月夜にまたたく魔法の意思 第8話11





 授業が終わった後も、優、流和、永久、朱雀、空、吏紀の6人だけが教室に残っていた。別の塔で次の授業が始まるのもお構いなしだ。
 重たい空気が漂い、誰もが口を閉ざして黒板の式をジッと見つめていた。
 そのうち吏紀がチョークを手にしていくつか式を殴り書きし始めたが、やはり同じ結果になると見て溜め息混じりに手を止めた。

 テーブルの上に胡坐をかいて座っていた空が、黒板を凝視して「手詰まりだな」と呟く。

「深刻だね、みんな」
 優だけがケロリとしている。
「そりゃそうだろう。式は、この中の一人が死ぬと示しているんだ」
「でも逆に言えば、5人は助かるということでしょう」
「一人を犠牲にして他の者が助かるみたいで気分がよくない」
「そもそも、死ぬのは優じゃなくて、この俺かもしれないしな」
 と、空。

「でも、6人全員が死ぬよりはずっとましでしょう」
 と優が相変わらずの脳天気な声で言う。

「ゲイルの予言書には何て書いてあったんだ」
 意表をつく吏紀の問いに、優はハッとした。
「それは言えないよ。読めなかった人には、知る必要がないことだもん」
 だが優の言葉を遮るようにして、朱雀がズバリと暴露した。
「予言書には、俺たち6人全員が死ぬことを示唆する文章が書かれていた。ちなみに俺は光を失って闇に堕ちる」

 沈黙。
「……冗談、だろ」
 空の声が緊張でかすれたが、見つめ返す朱雀の目が、冗談ではないことをこれ以上ないくらい物語っていた。

「ねえ、気になっていることがあるんだけど」
 流和が言いにくそうに口を開いた。
「気になるって、何が?」
「沈黙の山で烏森一族にゲイルの予言書を奪われる前に、優と朱雀が何をしたのかということよ」
「そういえば……俺も見てたゼ。あの時お前たち一体、何をしたんだ」
「予言を書きかえる儀式をしたんだ。この式で死ぬのが一人になったのは、その結果だろう。6人のうち死ぬのは一人だけ。運命は改善されたな」
 朱雀が熱のない声で、すべてを見切ったように言い捨てた。
「簡単に換算するなよ、命だぞ! 死ぬんだぞ!」
 空が怒る。
 
「簡単な話さ。全員が死ぬより一人で済んだ方がずっとましだってだけだ」
「やめてよ、誰の命も同じく大切だもの、だれか一人ですんだからマシだなんて、とても思えないわ」
「すでに多くの命が奪われてる。甘いことは言ってられない。犠牲はやむを得ない」
「でも私、そんなのイヤ。……恐いわ」
「死ぬのが恐くない奴なんかいないさ。けど、受け入れなくちゃいけない」
 吏紀はどちらかというと、朱雀の意見に近いようだ。
 それを見て空が大きく溜め息をつく。
「けどこれから先、俺たちはずっと、この中の誰か一人が死ぬんだって頭の隅で怯えながら過ごすことになるわけだ」
「もしかしたらそれは私かもしれない、もしかしたらそれは……嫌よ」
「ガキみたいにわめくなよ。目障りだ」
「朱雀、そういうお前は死ぬのが恐くないっていうのか?」
「死ぬことは惨めだとは思うが、恐くはないさ。俺が恐れているのは、死ぬことよりも闇に堕ちることだ」
「なるほど、不公平論理ってわけか! おそれいったよ」
「そうさ、両親ともに闇の魔法使いだからな! この中で俺が一番闇に堕ちる可能性がある! ゲイルの予言書でも、試しの門でも、光を失って闇に堕ちて行く自分を見た俺の気持ちが分かるか。……いっそ、死んだほうがマシだね」
「お前が闇に堕ちたら、そのときは俺が殺してやるから安心しろよ」
「その言葉、忘れるなよ」
 空と朱雀が睨み合う。

