月夜にまたたく魔法の意思 第8話1
城に戻って来たダイナモン魔法学校の6年生と、優たちベラドンナ女学園の3人は称賛と大歓声のうちに迎え入れられ、その夜は小間内夫人料理長が腕によりをかけた祝いの晩餐をたっぷりと振る舞われた。森で分け合ったお弁当だけでは一日の労に見合う空腹を満たしきれていなかった優、流和、永久、そして朱雀、空、吏紀たち6人も、この夜はいつもよりたくさん食べて腹を満たした。
下級生たちやダイナモンの教師たちからそれぞれに、邪悪な王と闘ったことへの労(ねぎら)いの言葉をかけられ、それからダイナモンの6年生とベラドンナ女学園の3人は、何をおいてもまず風呂に入ることを命じられたのだった。
流和と永久は女子寮に戻ると、入浴用のバスローブを持ってすぐに地下の大浴場へと降りて行った。
優は自室のピンク色のバスルームにお湯を張り、この日も大浴場へは降りて行かなかった。
優は疲れていた。
暗闇の間で受けた傷がまだ全快していなかったし、病み上がりにいきなり大自然の中を一日中走り回ったおかげで、身体のあちらこちらが、油のきれたブリキ人形みたいにギシギシと軋んでいた。だから、一刻も早く風呂からあがり、そのまま柔らかいベッドに倒れ込みたかった。……なのに。先の晩餐の席で朱雀が言ったのは恐ろしい言葉だった。
「今夜の訓練は予定通り8時からだ。1秒でも遅れたら、城の外に放り出すからな」
千年桜の下で課外授業と称されたスパルタ実戦訓練が終わったときには、珍しく疲れた様子だった朱雀なのに、晩餐の席になるともういつもの元気を取り戻したようで、それが優には不満でならなかった。優はクタクタだ。
なんとかうまく、今夜の約束を反故にすることはできないか……と、優は考え、浴槽のお湯に顎まで深く沈みこんだ。
『ブック』と魔法書を呼べば、目の前のお湯の上に、ボンッと優のブックが姿を現した。ミルトスの木の皮をよくなめして、赤い色を浸みこませて造られた優のブックの表紙には、緋色の糸でミルトスの葉の模様があざやかに編み込まれており、その中心に優の名前と、炎の模様が金の糸ではっきりと明示されている。
バスタブに浸かったまま、何か適当な魔法を探そうとして優が右手をブックに差しのばすと、ブックは優の意思に反して勢いよくパラパラと捲れ、勝手にページを開いた。
「守護の契約。……プレシディオ・リング?」
そのページに書かれている、おそらくは優にしか読みとることのできな魔法の文字を、優は読み上げた。
「ただ一人にだけ、強力な守護魔法をかけることができる。術者は自分のマジックストーンと同じ石に息を吹き込み、それを契約の指輪とするが、これには長い年月を要する。なぜなら指輪には持ち主の命が注がれるからである」
そこまで読んで、優は説明のすぐ横に描かれている挿絵を見て、眉をしかめた。――どこかで見たことのある形だ。
「守りたい者の手に指輪をはめれば、守護の契約が成立する。術者がはめた指輪は、術者にしか外せない。指輪をはめられた者は、指輪がその手にある間、術者が生きている限りその命を守られる。ただし、指輪をはめられた者が万が一死ねば、守護の契約を交わした術者もともに命を落とす」
説明の下には、『強力な守護魔。とても危険。簡単に使ってはいけない』 と注意書きがはっきりとなされていた。
――「俺がはめたものは、俺にしか外せない。強力な守護魔法がかかってるって言ったろ」
あのとき、朱雀に犬呼ばわりされたことに腹がたって深くは考えていなかったけど、強力な守護魔法ってまさか……、ここに書かれているプレシディオ・リングの契約のことだったのだろうか?
