月夜にまたたく魔法の意思 第8話7




 魔法警察がダイナモンに協力を求めて来たのは、その日の夜のことだった。闇の勢力を取り締まるのに、魔法界は明らかに人手不足に陥っていた。そのため、魔法界は猿飛業校長をはじめとするダイナモン魔術魔法学校の優秀な先生たちに、前線へ出て来るよう要請してきたのだ。そればかりではなく、魔法界は予言の魔法戦士たちが一日も早く戦場へ出て来ることを強く求め始めている。
 これには業校長が異を唱えた。
 子どもたちはまだ未熟だ。戦いへの備えはまだ充分ではない、と。
 だからせめてあと、1ヶ月待ってもらえるようにと、業校長が魔法界の重役たちと直接かけあったのだった。
――「1ヶ月もですか!? そんなには待てません。どれだけの犠牲者が出ているのかご存知のはずです。どうか、炎の魔法使いたちを今すぐこちらに差し出してください」
 魔法公安特部の取締役を務める大臣は語気を荒らげて業校長に抗議した。
――「あの子らは先日、邪悪な9人の王の魂を滅ぼしたばかりじゃ。我々も闘っていないわけではないのです。しばし猶予が必要なのじゃ。今焦ってあの子たちを戦場に送りだしてしまえば、我々はあの子たちを失い、勝機を逃してしまうことになるじゃろう」
――「勝機ならもう逃しかかってますよ! 失われる? 予言の通り、その子たちが失われてくれさえすれば、魔女は再び封印されて魔法界には平和が戻るのでしょう? 他の多くの命が失われる前に、最初から失われることが分かっている命をこそ、我々は潔く差し出すべきなんじゃないですかね、業校長」
――「それは違うぞ、荒木大臣! 一人の命も、他の多くの命も等しく重んじられるべきじゃ。予言の魔法戦士は魔女への生贄ではないのですぞ。彼らもまた我々が守るべき子どもなのです。どうかしばし猶予を。あの子たちが戦いの備えを整えるまでのほんのわずかの間じゃ」

 業校長の必死の説得に、魔法界は渋々、あと1ヶ月だけ待つことを承諾したのだった。だが、それ以上は一日たりとも待てないと魔法界は重ねて何度も忠告して来た。
 その代わり、ダイナモン魔法学校の先生たちが交代で戦場へ送り出されることになり、ときには猿飛校長自らも戦地に赴いて、闇の魔法使いたちの討伐に力を貸すことになった。
 校長や先生たちが学校の外に出て行くことになれば、ダイナモンの守りは手薄にならざるを得なくなる。
 だが、そのことはまだ、生徒たちには誰にも知らされていなかった。



 大人たちが予言の魔法戦士について激論を交わしているとはつゆ知らず、朱雀と優は今夜も魔法の特訓だ。

 夜8時きっかりに中央広間に降りて来た優を見るなり、朱雀がかすかに眉をひそめた。
 優は上機嫌で朱雀のもとまで歩いて来ると、クルリと一回転して見せて、ニコリと首を傾けた。
「どう?」
「どう、って。……なんだソレは」
 朱雀はおもむろにズボンのポケットから手を出すと、優の頭から生え出ている白くてフワフワした細長い耳を、いきなりムギュリと掴んで引っ張った。
「ちょ、やめて! 痛い、痛い、痛い!」
 思った通り、引っ張っても外れない耳に、朱雀は呆れ顔だ。

「なに遊んでる。魔法特訓はまじめにやれ」
「永久がやってくれたんだもん。部分変身魔法の、うさぎ耳」
「見ればわかる」
「へへん。可愛いでしょう」
「可愛子ぶるな不愉快だ」
「なによ。もしかして猫耳のほうが良かった? でもこの耳、すごくよく音が聞こえるのよ」
 優の頭のうさぎ耳がヒクヒクと動いて、周囲の音を探っている。確かに音には敏感に反応しているようだ。

