うに先生は、あらゆるものの数を数えている。まあ、数魔法の先生だからそれが普通なのかもしれないけれど、私たちからすると狂人てわけよね」
「気をつけろよ、安寿は二重人格のきらいもあるからな」
 緑色の分厚い絨毯が敷かれた城の廊下を進みながら、朱雀が『知の問答』とギリシャ語で書かれた門をくぐり抜け、天文数理魔法学の教室のある塔に入って行った。
「ところで朱雀、身体は大丈夫なのか?」
「平気だ」
 そうは言ったものの朱雀の目はまだ少しうるんでいて、頬が火照っている。
「お前が床に倒れ込んだときにはビビったよ。恐るべき、優の手料理……」
 空がケラケラ笑って優をからかうのを、優は聞こえないふりをして先に教室に入った。
 天文数理魔法学の教室は半月型で、前方の大きな黒板に向かって床が段々に低くなっている。
 それぞれの段に4卓の大きな四角いテーブルがあり、その周りに6脚ずつ丸い木の椅子が並べられていた。
 優が、一番後ろのテーブルの、一番隅の席を選んで座ると、朱雀がテーブルを挟んでその前の席に座った。
 朱雀の隣に吏紀と永久が続き、席についた吏紀がいきなり朱雀のおでこに手のひらを当てた。
「熱いな。入れたばかりの紅茶よりも熱い。普通なら死んでる」
 そう言った吏紀は驚いた顔をしているものの、声は台詞を棒読みしているみたいに感情がない。相変わらず酷いと思う。
「本当? 私にも触らせて」
 永久も吏紀にならって朱雀の額に手を伸ばすが、朱雀が顔をそむける。
「やめろよ、大袈裟だな」
「君は触る必要がないだろう」
 と、朱雀がよけるのとほぼ同時に、今度は感情のこもった声で吏紀が止めに入った。
「だって、魔法の熱でしょう? どんな感じがするのか触ってみたいわ」
「だめだよ、いけない」
 と、吏紀が好奇心旺盛の永久の手をそっと抑えて、静かにいさめて終わる。
 二人を見ていると、吏紀が日毎に永久の存在を大切に取り扱うようになっていくのが分かる。吏紀は簡単には永久に触ることがないのだが、それでも必要なときには柔らかな綿を扱うみたいに、そっと触れる。二人がただ並んで座っているだけで、吏紀が永久を大切にしているのが伝わって来る。

 そうこうするうちに、流和と空が優の隣の席についた。この二人はすでに並んで座っているのが当たり前で、二人で一つに見える。
 空は自分の体の一部に触れるみたいに、すごく自然に流和に触れる。それは流和も同じだ。

 朱雀と優だけが、特段互いを意識することもなく、テーブルを挟んで座っているのだった。
 強いて言うなら、朱雀も優に触れることがある。必要に迫られやむを得ない場合に、朱雀は優をど突いたり、掴んだり、抱えたりする。まるで物を扱うみたいに。
 そう思って、優は苦笑いした。
 けれど同時に、朱雀ってもしかしたらご両親からやさしく触れてもらったことがないのかなという想像が浮かび、だとしたら可哀そうだな、とも思った。
 ちなみに優は、小さい頃からお父さんとお母さんにいっぱい撫でてもらったり、抱きしめてもらったりしたから、いつか愛する人ができたら、いっぱいギュっと抱きしめるつもりだ。

 教室に集まった生徒たちがまだ全員席に着く前に、前方の扉から明るい紫色のローブを着た初老の先生が勢いよく入って来た。
 そして生徒たちがまだ席についていないことなど気にも留めない様子でいきなり話し始めた。

 「数とは神の言葉だ、と、いう者がいる。だが、私はそうは思わない! 私は、数とは神が創造された世界を我々が理解するための概念、いわばツールのようなものだと考えている。月日のめぐり、時間、あらゆるものの長さ、重さ、速さ、深さ、大きさを理解し、とらえるために、我々は数を利用しているのだ。数を治め、紐解くとき、我々は魔法にも同じ美しさがあることを悟ることができるだろう。未来の偉大な魔法使いたちよ、ゆえに、数を探求することを軽んじてはならない。優れた魔法使いは、賢く数を用いるものなのだから!」