優は目の前に浮かぶブックを閉じて、浴室の天井を見上げ、混乱する頭を整理しようとした。
確かに、命を引き換えにした強い魔法というのは、この世界にはいくつかある。それは術者の魔力の大きさよりもむしろ、術者の覚悟の深さで効力を増大する、いわば御法度魔法と呼ばれるものだ。だから、優はにわかに疑問を感じずにはいられない……。
こんな危険な魔法を、果たして朱雀が優のためなんかに使うだろうか。
あの指輪のことを朱雀に確かめるべきだろうか、とも考えたが、でも聞いたところで、朱雀が本当のことを教えてくれる気もしなかった。
けれど、どうして朱雀が優のためにそこまでするのか、その理由を優は知りたかった。そしてもし、あの指輪が本当にプレシディオ・リングだったとしたら、優はどんな感謝を、朱雀に返さなければならないのかを知りたい。
今回は偶然な幸運に恵まれて優が死ぬことがなかったから良かったものの、もし何かあれば、みんなから必要とされている朱雀にまで死が及んでいたのかと思うと、全身から血の気が引いて行くような思いがして、優は温かい浴槽の中で身ぶるいした。
魔女が復活し、暗闇の力に立ち向かわなければならない今、魔法界とダイナモン魔法学校のみんなが朱雀を必要としているということが、多少、朱雀のことを批判的に見る癖のある優にさえ、はっきりと感じられている。
だから尚更、朱雀のしたことが理解できない。
つい先ほどまで朱雀の指輪がはめられていた右手の親指を一睨みしてから、優は勢いよくバスタブから起きあがった。
朱雀と話をつけなければならない、と思った。
森で泥と草の染みだらけになってしまったベラドンナの制服はクリーニングに出すことにして、優はスペアの制服に着替えると、待ち合わせの中央広間に真っすぐ降りて行った。
中央広間はダイナモンの城の中心部にあたる場所で、そこには4つの通路が繋がっている。一つは男子寮や訓練場、校長室などがある北東の通路。二つ目は女子寮やドラゴン飼育場、それに医務室がある南西の通路。三つ目は食堂や地下の大浴場、城の正面玄関に続く南東の通路。四つ目の通路は中央広間にある大きな鷲時計の後ろにあり、つまりは北北東に位置したところにあるのだが、その大きな扉はいつも閉ざされていた。
すでに日は沈み、城の通路は蝋燭や松明、ランプの光が所々にあるきりで薄暗いオレンジ色になっていたが、中央広間はまだ煌々とシャンデリアが灯っていて、真昼のように眩しいくらいだった。優が目を細めながら南西の通路から中央広間に入って行くと、鷲時計を背にして朱雀が立っているのが見えた。ただし、一人ではない。
朱雀の周りを取り囲んでいるのは、ダイナモンの女子生徒たちだ。
その数が二人や三人ではなく、数十人もいるので、優は本能的に南西の入り口で足を止め、様子を伺うことにした。
ダイナモンの女子生徒たちって、流和や永久とは違って、なんだかすごく色っぽい子たちが多い。どこか大人びていて、挑発的なオーラを放っているのが優は苦手だな、と思った。きっと自分に自信がもてるから、あんな風に振る舞えるのだろう。
もちろん優の親友の流和や永久も、女子として魅力がないというわけじゃない。むしろその逆で、流和や永久はもっと優しいオーラを纏っていて、誰でも気軽に話しかけられそうな、そんな安心感がある。その可愛らしさは危険な色気というよりも、手でそっと触ってみたくなるような咲きたての柔らかい花を思わせる、もっと純粋で儚い感じ。でも流和も永久も弱いというわけじゃなく、芯のある優しくて強い意思を持っているから、優は親友たちのことが好きだった。
その点、今、朱雀を取り囲んでいるダイナモンの女子生徒たちには、まるで男子と危険な駆け引きをすることを楽しんでいるかのような妖艶さがある。
