月夜にまたたく魔法の意思 第8話16



 優が歌い終わるとすぐに、吏紀がステージに上がって来て自分のローブを脱ぎ、永久の身体をすっぽりと包みこんで観衆の目から隠した。潔癖な吏紀としては永久が少しでも性の見せ物として皆から見られることに耐えられないのだった。
 一方、空は王子様のように優雅にステージに上ると、ピアノの前に座る流和の前に膝まづいてヒールをはかせ、お姫様をエスコートするように流和の手を引いてステージから降ろした。

 優は、会場中に投げキッスを飛ばしまくって、誰になく手を振りながら、さながらアイドル歌手のようにステージから降りたったが、その投げキッスからまた炎が噴きでやしないかと心配した生徒たちが、慌てて逃げて行く。

「どうだった?」
 ステージに浅く腰かけて優を待っていた朱雀に聞いてみると、「こんなに笑ったのは久しぶりだ」との返事が返ってきた。
 実際、笑い過ぎて腹が痛いのか、朱雀はまだお腹を抱えていた。
 だが直後、朱雀が急に優の腕を掴んで引き寄せると、身を屈めてきて、優の耳もとで囁いた。
「次は二人きりで、俺だけに踊れよ」

 優はビクっとしてしまった。
 朱雀の挑発的な言葉に感じたのではなく、耳にかかった朱雀の息がくすぐったかったからだと思う。

 朱雀はすぐに、ロイティアを踊るためにステージに上って行った。

 朱雀、吏紀、空の3人が肩を並べてステージに立つと、それだけで観衆の女の子たちが歓声を上げる。
 タイプは違うけれど、3人とも美男子であることに違いはなく、それぞれにファンがついているようだった。
 朱雀が人差し指を口元に当てると、女の子たちが一斉に静かになり、同時に、天井で燃えていた無数の蝋燭の炎が小さくなって消えた。
 次の瞬間、十弦の重たい響きがドラゴンの心臓の音のようにビートを刻み始める。

 暗闇の中に光の妖精ウシュックペーデだけがヒラヒラと飛んでいるのが、優の生まれ故郷の山形で見る蛍のようで、それが優には懐かしく思えた。
 ビートはだんだんと早く、危険なほど加速されていく。
 うす暗い会場に痺れる躍動が高まって行く中、
 突如、3人がステージの床を一斉に蹴ったので、ダーン! という銃声のような音が身体の芯まで響いて来た。大地のアメジストの魔法が足もとに伝わって来る。
 朱雀が打ち合わせた両手から火花が飛び散り、それに空の風の力が加わって、炎が花火となって3人を包みこむ。
 管弦が重厚にけたたましく、観衆たちの心をかき乱す電光のようなリズムの中で、朱雀、吏紀、空の3人が踊りだした。
 狂ったように頭を振り、ライオンが雄たけびを上げるがごとく、本当に雄たけびを上げながら胸をかきむしる仕草。
 その間にも、ダン! ダン! とフロアを蹴る振動が、その場にいる観衆の心まで震わせた。とても、荒々しいダンスだ。

 まさに朱雀っぽいと言えば、朱雀っぽい。優はニヤニヤしながらそのダンスを楽しんだが、隣では流和と永久が完全に呆けた顔をしていた。
「空があんな風に踊るなんて、信じられない……」
 流和は驚きで、空から一瞬も目をそらせないでいる。
 それもそうだろう。いつもの空は不良っぽく振る舞ってはいても御曹司の息子。意識していなくてもマナー通りの紳士的な仕草が出てしまう男の子なのだ。それが今は、朱雀と並んで狂ったように踊っているのだから、流和が驚くのも無理はない。

 だが流和よりももっと驚いていたのは永久だ。
「吏紀くんじゃないみたい……でも、かっこいいかも……」
 吏紀にかけてもらったローブにすっぽりとくるまったまま、永久は顔を真っ赤にして口元を両手で覆っている。
 永久も、ステージで踊る吏紀から一瞬も目が離せない様子だ。

 吏紀は普段は物静かな優等生タイプ。常に理性を重んじ、「はっちゃける」なんて言葉からは一番遠い所にいるような男の子のはずだったから、吏紀が素早いステップを踏みながら拳で胸をたたき、その手で永久のことを指さしたのを見た時には、さすがの優も驚いて歓声を上げてしまったほどだ。

 周囲の女の子たちも、3人のダンスに興奮して悲鳴を上げている。
 優はそんな女の子たちを横目で見ながら、確かにこれはカッコイイから、きっと都会のライブハウスでも通用するだろうなと思った。

 曲の終わりに吏紀と空がバック転をしたのと同時に、朱雀の身体が炎に包まれてターンしながら消えた。文字通り、その場から消えたのだ。
 音楽が鳴り止み、一瞬の静寂。
 時が止まった直後、会場が大きな拍手と歓声で揺れ始めた。天井の蝋燭が、ふたたび燃え上がって会場が明るくなり、
 流和と永久がステージに駆け寄って行く。

