月夜にまたたく魔法の意思 第8話8
4日後に控えたダイナモン魔法舞踏会に向け、生徒たちはいよいよ本格的に準備を開始し、色めき立っていた。
女の子たちはドレスや髪形の話題でもちきり。一方、男子は自分のパートナーに贈るコサージュの準備に気を揉んでいた。
授業の合間を縫って、広間や廊下の端でダンスの練習をする生徒たちもいる。ダイナモン魔法学校の舞踏会では、男女がペアになって踊るダンスも数多くあるのだが、伝統的なのは、女の子たちだけが男子のために披露する『ゴリック』と、反対に男子だけが女の子のために披露する『ロイティア』があることだ。そうやって互いの魅力をアピールして、その夜はとてもロマンティックに過ごされるのが通例だった。
『試しの門』以来、優、永久、流和の三人は自分たちの運命にかかわる重要な事柄については触れないようにしていた。
それぞれがあの門の中で何を見たのかは、とても言いにくいことでもあるし、とても聞きづらいことでもあった。
だが、互いに何を見たのかがすごく気になっているというのは事実だ。
加えて、流和にはもう一つ気になっていることがあった。
それは、沈黙の山で闇の魔法使いと対峙したときに、優と朱雀がゲイルの予言書に何をしたか、ということだ。
今ではそのことが、流和が試しの門で見聞きしたこととどうしても関係しているように思えて、流和の心に引っかかるのだった。
――流和は空とともに死ぬ。
多くの悲鳴や残酷な戦いの末に流和が試しの門で見た結末は、自分の死。
今さら死を恐れるつもりなどない。ましてや空と一緒なら、流和は自分の死を受け入れて戦いに挑むつもりだ。
だから、流和が試しの門の中で出した結論は、「進む」だった。
でもあの時、ハープの奏でに合わせて不思議な歌が聞こえて来たのだ。
――二つの炎。二つの炎。命の光が闇を切り裂き、命が命を救うとき。来たるコトバは炎の血にて書き換えられる。
呪いを解くことや、予言を書き換えることには命の代償が伴う。
魔法界で生まれ育った流和は、もちろんそのことを知っていたので、もしかすると優と朱雀がとんでもないことをしたんじゃないか、と、心に不安を募らせる。
「ふあ〜ぁ……。流和、お腹すいたぁ」
大きな欠伸をしながら優がベッドからよじ出て来るのを、流和は談話室のソファーから見つめた。
胸紐が少しほどけて、ピンク色のネグリジェから痩せた肩が半分出てしまっている。
けれどその姿は肌蹴た着物を纏うセクシーな女性には程遠く、実際にはまるで子供が服に着られているような幼い印象を与えた。
流和は、緊張感のない優の様子に、ホッと心が慰められる気がする。
「ちょっと早いけど、朝食に降りて行く?」
「……うん。眠いけど」
と、優が寝ぼけた眼をゴシゴシとこすった。
久しぶりに寝坊をした優とともに、永久と三人で朝食に降りて行くと、一時間目の授業が休講になったことが知らされた。
魔法魔術学の神原先生が今朝から急の出張になったらしい。
「おはよう、優。隣、いいかな」
生卵とベーコンとトーストの並ぶテーブルに着くと、一人の男の子がすぐに優の隣にやってきた。
柔らかそうな髪はほんの少しだけ巻き毛で、緑色のネクタイにドラゴンの銀バッヂをつけて、小奇麗にダイナモンの制服を着こなしている地ヶ谷三次だ。
堂々としているけど、柔らかな物腰と優しそうな雰囲気を漂わせている三次は、きっと女の子にも人気だろう。
「おはよう三次」
ゆで卵の殻を剥きながら、優が自然と三次に微笑みかけた。優と三次は、二人並んでいるとまるで兄弟のように仲がいい。
朱雀が来なければいいけど……と思いながら、反射的に流和は周囲を見渡した。
そしてすぐに、食堂に朱雀の姿はないことを認め、余計な心配をしたことを後悔する。
まだ食堂に降りて来ている生徒が少ないようで、空や吏紀の姿もなかった。
「ドラゴンたちのことなんだけど」
と、三次が片手をテーブルについて優に顔を寄せる。
「赤ちゃんになにかあったの?」
卵の殻を剥く手を止めて、優が途端に心配そうに三次を見つめ返した。
「ノステールなら元気だよ。でも、ちょっと元気すぎるかな。じゃれているつもりなんだろうけど、所構わず火を吹くんで、熊骸先生が今朝火傷したんだ」
「まあ、それは大変。きかん坊さんだこと」
「ドラゴンの赤ちゃんて、大抵は手がつけられないものらしいから、それはいいんだけど。ただ、他のドラゴンたちがね」