 そしてまた、沈黙。

 永久が静かに前に出て行って、黒板に書かれた「明王児優」の文字を消そうとした。
 けど、どんなに黒板消しで擦っても文字は消えなかった。
「うそ……、なんで?」
「ただの式じゃないからだよ。魔法界では、数の式は予言に近いんだ。だからさっき、優は自分で死の予言の式に署名したことになる。消せないのは、消してなかったことにはできないからだ」
「じゃあ、優が死ぬってことなの?」

「それは違う。これは確定事項ではなく、いわゆる、象徴だ……」
「つまりその式によって、俺たちは誰もが、死ぬのは優かもしれないと想像した。皆が想像したこと、それが未来に本当に起こる結末に関わる可能性があるんだ。実際、皆が思っていることは、本当に起こることが多いのと同じだ」
「嫌よそんなの!」
 永久がさらに力を込めて黒板消しを擦りつけた。
「私は気にしないから大丈夫だよ、永久」
「私が気にするの! 私たち3人で一緒にベラドンナに帰るって約束したじゃない!」
 そう言って、永久がめそめそと泣き出した。その手には約束のリングが結ばれている。
「私も納得がいかないわ。こんなのまるで、死ぬための戦いみたいじゃない。ゲイルの予言書に私たちの死が書かれていたなんて……でも私、」
 流和が意を決したように前に出ていき、チョークを取り上げた。
 そして黒板に書かれている優の名前の隣に、自分の名前を書きこんだのだ。――龍崎流和

「流和、何してるんだ!? やめろよ!」
「私は、生きるために戦うわ」
「私も!」
 と、今度は永久も、黒板消しを投げ捨てて、チョークで自分の名前を、優の名前の左隣に書きこんだ。――山口永久

「なるほど、そうか。そうすれば、この式は成り立たなくなるな」
「なに冷静に分析してるんだよ吏紀」
「死を受ける署名ではなく、皆で生きるために戦う署名にするんだ」
 そして吏紀が、永久の名前の下に自分の名前を書き加えた。――九門吏紀

「呆れてものも言えないよ。こんな子ども騙し……けど、俺がここに署名を書くからには、流和の身の安全だけは保障する」
 そう言い終える頃には、空も自分の名前を流和の名前の下に書きこみ終えた。――東雲空

 最後に朱雀が出て来て、自分の名前を優の名前の上に書きこみながら言った。――高円寺朱雀
「お前さ、俺のことが嫌いなんだから、最初から俺の名前を書けば良かっただろ。さては、漢字が難しすぎて書けなかったな」
「え? 嫌いじゃないよ。好きだよ」
「っ……。」
 朱雀が驚いた顔で振り返ったが、そのときにはもう、優の関心は他に移っていた。
「よーし! じゃあもうこれでみんな仲直りだね。みんなで生きるために戦う、証明完了だね〜」

 流和と永久と手をつないで万歳をしたりしている優。
 好きと言った言葉にも、きっと深い意味はないのだろう。
 子どもみたいに無邪気に無頓着に、大して言葉の意味も考えずに「好き」という奴ほど面倒なものはない。

「ざまあみろ、ご愁傷様」
 と、空が朱雀にだけ聞こえる声で囁いた。
 その横で、吏紀が何も言わずに、朱雀の境遇を憐みつつも微笑んでいる。



 6人が天文数理学の教室を後にしたあと、黒板の横のオーク材の扉から、静かに安寿先生が出て来た。
 安寿先生は黒板に書かれた5つの名前を目にすると、「ほほお」と一声、かすかに口元をほころばせた。
「確かにこれもまた、五芒星の原則に従い解を導き出している」
 そう言って安寿先生がチョークで線を書きこむと、明王児優の名前を中心にして、高円寺朱雀、龍崎流和、東雲空、九門吏紀、山口永久の名前を頂点とする五角形が描き出された。

「くすしきかな。予言の魔法使い全員が生きる解が、ただ一つだけ残されているとは……」




次のページ 8話12