月夜にまたたく魔法の意思 第6話11




 傷を早く癒すには眠りが一番だと言われ、優は昼まで医務室のベッドで心地よく過ごしていた。
 体中がまだズキズキ傷んでいたが、昨日の激痛とは比べ物にならないくらい良くなっているのは分かった。感覚がなかった左足も、今では自分で動かすことができる。

 隣のベッドでは美空も目を覚ましていたが、美空は優と違って医務室で時間を過ごすのがあまり好きではないと見えて、先ほどから何度も寝返りを打っては小さく溜め息ばかりついている。真理子先生は薬品庫の整理に行っていて、医務室には今、優と美空の二人きりだ。
 暖炉で薪の燃えるかすかな音と、薬缶から上気の上るシュウシュウという音だけが二人の間に流れていた。
「ねえ、暇ならゲームでもしない?」
 試しに優が話しかけてみると、美空が優に背を向けたまま面白くなさそうに答えた。
「何のゲーム」

「今一番食べたいものを一つずつ上げて、どっちの方が美味しそうかを競うの」
 優が提案すると、「バカバカしい……」と言う美空の声が、ほんのわずかに聞こえ、それきりまた沈黙になった。

「ハンバーグ」
「…………」
 もしかしたら乗って来るかもしれないと思って言ってみたが、美空は優の誘いにはのってこなかった。

「ねえ、好きな食べ物ってある?」
「お願いだから、話しかけないで」
 少し苛立ちの混ざる声で美空が言った。

「退屈なのかと思って」
「おあいにく様。あなたに付き合うくらいなら、退屈で死ぬ方がずっとましよ」
「ふーん」

 優は体をよじって上半身を起こすと、ベッドサイドにたれている赤と黄色の紐を引いた。カローン、カローン。
 鐘の音が鳴って、すぐに奥の部屋から真理子先生が出て来た。
「どうしたの、傷が痛む?」
 消毒液で手を洗って、医療用の前掛けで拭きながら、真理子先生が足早に優のベッドまでやって来た。
「お腹がすいちゃって」
「朝食にオートミールを食べたばかりじゃないの」
 真理子先生が呆れたように優を見下ろす。
「甘いものが食べたいんです。たとえば……プリンとか」
「プリン……? そう。食欲旺盛なのは良いことね。もう少しでお昼だから、それまで我慢なさい」

 真理子先生が忙しそうにまた奥の部屋に引きこもってしまったので、優は心底がっかりした。
 その時、ミルトスの葉で覆われた医務室のドアが勢いよく開いた。
「ちょ、何よこれ、ドア開けにくいなぁ。 あ、ハロ〜優! 差し入れ持って来たわよ」
「流和、永久!」
 ベッドに横になったまま、優は嬉しそうに二人の名前を呼ぶ。
「授業だったんじゃないの?」
「魔法戦争学の授業が早く終わったのよ。だから、二人で優の様子を見に行こうって。もうすぐ空たちも来るわよ」
「優、もう大丈夫? 私、本当にひどいことをして……、何て言っていいのか……」
 包帯でぐるぐる巻きの優を見て、永久がためらいがちにベッドに近づいて来た。
「永久のせいじゃないよ。あれは悪い魔法のせい」
「本当にごめんなさい。 私、これから一生懸命、光の魔法の勉強をすることにしたのよ。もう二度と、優を傷つけたくないから、……だからもう二度と魔女に操られないようにするから!」
「永久……」
 永久が自分のために魔法の勉強をすると言ったので、魔法反対派の優は複雑な気持ちになった。大嫌いな魔法に対抗するために、これじゃまるで魔法を勉強しなくちゃいけないように追い詰められていくみたいだ。
「魔法の勉強なんて……」
 優は口を尖らせて不服申し立ての意を表す。
「優、永久の気持ちを分かってあげて。少なくともダイナモンにいる間は、私たちには自分の身を守るための魔法が必要だわ。またいつ、昨日みたいなデュエルに巻き込まれるとも限らないし」
「試しの門は明日でしょ? それまでの辛抱なんだから、別にいいのに」
「そのことなんだけど、私ね、優。試しの門には私たち3人ともが受かるような気がするのよ……」
「嘘、そんなのあり得ないよ!」
「もちろん、ベラドンナにいたときは私だってそんなの全然信じていなかったんだけど、ダイナモンに来てからいろいろなことがあって、私、そう思うようになって仕方なくなったわ。だって優にも永久にも、ものすごい魔法の才能があるんだもの。ダイナモンに来てたった数日で、二人とも驚くほど魔法の力を発揮してるでしょう。だから、もし優と永久の二人が試しの門に受かるのなら、私だって受かって見せる。二人だけに魔法界の重荷を負わせたりはしない。私も一緒だから」
 流和が決心したように真っすぐな目をして話すのを、優は困った顔で見つめた。
「流和ったら、不吉なことを言わないでよ。ああ、どうしよう、傷がズキズキ傷み返して来た。うう……心臓が……、息が! 息ができない……」
「優のイヤイヤ病が始まったわね。突発性の発作だわ」
 永久が病人用のテーブルをベッドの上に開いて、その上に持って来た差し入れをすみやかに並べた。チーズハンバーグとフライドポテト、パンプキンパイ、それにチョコプディングとプリンも添えられている。
「ほら食べて。すぐに良くなるから」
「無理だよ、一口だって食べられそうにない……」
 優は両目を硬く閉じ、深くベッドに沈みこんだ。