三次は言い淀み、困った顔で優を見た。
「どうしたの?」
「機嫌最悪でグッタリって感じ。特にひどいのはチビドラゴンとフミアルビー。今朝、君がファイヤー・ストームを焚きに来なかったから、餌を食べずにチビは暴れ回ってる。フミアルビーに関しては物凄い殺気を放ってて、今朝は恐くて近寄れなかったよ」
「でも、ファイヤー・ストームはグルエリオーサが出産するまで、っていう約束だったよ?」
「そうなんだけど、ドラゴンたちはそうは思ってないみたい。岩ドラゴンは、苔も生えてないのに何故かまた、頭突きを始めたよ。まともなのはモンシーヌアス・レッド・ドラゴンくらいだけど、それでも珍しく今朝は餌を食べなかったんだ」
身内だけで大切な話をするときのように、優と三次がさらに顔を寄せ合った。
「え、ローまで?」
「だから、また君にファイヤー・ストームを焚きに来てもらえないかな、と思って」
「それはダメだ。コイツは俺との特訓に忙しい」
背後からいきなりポンと頭を小突かれて、優がムッとして振り返ると、朱雀が流和を押しのけて優の隣に座って来た。
「そうか? 俺は毎朝のファイヤー・ストームがあれば、目覚めがいいんだが」
長テーブルの向かい側で吏紀がナプキンを取り上げ、素早く永久の向かい側の席につく。
「それは言えてる」
と、同調した空が、当たり前のように向かえの席から身を乗り出して来て、流和の頬にキスをした。朝の挨拶だ。
こうして朱雀、吏紀、空の3人が優たちのいるテーブルに、当然のように座って来た。
「私は別にいいよ。ファイヤー・ストームを焚くくらい。それに、ドラゴンたちのお世話、結構好きだし」
「約束が違うだろう。ドラゴンが無事に出産したら俺との練習に集中するはずだ」
湯気のたつ熱々のコーヒーを注ぎながら、朱雀が文句を言う。
「都合が変わったんだよ。ドラゴンたちのためだもの、仕方ない」
「ふざけるな。俺とドラゴンとどっちが大切なんだ」
朱雀がいささか乱暴にコーヒーポットをテーブルに戻したので、優も負けじと拳でテーブルをドンとやった。
「子どもみたいなこと言わないで。ドラゴンに決まってるでしょう!」
たちまち、優と朱雀が睨み合う。
二人の間に飛び交う火花に、他のメンバーは居ずらそうに咳払いなどをしてから、自分たちに飛び火しないよう沈黙を守った。
優と朱雀の遠慮のないやりとりに、キョロキョロと事態を見守っていた三次が、やがて控えめに口を開いた。
「あの、じゃあ、明日からまたファイヤー・ストームを焚いてもらえる、ってこと……」
「ダメだ!」「もちろんOK」
朱雀と優が同時に言葉を発したので、今度こそ三次も黙りこんだ。
「約束は約束だろ」
「朱雀がそんなに心の狭い人だとは思わなかったよ。見そこなった!」
ゆで卵を口に頬張り、モグモグと優が抗議すると、朱雀もカリカリのベーコンを乱暴にフォークに突き刺した。
「心にもないこと言うなよ。俺の心が狭いことなんて、最初から知ってたろ」
「練習は夜にやればいいじゃない。なんでそんな意地悪言うのよ」
「理由は3つある。1つ、時間がない。2つ、時間がない。そして3つ目は、ソイツが気に入らないからだ!」
朱雀にいきなり睨みつけられて、三次が心底ビックリした顔で自分を指差した。
「え、僕!?」
どうやら、流和の心配していたことが的中したようだ。
だが肝心の優は、朱雀が言ったことを深くは受け止めていない。
「それなら私も言いたいことが3つある。1つ、すごく真面目にやるから大丈夫。2つ、本当にすごく真面目にやる! そして3つ目は、私は三次をすごく気に入ってる。ドラゴン飼育員の仕事は順調にいってるんだから、朝の仕事はこれまで通り続けるから。練習は夜にお願い」
朱雀が一瞬言葉を失った。
気に入ってるって何だよ! と。 だが、優のことだからきっと深い意味はないのだろうとすぐに自分に言い聞かせる。
気を取り直してコーヒーを口に運んでから、朱雀は静かに、だが棘のある口調で言い返した。
「教えてもらう立場なのに随分と上から目線じゃないか。そこまで言うなら、一つ条件がある」
「条件……? て、何」
「毎晩の特訓で俺の定めた基準を必ずクリアすること。それができないなら、ドラゴン飼育員の仕事はさせない」
「わかった」
「ペナルティーもあるぞ。お前、自分が無事でいられると思うなよ」
