月夜にまたたく魔法の意思 第8話2




 ドラゴン飼育員の朝は早い。
 次の日の早朝、地平線から太陽が顔を出す前に、優はベッドから這い出した。
――『馬鹿、炎がでかすぎる!』
 朱雀の声がまだ優の耳に残っていて、ガンガンと頭痛がした。特訓は夜8時から10時までという約束だったのに、結局昨晩は優が解放されたのは深夜2時を過ぎてからだった。それから疲れ果てて自室のベッドに倒れ込んだものの、朱雀に言われた嫌味が癪なのと、自分の魔法が思う様にいかないのが悔しくて、優の意識は妙に冴え渡り、全然眠れずに朝を迎えてしまった。

 空腹を覚えながら朝の支度も早々に、優はベラドンナの白いブレザーの胸元に銀色のドラゴンバッジをつけて、イチジク寮を抜けだした。
 城の中は薄暗く、シーンと静まり返っている。
 土曜は授業が休みなので、一週間の激しいスケジュールをこなしたダイナモンの生徒たちは、さすがに今朝はゆっくり眠っているだろう。
 優は、他の生徒たちがまだ眠っていることが恨めしく、廊下に並ぶドアというドアを叩いて「朝だよ!」と叫びたくなる衝動を抑えた。

 重たい足を引きずるように螺旋階段を下って行いくと、中央広間の入り口が見える。
 思い出したくないのに、朱雀との魔法特訓のことが鮮明に蘇ってきて、胃の辺りがキリリと痛んだ。
――『ステップ1、炎のサークルを大地に描くこと。ステップ2、燃やしてはいけない。ステップ3、炎を上空に上げる。ステップ4、炎を硬化する。ただし、燃やしてはいけない』
 炎の守護壁を作るには大きく分けて4つの段階がある。その一番初めのステップとしてまず、炎のサークルを完成させなければならず、昨晩優がなんとかできたのもそこまでだった。

 もともと何もないところに炎を生み出すことは、炎の魔法使いである優にはさほど難しいことではないはずだった。
 だから緑色の碧玉が散りばめられたつるつるの大理石の床にも、優はすぐに炎のサークルを描くことができたには出来たのだ。……ただし、その大きさが問題だった。
 最初の1回目は優の炎が大きすぎて、あやうく広間のカーテンに燃え移るところだったからだ。朱雀が素早く優の炎を鎮火してくれなければ、おそらく城は火事になっていたことだろう。
 それからが大変だった。
 何度も何度も、優が燃やし過ぎる炎を朱雀が鎮めるという作業が繰り返され、その度に朱雀はひどく優を怒鳴りつけた。
 それなのに優の炎はどうしても、優が思ったよりも大きく燃え上ってしまう。
 朱雀に怒鳴られることにも慣れて来た頃になってようやく、優は自分と朱雀とを囲むちょうどいい大きさの炎のサークルを描くことに成功した。
 ついに手にした成功を褒めてもらえるかと期待したのに、朱雀から返って来たのは冷たい反応だった。
 「できて当たり前だ」、と鼻で笑ったかと思うと、「時間がかかりすぎだ」とか、「お前のせいで俺はすごく疲れている」とか、「お前の無茶な炎のせいで俺の命が削られる思いだ」とか。
 朱雀は延々と優に対する愚痴を漏らすと、何を思い立ったのかいきなり手のひらからトランプカードを出して、それを優の炎の上に落とした。
――「おい、燃えたぞ」
――「火だもの。燃えるわよ」
 もちろん、トランプカードは一瞬で燃えて塵となった。
――「炎の守護壁に必要なのは、燃えているけど、燃やさない火だって言ったろ」
 訳が分からない、と肩をすくめていると、優の心中を察してか朱雀はこんなことを言った。
――「守護壁の中には、炎の魔法使いだけがいるとは限らない。今は俺とお前の二人だけだから、こんなふうに炎に囲まれていても平気だが、他の奴らはきっと、熱くて息もできないって言うだろうな」

 そう言われてみるとなるほど、朱雀の言い分は優にも理解できた。炎の中にいて平気なのは炎の魔法使いくらいなものだ。
 でも、燃えているけど燃やさない炎を、どうやって?
 混乱した頭のまま、昨晩の特訓はそこで終了した。

