月夜にまたたく魔法の意思 第6話12





 空が白みだす前に、優はベラドンナの制服に着替えた。
 そうして優はベッドの前で膝をつき、両手を組んで目を閉じた。小さな頃に母が教えてくれたのだ、悲しい時にも嬉しい時にも、神様にお祈りをすること。
本当は分かっていたんだ。魔法使いも人間も同じ人間だって。優が魔法使いに対して抱く憎しみなど、この悲しみに対する何の解決にもならないこと。

 この世界のすべてを創造した神様は、造られたすべてのものに意味を込めた。無意味なものなんて、一つも存在しない。魔法使いも、人間も、等しく大切な存在だ。
 いつから人々は自分と違うものを退け、いがみ合うことを覚えたんだろう。
 このひび割れた世界で、人と魔法使いの間に生まれた優にもまた意味があるはずだ。
――人にも魔法使いにも優しい子になるように。
 優の両親は優の誕生を心から喜び、優の人生に期待してくれたんだ。優はその期待に応えたい。

「今まで悪い子でごめんなさい。私のお父さんとお母さんを悲しませるような生き方は、もうやめます。
どうか私に悲しみを乗り越える勇気をください。魔法使いを赦す勇気をください。人のことも魔法使いのことも受け入れる勇気を、邪悪な魔法使いと戦う勇気をください。
ありのままの自分で生きるために前に踏み出す、……勇気をください。
今日から私は、偽りのない自分の人生を歩んで行きます。だからどうか、私の大切な友だちを守ってください」

 優の頬を涙が伝い落ちた。
 メソメソ泣くのは今日が最後だ。

 一晩考えて、優は今自分にできる最善のことをしようと思った。力の限り前を向いて、闇と闘う。人にも魔法使いにも優しい、ありのままの優自身になる。
 いつか人々が優を認めてくれるようになったら、そのときは優は胸を張って言うつもりだ。
 「私の母は心の優しい『人間』で、私の父は愛に溢れた『魔法使い』だった」 と。


 涙をぬぐい、優は立ちあがった。決意に満ちた瞳が、紅色に輝く。
「見てて、お父さん、お母さん。やってやるわよ」
 優は肩にかかった髪を後ろに掻きあげると、小さく深呼吸してから医務室の扉を開いた。そして勢いよく廊下に出るといきなり誰かにぶつかり、抱きとめられた。

「っ……」
「うわッ」

 急停止して、自分よりも背の高いその人物を見上げると、至近距離で目があった。ちょっと驚いて優の顔を見おろしているのは、朱雀だ。
「おはよう」
 優は少しぶっきらぼうに挨拶すると、すぐに気を取り直して、真っすぐに前を見て歩き出そうとした。
「ちょっと待て、どこへ行く気だ」
 朱雀が優の腕をつかみ、引き寄せる。

 優は振り向き、答える。
「試しの門へ」
「……。お前、何かあったのか」
 掴んだ腕を放さずに、朱雀が優の顔を覗きこんできた。
 優は少し首をかしげて朱雀を見た。もしかして心配してくれているんだろうか。たくさん泣いたせいで、腫れぼったい顔をしているからかな。
 でもいつもの朱雀なら、優が泣いたくらいで心配するはずがない。

「別に何もないよ。私は大丈夫。夜明けと同時にテストが始まるって校長先生が言ってたから、もう行かないといけない」
 優の言葉に、朱雀はますます怪訝な顔をしたが、優が再び歩き出すと朱雀も隣に並んで歩き出した。

 そうして二人で並んで歩いて北の塔の石壁の間に向かう間、二人とも何も喋らなかった。
 朱雀は何か言いたそうにしながら何度も優のことを注意深く観察するのだが、優は前だけを見て歩いていたので、そんな朱雀の様子には気付かない。
 やがて北の塔の長い階段を上り始めたところで、しびれを切らした朱雀が突然足を止めた。

「――優」
 朱雀に名前を呼ばれ、優は、はたと足を止めて階段の下の朱雀を振りかえった。
 名前で呼ばれるのは初めてなので、ちょっとビックリする。
「どうしたの?」
 ひとの名前を呼んだくせに、朱雀は真っすぐに優を見つめるばかりで何も言ってこないので、そのまま二人で無言で見つめあうことになる。
 やがて優が耐え切れなくなってクスッと笑った。
「何なの、変だね」
 優に言われ、朱雀が少し頬を赤らめて困った顔をする。
「変なのはお前だろう。おかしいぞ」
 朱雀は制服のポケットに両手を入れると、階段を一段飛ばしで上ってきて優に追いつき、また二人で並んで歩き始めた。

「昨日、俺が迎えに行くと言ったのをちゃんと聞いていたのか?」
「あ、そう言ったんだ。夢うつつだったから、ちゃんと聞いてなかった」
「やっぱりそうだ。お前はどうせ、俺の話をちゃんと聞いてないだろうと思ったよ。でもじゃあ、なんで時間どおりに医務室から出て来た? 俺はてっきり、今朝はお前をベッドから引きずりだして試しの門まで連れて行くのに一苦労させられると思ってたんだ。お前はぜったいに抵抗すると踏んでたのに」
 朱雀らしくなく、よく喋る。

