月夜にまたたく魔法の意思 第8話5
ガシャーン、ガラガラ!
優に手を引かれ西のドラゴン小屋にやって来た朱雀は、小さなトンネルの中で思い切り何かに躓いた。
鉄製の鍋や水差しや大釜が所狭しと置かれているようだ。
「……、なんでこんな所に。通りにくいだろうが」
「気をつけて。私がファイヤー・ストームを焚くために、夜のうちに三次と熊谷先生がこうして鉄製のものを外に出しておいてくれてるの」
そう言いながらも、優の小さな手が朱雀の手をぐいぐいと引っ張り、ミルトスの扉の中へと導き入れる。
初めて訪れるドラゴン小屋に、朱雀が興味深そうに辺りを見回す。
人が入って来た気配を感じ取って、眠っていたドラゴンたちが目を覚まし、様子伺いしているのが空気で伝わって来た。
「大丈夫、私よ。グルエリオーサの呪いを解くために、朱雀を連れて来たの」
ドラゴンたちは大して騒ぐ様子もなく、おとなしい。
岩ドラゴンは優がファイヤー・ストームを焚くようになって以来、苔が生えなくなったのでめっきり体当たりをしなくなったし、いつもなら新入りに対して威嚇行動を起こすシュピシャードラゴンも、この日は顔が割れるばかりの大きな欠伸をしたきり、翼の下にすっぽりと身体を丸めて眠りの中に戻って行った。
ローと、サンクタス・フミアルビーに関してはいつも通りだ。
中央で燃える紅炎の中で、グルエリオーサが黒く浮かび上がり、頭をもたげた。
「へえ。いい炎だな」
炎を見て朱雀が言った。
「グルエリオーサ、朱雀だよ。中央広間で一度、会ったよね」
「自己紹介は後だ。お前にかけられている呪いを、少し見せてくれ」
朱雀はそう言うと、炎の中に腕を伸ばし、グルエリオーサの額に手を触れる。
――「私の呪いを『解く』ことは、出来ないはず」
グルエリオーサが怪訝な顔をしている。
だが朱雀はしばらくしてドラゴンから手を離すと、グルエリオーサの瞳をいたずらに覗きこんで、こんなことを言った。
「もとは子どもにかけられていた呪いを、お前が引き受けたんだろ。俺はアイツの息子だ。お前がやったのと同じことを、俺が出来ないわけがない」
――「私は自らの子を救うためにやった。お前はなんのためにする?」
朱雀は身を屈めると、優には聞こえないように声を潜めてドラゴンに答えた。
「これ以上めそめそ泣かれたんじゃ、かなわないからな」
「ねえ、二人で何をコソコソ話してるの?」
優が怪しんで近づいて来たので、朱雀は人差し指を口の前に持っていき、それ以上は何も言わずに、グルエリオーサに向かってウィンクした。
「やっぱり、コイツに呪いをかけたのはアイツだった」
朱雀は優を振り返り、何事もないかのように両手をズボンのポケットに入れた。
「アイツって?」
「俺の親父」
「え、朱雀の……!?」
「火の魔法使いが闇に堕ちると、黒い炎を操るようになるんだ。それでピンときた。今から呪いを解く準備に入るから、お前は巻き添えをくわないように下がってろよ」
「何か、手伝えることある?」
「そこで見ててくれ。すぐに終わる」
「それだけ?」
「それで十分だ」
優は肩をすくめて踵を返すと、言われた通りシュピシャードラゴンの眠る壁際まで下がり、しゃがみこんだ。
朱雀は手のひらからスローイングナイフを取り出すと、まずは指先から爪を少し削り取り、それをグルエリオーサのいる炎の中に落とした。
それから今度は少し長くなっていた髪の毛の襟足をナイフで切ると、それも炎の中へ。
最後に、手のひらにナイフを当て、拳を握って血を滴らせた。
「何してるの?」
「贖(あがな)いの儀式、みたいなものだ」
朱雀は握った拳を炎の中に突き出し、その手でグルエリオーサの額に触れた。
――「血の契約のもと、汝にかけられた呪いをこの身に引き受ける。汝には生を、我には死を」
途端に、グルエリオーサの体から黒い炎が噴き出した。同時に朱雀の体から一気に炎の力が広がる。
黒い炎と赤い炎が紅炎の中でぶつかり合い、やがてグルエリオーサにまとわりついていた黒い炎が、朱雀の血のついた右手にすべて吸い込まれて消えた。
「終わった」
朱雀はそう言って、右手を強く握りしめ、すぐにポケットの中にしまいこんだ。
「終わった?」
グルエリオーサには特に変化がないようだ。
「朱雀、手当てしたほうがいいんじゃない? 痛いの? ちょっと見せて」
「平気だ。お前は触るな。それより、ドラゴンの様子を見てやれ」
朱雀は顔色一つ変えずにそう言ったが、それでも右手をポケットに入れて、優に見せようとしないのは何かが不自然だった。
けれど、直後にグルエリオーサがいきなり産気づいたので、優の意識は朱雀から離れた。
「大変! お湯を準備しなくちゃ!」
優はミルトスの扉に跳びつき、水を汲むためのバケツをトンネルに取りに行った。
「きゃあ!」
ガシャ、ガシャ、ガシャーン!
