月夜にまたたく魔法の意思 第6話10
その日の朝一の授業で吏紀、空と合流した朱雀は偉くご機嫌だった。
「よお、眠らずの番はどうだった? その様子じゃ、何かいいことがあったな」
と空が挨拶代わりに言うと、
「どうかな、徹夜明けでテンションが可笑しくなっているだけじゃないか」
と朱雀よりも先に吏紀が異議を唱えた。
「別にご機嫌てわけじゃない。それより、昨晩、訪問者があったぜ」
「闇の魔法使いか?」
「本当に内部に裏切り者がいるんだな」
空と吏紀が途端に小声になって眉を寄せる。
「ああ。闇の魔法使いほど冷たくはなかったが、確かに冷気を漂わせていた。成りかけかもしれない」
「正体は見たのか?」
「いや、ドア越しに気配を感じただけだ」
「そうか……。まあ、一人で深追いしないで正解だったな。それより、被害はなかったんだろうな」
「あいつも美空も無事だ」
「それならいいけど、昼間は医務室にマリー先生だけだ。平気かな」
「医務室のドアに守りの魔法を張っておいたよ。よほどのことがない限りはあれで間に合うだろう。どのみち、あの魔法が破られるようなことがあれば業校長も俺もすぐに気づくさ」
「さすが、抜け目がないな」
今朝の授業は、魔法戦争の極意だ。実際の戦闘術とは違い、魔法戦争における心理や、状況に応じた対応を頭で理解するための授業で、ときに生徒同士の討論形式で行われることもある。魔法戦争学の播磨先生は教室に入って来るなり、生徒たちに出していた課題がクリアされているかをテストすると言い始めた。
生徒たちの机の上には1冊の分厚い辞典のような本が置かれていて、今回の課題は、1週間でその本を隅から隅まですべて読み、戦闘における極意を頭に叩きこんでくることだったのだ。
大部分の生徒たちは、テストをすると言われて緊張しているようだったが、朱雀、吏紀、空の3人はそうでもないらしかった。
「課題って?」
「ああ、この本だよ。俺のをやるよ、流和」
空が重たい革表紙の本を、スッと流和に差し出した。
流和は黙って本を受け取り、パラパラと全体をめくってみて溜め息をついた。
「魔法戦争学概論、ね。うんざりする……」
その横で、吏紀が永久に聞く。
「君はこの本、もう読んだ?」
「いいえ」
「そっか、じゃあ僕のを貸そう。大切なところには線を引いてあるから、少しは役に立つと思う」
「あ、ありがとう。でも、あなたはいいの? これからテストがあるんでしょう」
永久が小声で聞くと、吏紀がニコリと微笑んだ。
「大したことは書いてないから、もういいんだ」
「……そう」
「で、朱雀は本を持ってくることさえしてないくらいだから、完璧に暗記してるんだろうな」
自分たちの本を流和と永久にあげてしまった空と吏紀が一応確認のため朱雀を見やる。朱雀はニヤリと笑って二人に目配せした。
「嫌味なこと言ってくれるじゃないか。笑いごとじゃないんだぞ、こっちは大変なんだからな。財産も残さず親が闇の世界で好き勝手やってくれてるせいで、奨学金で生活している俺には、そんな無駄な本を買う余裕はないのさ。皮肉なものだよ、どんな天才でも、資金繰りには苦労させられるんだから」
「なんだよ、金に困ってるなら言ってくれれば良かったのに」
「いいさ、図書館で一度読めば十分だからな」
「おいおい一度って、一度しか読んでないのか?」
「俺がもし数え間違いをしていなければ、そういうことになるな」
朱雀が皮肉をこめて空に答えた。
「播磨はお前に目をつけているから、多分確実に当てられるぜ。それも答えられないようなエゲツナイ質問をさ。ご愁傷様」
空が同情するように朱雀を見つめた。それを、朱雀は面白そうに鼻で笑って跳ねのけた。
「望むところさ」
「では、先週教えた魔法戦争における極意の確認から始めよう」
魔法戦争学を担当する播磨先生は普段はローブを着ていない。ブイネックのシャツに、下はジーパンというラフな出で立ちで、左目に眼帯をつけているのが特徴だ。かつての魔法戦争で、友の命と引き換えにその左目を失ったという伝説が密かに囁かれているが、実際のところを知る生徒はいない。
「ちょっと、かっこいいね」
永久が流和の耳もとで囁いた。
「若い先生だけど、経験は豊富よ。見かけによらず厳しい先生だから、油断は禁物」
すかさず流和が釘を刺す。
今、播磨先生は教壇のデスクに浅く腰かけて足を組み、生徒たちを見据えながら先週の授業の概要を話し始めた。