 優は、昨晩のことを思い出しながら、少し苦い気持ちになった。優に魔法を教えてくれる朱雀はとても厳しい。大嫌いだ。
 それなのに、どうして、時折見せる朱雀の優しい態度が、優の父親に似ている感じがしないでもないのだ。夜遅くまで魔法特訓をしてくれるのは、優たちが置かれている状況が危機的なものだからというのは理解しているものの、あれだけ愚痴や嫌味を言いながらも、朱雀は優を見捨てないのだ。かえって火事にならないように何度も守ってくれたし、それだけではなく実は優が優自身の火力で傷つくことがないようにも守ってくれていた。
 しかも、朱雀が優に見せる表情は以前よりもどこか優しい感じがして、それが優にはことさら納得がいかない。

 西側の回廊から庭園に出ると、黒ずんだ小塔が前日よりもはっきりと見えていた。気持ちよく晴れた日の朝は大気が澄んでいる。
 草花の香りの混じる新鮮な空気を胸一杯に吸い込み、優は元気を出した。
 夜になればまた昨日の特訓の続きだ。今晩こそは燃やさない炎を作り、朱雀に認められたい。

――朱雀に認められたい。
 今までとは違う自分の心境に、優は気づいていない。


 亀の甲羅の上に溶けかかった蝋燭が何本も突き刺さっている――ドラゴン小屋。
 噴き出す温泉にかけられた石橋を渡り、鉄の扉に手をかざすと、優の手から溢れたルビーの輝きにより、扉はギシギシと軋みながらゆっくりと開いていく。
 うす暗いエントランスを抜けて小さなトンネルをくぐり、ミルトスの木扉を開くと、誰もいないと思っていたのに、そこに予想外の人物がいた。

「三次?」

 優が驚いて呼びかければ、荷車に麻袋を積んだ三次が、ニコリと微笑んだ。
「おはよう、優。時間どおりだね」
「おはよう、早いんだね。これから朝食の収穫?」
「うん。最近はドラゴンたちが苛立ったり、元気をなくしたりしてることが多くて……、だから念のため彼らの様子を見てから行くことにしてるんだ。チビドラゴンの機嫌がとっても悪いから気をつけてね。今朝は燃える石炭を食べてくれそうにもないな……。あと、フィアンマ・インテンサ・ドラゴンは、すごく調子が悪そうだから、何か栄養のあるものを食べさせないといけないと思う。でも彼女、どんな餌を持ってきても全然食べてくれなくて、もうお手上げって感じ」

 見ると、飼育小屋の中央で燃える炎の中で、グルエリオーサが横這いになり、苦しそうに息をしている。

「わかった。私はこれからファイヤーストームを焚かないと。グルエリオーサの元気がないのは、もしかしたら体温が下がっているせいかもしれないよ」
「うん、頼むよ。それじゃ、僕はこれからきっかり2時間で食糧を調達して戻って来る。あとでね、優」
「あ、ねえ三次! ストロベリートマトって、捕って来られる?」
「もちろん。任せておいて」
 三次は少しの時間も惜しいという感じで、荷車を引いて足早に飼育小屋から出て行った。

 炎の光にきらめくドラゴン小屋に一人残された優は、小さく深呼吸して、ぐるりとドラゴンたちを見回した。
 チビドラゴン、と呼ばれるシュピシャー・ドラゴンは、優を見つけると籠の中でフーフーと唸り、時折火花を散らして早くも攻撃態勢に入っている。天井の白竜、サンクタス・フミアルビーは相変わらず優を無視してジッと動かないが、油断のない危険なオーラを放っている。
 岩ドラゴンのカーロル・ジュオテルマルは、物悲しい鳴き声を上げながら、今朝もゴリゴリと角を岩壁にこすりつけている。よくみると、擦りすぎた肌が傷ついて少し出血しているようだ。身体にこべりついた緑色の苔のせいで、痒くてしょうがないのだろう……。早くこの苔を駆除して、岩ドラゴンの傷を治療してやなければならないな、と優は思った。

 ミルトスの柱の陰から、モンシーヌアス・レッド・ドラゴンが顔を出した。
「おはよう、ロー」
――『おはよう、――優。彼女の状態が危険。早く、助けてあげて』

 ローが言ったのは、グルエリオーサのことだ、と優にはすぐに分かった。
 岩ドラゴンの処置も急がなければならないが、それよりもまずは、出産を控えたグルエリオーサの体調を回復させることが急務に思われたし、また、優がドラゴン飼育員に任命されたのもそのためだった。