中央広間に響く女の子たちの楽しげな話声を聞きながら、同じ年の子たちとは思えないな、と優は思った。
すべての会話を鮮明に聞きとることはできなかったが、どうやら彼女たちは、もうじき開かれるダイナモンの舞踏会に朱雀が「誰を誘ったか」を気にしているみたいだった。みんな朱雀から誘われることを期待して待っているのに、まだ誰も誘われていない……と、さも楽しげに文句を言っている女子生徒たちを、朱雀の方もどこか楽しそうにあしらっている。
なるほど、どうやら朱雀は女子にモテルらしい、ということが分かり、優は意外だと思う。
優の目からすれば、朱雀がいつも自信たっぷりに魔力を見せびらかし、優等生を気どっている姿は高慢にも見えていたのだが、他の生徒からすれば憧れの的なのかもしれない。それに合わさって、批判的な味方をする優から見ても、朱雀は人よりも一段跳び抜けて整った容姿をしているから、女子の人気を集めることは、そんなに意外でもないのかもしれない。
どの女の子もセクシーで可愛らしい子ばかりなんだから、朱雀は選び放題というわけだ。
優がそんなことを考えて苦笑いしたとき、朱雀が取り巻きの女の子たちに、「本命がそろそろ来るから」 とかなんとか言って、女の子たちを冷たく追い返すようなことをした。そうして優が見ていると、朱雀を取り囲んでいた女の子たちは口々に不平不満を零しながらも、言われた通りに朱雀から離れて、優がいる南西の通路の方にやって来たではないか。
「げ、なんでこっちに来るのよ」
優は一人毒づきながらも、女子寮は南西にあるのだから、彼女たちがこちらにやって来るのは当然かと思い直し、自分は中央広間入り口にある柱の陰に、慌てて身を隠した。盗み聞きをしていたこともあるし、さらにはダイナモンの女性生徒の集団というのにビビっていたこともあるしで、優は彼女たちと顔を会わせたくなかったのだ。
柱の陰で女子の一群をやり過ごしていると、彼女たちから香水のようないい匂いがした。流和や永久からもたまにかすかにいい匂いがすることがあるけれど、優はこのとき女子生徒たちから感じた匂いに、どこか疎外感を感じずにはいられなかった。優もいつか、彼女たちみたいに大人の女性になれるのだろうか……。
女子の一群が去り、優がホッと胸をなでおろしたのも束の間。
静かになった中央広間に、今度は別の女子生徒が現れた。
「相変わらず女の子たちを冷たくあしらって、いいご身分ね、朱雀」
「なんだ、美空か」
と、素っ頓狂に答える朱雀の声が、柱の陰に居る優にも聞こえて来た。
優が柱の陰からそっと覗いてみると、そこには確かに暁美空がいた。
どうやら中央広間には今、美空と朱雀の二人だけしかいないようだ。ただし優をのぞいて……。
ということはつまり、朱雀が言っていた「本命」というのは、美空のことだろうか、と優は思った。
シーンと静まり返る中央広間で、さっきよりもはっきりと二人の声を聞くことができた。
「彼女たち、焼き餅をやいているのよ、朱雀」
「やかせておけばいいさ」
と、朱雀が面白くもなさそうに答える。
「このままじゃ、私も嫉妬しそう。だってあなた、あの子にかかりっきりなんだもの」
「は?」
「でもわかってるわ。あなたがあの子の炎の力に魅せられてるだけっていうのは。ただそれだけなのよ、だってあの子、女としてはそう魅力的じゃないもの」
「……。炎の力に魅せられてるだけっていうのは、お前も同じなんじゃないのか、美空。それに、他の奴らも、本当は俺になんて興味ないのさ」
「そんなことない! 私はちゃんと、あなたのことを見てる」
「それじゃあ俺がたとえこの光を失っても、お前は俺を見ていてくれるのか」
抑揚のない朱雀の声。