 優の隣には、すでに朱雀がいた。優は興奮して、素晴らしいダンスだったと言おうとした。だが、朱雀がそれを遮った。
「6回だ」
 と。
 もちろん優には、それがなんの数なのかが分からない。
「……? 6回もミスしたの? でもとっても素晴らしかったよ。あのステップカッコイイね! 今度、私にも教えて」
「違う。ダンスのミスじゃなくて、お前が俺から目を離した回数だ」
「うそだあ、そんなに目を離してないはずだよ。ずっと朱雀のダンスを見てたもん」
「いいや、離した! 一度は流和を見て、次に空を見て、それから吏紀を見て、次に永久。そしてもう一度吏紀を見て、最後はそこらへんにいるギャラリーを見てたろ」

 キッパリと断言する朱雀に、優は閉口してしまう。というか、あの激しいダンスの最中に一観衆の優の視線を数える朱雀って、逆にすごすぎると優は思う。
 愛情に飢えているとこうなるのか、それとも単にプライドが高いナルシストなのか。

 優が考えあぐねていると、朱雀が大きく溜め息をついた。
「まったく! ……こんなつもりじゃないのに。お前といると、自分が嫌になるよ」
「どうして?」
「だって、俺の心がまるで狭いみたいじゃないか」
 いやいや、まるでじゃなくて、本当に狭いじゃないのと言いそうになったが、
 いつもより素直に自分をさらけだしている朱雀に、優の胸が不覚にもキュンとなる。
 確かに朱雀は短気で、心が狭いところがあるかもしれないが、その反面、とても優しくて強いところもあるのだと、優は感じ始めている。
 ともかく、パートナーなのに、朱雀の気分を害してしまって、悪いことをしてしまったな、と優はちょっぴり反省した。

 でも、何と言うべきかがわからないので、優は朱雀の手に、軽く触れてみた。犬が飼い主に鼻を当ててご機嫌伺いをするみたいに、そっと。
 すると、その手はすぐに朱雀に掴まれた。
 朱雀の手は筋が通っていて、指は、女の子のよりは太いけど知的な印象を与え、爪は几帳面に短く切りそろえられている。
 ちょっと重ねるだけですごく温かいその手を、
 ビクつきながらも、優もまた、ギュッと握り返した。

「まあ、心が狭いのはしょうがないよ。それに短気だしね、朱雀は」
「少しはフォローしろよな。 せっかくロマンティックな夜にしようとしてるのに」

 優にとっては、すでに十分、ロマンティックな夜だった。
 初めて舞踏会を経験して、朱雀とダンスを踊ったのだ。ゴリックもロイティアもすごく楽しかった。

「ごめんって、……言えばいいの?」
「どうせ、そう思ってないんだろう」
「うん。だって私がどこを見てるかなんて、普通の男の子なら誰も気にしないもん。だからそんなに重要なことだとは思わなかった」
 朱雀が優を引き寄せた。
「他の奴がどうだろうと、俺は気にするから。優が誰を見てるか、何を考えてるか、何を必要としてるか。だから優も、俺のことをちゃんと見てろ」

 まるで決まり切ったことのように、朱雀は平然と言った。
 今まで特定の恋人がいたことのない優には想像しがたいことだったが、恋人同士の人たちにとっては、これが普通のことなのかな。
 優は今まで、誰かのことをそんなふうに気にしたことはなかった。

「覚えておくよ。気分を害してごめんね」

 恋愛経験の差がもたらすことなのか、優には、たまに朱雀がとても大人びて見えて恐い。
 あまりに真剣な朱雀の思いの前に、優の中にある気持ちは子どもっぽすぎて、恥ずかしくさえ感じる。
 どうやったら朱雀の気持ちにふさわしく応えられるのかが、優にはまだ分からない。

「それはそうと、本当にとっても素晴らしいロイティアだったよ!」
 心の中にある戸惑いを気取られたくなくて、優は話題を変えた。
 優が胸を掻きむしりながら、地面を蹴るダンスの真似をして見せると、「はしたないぞ」と、朱雀が冷ややかに一蹴した。 

 その時、優の視線の端に、美空の姿がうつった。星の散りばめられた夜空色のナイトドレスをエレガントに着こなし、亜麻色の髪をゆったりと下ろした美空は、とても寂しそうに一人で窓際の椅子に座っていた。
 優はふと考えてしまう。美空はこれまで、朱雀とどんなふうに思いのやり取りをしてきたのかな、って。
 美空も朱雀と同じように大人びているから、きっとお互いにとって、相応しい相手だったのじゃないかな、って。
 そして、優は悲しくなった。優も朱雀のことが好きだからだ。
 でもその好きは、まだすごくささやかなもので、ただ心から「大切にしたい」と願う気持ちに似ている。
 
