月夜にまたたく魔法の意思 第7話12



 沼池の上には木々の覆いがなく、そこから青い空を見上げることができた。
 気持ちの良い日差しに藻の生えた水面が黄緑色にキラキラ輝いている。

 吏紀が全員を見回して言った。
「作戦はこうだ。優が銀色狼と接触する間、他の全員で9人の王たちを引き付ける。空、ダイナモンの生徒全員を千年桜に集められるか」
「問題ない」
「よし。優が銀色狼たちを連れて戻るまで、そこに全員で防御線を張って待つ。じゃなきゃ、他の連中が何をするかわからないからな」
「それは言えてる。杖を使えなきゃまともな防御魔法は使えないから、いざとなれば皆、自分の身を守るために杖を抜くに決まってる……」
「今はまだ静かだが、王たちがオロオロ山から出られないと気づいたら、きっと怒り狂って俺たちを襲いに来るぞ。時間の問題だな」
「9人の王たちの目的は何? 殺戮かしら」
「いや、まずは俺たちを喰って力をつけようとするんじゃないか。何せ300年以上も何も食べてないんだからな。俺は吏紀の作戦に賛成だ。朱雀はどう思う」
「そうだな、俺も大かたはそれでいい」
「何か問題があるか?」
「ああ。銀色狼のところへは、優と一緒に俺も行く」

 朱雀がそう言いだすことは、当然、予想できたことだった。空や流和、それに永久は朱雀の提案に同意したが、ただ一人、吏紀だけは難しい顔をして沈黙し、やがて気まずそうに口を開いた。
「待ってくれ、朱雀。気持ちは分かるが、今回ばかりは防御線にお前がいてくれなきゃ困る。9つもの邪悪な魂を引き止めつつ、ダイナモンの皆を一つにまとめるには、お前の炎の力が必要だ」
「俺がいなくても、お前たちだけで平気だろう。それよりコイツの方が心配だ」
 と、朱雀が傍らに座る優を指して言った。
 吏紀が横目で見やると、優は空をボーっと見上げて、何か別のことを考えているようだった。

「確かに、俺たちだけなら平気だ。しかしダイナモンの他の連中は違う。こういう戦闘には不向きな者もいるし、実戦に不慣れな者もいるんだ。皆がみんな、俺たちのように敵に立ち向かえるわけじゃない。俺と空だけでダイナモンの生徒全員を守ることは不可能だ」
「『弱い者は死ぬ。闘わなければ生き残れない』 それが俺たちがここで学んだことだろうが」
「その言葉は、そのまま優に対しても言えることだぞ、朱雀。優一人のために、他の全員を危機に合わせてもいいという理屈にはならない」
 吏紀の厳しい言葉に、その場にいた誰もが閉口した。
 戦場において誰の命が重んじられ、誰の命が軽んじられるのか。皆が生き残るために、どうすることが最善のことなのか……。
 答えはすぐには出なかった。

「優とダイナモンの生徒を天秤にかけるのはよして! 皆が生き残れる最善の方法を考えましょう」
「わかってる。けど今回ばかりは譲れない。思い出してみろ、ゲイルが9つの邪悪な魂を解放したとき、皆がバラバラに逃げ去って行っただろう。杖も使えないこの状況で、闘う以前に皆恐怖に心を支配されていた。たとえ皆で一つにまとまって防御線を張ると言ったって、今森の中を逃げ回ってる連中は簡単には集まらない。だが、朱雀がそこにいて皆の先頭に立って闘うと分かれば、全員が安心して集まって来る。ダイナモンで最も優れた炎の魔法使いから勇気をもらえる。それだけでみんなの闘う力になるんだ。そうすれば誰一人欠けずに全員で、狼の助けを待つことができるんだ」
「ふん、そんなの知るかよ。闘う気のない臆病者の弱虫なんか、ここで虫けらみたいに死ねばいいのさ」
「朱雀! そんな言い方やめて」
「黙ってろ流和。お前だって、優一人を行かせるのは反対だろう。どのみち優が銀色狼と話をつけられなければ全員死ぬ」
「それはそうだけど……、なら私が優と一緒に行くわ!」
「それはダメだ!」
 今度は空が怒鳴った。

 優は吏紀と朱雀、それに流和や空が言い争いをするのを聞いていた。
 もし自分がもっと強ければ、みんながこんな風に言い争いをすることもなかったのではないか、と。
 惨めな気持ちがこみ上げて来て、優は自分の小さな膝の上を見つめた。

 永久が優の隣に座って優しく肩を抱いてくれた。
「みんなああ言ってるけど、優は、どう思ってる……?」
 優の心の内を察した永久が、優に静かに問い掛けた。
「うん、私はね。一人で行ったほうがいい、って気がしてるんだ」

