月夜にまたたく魔法の意思 第6話9




 その夜、優は目を覚まさず、ずっとうなされ続けていた。
折れた骨と傷ついた肉体の魔法再生には痛みが伴うからだ。

 流和と永久は医務室で一晩中優に付き添っていると言い張ったが、真理子先生にダメだと言われて、しぶしぶと女子寮に帰って行った。
ダイナモンに来て事件続きだったので二人とも体力が落ちていたのだ。
 永久は慣れないダイナモンでの生活が始まったばかりで、突然魔女に憑依されたことで、肉体的にも精神的にも深いダメージを受けた。
 流和にいたっては沈黙の山でナイアードに噛まれた傷と、闘技場で受けた東條晃の魔法の傷がまだ治っていない。

 それでも、内部に潜む裏切り者が傷ついた優を襲いに来るかもしれないと心配する流和と永久の二人に、「見張りなら俺がする」と、朱雀が言ったのだった。
 業校長がそれなら安心と、見張り役を朱雀に任せたので、さすがの真理子先生もこれには反対しなかった。
「でも猿飛校長先生、この人は優に意地悪をすることがあるんです」
 と、めずらしく永久が心配そうに抗議すると、業校長は訳知り顔でニコリと微笑み、
「高円寺朱雀、女の子には優しくするのじゃよ。特に惹きつけられる女子(おなご)には尚更じゃ」
 と付け加えた。

「仰せのままに」
 朱雀はすました顔で左胸に手を当て、軽く会釈すると、業校長に気づかれないように永久にウィンクした。
 永久が目をくるくるさせて何か言いたそうにするが、それ以上は何も口にしなかった。
「それじゃ、よい夜を」
「優相手じゃ、ロマンスは期待できないだろうな」
 吏紀と空が苦笑いしながら朱雀に挨拶し、それぞれ永久と流和を引きつれて医務室から出て行った。
 やがて皆が医務室から退散し、最後に真理子先生も寝室に引き下がっていった。もし患者に何かあれば、壁にかかった呼び紐を引くとすぐに真理子先生が駆けつけてくれることになっていた。
 医務室に残された朱雀は、暖炉の前の椅子にゆっくりと腰掛けた。
 目の前のベッドでは優が眠り、ときどき呻き声を漏らしている。その隣のベッドには、薬で深い眠りに落ちている美空がいた。

――惹きつけられる女子(おなご)
 業校長が言ったことは正しかった。確かに朱雀はここ数日間ずっと、出会ったばかりの優に惹きつけられている。
 でもこれは恋という感情とは違う、と朱雀は決めつけていた。自分が優に興味を持っているのは、優が自分と同じ炎の魔法使いだからだ、と。
 実際、朱雀にはまだ優のことがよく分からなかった。優は、朱雀がこれまで相手にしてきたどの女の子とも違っていたからだ。自分をこんなにイラつかせ、怒らせることが出来る人間がこの世界にいたのかと思うほど衝撃的な存在。でも、単にムカつく奴なのかと言えばそうでもなく、そんな優にすごく惹きつけられ、どこかホッと和ませられている自分がいる。
 すごくムカつくけれど、優の芯にある優しさや温かさ、そして悲しみが、まるで炎がゆらめくかのごとく朱雀には理解することができた。
 食堂でプリンにかぶりつく姿は子どもっぽ過ぎていただけないが、邪悪な魔法使いに立ち向かうために予言の書と契約を交わしたときや、闘技場で東條晃の攻撃から親友を守ろうとした優の姿は本物の魔法使いそのものだった。優を見ていると、生まれ育った環境は違えども、自分と何も変わらないと思うことさえできた。

 何より衝撃的だったのは……。
 朱雀はベラドンナの図書館にある真実の鏡に写った優の姿を思い出して、静かに溜め息をついた。

「きれい、だったな……」
 朱雀はしばらく宙を見上げ、物思いに沈んだ。そしてまた力なく溜め息をつくのだった。
「ありえない」
 やがて朱雀は手のひらからトランプカードの束を取り出すと、自分の思考を遮断するようにカードを切り始めた。
 ポーカーをする相手もいない退屈な夜だ。手品師のように巧みにカードを切りながら、なんとなくうつ伏せになったカードを一枚引いてみると、ハートのエースが出た。朱雀はすかさずそれを暖炉の中に投げ捨てる。何事もなかったようにカードを切り続け、一番上に来たカードを一枚引くと、今度はハートのクイーンが出た。朱雀は舌打ち混じりにカードをグシャリと握りつぶすと、それも暖炉に投げ捨てた。