「もちろんよ、朱雀。あなたのことが大好きだから。……今日のあなたは、とても立派だったわ……」
柱の陰で優はハッと息を呑み、声が出ないように両手で自分の口を塞いだ。
美空が朱雀の首に腕を回し、いきなり顔を寄せて、そして、キスしたからだ。朱雀も抵抗することなく、かえって慣れた様子でその行為を受け入れている。
優の胸は好奇心で高鳴った。
恥ずべきことなのかもしれないが、優はこうした男女の情事を盗み見することにある種の興奮を覚えていた。
まるでスパイ映画の主人公にでもなった気持ちで高鳴る胸の鼓動を抑え、優は柱の陰にジッと身を潜めて、やがて美空が中央広間を去って行くのを見届けた。
これではっきりしたことが一つある。朱雀が舞踏会に誘う本命は美空だということだ。そしてその事実を知っているのは、今のところ優だた一人だけ。さっき朱雀を取り囲んでいた女子たちが知ったらどんな顔をするだろう、と、優は秘密を握ったスパイのようにクスクスと笑いをこらえた。
そうして優は、先ほどまで胸にのしかかっていた重荷がスーっと楽になっていくのを感じた。やっぱり、さっきのプレシディオ・リングの契約は何かの間違いだったんだ、と優は確信したからだ。朱雀が美空のことを好きなら、優にあんな大掛かりな命がけの魔法を使うはずがない、と優は思った。きっとあれは、何か別の守護魔法だったんだ、と。
一方、美空が去ってから、朱雀は鷲の柱時計の前でただ一人、小さく溜め息をついた。
目の端で南西の扉近くにある柱を認めながら、つくづく自分の力は舐められたものだと思い、朱雀にはそれがことさらに腹立たしく感じられた。なぜなら朱雀には、今では優の居場所など学内にいればどこにいても意識せずに感じ取れるからだ。優の魔力探知防止魔法の効果は、森で朱雀と再会したときにとっくに切れていた。だから、柱の陰にいる優の存在に朱雀が気づかないわけがないのに。
いつまで隠れているつもりだろう、と思いながら、朱雀はしばらく気づかぬ振りで待ってみている。
そうしている間にも、朱雀はどこか拭いきれない腹立たしさと不愉快な胸の痛みに、自分でも戸惑っていた。
美空に「今日の朱雀はとても立派だった」と言われてキスをされても、さほど嬉しく感じられなかったのはなぜか。それよりも優が千年桜の下で笑ったことが、そして自分を信じてくれたことが、今でもたまらなく朱雀の胸を震わせるのはなぜか。
そんな自分の心境が朱雀には理解できず、イライラする。
「で、お前はいつまでそんなところに隠れたつもりになってるんだ」
夜の静寂に包まれる中央広間に、朱雀の声が呪文を詠唱するかのように不気味に響いた。
次の瞬間、優が悲鳴を上げながら柱の陰から飛び出した。その後に朱雀が続く。
つい今まで北北東側の鷲の銅像の前にいた朱雀が、いきなり優の視界の先で姿を消した代わりに、すぐ背後に姿を現したから、優は腰を抜かすほど肝を冷やす羽目になったのだった。
「なっ、んなッ、……な! どうして」
ことさらに口をパクパクさせながら、それでも朱雀から身を守るのに安全な距離をあけようとして後ずさる優に、朱雀が怪訝な眼差しを向ける。
「瞬身魔法だ。どうしてすぐに出てこないんだ。こっちはてっきり、何か仕掛けて来るつもりなんじゃないかと思って、油断して待ってやってたのに」
「し、仕掛けるって、何を」
「攻撃」
「攻撃!? そんなことしないよ」
そんなことしようものなら、返り討ちにされるに決まってる。それじゃ命がいくつあっても足りない、と言いたいところを優は呑みこんだ。
「じゃあなんで最初から出てこない? 隠れたってバレバレなのに」
「え、嘘。私の魔力探知防御魔法、もう切れてる?」
優の言葉に、朱雀が優よりも驚いた顔をした。