 優の言葉に、朱雀、吏紀、流和がビックリして振り返った。
「正気なの!? 優。危険よ!」
 流和が青ざめた顔で優の傍までやって来た。けれど永久がそれを制し、また静かに聞いた。
「優、どうしてそう思うの?」

 皆に見つめられて、優は居づらそうに肩をすくめてから、口を開いた。
「ベラドンナの図書室の本はね、私以外の人がいると、いつもよりちょっと口下手になるの。だから、なんとなく一人の方が狼たちとも話しやすいんじゃないかって感じるんだ。ただの勘だけどね。それに、一人の方がちゃんと頑張れる気がするし……。だから私、一人で行くよ」
「ダメだ」
 朱雀が断固として拒否する。しかし、優がいつになく真剣なまなざしをしていることに気づくと、今度は困った顔で溜息をついた。
 その先に続く言葉を言うべきかどうかを迷っているようにも見えたが、朱雀はついに躊躇いがちに話し出した。

「ダイナモンの中にお前の命を狙っている者がいる。保健室の夜、冷気を漂わせた何者かが扉のすぐ向こうまで来たんだ。あれは闇の世界に堕ちかかっているナリカケ魔法使いに違いない」
「なんですって!?」
「どうしてそれを私たちに教えてくれなかったの?」
 流和と永久が同時に朱雀に詰め寄った。
「下手に騒がれると厄介だと思ったのさ」
 朱雀に言われ、流和が空を睨んだ。
「あなたも知ってたの?」
「ああ、俺と吏紀は朱雀から聞いて知ってた」
「何よそれ! それじゃあ尚更、優を一人で行かせるわけにいかないじゃない。今回のどさくさに紛れて闇の魔法使いが動き出さないという保証はないんだもの」
「それなら大丈夫。『魔力探知防止魔法』を使うよ」
 と、当事者であるはずの優がいちばん楽観的に言ってのけた。

 きょとんとしている他のメンバーをよそに、開口一番に朱雀が異を唱えた。
「あれは嫌いだ。お前の居場所が分からなくなる」
「だからいいんだよ。特定の間だけ、あらゆる探知探索魔法から身を隠せる。魔法使いに私を見つけられるはずない」
「一つ聞いていいか。『魔力探知防止魔法』ってなんだ」
 腕組して朱雀と優の会話を聞いていた吏紀が訊ねると、朱雀が優の代わりに答えた。
「一種の隠れ魔法のことだ。でもただの隠れ魔法じゃない。優を探知する魔法が使えなくなる逆魔法さ」
「へえ、レアな魔法持ってるんだな」
「必要に迫られて最近、身に着いた術なの」
 優が鼻たかだかにそう言って、朱雀のことを顎で指し、「この人のせいで」 と付け加えた。

「偉そうに。で、その効果はどれくらい続くんだ?」
 空が冷静に質問した。
「え、試してみたことないから分からないよ。今朝1回しか使ったことないもん」
「これだから初心者は……。効果がいつまで続くかくらい見極めておけよな」
 と空が舌打ちすると、朱雀が思い出したように口を開く。
「そういえば今朝は、夜明けから朝食の時間までは俺の探知魔法に引っかからなかったな」
「となると、2、3時間てところか。逆魔法は術者以外の者に無制限にかける絶対のカウンター魔法だから、理屈から考えても持続時間はそれくらいかもな」
「2、3時間じゃ心もとないわね」
「どのみち日が暮れたらタイムリミットだ」
 吏紀が太陽と木の陰の位置を見て言った。
「日没まであと8時間くらいだ。時間がない。優の隠れ魔法に賭けよう。いいな、朱雀」
「コイツを一人で森に放したら、二度と戻って来ないぞ」
「人のことを犬みたいに言わないでよ」
「犬なら心配しない。帰巣本能があるからな」
「それって私が犬以下ってこと!?」

 優に睨まれても気にせず、朱雀はまだ不満そうだったが、それ以上は何も言わなかった。
 これで意見が完全にまとまった、というわけではなかったが、沈黙を破るように空が明るい口調で言った。

「それじゃ、ショータイムだ」
 空が口に指をくわえ、息を吐いた。ピーーという甲高い指笛が森中に響き渡り、途端に沼池の上空にカラスたちの大群がひしめき始めた。
 数分して青い空がすっかり黒く埋め尽くされると、次の瞬間、強い風が空の周囲に巻きおこり、それが上空のカラスたちに向かって突風となって吹きあげた。
 強風で柳の木々が吹き飛ぶほどに傾ぎ、上空ではカラスたちの鳴き声がけたたましく大気を震わせた。するとカラスたちは一斉に四方八方に散って行った。