「魔法戦争において最も恐ろしいことは、闇であるというのはすでに説明した通りだ。我々が相手にする敵は悪霊、闇の精霊、闇の魔法使いなど、常に邪悪な闇を持つが、その闇はときに、いとも簡単に我々の中に入り込むからだ。ともに闘っていた仲間が闇に引きこまれていく恐怖を味わったことのある者はいるか? おぞましい叫びとともに光が闇に変わって行く醜い姿を見たか? 自分が闇に引きこまれるかもしれないという恐怖を味わった者は? それは想像を絶するほど恐ろしいものだぞ。だが、健全な魔法使いは闇に対して無知で、無頓着なものだ。そこで、私は問う。一度闇に落ちた者を再び光の世界に連れ戻すことは可能か、否か」
一人の男子生徒が播磨先生に当てられ、立ちあがり、質問に答えた。
「自ら闇に向かった者を連れ戻すことは不可能です。正確には、未だかつて闇から光に戻った者は一人もいません。ただし、闇に支配されている者は光の力で解放することができます」
「では、闇に支配されている状態とはどのようなことをいう?」
「はい、自分の意思とは無関係に邪悪な力に操られている状態のことで、憑依や幻術、金縛りの魔術などがあります。あとは、何らかの枷をはめられて光の魔法を発動できなくなっている状態、あるいは、呪いをかけられている状態のことも、闇に支配されていると言うことができます」
「よろしい」
播磨先生に言われて、男子生徒はホッとしたように席についた。
「そう、自ら光を手放した者に、再び光を取り戻させることは不可能だ。では、このような場合はどうだ。まだ完全には光を失っていない魔法使いが、闇に魅せられ、我々の元を去ったとする。この場合、まだ手遅れではないと言えるだろうか。君たちの仲間がもし闇を求めて出て行ったら、どう対応するべきか」
また別の男子生徒が当てられ、答えた。
「自分から闇を求めて出て行ったのですから、追いかける必要はありません。段階はともかくとして、闇に落ちようとしていることに変わりがないからです。闇の魔法使いと一緒です」
「では、彼の意見に賛成の者は?」
教室中のほとんどの生徒が手を上げた。
ただ、朱雀を始め、吏紀、空、それに流和と永久は他の少数派の生徒たちとともに手を上げなかった。
「東雲空、君の意見はどうだ」
自分の名前を呼ばれて、空はゆっくりと立ちあがった。
「この本には、それが不可能だという記述はどこにもありません」
「だが、それが可能だという記述もどこにもなかったはずだ。君は、その点をどう考える?」
「どちらも事例があまりに少なく、この件に関する定説はないということだと考えます。確かに、闇に向かう仲間を救い出そうとすることにはいくつものリスクが上げられています。戦いになれば、こちらの覚悟が不十分なために帰り打ちになる可能性は十分にあり、同時に、闇に向かう仲間に巻き込まれて自分も光を失いかねないという危険があります。そう考えると例え仲間であっても見捨てる方が安全で、楽かもしれませんよね。でも俺は、仲間を簡単に諦めたくない。だから、仲間を連れ戻せるかもしれない可能性を信じます」
「よろしい」
播磨先生は無表情にそう言うと、空を席に座らせた。流和が嬉しそうに、空の背中を見つめていた。
「では次にこのような事例を考えてみよう。君たちの中で一番強い仲間が敵に倒され、連れ去られたとする。君たちの誰一人として、いかに力を合わせようともその敵に適わないことが明白な場合、連れ去られた仲間を助けるか、見捨てるか。もし連れ去られた仲間を助けることができなければ、その仲間は確実に死んでしまうことを前提とする。九門吏紀、君ならどうする」
「魔法戦争学の教えでは、敵わない敵には立ち向かわず、保守に回ることが大前提です。仲間を救出するためのあらゆる可能性を考え、作戦成功確率が60%以上あるときに、はじめて計画は実行されます。僕にはこの考えを否定する理由がありません。つまり、仲間を見捨てたと言われるかもしれないが、この場合は救出は不可能だと判断し、それ以上の被害が及ばないよう保守作戦へ移行します」
無機質に語られる理路整然とした吏紀の意見に、誰も反論しなかった。
「そうだな、本日はベラドンナ女学院から留学生が来ているのだったな。山口永久、君ならこの件に関してどう考える?」
突然自分の名前を呼ばれた永久は一瞬ビクリとして、おずおずと立ちあがった。
「あの、私……。わかりません」
「分からない? 僕の授業では、『わからない』は禁止だよ。助けに行くのか、行かないのか、選択は二つに一つだ。君ならどうする?」
「えー……と、」
永久は困ったように俯いた。
そんな永久の様子を見て、ダイナモンの生徒たちは誰もが不思議に思うのだった。直前で吏紀が完璧な答えをしたのだから、自分も同じ意見だ、と言ってしまえばそれで済むはずなのだ。何を悩むことがあるのか。
「黙っていては分からないぞ。選択することは、生きることだ。魔法戦争において、自らの選択を見極められない者は死に値する。さあ、答えて」