 優は制服の腕をまくり、中央の大きな炎の前に立った。
「おはよう、グルエリオーサ。調子はどう?」
 炎の中に横たわるドラゴンは、首をもたげることもできずに、優に答える。
――『とても寒い……。力が入らない』
「うん、今から、ファイヤーストームを焚くね。でも私、ファイヤーストームで一度、ダイナモンの生徒を殺しかけちゃったことがあるんだ……薬草学の授業のときでね、ヘルニアの薬を作ってたときだったんだけど。昨日も火力が上手くコントロールできなくて朱雀に怒られたし。もし失敗しちゃったら……大爆発かもしれない」

 優の心配をよそに、ドラゴンたちは何の反応も示さず、まんじりともしない。
「まあ、ドラゴンだもの、大丈夫だよね。きっと」
 ドラゴンたちとの心の距離を感じながら、優は気を取り直して壁に取り付けられている大きなネジ巻きを巻きあげた。
 優の全身の体重をかけてやっと動くネジ巻きを、上に下にと巻きあげていくのはかなりの重労働だったが、大きなネジが一回転、二回転とするうちに、飼育小屋に明るい光が差し込みはじめた。
 天窓を全開にするのは、熊骸先生があらかじめ優に指示していたことだった。
 ファイヤーストームを焚くとき、万が一の爆発に備えて炎の逃げ道を確保するためだ。

「それじゃ、はじめます」

 なぜか敬語で改まった優は、フッフッフーと、何度も深呼吸してから、両手を前に突き出して魔力を集中させ始めた。
 昨晩、朱雀に教えてもらった通り、大きすぎない炎を……。
 すぐに優の足もとから炎が立ち上り、それが地面を走ってぐるりとグルエリオーサを取り囲む炎のサークルとなった。
「できたあ!!」
 暴走ではない炎のサークルを、昨日と同じく作ることができて、優は興奮して飛び上がった。
――『それがファイヤー・ストーム……?』
 ミルトスの柱の陰からローが心配そうにこちらを見ている。
「違う違う、これは昨日教えてもらったやつで、炎のサークルっていうの。今日もできるかどうか試してみたくなっちゃって。だって、いきなりドカーンとなったら恐いからね」
――『これじゃ全然温かくない』
 と、グルエリオーサが鼻を鳴らす。
 明らかに優に対して不満を抱いている様子だ。

「ちょっとは褒めてくれてもいいんじゃない? この炎のサークルを作るの、昨日は本当に苦労したんだから」
 そう言いながら、優は両手を組み合わせて、ニコリと微笑んだ。その紅色の瞳がたちまち色を増す。

「炎の力! 我に宿りし力! 喜び、楽しめ。熱く、熱く、熱く、そして気高く、存分に燃え上がれ!!」




 ドカーン!!


 清らかな朝日に包まれた穏やかな早朝、ダイナモン魔法学校の城が直下地震にでもあったかのように激しく揺れた。森の木々はざわめき、鳥たちは一斉に飛び上がり、そのけたたまし鳴き声に人々の心は動揺した……。

 その日、ダイナモンにいたすべての者がこの音を聞き、眠っていたものはベッドから飛び起き、すでに起きていた者は手を止めて窓に駆け寄った。
――闇の襲撃かと思ったからだ。
 だが、西のドラゴン小屋から天高く立ち上る赤い炎の柱を見て、魔法使いたちはホッと胸を撫で下ろし、同時に苦笑いしたのだった。
 新しいドラゴン飼育員は確かにその役目を全うしたようだ。

 だがまたしても少しやりすぎたらしい。



 普段、無意識のうちに抑え込んでいる力を自由に解放する瞬間は、優にとっては気持ちのいいものだった。
 だが、思った以上に炎が勢いよく爆発してしまい、優は自分でもビックリして口をあんぐり開けた。
 爆発の瞬間、飼育小屋が激しく揺れて石壁が少し崩れ落ちて来たほどだ。
 ドラゴン用に三次が汲み上げて置いた飲み水が一瞬で霧と消え、飼育小屋にあった鉄鍋や鎖、かんぬきなどは解けて折れ曲がってしまい、まともに残ったのは魔法のミルトスで作られた柱や檻だけとなってしまった。
 チビのシュピシャードラゴンは檻の中でくるくると後方宙返りをしてはしゃいでいる様子だ。
 天井のサンクタス・フミアルビーは顔をもたげて少しだけ優を見下ろしてきたが、またいつものように優雅に横たわる。
 岩ドラゴンのカーロル・ジュオテルマルは体当たりをやめて、鼻を上に向けて首を伸ばした姿勢でジッとしている。
 グルエリオーサだけではなく、飼育小屋全体とそこにいるドラゴンが優の紅色の炎に包まれていた。どこにも逃げ場はない。