 熱弁。
 優は引いた。
「私、数学って苦手。お釣りの計算くらいしかできない」
 すると朱雀が意地悪な顔で振り返った。
「俺は得意だ」
「あ、そう。良かったね」
「大丈夫よ優。この授業はグループで問題を解くから、他の者がカバーする」
 と、流和が言った直後。
「今から、6人一組のグループをつくってもらう」
 と言って、なんと安寿先生は教室全体の生徒に席替えを強制した。グループの割り振りを先生が決めてしまったのだ。

 そして、こういうとき優は決まって運がない。朱雀と美空、流和と空、永久と吏紀と東條がそれぞれ同じグループになり、優だけが一人だけ別のグループになった。
 こうして6人ずつ、4つのグループがつくられた。
 予期せず友人たちと離された優は、人生楽をしようとしてもうまくいかないものだ、と諦める。
 そんな優の心中を知りもせず、安寿先生が段取りよく授業を進めて行く。
「これより各グループに授けるのは特別な数の駒だ。早速本日の授業を始めるとしよう」

 各グループがそれぞれ一つの作業テーブルの前に集まると、サンタクロースがプレゼントを持って来るような巨大な布袋を抱えた安寿先生が、それぞれのテーブルの上に無数の小さな駒をばら撒いて行った。駒はどれも木でできていて、形はちょうどチェスのポーンにそっくりだ。

「これは命の駒と呼ばれるものだ。命の数を数え、やりとりすることができる駒だ。これから君たちが見るのは、数から予想される未来だ! 最初のテーブルの結果は次のテーブルの結果に影響をもたらす。だから、数え間違いは許されないからな。ではグループの全員で協力し、まずは駒をテーブルの上に整列させたまえ」
 優はぎょっとした。
 こんな小さな駒を全て立てて並べるのには、一体どれくらい時間がかかるだろう。
 だが優が心配になったのも束の間、グループの一人の女の子が魔法の言霊を唱えて駒たちを一瞬で整列させてしまった。
 どうやら他のテーブルでも同じように、皆が魔法で駒を整列させたようだ。
 こうして大きな作業テーブルの上に、ビッシリと隙間なく駒が並べられた。

 安寿先生は初めに、流和と空のいるテーブルに指示を出した。
「まずは基本の計算からだ。この世界にいる全人口の数を魔法計算によって算出してみろ。魔法使いの数と人間の数をそれぞれだ」

 人口調査をして数えるのではなく、計算によって人口の数を求めることができるとは。
 優には初耳だったが、流和と空のいるグループはそれぞれが協力して、教室の前にある大きな黒板を利用してなにやら奇妙な計算式を書き始めた。
「1対の子ウサギがいて、子ウサギは1ヶ月たつと親ウサギとなり、その1ヶ月後には1対の子ウサギを生むようになる……この事象を解いたフィボナッチ数列と、そこから導き出される黄金比を用いることで、現在の世界人口を求めることができます」
 説明しながら、流和が黒板に数の羅列と、ルートや分数を含む計算式を書き、最後に1.6180から無限に続く黄金比と呼ばれる数を丸で囲んだ。
「世界が想像され、今日まで経たと考えられる月日は記録により分かっているので、この月日の数と黄金比とを掛けあわせ、これを人間の魔法数で割れば今日の人間の数がわかります」
 流和は、人間界で一般的にみられる数式ではなく、それをまるで絵のように立体的に黒板に記述し、莫大な大きさの数を計算して人間の数を割り出した。
 隣で空が別の式を書いて、どうやら流和の計算が間違いではないことを証明したようだ。
 さらに流和と同じグループの女の子が、同じようにして魔法使いの数を割り出した。
「人間の数は80億1000万5623人、魔法使いの数は3860万2272人」
 また別の男子生徒が、その女の子が出した計算に間違いがないことを証明して見せる。
 実に手際が良かった。
「よろしい、それが君たちのテーブルの上にある駒の数だ。もしも計算違いをすれば、この場で駒が失われていただろう」