「あの、私なら、……助けに行くと思います。助けられるかどうか分からないし、私は魔法で戦いなんかしたことがないから、何も役に立てないかもしれないけど、それでも友だちを助けたい……」
「ほお、……。君は、どうしてそう考えたのかな」
播磨先生は珍しいものでも見るように、まじまじと永久を見つめた。
「もしも逆の立場だったら、きっと私の友だちは……、あの、優っていうんですけど、優は私を助けてくれたから」
「命を賭ける友情愛、か。なるほど、よろしい、席に着いて」
教室中がざわめき立った。
永久は泣きそうな顔で肩をすぼめて流和を見た。流和も永久を見て、少し涙ぐみながら笑っていた。このとき流和が涙ぐんでいたのは、それまで流和にはダイナモンで永久や優のような友だちがいなかったからだ。抑圧された授業の中で、本当に自分の思ったことを言い、大切なものを失わない本当の仲間。流和はそんな仲間を自分が持てたことを嬉しく思った。
「では最後にとっておきの質問をしよう。もちろん、この特別な質問に答えるのは、高円寺朱雀、君だよ。さて僕は問う。――生きることと、死ぬこと、君はどちらをより恐れるのか。 もし運命が戦いの末にある君の悲惨な死を予言したら、君は明日からどのように生きるのか」
教室中がシーンと静まり返り、何人かの生徒は答えを探そうと課題の本をめくるのだったが、吏紀や空はもちろん、朱雀も、そんなことは課題の本のどこにも書かれていないことだということに気づいていた。
播磨先生に当てられて立ちあがった朱雀は、優のことを思いながら手のひらに残っているナイフの切り傷を見下ろした。沈黙の山で予言の書と契約を交わしたときにつけたものだ。
あのとき、優が言ったことが蘇る。真っすぐな目をした優は、恐れることを恐れてはいないようだった。朱雀は肩をすくめて、手のひらをそっと握りしめた。
そして答える。
「生きることも、死ぬことも、同じように恐い。どうせ、恐いことばかりなら、ただ運命を受け入れて明日を生きる。たとえどんな運命が待ち構えていようと、ありのままでいい、自分自身で選びとって行く道を歩き続ける。……って、そんなことを言っている奴がいました。全部受け入れて、全部ひっくり返してやる。俺はその考えに賛成です」
「ほお……」
播磨先生はとても驚いた顔で朱雀を見つめた。何かが変わった、と播磨先生は思った。
朱雀の中で何か、とても大きな変化が起こっている。今まで氷のように冷たく自分の殻に閉じこもり、誰をも寄せ付けなかった朱雀が、熱を帯びている。
それまで朱雀を覆っていた悲壮とも言える影が、今は少し薄くなったようにも感じられる。
播磨先生が一瞬、わが子を慈しむような優しい目をした。
「驚いたな、実に君らしくない答えだ。だが、これまでに僕の授業で君が返したどの意見よりも、実に興味深い。君にそんな風に言った人に、僕も是非会ってみたいな」
「ダメです」
朱雀は先生に対してであるにもかかわらず、無遠慮に鼻で笑って席についた。
「そうか……残念だな」
朱雀に即答で拒否されたので、播磨先生が戸惑いの表情を見せた。
「よろしい、では、テストはここまでとしよう」
播磨先生はそう言うと、教壇の上のデスクから腰を上げた。
「かなり値の張る有名な本だが、こんなものには、実際の魔法戦争に役立つ論理はほとんど書かれていない。そもそも戦争における理論がたてられるのかどうかさえ、僕には分からない。一つ種明かしをしようか。僕がわざわざこの本を皆に読むことを強制し、テストまでしたのは、このような理論が実際の戦争ではいかに役に立たないかを実感させると共に、諸君がこのことに関してどう考え、選択するかを見極めたかったからだ」
播磨先生はそう言い、生徒たちの間を歩きながら分厚い背表紙の本を次々に回収していった。
「なぜなら、実践ではテキスト通りのことは起こらない。自分で考え、自分で選択し、自分の意思で皆行動するんだ。命を顧みず仲間を救おうとする戦い、被害を最小限にとどめ、多くの命を保とうとする戦い。どの選択が優れているかなんて、一体誰が決められる? いいかい、実際の戦いでは、誰にも答えの出せないことが次々に起こるだろう。その中で君たちは迷いながら、恐れながら、仲間とともに常に立ち向かわなければならない。――答えのない疑問に。これで本当に良かったのかという後悔に。――
君たちの決断、それがすべてだ。
では、健闘を祈る。本日の授業はここまで」
播磨先生は、生徒たちから回収した本をすべて暖炉の中に投げ捨てると、軽快に教室を出て行った。
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