「わがままを言うのはもう、やめたの」
 優がボソリと答えた。
 朱雀が真顔になってまた優の顔を覗きこむ。

「なんで」

 嘘やごまかしの通用しない、射抜くような目だ。
 あらためて朱雀に問われると、優の中で一晩で思いめぐらした様々な考えや感情が蘇って来る。そして、優の瞳にまたうっすらと涙が滲んできた。
――もう泣かないと決めたのだ。
優は真っすぐに前だけを見て歩き続けた。

「前に進むって決めたから」

 決意に満ちた優の眼差しに、朱雀は言葉を失い、また足を止めた。

「……。」

 朱雀の遅れに気づいた優が、
「早くしないと、おいていっちゃうよ」
 と、階段の上からイタズラに笑った。

 昨日とは違う優の様子に、朱雀は動揺した。
 医務室から出て来た優と目があった瞬間に、朱雀は優の変化に気がつくことになった。
 優のシュコロボヴィッツの瞳はこれまでにないほど紅に染まり、朱雀に対してでさえどことなく優しい光を向ける。変化はそれだけではない。優の内なる炎の力に、これまであった迷いがなくなったのだ。そのせいで優の炎の熱がこれまでよりも強くはっきりと朱雀には感じられる。
 失われかけていた魔力が、再び息を吹き返そうとしている。命に溢れる優の炎に、朱雀の内なる炎までがゆさぶられる。
 二人で並んで歩きながら、朱雀は何度も確かめるように優を見つめた。――マリー先生に薬でも盛られたのか? たとえば、素直になる薬とか。いや、まさか……。

 優の変化は外見にも表れていた。魔力が増したせいで、いつもは毛糸玉のようにボサボサにからまった髪が、今朝は星屑を散りばめたみたいに艶を帯びてキラキラ光り、絹糸みたいに柔らかな髪の一本一本が、本物の炎のように美しい巻き毛になっている。
 思わず優の髪に触ってみたい衝動にかられたが、なんとなくそうすることが躊躇われて、朱雀はもどかしい気持ちになる。

 朱雀は今までに感じたことのない胸の高鳴りを覚えた。こんな感覚を、朱雀は今まで他の誰にも感じたことがない。

 やがて石壁の間につくと、すでに多くの生徒が集まり人だかりができていた。
 優と朱雀が並んで入って行くと、皆が自然に道を開ける。真っすぐに前を見つめて歩く優と、その少し後ろを、両手を制服のポケットに入れて歩く朱雀の姿に、多くの生徒の視線が集まった。炎の熱気が空間に満ち、周囲の生徒たちが圧倒されて一歩下がる。

 優と朱雀の二人を見つめる生徒の中に、吏紀、空、流和、永久もいた。
 二人がいつもと違う雰囲気を漂わせているので、吏紀たち四人はしばらく優と朱雀の二人を遠くから見つめていた。
 広間で流和と永久の姿を探しているらしい優に、朱雀が吏紀たち四人のいる場所を教えたようだ。魔力探知能力を持つ朱雀には、人ごみの中から吏紀たちの居場所を探しあてるのもお手のものだ。

「流和! 永久!」
 親友の姿を見つけると優がパッと笑顔になって、流和と永久のもとに駆けて来る。朱雀もゆっくりと優の後に着いて来た。

「よお」
 空が朱雀に視線を向けると、朱雀は挨拶代わりに空と吏紀の二人を見返した。
「思ったよりも早かったな」
 石のオブジェにもたれていた吏紀が腕を組み、チラリと優を見てから、朱雀に言った。
「何があったんだ」
 吏紀も一目で優の変化に気づいたようだ。
 朱雀は肩をすくめただけで吏紀の問いかけには答えず、ただ吏紀や空と同じように優を見つめただけだった。

 今、優はいつものように流和と永久との会話に夢中だ。
「怪我はもういいの?」
「うん、もうほとんど痛くない。魔法の治療って本当にすごいね。こんなに早く傷が治っちゃって、後で後遺症が来ないかどうか恐いくらいだよ。流和と永久は大丈夫?」
「大丈夫、マリー先生の腕は本物よ。こんな傷すぐ治るわ」
 と、流和が包帯の巻かれた腕を上げて見せた。
「私も平気。でも優は、しばらくは安静なんでしょう? 無理しないでよね」
 永久が心配そうに言う。
「もちろんだよ。安静にすることには慣れてるから、心配しないで。そうだ、昨日の夜、夕食を運んでくれてありがとう。あと、本も。おかげさまで今日は寝不足だよ」
「まさか優ったら、朝まで本を読んでたの?」
「えへへ、読んでたよ」
「まったくこの子は!」
「ねえ知ってる? 庭妖精は甘い物が大好きなんだって」
「へえ〜、庭妖精ならこの学校にもたくさんいるわよ。後で見に行く?」
「うん!」
「私も行きたい!」

 これから試しの門の試練がるというのに、優、流和、永久の三人は女子特有のテンションでキャッキャと話している。
 流和や永久と話しているときの優からは、さきほどまでの近寄りがたさは感じられない。いつも通りの優だ。
 朱雀は少し安心したように優から目をそらした。
「もしかして、優に惚れた?」
 と、いきなり空が無愛想に言ったので、朱雀が眉をしかめる。
「唐突だな……」
「なんとなく、なくもないかな、って、直感。どうなんだ」
「分からない」
 朱雀は空に答えなかった。

―― 「分からない? 僕の授業では『分からない』は禁止だよ。……選択することは生きることだ」
 朱雀も空もそれから何も言わなかったが、二人とも昨日の授業で播磨先生が言った言葉を思い出していた。



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