「とっくに切れてる! 今のでお前の状況がなんとなく分かった。これは重傷だな。自分のかけた魔法がいつ切れてるかも感じ取れないようじゃ、この先が思いやられる……」
朱雀はそう言うとマジマジと値踏みするように優を観察して、優の周りをくるりと一周した。
「お前、俺の力をどれくらい感じてる?」
「どれくらい、って言われても。それを表現するのは難しいよ」
「城のどこにいても、一日中、俺を感じてるか?」
その言い方は言葉のとらえ方を間違えれば、物凄い意味だな、と優は頭の隅で苦笑いしながらもつとめて冷静に答えた。
「うん、感じる。でも、たまにボンヤリすることがあるの。調子のいいときと悪いときがあるみたいで」
「なるほど。それは問題だな。鈍感になってる。力を正常にコントロールできてない証拠でもある」
それから朱雀はしばらく考え込んだ。
今後の優の特訓をどのように進めるべきかを頭の中で試行錯誤しているみたいだった。
「ところで、今日のあれは何だ。よく杖もなしにフェニックスが召喚できたな」
千年桜の木の下で見た炎のフェニックスのことを、朱雀は忘れてはいない。
「ああ、あれは多分、まぐれ……かな。銀色狼たちと千年桜の所についたとき、辺りが真っ黒で、これじゃ近づけないからお前が闇祓いをしろってイリウスが言ってさ。私がそんな魔法知らないって言ったら、今度はアイクが噛みついて来て……腕を持って行かれるところだったよ。それで急いでブックから闇祓いに使えそうな魔法を探したの。そうしたらすぐにフェニックスが目に着いて、もう必死で」
「まさかとは思うが、初めてじゃないよな」
「え? いや初めてやったよあんなの。だからすごく疲れちゃった。魔法ってやっぱり、使うと疲れるよね……」
「……。」
あたりまえだ、と朱雀は内心で思った。炎のフェニックスは魔法使いが召喚できる霊の中でも最強の神霊だ。精霊を召喚するのとはわけが違う。それを、よく知りもしない優が杖もなしに、しかも初めてやってあれだけ上手く操り、「疲れた」程度のダメージで済むなんて、朱雀にはとても信じられなかった。けれども朱雀があの闇の中で見たのは紛いもないフェニックスそのもの。だからそれをやったのは確かに、今目の前にいる優に違いない。
朱雀は優の秘めたる能力を実感し、舌を巻かずにはいられなかった。
でも、これで朱雀にはわかったことがある。おそらく優は、馬鹿みたいに魔力を発動させることに関しては問題がなくできるのだろう。だが逆に、その強大な魔力を繊細にコントロールする能力には問題があるということだ。
「わかった。フェニックスは危険な魔法だ。もしもコントロールしそこなえば、一日で一国を滅ぼしかねない力を持ってる。この先、実戦では使えるかもしれないが、お前が自分の力を完全にコントロールできるようになるまでは、もう二度とあの魔法は使うな。じゃなきゃ、お前自身が命を落とすことにもなりかねないからな」
「わかった」
優が意外にも素直に頷いたので、朱雀は早速と話を次に進めた。
「あまり時間がないから、のんびりはしてられない。お前はこれから、自分の魔力をいかなる状況でも正確にコントロールする術を習得する必要がある。だから、今日から始める特訓は、まずは防御からだ。防御魔法をやりながら、基本的な魔力のコントロールを習得できるからな。それができるようになったら次に攻撃。攻撃では魔力のコントロールに合わせ、速さが要求される。攻撃魔法が一通りできるようになったら、仲間をフォローする補助魔法に進む。仲間にかける魔法に失敗は許されない。そして一番最後に、最も魔力のコントロールが難しい召喚魔法を特訓する」
先の長そうな話に優はゲンナリしたが、大まかな流れは防御、攻撃、補助、召喚だということは理解出来た。
「わかったら返事くらいしろ」
