月夜にまたたく魔法の意思 第7話3





 早朝から、ファイヤーストームが中央広間を吹きまくったという噂は、その日の朝食の時間にはすでにダイナモン全体に広まっていた。
 しかし、その騒ぎの張本人は優を連れてすでにダイナモン魔法学校を出発してしまっているので、朝食の席に姿はない。

 フレンチサンドウィッチをナイフとフォークで切り分けながら、空が流和に話しかける。
「今朝のファイヤーストームは、これまでに朱雀がダイナモンでやったどの爆発よりもすごかった。優って本当、朱雀を怒らせる天才だよ、あんな朱雀は見たことがない。ファイヤーストームだぜ?」
 空と同じフレンチサンドを食べながら、流和がオレンジジュースに手を伸ばす。
「空ったら、笑いごとじゃないでしょう? 私は優のことが心配よ。朱雀って、どうしてああ見境がないのかしら。最近はちょっと丸くなったのかな、って油断して送りだしたのが間違いだったわ。朝、朱雀が優を迎えに来た時、一緒に行かせるべきじゃなかったのよ。私の責任ね」
「流和のせいじゃないさ、優が悪い」
 と、空がニコやかに言う。

 すると流和の隣でほうれん草のリゾットを朝食にしていた永久も話に加わって来た。
「でも、優はまたどうしてそんなに朱雀くんを怒らせちゃったのかしらね」
「なんでも、ブックと杖を封印したらしい」
 ウィンナーコーヒーを飲み終えた吏紀が、カップをテーブルに戻して、話を続ける。
「優は自分の魔法書と杖を封印していたというんだ。それで朱雀が、」
「キレるに決まってる!」
 みなまで言う前に空が吐き捨てるように言った。
「そう、キレた」
 話の腰を折られた吏紀が空に頷いて見せる。
 空が「悪い」という顔で吏紀にウィンクしてからまた言った。
「そりゃ、頭にもくるよな〜。希少な炎の魔法使いが、闇の魔法使いとの戦いを目前にしたこの非常時にブックと杖を封印だなんて……タイミングが悪すぎる。恐ろしいことをする奴だ」

「それは言えてる。でもまあ、こうなることを優も予測していたわけじゃないし、そもそも、優が魔力封じのゴーグルをかけていたことから、当然ブックと杖にも何かしたんじゃないかって初めから予想していなかった俺たちも、先の見通しが甘かったと言える。ベラドンナから連れ出すときに、もっと気を遣っておくべきだった。朱雀は今、優のブックと杖を取りに、今朝早く校長に許可を取ってからダイナモンを発ったらしい。確か行き先は、優の実家だ」
「優の実家ってどこなんだ?」
 空の問いかけに、流和が答える。
「山形よ」
「山形! 遠いな」
「ねえ、今は闇の魔法使いたちが動き回っているから、ダイナモンから出るのは危険なんじゃないの? 優と朱雀くん、大丈夫かな」
「朱雀はヘマはしないから、大丈夫だよ。それにきっと業校長も何か手を打っているはずだから、心配ない」
 吏紀が安心させるように永久に答える。

「そうよ永久。きっと二人とも夜までには戻るはず。あ、いけない! そろそろ授業だわ。行きましょう、永久」
 朝食を早々に切り上げ、流和がおもむろに席から立ち上がった。
 それを空が引き止める。
「あ、流和、ちょっと待ってくれ、実は話があるんだ」
 ナプキンをテーブルの上に放って慌てて立ち上がった空が、流和の手を掴んだ。
「話? 何よ」
「もっとちゃんと言いたかったんだけど、最近バタバタしてるから、なんかタイミング逃しちゃってさ」
「うん」
 空は言いにくそうに、少し間をおいてから口を開いた。
「もう少しで毎年恒例のダイナモン魔法舞踏会があるだろう。いつもみたいに俺の、パートナーになってもらいたいんだ。正式に、流和にダンスの申し込みをしたい」
「あ……」
 流和は思い出したように空を見つめる。
「え……。まさか、他の男にもう申し込まれたりしてないよな。まあ、だったら決闘で勝ちとるまでだけど、俺が一番じゃないのはやっぱムカつくな」
 というのも、ダイナモン恒例のダンスパーティーでは、ダンスの相手を一人決めるために男子から女子にパートナーの申し込みをするのがならわしなのだが、仮に一人の女の子に対して複数の男子生徒が名乗りを上げた場合、男子生徒たちは必ず一対一でデュエルをしてパートナーを勝ち取ることになっているからだ。
 空が強がって言うのに対して、流和が顔を赤らめる。
「ばか。 そんなこと、あるわけないでしょう」
 そう言った流和から、突然、真珠みたいな笑顔がこぼれた。
「誘ってくれてありがとう、空。とっても嬉しい! もちろん、あなたしかいないわ」
 流和は背伸びして恋人の首に手を回すと、空のほっぺにキスをした。
 空の頬に赤みがさし、顔がくしゃくしゃになった。
 そもそも、空と流和が昔から付き合っている、というのはダイナモンの生徒の間では有名な話だ。二人はお似合いの美男美女カップルと噂されているのだから、空が心配したように、他の男子生徒が流和にダンスを申し込むことなどほぼあり得ないことだった。それに、朱雀ほどではないまでも、他の生徒は空のことも恐れていて、誰も東雲家の御曹司と進んで一対一でデュエルしたいとは考えない。