 優のファイヤー・ストームはまさしく、喜び、楽しみ、踊るように燃え上がっている。
――『こんなに気持ちのいい炎は、何百年ぶりかしら』
 紅色の炎の中で、ローが気持ちよさそうに目を細めた。
 すると、優の目の前で伏せっていたグルエリオーサが、突然起きあがった。

「グルエリオーサ! 動いて大丈夫なの? お腹の子は無事?」
――『お腹が空いた』
 グルエリオーサは子どものように、優の体に額をおしあててきた。その黒くて大きな頭を撫でながら、優が応じる。
「今、三次が食糧を調達しに行ってくれてるからね。何か食べたいものある?」
――『白くて、柔らかい、ふわふわしてるもの』

 一体、なんのなぞなぞだろうか、と優は思考を巡らせたが、いまいちパッとした食物が思い浮かばない。

「それって、綿あめとか……?」

――『ちがう。名前は知らない』

 グルグルッとドラゴンは鼻を鳴らす。
 名前を知らないのにどうして「違う」って分かるんだろう、と思いながらも、優は何かヒントになるものはないかと、質問を重ねた。
「その白くて柔らかい、ふわふわしてるものを、いつもどこで食べてるの?」

――『山や、草原。きれいな水の流れているところ。日当たりがとても良いところ』
「わかった。三次に聞いてみる。私も調べてみるよ。ねえグルエリオーサ、……お腹に触ってもいい?」
 優の言葉に、グルエリオーサが大きな尻尾を回し、その反動で体躯を優に向けて来た。
 優はグルエリオーサの脇の下をくぐり、その巨大な体躯の下に入り込んで手を伸ばした。
 黒くて光沢のある鱗に覆われたグルエリオーサの肌は少し湿っていて、丸く膨らんだお腹の部分は、他よりもずっと柔らかい。
 ドクン、ドクン。
 触れた瞬間から伝わる、グルエリオーサの体温と心臓の鼓動に、優の身体も熱くなっていった。
 そして指先から、グルエリオーサの胎内で育まれている小さな命の震えが、はっきりと伝わって来るのを優は感じ取った。

「すごい。ちゃんと生きてるんだね」
 そっと何度かグルエリオーサの腹を撫でてやってから、優は手を放した。

 グルエリオーサは横たわると、安心したように目を閉じた。
――『黒い炎を持つ男が、この子に呪いをかけた。だから私は、この子の命と引き換えに死ぬ』
「……、え?」
 不意にドラゴンが言った言葉に、優は耳を疑った。
 するとグルエリオーサは、優と同じ紅色の瞳をうっすらと開いて、またすぐに閉じた。
――『この子には一緒に居て、育ててくれる者が必要』
「ちょっと待ってよ。呪いって、どういうこと?」
――『光を失った魔法使いが、ドラゴンを殺してる。私は仲間に助けられたが、呪いからは逃げられなかった。みんな、死んだ。私もこの子を産んで、死ぬ』

 あまりにも淡々と語るドラゴンの言葉に優はこらえようのない切なさを覚えた。そしてそれが彼女の現実なのだと知る。
 途端に、優の瞳に涙が浮かび上がった。
 闇の魔法使いがドラゴンたちを虐殺しているという恐ろしい事実もショックだったが、それよりも悲しいのは、生まれて来る新しい命に、親がいなくなるということだった。
 両親を失った子どもが、どんなに心細く惨めな毎日を送ることになるかを、優はその身をもって知っているからだ。

「子どもには親が必要なんだよ。呪いになんて負けないで、グルエリオーサ、……この子のために」
 だが、グルエリオーサは優には答えなかった。

 ドラゴンの額にくらべると、優の手はとても小さくて白い。その小さな手で、優はドラゴンの固い額を何度も撫でて、そして言った。

「私があなたを助ける方法を必ず探し出すから、絶対に」



 
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