「今すぐその耳を取り除け」
「やだね」
「それじゃ魔法特訓に集中できないだろうが」
「できるもん! 魔法特訓にビジュアルは関係ないんだから」

 優は朱雀を無視して碧玉の広間に正座すると、さっさと炎のサークルを描いて魔力を集中し始めた。

 朱雀は何も言わずに優を一瞥すると、諦めたように手のひらからトランプカードを一枚取り出した。その手の指に挟まれているのはダイヤのエースだ。
 クローバーとハートはこれまでの練習ですべて、優が燃やしてしまっている。つまり、これが27回目の挑戦ということになる。
 優は目を閉じて炎に集中していたが、朱雀が近づいて来てダイヤのエースをサークルに近付けるのをうさぎ耳でヒクヒクと感じ取ると、片目で恐る恐る盗み見た。

 何のことはない。カードは一瞬で塵となった。

「あー……」
「ダメだな。いつもよりよく燃えてるくらいだ」
 ドラゴンのことで丸二日間、まともに練習できなかったこともあり、優はまだ、燃やさない炎を作ることができないでいる。
 だから優が泣きごとを言った。
「燃やさない炎ってどうやったらできるの? 全然できる気がしないよ。イメージが湧かないんだもの」
「イメージか。強いて言うなら、『傷つけたくない』という気持ちを炎に具現化する感覚だ」

 けれどもやっぱり朱雀の言葉に優が困惑していると、朱雀は優の前にあぐらをかいて座った。
「感じさせてやろうか」
「何を?」
「俺の炎を」
 そう言って朱雀は手首を返すと、「触ってみろ」と言って、その手のひらに浮かんだ青色の炎を優に差し出してきた。
 その右手に巻かれている包帯を見て、優が問い掛ける。
「傷、深いの? ゲイルの予言書と契約を交わしたときにもナイフで傷つけたけど、あのときは包帯はしてなかったよね」
「平気だ。それより炎に集中しろ。早く、触ってみろ」

 朱雀に言われ、優は自分の手を朱雀の手の上にかざしてみた。青い炎が優の手に触れ、ユラユラと揺れる。
「すごく熱い。初めて朱雀に会った時に感じた熱さと同じ。すごく熱くて……、でもすごくきめが細かい感じ。シルクみたいに滑らかな炎だね」
「これが俺の通常の炎だ。お前の炎が紅色で、熱を帯び踊るように燃え上がっているのとは少し違うだろ。意識せずに燃え上がらせることのできる炎が、その魔法使いのオリジナルフレアだ」
 続いて朱雀は手のひらを一度下に向けると、指をパチンとならしてまた上に向けた。
 今度は赤い色の炎が燃え上がっている。
 優はまた、朱雀の手の上に自分の手を重ねた。

「これは……、すごく怒ってるみたい。荒々しくて、危険な感じがする。とても乱暴な熱がある」
「攻撃の炎だ。荒れ狂う炎、フランマ・インペリウムは、相手を傷つける」
「うん」
 優は炎から手を放した。
 朱雀がまたパチンと指を鳴らすと、今度は色の無い、透明の炎が手のひらに浮かび上がった。

 優は興味を示して、すぐに朱雀の手に自分の手を重ねた。途端にうさぎ耳がピクリと跳ね上がる。
「何なのこれ。すごく温かくて、優しい感じがする」
「サニターテムだ。治癒の炎」
「すごい……」
「解毒や消毒、それから予防の効果もある。特殊な魔法薬を調合するときにも使える」
 朱雀の透明なサニターテムを両手で何度も触って、優はその感覚を頭に叩き込んだ。こんな炎を、優も使えるようになりたい。

 気がすむまで優にサニターテムの感触を確かめさせてから、次に朱雀は、真っ赤な炎を手のひらに燃え上がらせた。
 優はその炎に触れて、今度はちょっと驚いた顔になった。
「わあ、誕生日ケーキの蝋燭の灯りみたいに温かい! 喜んでて、楽しんでて、それに踊ってるみたいな感じがする! まるで恋をしてるみたいな炎……、なんか、ドキドキする。でもずっと触っていると、火傷しそうに熱いね。優しいのに、強い炎……」
 優と朱雀の目が合った。
「これは、お前の炎だ。でもお前の炎は俺のよりずっと、情熱的で素直だけどな」
「うそ、私の炎ってこんな感じなの? 今まで考えたこともなかったけど」
 優は少し頬を赤らめて、炎から手を放した。