「わかりました」
「今日は杖は使わない」
「どうして?」
「危ないからだ。俺の身が」
そう言って朱雀が意地悪な目をするので、優はムッとして聞き返した。
「どういう意味よそれは」
「そのままの意味だ。杖なしでフェニックスを召喚する奴に目の前で杖を振られたくない」
朱雀は面白そうに口元を上げると、広間の真ん中まで歩いて行って、そこから優に手招きした。
「来いよ。ここに座れ」
「何するの?」
優が床の上に正座すると、大理石のヒンヤリした感触が伝わって来た。
朱雀は優の前に座ってあぐらをかくと、言った。
「最も簡単な防御魔法は、光の魔法だ。光は魔法属性やそれぞれが持ってるマジックストーンによって異なり、魔法を発動するときの言霊も様々だが、どの光の魔法にも闇を跳ね返す力がある。これは試しの門から出るときにお前もやったから、もう出来るよな」
優が頷くと、「それじゃ、やってみろ」と朱雀が言った。
朱雀の言った光魔法は、魔法使いならば誰でも使える、だが闇の魔法使いは決して持たないもの。そんな基本魔法だ。
魔法界の子どもたちが、まだマジックストーンを手に入れる前に、一番最初に覚える魔法の一つ。優も物心ついたときには父さんの膝の上で何度も同じ言霊を唱えたものだ。そして優の小さな手の中についに紅色の光が灯った時、優は嬉しさのあまり魔法そっちのけで父を振り返ったんだっけ。すると父さんも嬉しそうに笑って、優の額にキスをしてくれた。
お母さんはそのとき、「これでうちが停電になっても、我が家は安泰ね」と言っていたっけ。
父は頷きながら、「どんな暗闇の中でも、お前自身の光で道を照らすんだ」 と優に言った。
――「でも、この光がていでんになったら?」
――「お前が願うなら、絶対に停電にはならないんだよ。その光は、神様がお前に与えてくれたものだから」
――「うん!!」
優は魔法が大好きだった。どんな石もどんな魔法も、どんな願いや希望も、たとえ魔法なんてなくても、すべての人にはその人にしか与えられていない、神様からの特別なギフトがあって、それが私たちの光になる。父は決して優に、魔法使いが特別だとは教えなかった。すべての人が平等に特別な、それぞれの光をもっているんだ。
優は胸の前で祈るように両手を重ね、「ルーメン エスト」 ――光よ。 と唱えた。
開いた両手から溢れ出るのは、赤でもピンクでもない、透明感のある優の紅色の輝きだ。その光には命の鼓動があり、熱を帯びて波打っている。重力から完全に解放された炎をも思わせる放射線状に延びる優しすぎる光の中で、花弁が舞っているようにも見えた。
朱雀は何も言わずに、優の手の中にある光と、そして優を見つめていた。
奇跡みたいに願っていた通りの人。それなのに朱雀は、綺麗だと褒めることも、その輝きがどんなに朱雀自身を励ましてくれているのかということも、優に伝えられずにいる。それは優の持っている炎の力以前に、本当はもっと違う何か別の輝きに、朱雀でさえ気づくことのできない優の心の奥にある輝きに、朱雀が惹きつけられているからだった。
類稀なる才能によって炎の魔法使いが生まれるんじゃない。そうじゃなく、優の心の中で育まれてきた何かが、優を炎の魔法使いにしたんだ、と朱雀は本能で悟る。
それにくらべて俺は「ただの」炎の魔法使いだな、と、朱雀は心の中で自嘲した。
朱雀が何も言わないので、優は不安な気持ちになって魔法を中断した。ダメだしをされるだろうか、と思っていると、朱雀が優の視線に気づいて一言、「合格だ。その程度なら問題ないみたいだな」 と言った。
朱雀が何を考えているのか、優にはいつも分からない。ちょっとした興味がわいて、優は朱雀に質問を始めた。
「ねえ、光魔法を覚えたのはいつ?」
「さあ、覚えてない」