「そう焦るなって、どうせすぐには産まないさ。朝になるまで何度か産気づいて、やっと生まれるんだ」
朱雀は他人事のように落ちついて、ドラゴン小屋の石窯の台座に腰掛けて優を見守ることにしたようだ。
今、ドラゴン飼育員用の皮製のエプロンを身に付けた優は、バケツに水を汲んで来て、ミルトス材の水桶になみなみと水を注いでいる。
それから朱雀が座っている石窯までやってくると、魔法の石炭を銀のスコップですくい出し、それを三輪車に乗せてグルエリオーサの火の中にせっせと撒き付けるのだった。
その作業が終わると、今度は紅炎を小さく絞ってからグルエリオーサに近づき、骨ばった大きな背中を上から下まで念入りに撫でてやったりしている。
そうすることで陣痛を少し楽にしてやることができるということを、きっと図書室で調べ物をしているときにでも知ったのだろう。
朱雀は優の熱心な看病ぶりを、珍しいものでも見るようにずっと見つめていた。
すると、優が不意に朱雀を振り返り、微笑んだので、朱雀はドキリとした。
「朱雀、本当にありがとう」
優はやっぱり、そんな風に笑っているほうがいい、と朱雀は思った。
優が泣くと、朱雀は自分がこの世界にいる意味を失ったような気持ちにさせられる。でも優が笑うと、朱雀の心はなんだか、焼きたてのパンみたいにふっくらと膨れるのだ。
「別に、いいさ」
朱雀は平静を装って優から素っ気なく目をそらした。
だがそれからも、優が手厚くドラゴンを看病してやっている様子を、朱雀はずっと見守り続けた。
結局朝方近くまで優はせわしなくドラゴンの体を撫でたり、優しく話しかけたり、火加減を調節したりしていたが、最初に朱雀が言った通り、ドラゴンの赤ちゃんはなかなか生まれてこなかった。
やがてグルエリオーサの陣痛もおさまり、優もホッと胸をなでおろしてドラゴンの傍らに座りこんだ。
横たわるグルエリオーサに寄りかかり、ねんごろに何かを話しかけたりしているようだったが、疲れたのか、そのうち優はピタリと動かなくなった。
「おい、寝るな。そんな所で寝ると風邪をひくぞ」
だが、優は起きない。グルエリオーサに背中を預けたままの状態で、まるで子供のようにグッスリと眠りこんでしまっている。
ここで無理に起こせばいつかみたいに噛みつかれるかもしれないので、朱雀は警戒した。
そうこうするうちに、グルエリオーサによって支えられている優の体が、少しずつ傾き、地面に倒れそうになるのを見て、朱雀は困ったように肩をすくめた。
仕方ないという素振りで溜め息混じりに朱雀は立ち上がると、ドラゴンに近づき、優の隣に座った。
その肩に、優の頭が無防備に落ちてくる。
背中にはグルエリオーサがいて、隣に優がいると、炎の力が相同してすごく温かかった。
「なるほど、これなら風邪をひくこともないのか」
一人呟きながら、朱雀はすぐ近くにある優の寝息をなるべく意識しないようにした。
グルグルグル
と、背後でグルエリオーサが喉を鳴らした。
――「愛の力は死に勝ると思う?」
唐突なドラゴンの問いかけに、朱雀はすぐに答えることができなかった。
「わからない」
朱雀は隣で眠る優を見下ろした。
あどけなさの残る無垢な寝顔。
小さく跳ねあがった鼻とイタズラな目元。
ちょっと生意気な口元は、熟した果物みたいに朱がさしていて、ふっくらしている。
柔らかそうな白い肌は、怒ったり泣いたり笑ったりするときにいつも目まぐるしく変化して、すごく傷つきやすいことを朱雀はこの何日間で知った。
「でも、愛があれば死ぬことを恐れなくなるってことは、なんとなく、分かる気がする。そういう意味では、愛は死に勝るのかもしれないな」
――「お前が私の変わりに死を受けたことを、ユウは知らないのか」
「言う必要はない」
朱雀は右手をポケットから取り出して、固く閉じられていた拳を開いた。
そこには黒い炎の紋章がくっきりと刻まれている。それは呪いを身代わりに受けた者の証だった。
犠牲なくして無効にできる呪いなど、存在しないのだ。朱雀は自分の命と引き換えに、グルエリオーサの呪いを解いた。
――「私には、お前にこの恩を返すことはできない。お前は、それでいいのか」
「俺にはすでに、魔女の呪いがかけられてる。一つも二つも同じことだ。それに……」
朱雀は優の頬に指を沿わせて、そして、不意に嬉しそうに目を細めた。
「俺にかけられた呪いはすべて、こいつが解いてくれる約束なんだ」
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