 いくつもの炎が思いのままに、その手のひらに現れる朱雀は手品師のようだった。そんな朱雀が次々に燃え上がらせる炎に、優はすっかり夢中になり、炎のイメージを膨らませて行った。朱雀は言う。
「炎にはいくつも種類がある。お前が心の中に思い描くことのできる炎ならどんな炎でも、必ず生み出すことができるんだ。攻撃、防御、治癒、支援、何でもいいが、それを正確に使い分けるには、魔力のコントロールと鍛練が必要だ。燃やさない炎を作ることはその最初の一歩さ」

 そう言って朱雀は最後に、透明感のある朱色の炎、まるで血のような炎を浮かび上がらせた。
「不思議。とても強くて熱いのに、でも、熱くない」
「これが守護壁に使う炎だ。熱いのに、熱くない。燃えているけど、燃やさない」
 朱雀は炎にハートの「2」をかざしたが、カードは燃えるどころか、焦げ一つつかなかった。
 優は朱雀の手の中の炎に何度も触れて、その感触を確かめた。こんなふうに炎を操れるなんて、優は今まで知らなかったから、それは驚きでもあった。
 うさぎ耳を半分に折り曲げ、夢中になって朱雀の炎に触れている優に、朱雀が言った。

「魔法の源は強い心の意思だ。だからお前が願うなら、どんな炎でも生み出せる」


 優は再び目を閉じて、意識を炎に集中させ始めた。
 『傷つけたくない』という思い。朱雀の炎に触れた今、優にはその言葉の意味がなんとなくわかったような気がする。
 魔法の源が心の意思だとするなら、守護魔法には『守りたい』という気持ちが必要なはずだ。

 優の周囲で、炎のサークルが息を吹き返したように瞬き、燃え上がり始めた。
 心の中に思い描く大切な人たちの姿。そこには、親友の流和や、永久がいる。もし生きていたとするなら、優のお父さんとお母さんも優が守りたいと思う人たちだった。それに生まれたばかりのドラゴンの赤ちゃんもそうだ。みんな、優が心の底から守りたいと思う人たち。
 自由奔放に発散される炎ではなく、静かに優しく、包み込む炎を……。

 優の心の思いが注ぎだされて魔法になっていくのを、優自身が炎の瞬きから感じ取った、直後。
 サークルを描いていた炎が血のように真っ赤に変色し、そして透明になった。守護の炎は、命をかけた炎。だからその炎が血のように赤くなるのは当然だった。

 サークルの上にかざしたハートの「2」を見て、朱雀が満足げに頷く。
「上出来だ、うさぎ耳。ステップ2をクリアだな」
 たまらず優から笑顔がこぼれた。
「やっとできた!」
 生まれて初めて自分で作り出す、燃えているけど燃やさない炎に、優は鳥肌がたった。
 『ありがとう』と、朱雀に言いたかったのだが、優は急に照れくさくなってしまって、その言葉を呑みこんだ。

 それからステップ3の、炎を上空に上げる操作はさほど難しくなく、すぐに完成することができた。
 グルエリオーサのために毎朝ファイヤー・ストームを焚いていたので、優はすでに炎を広げたり縮めたりするコツを掴んでいたのだ。