「何歳くらいのとき? 誰に教えてもらったの? 私は父さんに教えてもらったけど」
質問攻めにする優を、朱雀はちょっと嫌な目で見つめた。
「教えてくれないと気になってこの後の練習に響くかもしれない」
「お前さ、そうやって口答えするのは、甘やかされて育った証拠だよな。教えてもらったと言えば、確かに一度だけ父親からやり方を教えてもらった。けど、すぐにできないと、親父は俺を地下室に閉じ込めたんだ。真っ暗な中で、飯も与えられず、できるまで外に出してもらえなかった。確か3才になるちょっと前だったな。あのときはろくに口答えもできなかったから」
淡々と語る朱雀に、優は口をあんぐり開けて、それから納得したように小さく頷いた。
光魔法はその魔法使いがどのような生涯を歩むかを決めると言っても過言ではない、最も基本的で、すべての魔法の基礎になる最も重要な魔法でもある。だから本当なら、初めての光魔法はゆっくりと時間をかけて、楽しみながら習得するのがいいはずだった。だから、朱雀の悲惨な過去を垣間見た優は、深く心を痛めた。
けど、優の口から出たのは同情の言葉ではなかった。
「泣いた?」
「泣いてない。物心ついてから俺が両親の前で泣いたのはただ一度だけ、お気に入りのペットを始末されたときくらいだ」
「……ペット、って?」
「……ドラゴン」
次の瞬間、優は両手で口元を覆って必死に涙をこらえた。ドラゴンを殺すなんて、酷過ぎる。
「俺の両親は、俺が大事にしてる物を取り上げることに関しては抜け目がなかったからな。お陰で、守護魔法についてはかなり自分で勉強したよ。……同情した?」
挑発するように笑って、朱雀が優の顔を覗きこんできた。一瞬、優の脳裏にプレシディオ・リングのことが蘇る。だが、すぐに朱雀と美空が仲睦まじくキスをしていた光景を思い浮かべて、優はまさか朱雀が自分のことを本当に心配してくれていた、なんていう考えはすぐに押しのけた。
「同情しても、死んでしまったドラゴンは生き帰らないでしょう」
「そっちかよ! じゃあ、俺の性格が悪いのは可哀そうな生い立ちのせいだ、とか思ってる?」
「悲惨な生い立ちでも性格のいい人もいるって知ってる? っていうか、自分の性格が悪いこと知ってたんだね」
「……。」
「……。」
朱雀と優はしばらく無言で睨み合ったが、やがて朱雀が沈黙を破った。
「炎の守護壁は使えるか」
「それってもしかして、シュコロボヴィッツとナジアスの? え、できるの!?」
優の瞳が途端に輝きだす。物語で読んだ憧れのシュコロボヴィッツとナジアスと同じことが自分にもできるなら、是非習得したい、と優は思った。
「炎の守護壁は、炎属性で使える最強の範囲守護魔法だ。これから魔女を相手にするなら、お前にもできるようになってもらわないと困る。だが、簡単じゃないぞ。その前にクリアしなきゃならない魔法技術がいくつもある。覚悟はあるのか?」
「やりたい! ブック!」
興奮気味に唱えた優の手元に、優の魔法書が現れた。優が「炎の守護壁」と唱えると、分厚い魔法書が速やかに空白のページを開いた。そこに金色の文字で、「炎の守護壁」という文字が浮かび上がった。これはつまり、炎の守護壁はまだ優の魔法書には記されていない魔法だったが、優の「やりたい」という気持ちにブックが応え、今まさにその方法を優のブック自身が記録しているということだ。
優は浮かび上がる文字を読み上げた。
「初めに、大地に炎のサークルを描くこと。ただし、燃やしてはいけない。……どういう意味?」
不思議に眉をしかめて顔を上げた優に、朱雀がニヤリとした。
「よし、じゃあ始めるか」
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