「なんて不吉な夜だ。このカード、呪いでもかかってるか」
 朱雀はそう呟きながら、さらにもう1枚カードを引いた。
 なんと、今度はジョーカーが出た。

 瞬間、暖炉の炎がゆらめき、かすかに冷気が漂うのを朱雀は感じ取った。電撃でも受けたみたいに立ちあがると、手にしていたトランプカードがバラバラと床に散らばる。
 足音は聞こえないが、かすかな衣擦れの音がする。確かに、医務室のドアの向こうに誰かがいる気配がした。
 ベッドでは優が唸り声を上げている。朱雀は優の様子に気を配りながら、すぐにドアを睨みつけた。
「誰だ」
 朱雀の声に驚いたのか、ドアの向こうでハッとしたように退く足音が聞こえた。
「もしも許可なくこの部屋に入ってくれば、俺が容赦しない」
 朱雀は空中から杖を出し、その先をドアに向けた。すると、踵を返して小走りに退いて行く足音がしたので、朱雀はその正体を突き止めようと医務室から廊下に続くドアの取っ手に手をかけた。が、しかし、朱雀はドアを開けずにとどまり、ベッドで横たわる優を振り返った。
 ドアを開けることをためらったのは、優の身を気づかったからだ。今の優は、かすかな冷気にも敏感に反応してしまうだろう。その邪悪な冷気は優の体をむしばみ、傷の回復を遅らせる。
 ついさっきドアが閉まった状態でも冷気がかすかに侵入してきたくらいだから、今、朱雀がドアを開けてしまえば、廊下に残った何者かの冷気がさらに顕著に医務室に入り込んでくるはずだった。ここは敵を追いかけその正体を突き止めることよりも、怪我人の安全が優先か。

 朱雀はドアノブから手をはなし、かわりにドアの前に手をかざして言霊を唱えた。
――「ミルトスの葉ここから生え出で、邪悪な者から扉を守れ。我の炎の力を用いよ」
 たちまち、医務室の木製の扉にミルトスの若々しい吊る草が生え出て来て、四方を覆いつくした。

 朱雀はルビーの杖をしまうと、優の眠るベッドサイドに歩いて行った。
 青白い顔で眠る優は小刻みな息をしながら、時々痛みに震えて苦しそうに声を漏らしている。
「こんなに弱いなんて、困ったな」
 そう言って優の頬に自分の手の甲をあてがった朱雀だったが、優を見下ろす朱雀の表情は柔らかい。

「朱雀?」
 隣のベッドで美空が呼んだので、朱雀はすぐに優から手をはなした。

「美空、起きたのか」
「なんだか寒くて、目が覚めちゃったみたい。でも、薬で頭がボーっとしてる」
「もう大丈夫だから、眠ってろ」
「うん。ねえ、朱雀、どうしてここにいるの? もしかして、私夢を見ているのかしら」
「……。そうかもな」
「夢なら、いい夢ね。ねえ朱雀、キスして」
 うつろな瞳でそう言う美空が、本当に夢を見ているみたいに微笑んだ。

 朱雀は両手をズボンのポケットに入れて美空に近づくと、何も言わずにそっと、その額にキスをした。
「どうして、口にしてくれないの」
 目をつぶったまま、美空が聞く。
「唇へのキスは、お姫様を目覚めさせるときにするものだから、できないんだ。お前を起こしたら、マリー先生に怒られる」
「嘘つき。そんなおとぎ話、信じていないくせに」
「バカだな。夢の中の俺は、実際の俺とは違うのさ」
「ふふ……、そっか」

 強い睡眠効果のある薬のせいで、美空は再び深い眠りに落ちて行った。
 朱雀が優に触れ、優しく見下ろしていたことも、きっと夢だと思うだろう。
 
 朱雀はその晩、一睡もせず、時折暖炉に薪をくべたりしながら、椅子に深く沈みこんでいた。不吉なトランプカードはあれからすべて燃やしてしまった。
 やがて窓から青い光が差し込んで来ると、優の呻き声が止んで、代わりにシクシクという泣き声に変わった。朱雀は初め気にしないようにしていたが、その泣き声がいつまでも女々しく続くのでイラついて、ついに暖炉の前の椅子から
「泣くな」
 と一喝した。
 優の泣き声はハッとしたように一瞬止まったが、それでもまたすぐに、シクシクと、ジメついた春の雨のように、いかにも悲しげにいつまでも続いた。

 朱雀は困ったように立ちあがり、優のベッドの所までやって来て見下ろした。
「痛いのか。マリー先生を呼んでやろうか」
 だが、優は涙に濡れた顔をクシャクシャにしてかすかに首を振ると、
「あっちへ行ってて、暖炉のところに」
 と言った。
 その物言いに内心ではカチンときながらも、相手が重傷人なので朱雀は最大限譲歩する。

「いつまでも泣かれるとこっちまで気分が悪くなる。どうして欲しいか言ってみろ」
「流和と永久を呼んで来て」
「ダメだ。朝までは俺が見張り役だから、ここから出るわけにいかない」
「見張りはいいから、呼んで来てって言ってるのよ」
「その要求には答えられない」
 朱雀はキッパリと言った。