 中央広間の高い天井に届くほど燃え上がる炎の柱を見て、すぐに朱雀がOKを出した。
「よし、ステップ3もいいだろう。疲れたか?」
「うん、ファイヤー・ストームよりも疲れる感じがする。でも、まだ大丈夫」
 (ファイヤー・ストームと比べるのかよ……)と、朱雀は内心で苦笑いした。
 『竜の巣』と呼ばれるファイヤー・ストームはすさまじい火力の大放出と凝集だ。火の魔法使いにさえ、練習してできるレベルの魔法ではない。そのファイヤー・ストームと比べて疲れる感じがするけれどもまだ大丈夫、と、ケロっとした顔で言う優には、一体どれほどの潜在的魔力があるのだろうか。
 炎の守護壁がファイヤー・ストームに比べると神経を使う魔法だということに違いはないが、魔力の消費量は似て非なるもの。本来なら、杖もなく初心者が守護の炎をこれだけ燃え上がらせれば、すぐにヘタってしまうのが普通であるはずなのに。
 ただの火の魔法使いではない、シュコロボヴィッツと異名される炎の魔法使いならではというべきか。
 平常時でも常にシュコロボヴィッツの瞳を輝かせている優の潜在的魔力は、朱雀が思った以上に強大なのかもしれなかった。

「身体にも精神にも負担の大きい魔法だ。疲れたら休んでもいい」
「まだ平気。せっかくコツを掴んできたところなの。早く次にいって」
「言うじゃないか。ならば最終段階に入る。――炎の硬化だ」

 そう言って朱雀は優の築いた炎の壁に片手をかざした。途端に朱雀の瞳がシュコロボヴィッツの輝きに染まる。
「炎の守護壁は、これだけでも相当の効力があり、邪悪な魔法や暗闇を退けるが、強い闇や物理的な攻撃はこれだけでは抑えられない。優、俺の手をそこから押し返してみろ」
 言われた通り、優は炎の壁の中から手を伸ばし、朱雀の手に触れた。

 バチン!

 たちまち炎の壁がゆらめき、亀裂を生じて激しく乱れた。壁の外側と内側で朱雀と優の手が触れ合った瞬間に、小さな爆発が起こったのだ。
「硬化してない炎は乱れやすいんだ。炎の形を保ち、しっかりと俺を押し返せ」

 バチン! バチン!

 これはかなり体力的に消耗する仕事になった。
「どうした、それじゃ敵に隙をつかれるぞ。俺を敵だと思って、本気で押し返せ」

 だが、ムキになって力任せに押し返そうとすれば、今度は炎がボワッと燃え上がった。

「燃やすな」
「わかってるんだけど」
 バチン!

 朱雀は優を押しのけ、いとも簡単に炎をくぐって優の守護サークルの中に入り込んできた。
 一人分のスペースしかない狭いサークルの中で、朱雀が優を見下ろしニヤリとする。
「まだまだだな。だが、初めてにしては、なかなか上等だ」
「近い。出て行ってもらえる?」
 炎の柱の中に二人きり。すごく近いところに朱雀の胸があって、優の視界を塞ぐ。
「ガードが甘いんだよ。出て行って欲しければ、自分で俺を追い出してみろ」
 言われた優は朱雀の胸板を両手でドンと突き返した。そうやってサークルの外に追し出そうとしたものの、朱雀の体はびくともしない。
 かえって朱雀に手首を掴まれて、優の方が動きを封じられてしまう始末だ。

「ところでお前、いつになったら菓子を作るつもりだ」
 優の細い手首を掴んだまま、朱雀が優の瞳を覗きこんできた。
 突然の問いかけに、優は一瞬、きょとんとする。
「え、……お菓子? なんで朱雀がそのこと知ってるの」
「俺が言うのも変だが、舞踏会は次の土曜だぞ。ほとんどの奴はもう自分のパートナーを決めてる。ちょっとは相手の気持ちを察して急いでもいいんじゃないのか」
 
 そう言う朱雀の顔があまりに近い! と思った時、優は中央広間で朱雀と美空がキスをしていた光景を思い出した。
 そういえば朱雀と美空はパートナーなのだ。あんな風にキスをするくらいの間柄なのだから、それは当然のはずだった。