 安寿先生は巨大な黒板の前から、教室中の生徒たちを見上げた。
「これで諸君らのテーブルの上にある駒の数は明らかになった。問題はここからだ。人間の魔法数と魔法使いの魔法数はすでにわかっているが、では、この中に、闇の魔法使いの魔法数を求められるグループはあるか」
「闇の魔法使いの数だって? そんなの聞いたこともないぞ」
 と東條が呟く。

「吏紀、複雑な計算はお前のところに任せる」
 だが空に言われた吏紀は、思いのほか顔を曇らせた。
「これはただの計算じゃない。もしもこの解を求めれば……俺はやりたくない」
 まるで何か嫌な未来を予想しているような口ぶりだ。
「なんだ、君たちは真実から目をそらす臆病者なのかね? 誰かいないか、求められる者は」
 安寿先生が挑発するような笑みをたたえて教室の生徒たちを見回した。
「高円寺、どうだ。君にならもちろん、この解がわかるだろう」
 そう言って、安寿先生は軽蔑するような目で朱雀を見つめ、悪意を感じられるほど口の端を釣り上げた。
 まるで、親が闇の魔法使いなのだから、お前にならその答えがわかるだろうと言いたそうな安寿先生に、さすがの優も嫌な気分になった。

 だが、朱雀は何食わぬ顔で立ち上がった。
「闇の魔法使いの魔法数はこれまでの観測値から推測することができます」
 朱雀は通路の階段を下りて、真っすぐに黒板の前に出て行った。
「両親の階層がその子供に伝達されるという階層の再生産、つまり、親が闇の魔法使いならばその子供もまた闇の魔法使いになる、という不公平理論は、開放性係数で説明することができる」

 チョークを手にした朱雀が流和のグループが書きだした計算式の隣に、次々に書き示してゆくものは、かろうじてイコールで結ばれて式のようになってはいるものの、もはや数字ではなく大小のアルファベットや記号の羅列で、優にはさっぱり理解不能だった。
 
「魔法使いの構造は時代とともに日々様変わりしているから、魔法界全体の構造上の変化である周辺度数は、光の魔法使いにとっても闇の魔法使いにとっても大きいと言えるから、ここでの強制移動量はゼロと定義することができる。つまり、光の魔法使いが闇の魔法使いになることを誰も強制できないし、その逆もまた誰にも強制できないということになる。だから、光か闇かの選択はまったく純粋な移動に基づくものだと証明できる。この数式が示すのは、すべての魔法使いが光か闇、AかBかを自由選択することができることを示唆している」
 そこまで言うと、朱雀はシャツの袖のボタンをはずして腕まくりした。
 朱雀は、まるで数学の先生みたいに堂々としている。

「でも、それは矛盾するんじゃないか? その数式が正しいとすると、闇の魔法使いから光の魔法使いに戻った者も少なからず観測されていていいはずだ。なのに、実際にはそんな魔法使いは、誰もいない。一度闇に堕ちてから光の世界に戻ってきた魔法使いは、観測されていないだろう」
 東條が控えめに反論を提示すると、朱雀は肩をすくめて、だがすぐに答えた。
「確かに、観測はされていない。だが、数はそれが不可能でないことを示している」
 朱雀はそう言うと、また別の不等式を黒板に書きながら説明した。
「観測値から、親が闇の魔法使いであった場合にその子が闇の魔法使いになる可能性は0よりも大きく、逆に、親が光の魔法使いであった場合は、その子が闇の魔法使いになる可能性は期待値Fよりも小さいと推察できる。以上のことから魔法指数化の概念を用いて、期待値からの偏りの指数を構成するとこのようになるから……」

 いくつもの記号で埋め尽くされた最後の数式をXで締めくくり、休みなく黒板にチョークを滑らせていた朱雀の手がそこで止まった。

「これが闇の魔法使いの魔法数だ」

 よくやるものだなあと、優は感心して遠巻きに朱雀を見ていたのだが、黒板に書かれている記号の意味は全く不明。数学的思考ができる人の頭の中は神秘だなあと優が思ったそのとき、朱雀と美空の所属するグループのテーブルの上で、多くの駒がバラバラと音をたてて倒れた。