「そうと決まったら、急がなくちゃね」
 優が立ち上がり、リュックサックを背負ってからスカートの泥を払おうとした、その時。
―― キャアアアアアアアア!!!
 突然、森の奥からただごとならない叫び声が木魂してきたのだ。
「何!?」
 優たち6人は、息を呑み、一斉に森の奥を振り返った。
 木々がザワメキたち、湿った風が流れて来るのに合わせて、大地の上を白い霧が、まるで意思を持つかのように不気味に、ゆっくりと這って来るのが見えた。
 叫び声は森のあちらこちらから、断続的に響き渡っている。
「今ので何人かやられたな。致命傷だが、まだ生きてる」
 周囲の魔力を探知して、朱雀が抑揚のない声で言うと、
「救える者を救出しながら、千年桜に向かおう」
 と吏紀が言った。

 粘り気のある大気に不快感を覚えて、優が咳き込んだ。
 霧はみるみるうちに6人に迫って来て、足もとが見えなくなった。辺りに死の気配が漂っているのを、優は肌で感じた。
「奴らが来るぞ。優、なるべく急いで行ってくれ。邪悪な王は俺たちが引き止める」
 吏紀が切羽詰まった様子で言うと、優は振り返った。
「銀色狼はどこにいるの?」
「オロオロ山の北側に川が流れていて、その上流に妖精の谷がある。銀色狼はそこにいる」
「わかった、北側ね」
「来たぞ!」
 森の奥を見据えていた空が突然叫んだ。

「聖なる大地と、幸運が優を守ってくれるように」
 吏紀が祈るように拳を握ると、それを優の前で開いた。するとアメジスト色の輝きが優の体を包みこんだ。
「走れ!」
 吏紀に背中を押されて、優は北に向かって走り出した。直後、柳の木の陰から巨大な黒い影が飛び出した。

―― デスペラーティオ……

 見上げるほど大きなその影を優は振り向きざまにハッキリと見た。黒いローブに全身をすっぽりとくるんでいるが、胴部が妙にフワフワしているので、その体が痩せ細っているのが分かる。袖からのぞく黒ずんだ手は干からびて筋張った木の枝のようだ。
 恐怖で足がすくんだが、優は真っすぐに前に向きなおり、足を止めずに走り続けた。すると影は一瞬で優の上を跳び越え、道を塞いだ。
 優よりも上手な飛翔術だ!
 長く鋭い王の尖った爪が空気を切り、優に手を伸ばして来た。絶望が優の心に陰りはじめた、そのとき
「大地の守護魔法、プレシディオ!」
 吏紀の唱えた言霊に、大地が弾けて爆破し、絶望の王を優から遠ざけた。
 だが次の瞬間、別の方角から飛び出した影が優に飛びかかった。瞬間、流和が優をかばって前に出た。
「エイーナ!」
 振りおろされた剣を流和は輝く青い光で防御したが、流和の体は王の大剣の圧力に吹き飛ばされて近くの柳の木に叩きつけられた。
「流和!」
「スマラグディ!」
 エメラルドの光が王の影を遠ざけ、空が流和を抱き起した。
「流和は俺に任せて、走れ、優!」
 流和も空の腕の中で、優に微笑みかけながら頷いた。「行って」 と。

 優が走り出すと、最初に吏紀が遠ざけた絶望の王が再び優に迫って来た。
「こっちよ!」
 永久が黒の王に石を投げつけて、自分の方におびき寄せようとした。
「さすが人間出の魔法使いは、発想が奇抜だな。……って、石なんか投げつけてどういうつもり?」
「これはただの石だけど、太陽の光を込めてるの!」
 吏紀に答えながら、永久はまた地面から小さな石ころを拾い上げて握りしめた。すると不思議なことに石は光を帯び、王にヒットする瞬間にはフラッシュのようにひと際まばゆく光輝いた。
 しかも、永久の石投げ攻撃に当てられた王の脇腹に穴があいた。
「スゴイな」
 吏紀が感心して永久を見つめる。が、次の瞬間、絶望の王が優を追いかけるのをやめて永久の方を振り返ったのを見ると、「まずい、怒らせたぞ」と言って、永久をかばうように前に出た。

「永久、逃げて!」
 優が立ち止る。

「私のことはいいの! 優……、一人で本当に大丈夫?」
 永久が瞳に涙を浮かべて優に言った。すると優は親指をつきたてて、永久にウィンクして見せた。
「アイウィル・ビー・ばーっくッ」
 某映画のクライマックスシーンの真似で返され、永久が地団太を踏んで怒る。
「もう、ふざけないで! 優がいなくなっちゃったら私、悲しくて死んじゃうから!」
「うん、わかってる。じゃあ、行って来るね!」
 優は今度は真面目に頷いて、永久に手を振った。
 再び走り出しながら、優は親友たちのことを思った。もしも逆の立場だったら、優だって永久や流和を一人では行かせたくない。でも今は一人で行かなくてはならない。
 だから心配をかけてはいけない、という思いが申し訳ないほど優の心にこみ上げて来た。

