月夜にまたたく魔法の意思 第7話8





 魔法生物学の熊骸先生に連れられて、優は暗い回廊を西に向かって歩いていた。ダイナモンの校舎はどこも古い石づくりで全体に黒ずんで見えるのだが、優が今向かっている西の校舎は、他のどの建物よりも真っ黒で、ゴツゴツしている。
 やがて庭沿いに回廊を抜けると、溶岩で出来たような歪(いびつ)な小塔がいくつも連なっているのが、ぼんやりと霞んで見えて来た。その小塔の根元は亀の甲羅のような黒いドーム状になっており、遠くから見ると、亀の甲羅の上に溶けかかった蝋燭が何本も突き刺さっているように見えた。
 建物の周辺からは泉がわき出ており、モワモワと湯気が立っている。黒い建物が全体に白く霞んで見えるのは、ここから立ち上っている湯気のせいだ。
 「ここが、ドラゴン小屋だ」
 小屋、と呼ぶにはあまりに大きな角の生えた建物だったが、しかし、熊骸先生は「小屋」と呼んだ。
 お堀のようにドームを囲む泉の上に唯一かけられた古い石橋を渡って行くと、入り口に黒光りする鉄扉が構えていた。恐ろしく大きなドアノッカーがあり、中に入るためにそれを鳴らすと誰かが中から扉を開いてくれるのかと優は思ったのだが、熊骸先生はドアノッカーには目もくれずに、扉に片手をかざした。

「ここから先は、ドラゴン飼育員だけが入室を許されとる。奴らは人見知りが激しいからな。ただでさえ魔法使いには懐かんが、きっと新人のお前さんの顔を見たらいきり立つぞ。ビビるなよ」

 そう言って、熊骸先生は巨大な鉄扉に向かい魔力を集中させた。
―― 風属性、オニキスの力。
 温かい風が鉄扉の前に集まり、扉はギシギシと軋みながら、ゆっくりと両側に開いていった。

「中に入るときは、必ずこの扉をくぐらんといかん。正面から堂々と入って来ない輩を、ドラゴンたちは敵とみなすからな」
「この扉には、鍵がないんですか?」
「ない」
「でも鍵がなかったら、悪い人がドラゴンを盗みに来るんじゃ」
「それもない。ドラゴンたちは自分の身は自分で守れるからな。この扉からワシらが入るのは、ワシら自身の身を守るためだ。さあ、入るぞ」

 鉄扉をくぐると、薄暗いエントランスの先に狭いトンネルがあって、そのトンネルをくぐって行くと、小さな扉が一つあるきりだった。扉はミルトスの木材で出来ていた。
「ここだ」
 体の大きな熊骸先生は身を屈めてミルトスのドアをくぐり抜け、優を招き入れた。いきなり眩いばかりの赤い光の中に出て、優は目を細めた。中で巨大な炎が燃えている。
 途端にギーギー、ガーガーという硬い物が擦れるようなドラゴンの鳴き声が聞こえて来る。
 正面で燃える大きな炎もさることながら巨大だが、その上にそびえる天井は東京ドームよりも高く見えた。天井は真っ暗だ。ただ、所々に小さな窓があって、それが外の光を射して星のように白く光って見えた。天井から吊り下げられた籠の中や、壁に彫られた穴の中にドラゴンたちが閉じ込められているようだ。ドラゴンたちを封じ込めるための檻には、どれもミルトスの木材が用いられていた。
「魔法の木じゃないとな、ドラゴンたちは炎の力で鉄を焼き切り、逃げてしまうんだ。ダイナモンにおるのはどれも、火炎属性のドラゴンだからな。聖アトス族のおった時代から、人と唯一関わりをもってきたのは炎のドラゴンだけだ」
「全部で何頭いるんですか?」
「五頭だ、ほれ」
 そう言って、熊骸先生が一頭ずつ指をさして優にドラゴンたちを紹介してくれた。