 誰が倒したのでもなく、自然と倒れたその駒に、教室にいた誰もがハッとして振り返った。
 安寿先生が、低く険しい口調で言った。
「この時代に闇の魔法使いによって犠牲となる命の数が、今倒れた駒の数だ。さて、倒れた駒の数はいくつかね」
「それは私が」
 朱雀と同じグループの美空が黒板の前に出て行った。
 すれ違いざまに、美空が朱雀に対して「ゼロとイコールという場合もあるのよ」と言うのが聞こえた。
 まるで朱雀をかばおうとしているみたいに。
 つまり、朱雀の両親が闇の魔法使いだからと言って、朱雀もまた闇の魔法使いになる可能性があるというのではなく、その可能性は0である場合もあるということ。
 なーんだ、と、優は温かい目で二人を見つめた。
 朱雀にももうちゃんといるのだ。朱雀の存在を大切に思い、信じている女性が。

 美空は朱雀の出した計算式に数行を付け加えた。
「犠牲となる命の数は、魔法使いと人間を合わせ、40億1500万9789人です」
 美空の解答に、それまで口髭を弄って何やら物思いに沈んでいた安寿先生が即座に頷いた。
「計算は正しい」

「そんなにたくさんの命が犠牲になるのか?!」
「計算上はそうだ。だが、ゲイルの予言の式がまだ残っているな。この解を導き出すのは、九門吏紀のいるグループがふさわしいだろう」

 ゲイルの予言の式? 優にはまるでちんぷんかんぷんだったが、吏紀と東條晃の二人がすぐに黒板の前に出て行くのが見えた。
 彼らと同じグループの永久が、お手上げのポーズで優にアイコンタクトを送って来たので、優は人差し指と中指を宙に歩かせて見せてから、胸の前で4本指をひらひら振った。これは野球チームの監督がピッチャーに送る『敬遠』のサインを真似したもので、勝負せずに見送ろうという意味だ。
 優の物真似に、永久がクスリと笑みをこぼした。

「ゲイルの予言と、予言に対応する天体の軌道を式にするとこのようになる。この事象を、さっき朱雀と美空が出した式に当てはめると、」

 ダイナモンの生徒って、本当に頭のいい子ばかりなんだな、と優はつくづく感心するのだった。
 流和や美空はもちろん、性格の悪い東條や朱雀まで。
 さながら朱雀が数学の先生っぽく見えたのに対し、吏紀が黒板の前で計算式を説明する姿は物理教師っぽかった。
 どちらも優には近寄りがたく、何を言っているのかも不明ときてる。

「予言の6人にかかる比重が大きくなる分、他の犠牲は減ることが示唆され、その数がこれだ」
「人間13人、魔法使いはすでに犠牲になった者を含め165人まで補正される」
 吏紀と東條がそこまで言うと、彼らのグループのテーブル上で宣言した数の駒が倒れた。

「よろしい。極めて合理的な解だ。それでは最後だ」
 安寿先生が、優のいるグループに視線を送ってきた。まだ問題に答えていないのは優たちのグループだけだ。
「予言の魔法使いは6人。だから、ここでは全部で6つの駒を残すとしよう」
 安寿先生の言葉の後、優たちのテーブルの上で駒がソロバンを弾くような音をあげて倒れ、たったの6個だけが残った。
「残された6つの駒の解は、生か死か。私は生だと信じたい。だから、諸君らに求めてもらおう、残された6つの駒、その一つ一つが生きるために必要な式を」

 それから優を含め、テーブルの6人が全員、一つずつ駒を持たされて黒板の前に立たされた。
 優以外の5人はそれぞれチョークで黒板に計算式を書き、駒が生きるための解を導き出して、順にテーブルに戻って行った。
 全員が見守る中、黒板の前にただ一人残されたのは、もちろん優だ。

 安寿先生の灰色の目が、ジットリと優を見つめて来た。それはとても嫌な感じだった。

 その様子を見ていた永久が、吏紀の制服の端をチョンチョンと引っ張った。
「6つ目の式は何? 優を助けてあげて。あんなの無理よ」
 すると、吏紀が永久の耳もとで囁いた。
「今回の生存比の計算には五芒星の原則が用いられている。だから解は5つしかないんだ。6つめはない。安寿はそれが分かっていて、この問題を出したんだ」
 そのとき、別のテーブルでは空が舌打ち混じりに呟いた。
「反吐が出る」