 優自身でさえ予想しなかったことだが、このとき優は、できれば朱雀と一緒に舞踏会に行きたかったな、と思い、少しだけ残念な気持ちになった。

「なに浮かない顔してる」
 うさぎ耳がたらりと垂れてしまった優に、朱雀がさらに顔を近づけて来たので、優は頬を赤らめてプイとそっぽを向いた。
「別に。お菓子なら明日作るつもりだよ。もう料理本は見つけてあるの。……内緒だったのに」
 ダンスのパートナーに誘ってもらうために、優は三次が好きだと言っていたスコーンを作るつもりだった。でもなんで朱雀がそのことを知っているのだろう。自分には誘ってくれるパートナーが誰もいないということが朱雀にまで知られていて、優は恥ずかしかった。
 もしすでに三次にもパートナーがいたとしたら、他に優と一緒に舞踏会に行ってくれそうな男子なんて見当もつかない。ダイナモンに来てまだ日が浅いから知り合いも他にいないし。優はそのことを考えるだけでゲンナリした。女らしい容姿と大人びた雰囲気を持っているダイナモンの女子生徒たちを、この時ほど羨ましいと思ったことはないだろう。

「お前があまりに遅いから、ちょっと心配になったんだ。待ってる身にもなってくれ」
 と朱雀が呟いたのだが、うさぎ耳の優は別のことで頭がいっぱいで聞いていなかった。

 生まれて初めての本格舞踏会に興味がないと言ったら嘘になる。
 でもパートナーがいない優としては、ダンスパーティーのことは今はあまり考えたくなかった。

「そういえば、グルエリオーサの赤ちゃんの名前は考えてくれた?」
「ん? ……ああ」
 突然の話題転換に朱雀は拍子抜けの返事を返し、優の手首を放した。

「どんな名前?」
 目の前に誘いたい女の子がいるのに、まだ誘えない。自分が一番に優を誘いたいのに、くだらないお菓子作りを待っている間にもし他の男子生徒が優をダンスのパートナーに誘ってしまったらどうだ。朱雀の自尊心は大いに傷つけられるだろう。そんな朱雀の心中を露ほども知らず、ドラゴンの話題になると、優は途端に瞳をキラキラさせる。
「ノステール」
「ノステール?」
 聞きなれない響きに、優が繰り返すと朱雀が付け足した。
「炎の魔法使いはラテン語を用いることが多いだろ。俺たちにとってのラテン語は特別な力のある言葉だ。だから、炎のドラゴンに命名するならラテン語がいいと思ったんだが」
「どんな意味なの?」
「――我らの友。奴がこれからの生涯ずっと良き友に恵まれ、良き友に囲まれて生きるように。そして、俺たちにとってもまた良き友である証に」
「へえ。いい名前だね!」
 優はふと思い立ったように、また質問した。
「ねえ、朱雀が昔飼っていたドラゴンの名前は、なんて?」
「なんでそんなこと聞くんだ」
「大切な名前でしょ。だから聞きたいの」

「イーゴ。……イーゴ・テサラム。意味は、『僕の宝物』。子どもながらにつけた名前だから、ちょっと幼稚だけどな」
「そんなことないよ。すごく素敵な名前だと思う」

 優は本当にそう思った。
 朱雀のシュコロボヴィッツの瞳を見上げ、優はこれまでに感じたことのない、温かい気持ちになった。
 不意に朱雀も優を見つめ返して来ると、優は彼の瞳の中に守られ、心地よく泳いでいるような気持ちにさせられる。


 人を知り、人を好きになっていく過程は不思議なものだ。
 くだらない言い合いをしたり、本気でムカついて喧嘩したり、ピンチを助けてもらったり、同じときに食事をして、またくだらない言い合いをする。気づけば一緒に笑っていて、気づけば心に感謝が溢れていて、そうやって少しずつ相手のことを知って、好きになって行く。

 優は守護壁を解いて、朱雀から離れた。
 初めて会った時は性格最悪の冷血漢だと思ったのに、今、優の前にいる朱雀は当時の印象とはまるで違っていた。
 すごく温かくて優しい。けれどやっぱり近寄りがたいオーラを放っているのは、時折見え隠れする憂いや悲しみ、秘められた怒りのせい。

 この人を好きになってはいけない、と優は自分に言い聞かせた。
 優には美空が朱雀を思う気持ちが痛いほど理解できたからだ。だからその気持ちを優の浅はかな恋心で穢してはいけないという気がしたのだった。




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