「この檻におる奴が、ギリシャ産のシュピシャードラゴン。その名の通り、パチパチと火花を散らし、飛ぶ速さは他のどのドラゴンをも凌ぐ。まあ体が小さいから、ワシはチビドラゴンと呼んどるが」
 壁に備え付けられた大きな鳥籠のような檻の中にいるシュピシャードラゴンは、先ほどから優のことを気にしているようで檻の中をバタバタと飛び回っていた。大きさは太った猫くらいで、全身が灰色で牙も角もない。だが、優が檻に近付くとフーと奇妙な音を上げて口を歪ませた。シュピシャードラゴンの体がみるみるうちに灰色から赤色に輝きだす……。
「気をつけろよ、そいつは本当に火花を散らすからな」
 熊骸先生がそう言った直後、パンッ! という音がして、チビなドラゴンが優に向かって花火みたいな火を吹いた。優の髪がその火花を受けてキラキラ光った。
「ほお、火の魔法使いのお前さんには、いらん心配だったか」

「可愛いね。お名前はなんていうの?」
 優がシュピシャードラゴンに向かって話しかけると、ドラゴンをグルリと目を剥いてそっぽを向き、檻の隅に丸まってフーフーと唸るばかりだった。

「あそこにおるのがサンクタス・フミアルビー・ドラゴン。聖なる白煙という意味だな。天上に住まうドラゴンと言われ、翼はないが空を飛べる」
 熊骸先生が指さしたのは天井から吊り下げられている巨大な檻だ。その中に翼のない真っ白な蛇のように長いドラゴンが横たわっていた。体長50メートルはあるだろうか。この世のものとは思えないほど鱗が真っ白で、シルクみたいに透き通りそうな儚さを漂わせており、カイコの綿毛のようにフワフワした毛が首周りを覆っている。
「すごい、綺麗」
「高貴なドラゴンで、チビドラゴンのように無暗に人に襲いかかったりはしないが、あいつは恐ろしいドラゴンだ。おそらく、ドラゴンの中で最も知能が高く、狡猾だ。あれはワシらには懐かん」
 眠っているのか、サンクタス・フミアルビーは優に見向きもしなかった。優は檻の真下まで行って、その真っ白なドラゴンをマジマジと見上げた。すると、天井の檻の中から銀色に輝く寄り紐のようなものが下りて来た。曲がりくねったロープのようにも見えるそれを優が掴もうとしたとき、熊骸先生が慌てて大きな声を出した。
「触っちゃいかん! それは奴の髭だ。髭は奴の手足のように動く……かつて、その髭に巻きとられて絞殺された飼育員もおるくらいだ。絶対に近づくな。こちらから触らない限り、そいつも悪さをしない。だから誘いに乗っちゃいかん」
 熊骸先生に言われ、優はゆっくりとフミアルビーの髭から離れた。

 次に壁にあいた巨大な空洞の中を熊骸先生が指差した。
「ドラゴンの中で最も巨大だと言われとるのが、この中におる。その名も、モンシーヌアス・レッド・ドラゴンだ」
 ミルトスの柱が何本も打ちたてられているその檻に近付くと、強い熱気が優の体を覆った。
「モンシーヌアス・レッド・ドラゴンは本来は火山の中に住まうドラゴンだ。ダイナモンにおる中で一番の古カブで、コイツはわしが生まれる前からここにおった。デカイぞ」
 ゴロゴロ、ゴロゴロと喉を鳴らす音が洞窟の奥で聞こえたかと思うと、体躯を引きずる地響きがして、山のように大きな真っ赤なドラゴンが檻の向こうから優を見下ろして来た。優は口をポカンと開けて、そりかえるほど首を直角にしてそのドラゴンを見上げた。
――『はじめまして、ナジアスの娘。また再び、この血に出会えるとは思っていませんでした』
 声ではない声が、空気ではなく優の心を震わせて響いた。
「は、はじめまして。私は明王児 優」