 空、流和、吏紀、そして永久が二人の王たちを相手にしている間、優は仲間たちからどんどん距離をあけた。すると柳の木の陰から今度は朱雀がいきなり飛び出して来たので、あやうく優は朱雀と激突しそうになった。
 朱雀はみんなから少し離れたところまで優を引っ張って行くと、おもむろに自分の人差し指からルビーの指輪をはずし、それを優の手に握らせた。
「何!?」
 優がギョっとする。
「昔、シュコロボヴィッツがナジアスに贈ったものだ。強力な守護魔法がかかっている。父さんと母さんが闇の魔術に堕ちた時、俺は抵抗したんで殺されそうになったが、この指輪のおかげで助かった」
「……そうなんだ。でも、心配してくれるのはありがたいけど、こんな貴重なものもらえない! 私はこんなの無くても大丈夫だよ」
 優が指輪を朱雀に押し返すと、朱雀が恐い顔で言った。
「こんなときくらい黙って俺のいうことを聞け。これは貸すだけだ。後で必ず、絶対に、お前の手から直接俺に返してもらう」
 有無を言わせぬ朱雀に、優はビックリして言葉を詰まらせた。
「……。わかった」
 そうして朱雀は、そのとても大切で高価なものであるはずのルビーの指輪を、優の右手の親指にはめてくれた。
 朱雀の炎の力が優を包みこむ。見上げると、朱雀のシュコロボヴィッツの瞳がいつもより熱を帯びて、優のことを見下ろしていた。
「お前の力を信じてないわけじゃない。……信じてるよ、必ず無事に戻って来るって。それから、無茶な飛翔術はするな」
 優のおでこの絆創膏を指でイタズラに突くと、朱雀がふっと笑った。
 優が何か言いかけたとき、
「朱雀! 1匹そっちに行ったぞ!!」
 二人のすぐ背後に、今まさに剣を振りおろそうとしている絶望の王が襲いかかって来た。
「行け!」
 朱雀に言われれ、結局優は何も言えずに慌てて走り出した。
 振り向くと、朱雀が王の大剣を足で受け流し、炎の回し蹴りを喰らわせている。
 それから優の背後で炎の壁が燃え上がると、王たちの影は朱雀の防御線から一歩も優に近付けなくなり、吹き飛ばされた。
 その向こうでは、吏紀、空、それに流和と永久が霧の中で別の影に立ち向かっている。

 優は少しホッとして走り続けた。
 朱雀がついていればみんなはきっと大丈夫だ、と、このとき優は確信した。あとは、優が自分の役割を全うするだけだ。

「俺たちも千年桜に向かおう!」
 優の姿が完全に見えなくなると、朱雀たちは元来た道を引き返し始めた。
 だが、道の途中で朱雀が突然足を止め、落ちつかない様子で北側に目を向けた。
「優の気配が完全に消えた。きっと、魔力探知防止魔法を使ったんだと思うが……」
 心配そうに呟く朱雀に、親友の空が寄り添い、上空を見上げる。
 空には朱雀の気持ちがよく分かっていた。流和が優と一緒に行くと言ったのを止めたのは空だからだ。もし空が朱雀の立場だったら、絶対に優を一人では行かせたくないはずだった。だから空は、親友のために今日最善を尽くしていた。
「一番頭のいいカラスを優につけたよ。何かあれば、すぐに知らせにくるさ」
「お前のカラスには、優を探知できるのか?」
 朱雀が少し驚いた顔で空を見る。と、空がニヤリと口元をゆるめた。
「どうやら優の魔力探知防止魔法は、『魔力によって探知すること』を阻止する作用があるみたいだ。一方、カラスたちは魔力を使わない。自分の頭で考えて行動し、目で見て判断してる、ただの動物だからな」
「つまり、できるんだな?」
 朱雀の表情が心なしか明るくなる。
 空は自慢げに頷いた。
「できるとも。そして今、カラスたちはオロオロ山にいるダイナモンの生徒全員を見張ってる。怪しい動きをする奴がいればすぐに分かるぜ」

 それから朱雀が再び前を向き飛翔を開始したとき、空は親友の口から発せられる驚くべき言葉を初めて耳にすることになった。

――「ありがとう」

 と、ただ一言。
 誰もが耳を疑うであろうその言葉に、どれほどの感謝の心がこめられているのかは、きっと親友の空にしか分からない。



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