「何でもするって言ったくせに」
「何でもするとは言ってないぞ。どうして欲しいか言ってみろ、って言ったんだ」
「メロンソーダが飲みたい」
「またそれか。あ、もしかして腹がすいたのか? 朝食の時間まで待てよ。きっと誰かが運んで来てくれるさ。俺もなんだか腹が減ったな」
「喉が渇いたのよ……」
「……、ああ」
 朱雀がサイドテーブルに置かれた水をコップに注ぎ、造作もなく優に差し出した。
 それに対し、優は心底嫌気がさしたように顔を歪めて、包帯でぐるぐる巻きの両手を朱雀に見せた。
「この体じゃ少しも自分で動けそうにない。感覚もないし、痛いし」
「いや、痛いって、それ感覚あるだろ」
「とにかく、自分じゃ飲めそうにない。……、ストローないの?」
「すとろー?」
「ストローも知らないの? 遅れてるね」
 朱雀は少し考えてから、
「もしかして、口うつしで飲ませて欲しいってことか? まあ、別にいいけど」
 と言い、コップに口をつけて水を含み、優の枕元に片手をつけてためらうことなく屈みこんできた。

「え! 違うよ! バカバカバカ、やめて!」
 優が慌てて両手を振りまわし、抵抗する。

「ぶふっ!!」
 次の瞬間、朱雀がこらえ切れなくなって口から水を吹きだし、腹を抱えてケラケラと笑い転げた。
「ふざけないでよね、バカ! 水がかかったじゃん」
「お前がすとろーとか俺に分からないことを言って偉そうにするからだろう、お会い子じゃないか」
 朱雀は笑いすぎてやや涙ぐむほどになっている。
「何が可笑しいんだか。私は怪我人だよ」
「怒ったときのお前の顔……、すっごいブサイクだぜ。まるで小鬼だな。なあ、もう1回さっきの顔してみて」
「はあ!? 無理だよ。本当に最低だね」
「ぶっ……ククク…」
 
 朱雀は完全に笑いの壺にはまってしまったらしく、優の怒る顔を見てケラケラ、ケラケラと笑うのだった。

「ちょっと何騒いでるの?」
 保険医の真理子先生が片手に湯気のたつ鍋を持って医務室に入って来た。
「ちょ、何よこの扉、草が生えてる。高円寺くん、これ、あなたがやったの? ドアが開け閉めしにくくなってるんだけど」
「僕ですよ。ガーデニングが趣味なもので、つい」
「へー」
 真理子先生はまともに朱雀と取り合わず、次の瞬間にはもう目を覚ました優に意識が集中しているようだった。

「具合はどう? 明王児さん」
「体中が痛くて、感覚もあまりないようで」
「ああ、大丈夫よ。骨折は一晩で治っているし、傷口もほぼ完全に再生したはず。ただ、修復された骨や組織はまだとても脆い状態だから、少なくとも1週間は包帯で固定して安静にすることが必要だけど。今日中には動けるようになるはずよ」
「そんなに早くに傷が治るわけ……」
「おバカさん、病は気からって言うでしょう? ほら、これを呑みなさい」
 真理子先生が、持って来た鍋から何やらスープのようなトロミのある液体を器に注ぎ、優の顔の前に差し出して来た。
 液体からはコンソメのような香ばしい香りが立ち上っているが、液体そのものの色は暗い緑色で、その上に油が浮いているように見えた。

「これ、何が入ってるんですか?」
 優はわずかに疑いの眼差しで真理子先生を見上げる。

「主にヒキガエルが入っているわ。傷の治りを良くし、滋養強壮にもいいの。身体がとっても温まるはずよ」
「私、ヒキガエルアレルギーなんです」
 と、即座に優が言った。

「魔法使いがヒキガエルアレルギーなわけないでしょう。抵抗したって無駄よ、さあ呑みなさい、いい子だから」

 魔法使いがヒキガエルにアレルギーを起こすわけがないだなんて、どうして言いきれるのだろうと疑問に思いながらも、真理子先生に頭を持ち上げられ、口に器を押しつけられては飲まないわけにはいかない。
「ン……」
「ほら、どう? すぐに効果が出るはずなんだけど」
「味がなくて、脂っこい……うえ、美味しくない……」

「マリー先生、そいつワガママなんで、甘やかさないでくださいね。じゃあ俺、そろそろ授業の準備があるので行きます。あ、あと、ドアのミルトスの葉、取らないでくださいね。一応、守りの魔法をかけてあるので」
「はいはい。一晩御苦労さま。今日も一日怪我のないようにね。いえちょっと違うわね。今日も一日怪我を『させない』ようにね」
 真理子先生はわざわざ最後の部分を言いなおして、朱雀を医務室から送り出した。



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