「ほお、やはりドラゴンと話ができるんだな」
 熊骸先生が感心したように優とレッドドラゴンの様子を見て言った。

 モンシーヌアス・レッド・ドラゴンは見上げるほど高い所にある頭をゆっくりと地面に垂れて、目を伏せ、優にお辞儀をした。
――『私はローレム・イプサム・キングドラ。かつてナジアス様がつけてくれた名です。あの頃は皆、私のことをローと呼んでくださいました』
 そう言ったドラゴンの言葉には、まるで昨日のことを語るような現実味と、そして温もりがあった。
 ローレム・イプサムは、『優しい炎』という意味だった。かつてナジアスはそんな風に感じて、このドラゴンにその名を与えたのだろうか。
「よろしくね、ロー。いい名前だね」
 優は古の魔法使いナジアスに親近感を覚えながら、ローの強い熱気の中に強さと気高さと命そのものを感じとった。
 他のドラゴンたちとは違い優に敬意を示してくれたローに、優もスカートの端をつまんで膝を曲げ、敬意を込めてお辞儀を返した。

 ナジアスのことを知っているということは、ローは魔女アストラとも闘ったことがあるのだろうか。そんな考えがひらめき、優がローにもっと話をしようとしたとき、突如、ズドーン! という衝撃音が飼育小屋に響き渡った。サイが岩に体当たりをしているかのように、ローの向かい側の洞窟の檻が揺れ始めた。
 腕組をして熊骸先生が優に説明する。
「あそこで騒いでいるのは岩ドラゴン。オーストラリア産のカーロル・ジュオテルマルだ。翼がないから空は飛べんが、馬鹿力だけは本物だ」
 何が気に入らないのか、カーロル・ジュオテルマルは何度も檻に向かって頭突きを繰り返している。
 ズドーン! ズッドーン! ズドドドドーン!

「怒ってるんですか?」
「いや、角が痒いんだ。角や鱗についた苔を落とすのに、毎朝ああして体をこすりつけたり、体当たりしたりする。いかつい面をしてはいるが、性格は温厚だ」
 優が近付いて行って檻の中を覗くと、サイのような外見をした目つきの悪い灰色のドラゴンが、鼻から生えた三本の角をゴリゴリと岩壁にこすりつけていた。熊骸先生が言う通り、角に緑色の苔が粘着している。だが、よく見ると苔は岩壁にも床にも檻にも浸食している。これでは、カーロルドラゴンがいくら体をこすりつけても、逆効果なように思われた。小屋全体を綺麗に掃除してやる必要がありそうだ。
 優がそのことを熊骸先生に提案すると、先生は困った顔で言った。
「飼育員の数が足りておらんくてな。ドラゴンたちの飼育に手が回り切ってないんだ。まったく手をやいておる」
「ドラゴンの飼育員は何人いるんですか?」
「わしとお前さんの二人だ」
「え、二人だけ!?」
「あと、餌の調達係が、ほれ、試しの門を一緒にくぐることに成功した、五年生の地ヶ谷三次だ」
「三次……」
 優が試しの門をくぐるときに一緒になった、オパールのマジックストーンを持つ男の子だ。五年生の三次は優たちより一つ年下ということになる。優は三次が自分より年下だということをこのとき初めて知った。
「でも三次は、ドラゴンの飼育バッチを胸につけていなかったけど?」
「ああ、あいつはオシャレさんだからな。俺も胸につけたほうが分かりやすくていいと言ったんだが、三次はネクタイにつけてる。ほれ、ネクタイピンにしてな」
「へえ。それで三次はどこですか?」
「今頃は僕妖精を従えてドラゴンたちの朝食の準備をしてる頃だろう。もうじきやって来る。だが、三次はドラゴンたちに餌をやるだけで、あとのことはやらん。餌の調達だけで手いっぱいだからな。だから、直接ドラゴンたちと接し、調教し、小屋の掃除をしたり、ドラゴンたちの健康状態に気を遣ったりするのはワシとお前さんの仕事だ」
「なるほど……」
 ドラゴンたちを調教することなんて、優にできるのかな、と少し不安になった。
 と、優はグルエリオーサのことを思い出して飼育小屋の中を見回した。
 火花を吹くチビのシュピシャードラゴン。狡猾で美しいサンクタス・フミアルビー・ドラゴン。ナジアスの知り合いで、火山に住まう巨大ドラゴン、モンシーヌアス・レッド・ドラゴン。そして、緑苔に悩まされている岩ドラゴンのカーロル・ジュオテルマル。これら四頭のドラゴンのほかに、あともう一頭いるはずだった。以前に優が中央広間で対峙したフィアンマ・インテンサ・ドラゴンのグルエリオーサはどこにいるのだろうか。