「わかった」
「まあ、それが妥当なところだな」
と、空がようやく朝食のナプキンを膝に広げて、事態の収拾を宣言した。
「そうね。穏便に解決して何よりだわ」
すかさず向かいの席から、恋人の流和が空に紅茶を注ぐ。
「じゃあ三次、また明日からファイヤー・ストームを焚きに行くね」
「ありがとう、優。君のそういうところ、大好き!」
三次は自分の拳にキスしてから、その拳で優の肩をトンと叩き、軽快な足取りで食堂から出て行った。
ゲホッ
ちょうどティーカップを口につけていた空がむせこむ。
三次が残していったハチミツのように甘いスマイルに、流和と永久は咄嗟にニヤニヤ笑いを隠せない。
当の優はテーブルの大皿からプリンを自分の皿に取り分けるのに夢中だ。
無表情な朱雀が静かに、フォークで朝食を口に運んでいる。
だが、一瞬空気に漂った殺気に空と吏紀だけは気づき、少しも笑えなかった。
こぼしてしまった紅茶をナプキンで拭きながら、空が呟く。
「ああいうのが一番厄介なんだよな。無邪気で純粋。悪気はないんだぜ、きっと」
それに対し、吏紀も極めて自然体で、なんでもないことのように囁く。
「深い意味はないさ。気にすることない」
二人が暗に朱雀に対して言ったことは間違いないが、プリンに夢中な優がそれに気づく由はない。
午前の授業がなくなったので、優は峰子夫人に頼んで調理場を貸してもらい、あまり気乗りしないスコーンづくりに取り組むことにした。
舞踏会に誘ってもらうためにお菓子作りをしたい、と事情を説明すると、峰子夫人は生徒の実習用のキッチンを自由に使っていいと言ってくれた。
調理場の片隅にあるその実習用の小部屋には、優が知っているような近代的な調理器具は無く、どんな風に使うのか分からないものばかりだ。
限られたスペースの中に、調味料や食材、調理器具だと思われる物が無駄なく収められているのは、なんだか実験室みたいだった。
優が図書室から借りて来た『魔法のお菓子作り』の本には、『恋するスコーン』のレシピが載っている。
中庭に面した日当たりのいい調理室で、優はブレザーを脱ぎ、シャツの袖をまくった。
天気があまりに良いので、優は流し場の上の丸い窓を全開にして、外気を招き入れた。
最初に用意するのは銀のボウルだ。
調理台の下から適当な大きさのボウルを取り出し、料理本をめくるとそこには、――幸せなことを考えながらスプーンで3回叩く。
と書かれていた。
魔法の料理本て、ちょっと変わっているのだ。
きっとただのオマジナイみたいなものだろう、と、優は手近にあったひしゃくを掴むと、カンカンカン! と手早く銀のボールを叩いた。
「えーっと次は……。『小麦粉を思いの数だけふりいれる』。小麦粉だ! 小麦粉、小麦粉は……」
棚に並べられた銀の筒の中から、麦の絵が描かれているものを取り出すと、優は迷わずひしゃくで白い粉を3杯すくい、銀のボウルに入れた。
でも少しして、ちょっと足りないかしら、と思い至り、あと2杯を同じようにひしゃくですくって、ボウルにつぎ足した。
そこまでやったとき、開け放した小窓から、蝶々のように何かヒラヒラとしたものが舞い込んできた。
よく、部屋の中に虫が飛び込んできたら、ムキになって叩き殺そうとする人がいるだろう。けれど、優は虫を叩き殺すのは嫌いだ。
だから気づかないフリをして先方が自分から勝手に出て行ってくれるのを待つタイプだ。
このときも、宙を舞うヒラヒラを気にも留めずに、優は料理本に視線を落とした。
「砂糖を大匙3杯、塩をひとつまみ? うん、これは簡単ね」
だが、粉類のならぶ棚に、優の見慣れた白い砂糖が見当たらない。
「あれ? ないな。砂糖は基本でしょう。砂糖がないはずないのに……、おかしいなぁ」
その時、蝶々が棚の上の瓶の上に停まった。
――『甘いモノ、大好きッ。大好きッ、甘いモノ』
しかも喋っている。
よく見ると、それは蝶々ではなく、背中に青い羽根の生えた、人間のような姿をした生き物だ。
「わあ〜、妖精さん! はじめまして」
優が驚いて手を伸ばすと、透き通るように輝く小さな妖精は、優の手を避けてヒラリと天井に舞い上がった。
――『甘いモノ、大好きッ』
妖精が止まっていた瓶を取り上げてみると、中にはピンクや緑や黄色、色とりどりの小さな星型の塊が入っていた。
一つ、つまみだして口に入れてみると、甘いではないか!