 だけど、曲がりなりにも朱雀のことが好きになった優には、今夜の美空の気持ちがよく分かるような気がした。
 それに、もし今夜が、魔法戦士たちにとっての最後の舞踏会になるとしたら、美空と朱雀もしっかりと向き合うべきだと、優は思った。

「朱雀は、美空のことをどう思ってるの?」
 不意に投げかけられた問いに、朱雀が首をかしげる。
「なんで突然、そんなことを聞くんだ?」

「実は昨日の夜、美空と話したんだ。朱雀のことを大切に思ってるって、言ってたよ。朱雀もそう思ってるんじゃない?」
 優の言葉に、朱雀ははぐらかしたりせず、はっきりと、真剣に応じた。
「確かに、美空とは一緒にいた時間が長いから、いろいろある。女として見てたこともあるし、もちろん仲間としても大切に思ってる」
「私、朱雀が大切に思うものを、私も大切だって思うし、美空のこと、いい人だなって思うよ。二人が特別な関係だっていうのも、なんとなくわかるの。だから、……私たちにとって最後の舞踏会になるかもしれない今夜は、朱雀に美空さんと一緒の時間も過ごしてもらいたいなって思うんだ」

 朱雀の表情が曇る。
「もしお前が俺に惚れてるなら、そんなこと言わないはずだ」

 けど、そうではなかった。むしろ優は、自分の意思とは無関係にどんどん朱雀に惹かれてしまっているのだから。
 だから、朱雀の気持ちを弄んで、傷つけるつもりは全然ない。
 今こそ、優は自分の心の中にある本当の気持ちを朱雀に告白するべきだと思った。
「私、朱雀のことが好きだって思う気持ちが、どんどん大きくなってるんだよ」
 朱雀がポカーンとした顔で優を見つめる。
「……なら、なんで」
「最後まで聞いて!」
「……。」
 優の気迫に押され、朱雀が口を閉じる。
「いつかは、……」
 優の頬が赤らみ、言葉がすぐに出てこない。だが、朱雀は何も言わず、ジッと優の言葉を待った。
「いつかは、朱雀を一人占めにする権利を得られるくらい、これからもっと好きになっていくと思う。そんな気がするんだ。こんな気持ちになるなんて、自分でも信じられないよ」
「それでいい」
 と、朱雀が言った。

「だからね、私のこの気持ちが本物なら、朱雀が今夜、誰と一緒に過ごそうと、この先はずっと朱雀の傍にいるのは私だと思うから。だから今夜は、これまで朱雀のことをずっと支えて、大切に思ってきてくれた人と一緒に、大切な時間を過ごしてもらいたいんだ。だって、本当に最後の舞踏会になるかもしれないんだよ」
 
 朱雀自身が願っていたよりもずっと真っすぐに、優は優自身の好きの形を伝えてくれた。
 それは、今まで朱雀が他の女の子たちに向けてきたどんな思いとも異なっていたし、また、他の女の子たちが朱雀に捧げてくれたどんな思いとも異なっていた。
 だがこれまで、朱雀は今夜ほど、自分が愛されていると実感したことはなかった。

「お前の気持ちは、よく分かった」
 朱雀は静かにそう言うと、千年桜の実習のときにしたのと同じように、自分の手からルビーの指輪をはずして、それを優の右手の親指にはめた。
「これは、俺の気持ちだ。どこにいても、心はいつも優とともにあるように。――命をかけて優を守ると誓う」
 朱雀は指輪をはめた優の右手を少し持ち上げると、身体を屈め、優の手にはめた指輪の上から、愛おしそうに唇を落とした。
 その瞬間、熱く激しい炎の力が身体に流れて来るのを優は感じた。それはまるで、朱雀の炎と優の炎が完全に重なったみたいな感触だった。
「一体、何をしたの……?」
 優の問いかけに朱雀は微笑むと、何も言わずにウィンクをした。
 それから、真っすぐに美空のいる方へ歩いて行ってしまった。

 窓際に腰かけていた美空は、朱雀に話しかけられて驚いた様子だったが、驚きはすぐに喜びに変わり、二人は手をとりあってダンスホールに進んで行った。
 優はそんな二人の姿を微笑ましく思った。
 恋人同士の絆や、親友の絆では計れない、もっと純粋な絆があることが、優にはなんとなく理解できる。

 一人取り残された優は、胸のドキドキが止まらない。
 朱雀が優の身体の一部になってすぐ近くにいるみたいな、奇妙な感覚……。
 だが、やがて優は気を取り直し、自分に魔力探知防御魔法をかけて早速行動に出ることにしたのだった。
 今夜は二人の邪魔をしないように、姿をくらますつもりだ。

 


 
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