「グルエリオーサはどこですか?」
「グルエリオーサ?」
 熊骸先生は少し考えてから、「ああ」と納得したように頷いて、飼育小屋の中央で燃え盛っている巨大な炎を指し示した。
「フィアンマ・インテンサ・ドラゴンなら、ここにおる」
「え……」

 ドラゴンたちのために小屋の中を温める炎だと思っていた、その火の中に?
 熊骸先生は居ると言うが、でも、優の目の前でキャンプファイヤーのように高々と燃える炎の中に、グルエリオーサの姿は見えない。
「フィアンマ・インテンサ・ドラゴンはつい最近に保護したから、まだちゃんとした檻がないんだ。おまけに奴さんは妊娠してるからな。今は大量の火力が必要で、いつも寒がっておるから、こうしてデッカイ炎を燃やしとるわけだ」

 優は目をこらして首を伸ばしてみたが、やっぱりドラゴンを見つけることができなくて熊骸先生を振りかえる。と、熊骸先生はニヤリとして「お前さんが知っとるその名前で呼んでみろ」と言った。

「……、グルエリオーサ?」
 グルグルグル
「あ!」
 赤々と燃える炎の中に透明の輪郭が浮かび上がり、横たわっていたグルエリオーサが首を上げて優を振り返るのが見えた。だが、グルエリオーサはとっても具合が悪そうで、またすぐに頭をもたげて、力なく横たわると、その姿は炎に紛れてすぐに見えなくなった。
「なんだか、元気がないみたい」
「妊娠しているフィアンマ・インテンサ・ドラゴンには、竜の巣が必要だからな。ここはドラゴンにとっては寒すぎるんだ。このままじゃ、せっかくの子を無事に出産できないかもしれん。だからお前さんに任せたいのは、主にこの雌ドラゴンの世話だ。普通に燃やした火では力が弱すぎる。火の魔法使いが、竜の巣を作ってやらんと」

 杖とブックを取り戻した今の優になら、おそらく竜の巣を造り出すことは可能なはずだった。だが……
「やってみます。けど、……ちょっと不安なことが」
「なんだ」
「力を解放することは出来ると思うんです、けど、加減がまだちょっと、上手くできなくて……。だから私がファイヤーストームをするときには、この建物に人を近付けないでもらいたいんです。じゃなきゃ、薬草学の授業のときみたいにまた誰かに怪我をさせちゃうかもしれないし。私がファイヤーストームをするときには、熊骸先生にも三次にも、この建物から離れていて欲しいんですけど」
「なるほど、まあ、竜の巣はかなりの高火力だから、危険が伴うのも無理はない。いいだろう。ではさっそく明日から、朝はお前さんが一人で飼育小屋で竜の巣を造れ。そして夜はワシがドラゴンたちの世話をしよう。朝、お前さんがこの小屋に来ておる間は、他の誰にも近づかせないようにする」
「はい」

 熊骸先生が毛皮のチョッキの胸の内から一冊の皮張の本を取り出して、優に差し出した。
「これがドラゴンの飼育マニュアルだ。明日の朝からは一人で仕事をするんだから、今日中にしっかり頭に叩きこんでおくんだぞ」
「……はい」
「それと、ドラゴンたちへの餌のやり方は、ワシよりも三次のほうが詳しい。後でゆっくり教えてもらうといい」
「はい!」

 三次にまた会えると思うと、優は嬉しくなった。




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