人間界で言うところの金平糖だ。
「まあ、仕方ないか」
優は瓶を傾け、小麦粉の入ったボールの中に、目分量でそれを注ぎ入れた。砂糖ではなく、がりがりとした金平糖を……。
妖精がすかさず飛んで来て、優が手にしている瓶の口に頭を突っ込んできた。
「ああ、だめだめ、ちょっと待って!」
優は小さな妖精を手の甲で優しく退けると、調理台の上に金平糖をこぼしてやった。
キャッキャと羽根をバタつかせて、妖精が調理台の上に着地し、小走りで金平糖に飛びついて行く。蝶々が花に止まって蜜を吸い上げるときみたいに、金平糖を口にいれた妖精の羽根が、静かに開いたり閉じたりし始めた。
「可愛いね〜」
優は屈みこみ、まじまじと覗きこんだ。
調理台の上の色とりどりな星に夢中な妖精は、細部までよく作りこまれた、だがとても質素なフェルトのシャツとズボンを身に着けていた。つぶらな黒い瞳には白目がないが、体つきは人間にそっくりだ。キラキラ光る金色の髪は短く、耳はヒイラギの葉っぱのように尖っている。雌雄の判別はつかなかった。
やがて妖精は、小さな口に金平糖を一つ咥え、さらにもう一つをシャツの中にネジネジとねじこんで、調理場の窓から外に飛びたって行った。
優は肩をすくめて妖精を見送ると、今度は棚から塩を探し始めた。
ドラゴンの絵と、その横に×の印が描かれているアルミの入れ物がすぐに目に着いたので、それを取り上げてみると、大当たり。中に塩のような白いものが入っていた。
念のため一つまみとって味見してみたが、それは確かに塩のようだった。
だがこのとき、にわかに優の体が火照り、強い熱を帯びたことなど、優は気にも留めなかった。
疑念を抱かずに、優はそれをボウルに一つまみ加えた。
続いて優は魔法の料理本に目を落として、首を傾げた。
「春妖精の粉をふりかける……。恋をしている春妖精であれば、さらにふっくらと焼き上がる」
ただし、妖精の中には特殊な毒を持つものもいるので注意が必要、と書かれていたのを優はうっかり読み飛ばしてしまった。
調理棚を探して見ても、妖精の粉は見当たらない。
困ったな、と辺りを見回していると、先ほどの妖精がまた窓をくぐって飛び込んでくるのが目に入った。しかも、今度は仲間を引きつれて来たらしい。
迷わず調理台の上に舞い降りた妖精たちは、まだ調理台の上に散らしたままになっている金平糖に走り寄り、忙しくまたシャツの中に詰め始めた。
優には妖精の知識はなかったので、それが春妖精なのかどうかは分からない。
でも、青色の鮮やかな羽根を持つ妖精たちは、まるで蝶々のようで、まさしく春らしい趣を持っている。しかも、今は春だ。
こんな天気の良い春の日差しの中、蝶々のような妖精を見かければ、きっと誰でも「春妖精だ!」と、思うだろう。
「ねえ、あなたたち。妖精の粉を持ってる? もしこのボウルの中にあなたたちの粉をふりかけてくれたら、もーっとたくさん金平糖をあげるよ」
二匹の妖精たちが顔を見合わせ、小声で何か囁き合ってから、小さく頷いた。
「わあ! ありがとう、いい子ね」
二匹の妖精は優のボウルの上まで飛んでくると、両手を握りしめて力むような格好で、背中の羽根を激しくふるわせ始めた。顔を真っ赤にして。
すると妖精たちの体が光輝き、キラキラと光る粒がたっぷりとボウルの中に降り注がれた。
「御苦労さま」
優は棚から金平糖の瓶を取り出すと、中身が空になるまで調理台の上に注ぎ出してやった。
――『シー……』
――『ハー……』
粉をふって疲れたのか、妖精たちは小さな額をぬぐい、いかにも大きな仕事を成し遂げた熟練の鉱山職人のように、再び金平糖を回収する作業に戻って行った。
ボウルにバターとミルクを加え、よく混ぜ込んで、スコーンの生地は完成だ。
丸い型に生地を入れて石窯のオーブンにかける頃には、調理台の上を行きかう妖精たちの数は数十匹にも膨れ上がっていたが、優は気にしない。
スコーンを作るのに大忙しだ。
朱雀との特訓で上手く操作できるようになった火力を用いて、優はオーブンに火を焚き、炎が安全なのを確認してからスコーンの生地を慎重に中に入れた。
ドオーーン!!
突如、鈍い音が響き、オーブンの中で炎が大きくなった。
「……うそ!!」
スコーンを中に入れた瞬間、なぜかオーブンの中で爆発が起きたのだ。
妖精たちがビックリして跳ね上がる。
だが、爆発はすぐに終息し、スコーンは焦げることもなく、赤々と輝いているだけだったので、優はホッと息をついた。
このときのオーブンの中のスコーンの様子が『燃える魔法の石炭』にすごく似ていたが、魔法のスコーンなのだからそんなこともあるのだろう、と、優は心配しなかった。
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