「なんだ、じゃあこのプディングは俺が食ってやろう」
 いつの間にか姿を現した朱雀が、皿のスプーンを取り上げてチョコプディングを一口食べた。
 その瞬間、優が恐ろしい形相で目を見開く。
「ああ腹減ったな」
 空がハンバーグの皿からフライドポテトをつまんで食べた。
「ちょっと!」
「うまそうだな」
 吏紀も空と同じようにフライドポテトに手を伸ばして来たので、優がその手を叩き落として言った。
「そこまでよ! 人のをとらないで」
 その横で、チョコプディングを朱雀がもうひと口食べた。
「うまいな」
「何て事をするのよ! 返して」
 優が涙ぐみながら朱雀を睨みつけた。

「こら! 病人が寝てるのよ、何騒いでるの」
 騒ぎを聞きつけた真理子先生が怒った顔で奥から出て来た。
「朱雀が私のを盗ったんです!」
「盗った?」
「チョコプディングですよ。いらないって言うから」
 朱雀がケロっとした顔でスプーンを皿に戻す。

「もう、朱雀は優を怒らせるようなことばかりするんだから。わざとでしょう」
 流和が呆れて口を挟む。
「『いらない』なんて言ってない。『食べられない』 って言ったのよ。食べれるようになったら後で食べるはずだったのに」
 優が恨めしく朱雀を睨んだ。

「ふん」
 朱雀はあざやかに優の屁理屈を無視して、隣のベッドの美空の上にテーブルを広げると、その上でパチンと指を鳴らした。
するとテーブルの上に、湯気のたつスープと、焼きたてのパンと、海老のサラダ、子羊のソテーと、ティラミスが出て来た。
「ありがとう」
 美空が朱雀に微笑みかける。

「チョコプディングも出せる?」
 隣から一変、優が期待をこめた眼差しで見つめる。
「出せるのは、しまったモノだけだ」
 朱雀がニヤリとして優に答える。
「チョコプディングなんて、子どもすぎるからダメだ」
「……」
 途端に優がムッとする。

「優、夕食のときにまた持ってきてあげるからね」
「うん、そのときに何か本も持ってきてほしいよ。本を読みたい」
「はいはい、わかった。この学校の図書室にあるのを適当に何冊か持って来るね。それじゃまた後で」

 次の授業の時間を気にして、流和と永久はそうそうに引きあげて行った。
 優は二人が持ってきてくれた食事をもりもり食べると、満腹になって眠気がきたので、またすぐ横になった。
 隣のベッドで美空を囲み、朱雀たちが話している声が遠くで聞こえていた。やがて優が眠りに落ちてほとんど意識がなくなりかけているときに、朱雀が優に向かって何か言ったようだったが、夢うつつの優には聞き取れなかった。