「いいな〜、流和は。ダンスパーティーって、パートナーが絶対にいなくちゃいけないの?」
 永久が頬づえをついてラブラブの流和と空を羨ましそうに見つめる。
 その永久の質問に答えたのは、予想外の人物だった。

「パートナーがいなければ惨めな思いをするぞ。可哀そうに、ダイナモンには人間出の者と手を繋ぎたがる男はいないから、多分お前は絶対にパートナーを見つけられないだろうな」
「東條!」
「うせろ、負け犬」
 流和と空が同時に呟く。試しの門を通ってからすっかり鼻高々の様子の東條晃が、流和たちの座るテーブルに手をついて永久の顔を覗きこんだ。
「人間出の、非純潔魔法使い。この、ナリコソナイめ」
「東條、だまりなさい!」
 流和が怒る。
 だが東條は流和を無視してニヤニヤとうすら笑いを浮かべ、永久が傷ついた顔をするのを面白がっている。
「お前なんかとパートナーを組む奴なんて、いるわけがない。 だが、もしお前が頭を地につけて俺に頼むなら、俺がお前のパートナーになってやらなくもない。人間と手をつなぐなんて、こっちまで汚れそうで気が進まないが、ダイヤモンドのお前だから、百パーセント譲歩してやるんだから、有難くお受けしろ」
「その必要はない」
 それまで黙っていた吏紀が、静かに言った。永久への酷い侮辱に対し、空や流和が東條に何か言いだすより先に口を開いた吏紀に、空も流和も喉元まで出かかっていた言葉をひっこめた。

「は、なんだって?」
 東條が吏紀を振り返る。

「だから、その必要はない」

 吏紀はゆっくりとナプキンで口元をぬぐうと、丁寧な所作でそれをテーブルに置き、立ち上がって真っすぐに永久を見つめた。
「僕が君にダンスを申し込むよ。もちろん、もし君が、僕で良ければだけど」
 淡々とした吏紀の言葉に、永久は目を丸くし、音もなく大きく息を吸い込んだ。
 正直、驚いている。
 そしてガタリ、と椅子を鳴らして永久が勢いよく立ちあがった。
 後ろにのけぞりそうな永久に、吏紀が手を差し出す。

「僕のパートナーになっていただけますか、山口永久」
「あ……、え、…と。……はい」
 永久はおそるおそる吏紀の手の平に自分の手を重ねた。
 人間の女の子と手を繋ぐのを嫌がる魔法使いがいるというこを生まれて初めて知った永久は、重ねた吏紀の手の温もりを感じて申し訳ない気持ちになった。でもそんな気持ちとは裏腹に、初めて魔力で宙に浮いたときのことを思い出して、永久はとても嬉しくなった。あの時も、吏紀はこうして永久の手をとって支えてくれたんだ。もしかしたら実は、永久に触れることすら嫌だったかもしれないのに……。
「……本当はずっと、吏紀くんが誘ってくれたらいいな、って、思ってたの」
 永久がもじもじとそう言った。溢れる感謝をどう伝えていいのかわからない。

 瞬間、吏紀がこらえきれなくなったようにクスクス笑い出した。
「どうしたの?」
 永久の顔に途端に心配の色が浮かぶ。もしかして吏紀にからかわれたのだろうか、と思ったのだ。
 だが、そんな永久の心配とは裏腹に吏紀が口を開く。
「いや、緊張したんだ」
「え?」
「こうやって女の子を誘うのは初めてなんだ。だから君を誘うのは、自分で思っていた以上に、勇気がいった」
 そう言って、吏紀が今度は困ったように微笑む。その頬にかすかに紅みがさした。

 二人で手を取り合ったまま、永久が吏紀に小さく頭を下げた。
「あの、誘ってくれて、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
 吏紀も同じように永久に小さく頭を下げた。

 やけに初々しいカップルの誕生に、すぐ傍で見ていた流和も空も言葉を失って、はにかんだ。
 特に吏紀の様子が、流和と空の二人には意外だった。流和と空の知っている吏紀は、頭脳明晰で冷酷なまでに常に冷静で、女の子にもダンスにも興味がない鉄面皮。だのに今、その吏紀が永久という一人の女の子の前で色を帯びているのだ。
流和も空も、そんな吏紀の様子を見て戸惑いながら、それでもどこか嬉しそうに二人を見つめた。

 東條晃だけが、肩を怒らせて「フン!」と一声吐き捨て、ドカドカと足音を立ててその場から立ち去って行った。
 吏紀にデュエルを申し込む気は、どうやら東條にはないらしい。




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