「君は明王児優だね。どうだ、君が手にしている駒が生きるための式はどうなる?」
 優にはそれが分からないので、掌の駒をギュッと握ることしかできない。
 もともと数学は苦手だから、そもそも一番最初の問題からして、優に解くことは不可能だったろう。
 だが、仮に人間界で優が少しでも数学ができる子だったとしても、今回の問題が解けたかどうかは甚だ疑問だった。

 みんなが沈黙の中で見守る中、優はきっぱりと断言した。
「まったく分かりません。ノーアイディアです」
「では、その駒は死ぬということだな!」
 突然、安寿先生の口調が激しいものに代わり、教室中に緊張が走った。一体、どうしたというのか。
 優が問題を解けないのを腹立たしく思っているのだろうか、と、優は思った。

「答えろ。その駒は死ぬ! そうだな?」
「……わかりません」
「わからないだと? 生きる式が分からないということは、死ぬということだ! 断言しよう、その駒は死ぬ!」
 朱雀が眉をしかめた。
 朱雀だけではない。教室にいた生徒が皆、さっきまでとは違う安寿先生の様子を奇妙に感じた。

 先生の迫力がすごいので、優は無意識に後ずさりした。
「では明王児優、お前に問う。その駒は誰だ」
「え……?」
「予言の魔法使いは6人だろう。ここにいる、高円寺朱雀、九門吏紀、東雲空、龍崎流和、山口永久、そして明王児優。――死ぬのは誰だ

 安寿先生に肩をつかまれ、優は黒板に押し付けられた。

答えろ!

「やめろよ、答える必要はない」
 空が嫌悪感を剥き出しにして割り込んだ。
「もうやめて! そんなことを聞くなんて、残酷すぎるわ」
 と、流和。

 だが安寿先生は優を拘束する手をさらに強め、優の体を強く黒板に押し付けた。
答えるんだ。死ぬのは、誰だ!

 吏紀が立ち上がる。
「誰にも分からない。どんな計算式でもそれは求められないはずだ!」
 永久も震える声で抗議する。
「お願い、優を放してあげて」

 朱雀だけが、無表情に事の顛末を見守っていた。
 沈黙の山で、優が朱雀に読んで聞かせてくれたゲイルの予言書によると、予言の魔法使い6人は、全員が死ぬはずだった。
 だが今、朱雀たちが導きだした式によると、6人のうち5人には生きるための式がある。これは、予言とは異なっている。
 なぜか。
 考えられることはおそらく、朱雀と優が沈黙の山でゲイルの予言書にした書き換えの儀式だろう。あのとき優と朱雀は予言を書き換えたのだ。
 だから6人全員ではなく、その中のただ一人だけが死ぬという結果に変わった……。

 そしてそれは多分、この俺だろう、と、朱雀は思った。呪いを受けるのは、自分一人だけでいい。
 ついに朱雀も立ちあがった。
 死ぬのは自分だ、と、宣言しようと思ったのだ。だが、それよりも先に優が口を開いた。

「私です!」

「優!?」
「何を言ってるのよバカ!」
 永久と流和が同時に叫んだ。
 朱雀は耳を疑い、一瞬、言葉も出ない。

「死ぬのは私です」
 優ははっきりと、もう一度繰り返した。
「死ぬのは、私です」
 安寿先生が優を掴んでいた手を放した。

「なぜだ。なぜ、それは高円寺朱雀ではない。なぜそれは九門吏紀でも、東雲空でもない。なぜ龍崎流和や山口永久ではなく、君なんだ」
「誰も死んでほしくないから。永久と流和は私の親友です。吏紀や空が死んだら、二人が悲しむし」
「高円寺朱雀はどうなのだ」
「朱雀はグルエリオーサを助けてくれたんです。ちょっとは優しいところがあるから、だから……」
「他の誰でもなく、君が死の運命を負うというのだな」

 優は肩をすくめて頷くと、チョークで黒板に『明王児優』と書いて、その後ろに証明完了の点を3つ打った。




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