 優が再び目を覚ましたときには窓の外はすっかり暗くなっていて、燭台に灯りがともっていた。かなり長い間眠っていたのだろう。
 隣を見ると、ベッドが綺麗に整理されていて、美空の姿はすでになくなっていた。きっと退院したのだ。

 優のベッドの上には昼間と同じようにテーブルが広げられていて、その上にクリームシチューとラザニヤとチキンのグリル、それにフルーツゼリーと、昼間朱雀に奪われたチョコプディングが置かれていた。まだ温かいので、少し前に流和と永久が置いて行ってくれたに違いない。眠っている優を起こさずに帰ったのだろう。
 サイドテーブルの上には、優がリクエストした本が5冊も積み上げられていた。

 優は小さく伸びをして上半身を起こすと、本を一冊取り上げて表紙を開いた。「愛すべき庭妖精」というタイトルの本だ。
 ページをめくり、とりつかれたように読み進めて行く。本を読むことは優の喜びだ。
 乾いたスポンジに水が心地よく吸い込まれていくように、本に綴られた文字は優の中に入ってくる。
 かなりページ数のある本だったが、庭妖精との付き合い方を余すことなく読み説き、やがて優は二冊目を手に取った。「実話に基づくドラゴンと魔法使いの冒険」
 これはとても面白い本だった。ドラゴンの特徴や、その接し方が体験に基づいて語られているので勉強になる。しかもその本は大昔に実在したドラゴンライダーが書いたものだったので、ドラゴンと共に世界中を旅した鮮明な記録が優の想像力をさらにかきたてた。

 昼間眠りすぎたせいなのか、どんなに本を読んでも眠気は全然やってこなかった。
 二冊目を読み終えてやっと空腹感を覚えた優は、すっかり冷めてしまった食事を口に運びながら、三冊目を開いた。「名もなき魔法使いの日記」
 その本を読みながら、食事を口に運ぶ優の手が止まる。
 どうしてなのか、とても懐かしい感じがする……。
 日記を綴っている名もない魔法使いは人間の女性に恋をして、魔法界から追放されるが、幸せな家庭を築きやがて一人の女の子を授かる。
「命を授かることは、なんという喜び」
 優の瞳から涙が溢れ出て来た。
 その魔法使いの喜びと優しさと愛が、文字の欠片たちから強く伝わって来るのだ。
 優は涙を流しながら、本に綴られている文字を指でなぞった。
 「私の愛する妻と娘に捧げる私のすべて。私は悟った。真実の愛を選び取った時、人は闇の恐怖に打ち勝つすべを知るのだと。魔法使いも人も、本当は何も変わらない、同じ命の源によって造られたものなのだ。だから弱く、だから愛が必要だ。私は決して後悔しない私の人生を切り拓いた。私は愛する限り、再び二度と闇の恐怖に脅かされることはないだろう。今、すべてが喜びに満ちている。命を授かることはなんという喜び。私たちの娘が人にも魔法使いにも優しい子になるように、私と妻は娘に――『優』と名付けた」
――著者の名は、明王児晴矢(めいおうじ ハレヤ)
 それは優のお父さんの書いた本だった。
「こんな本を書いていたなんて、知らなかったよ」
 最後のページを読み終え、優は静かに本を閉じた。
 涙がとめどなく流れ出て来る。優は声も出さずに、父の綴った、名もなき小さな本を胸に抱えて枕に顔を沈めた。

「人にも魔法使いにも優しい人になんて、本当になれるの……? 私、魔法使いは大嫌いなのに。こんな気持ちで……お父さん、お母さん。……会いたいなあ」
 優は布団の中でボソボソと呟いた。
 魔法使いを嫌い、魔法に対して頑なに心を閉ざしている優の姿を見たら、お父さんは何て言うだろうか。
 今の優はわがままで、捻くれていて、不機嫌に抵抗ばかりしている。とても優しい子ではなかった。
 永久は優のために魔法を勉強すると言った。
 流和は、優たちが試しの門に受かるなら自分も受かって見せると言った。
 みんな誰かのために犠牲を払おうとしている。 一体優には何ができるだろうか。

 優は一晩、眠らずに考え続けた。



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