月夜にまたたく魔法の意思 第6話13





 日の出と共に、ダイナモンの生徒で溢れる石壁の間に、一羽の灰色の鳩が舞い下りて来た。
「そろそろだな」
 石のオブジェに寄りかかっていた吏紀が体を起こすと、朱雀と空も前方に目をやる。
 直後、幾筋もの光が彼らの頭上を飛び抜けて行った。
 紫、黄色、緑、白、ピンク、ブルー、琥珀色……色とりどりの光は、灰色の鳩を追って、広間の前方に降り立った。

 前方の石の柱の上で、鳩がゴム人形のように膨れて人の姿に変わるのが優にも見えた。濃い赤紫色の派手なローブに身を包んだ猿飛業校長だ。
 校長の周りには時の賢者ゲイル、桜坂教頭、魔法戦争学の播磨先生、魔法魔術学の神原先生をはじめとする、ダイナモン魔法学校の先生たち数十人が大集合している。
 試しの門で怪我人が出ることを考慮してか、その中に保険医のマリー先生もいた。

 「これより試しの門の儀を執り行う。最上位の石を持つ者、および、意思ある者は前に出よ」

 いよいよ始まるのだ。
 稲妻のように轟く業校長の声を合図に、それまでざわついていた石壁の間に静寂が張り詰めた。

 朱雀が前に進み出た。迷うことなく、真っすぐと。
 吏紀と空が、ためらうことなくそれぞれの歩幅で歩いて行く。

 互いに声をかけ合うことはない。
 ここからは、それぞれの試練だ。と、みんなそう思っていた。
 流和はゆっくりと優雅に、確かな足取りで前に進み出、永久は緊張したように、だが揺るがない決意を胸に出て行くのが、優には分かった。
 優は束の間、自分の前を歩いて行く仲間たちの背中を見た。
――こうやってみんな、自分の足で歩いて行くんだ。
 性格が捻くれていて、横暴な朱雀も。
 冷静すぎる優等生の吏紀も。
 キザで坊っちゃん気どりの空も。
 多くの痛みに苦しんだ流和も。
 泣き虫な永久も。
 そして今、わがままな優も前に進み出る。
 踏み出せば、これまでの生活とはガラリと変わる非日常が訪れるのだという確信が迫って来る。それでも、前へ、前へ。進むんだ。

 美空が人ごみをかきわけて出て来て、優の前を歩いて行った。別の方角からはダイヤモンドを持つ東條晃が。
 他にも最上位の石を持つ魔法使いと、意思ある魔法使いが五、六十人ほど前に進み出て来たので、優は人ごみに呑まれて流和や永久を見失ってしまった。
 試しの門を受けない他の生徒たちは遠巻きに優たちを見守っている。

 播磨先生を筆頭に、六人の先生が円をつくって立ち、一斉に杖を召喚した。その瞬間から、アメジスト、エメラルド、サファイヤ、瑪瑙(めのう)、オパール、真珠の六つの力が円の中心に向かって物凄い勢いで凝集していくのが感じられた。強い引力が発生し、円の中心に向かって空気が吸い込まれて行く。見守る生徒たちは自分の体が吸い込まれないように、足を踏ん張った。
 優は集団の後ろの方にいたから良かったものの、前方の方にいた朱雀や、それに流和や永久は大丈夫だろうか、と心配になった。

「エラーキュアム テンパス テラス イアヌアム……」
 先生たちが順に、聞きなれない言葉を唱え始めた。
「何をしようとしてるの?」
 優が思わず口を開くと、優のすぐ隣で、
「『門よ開け、時空のかなたから』って言ってる。あれはラテン語だ。時空の扉を開こうとしているみたいだ」
 と誰かが言った。
「へえ……」
 優が声のした方を見ると、一人のダイナモンの男子生徒が優を見て微笑んだ。まだ少し幼さの残るその青年の顔から、人当たりの良さそうな印象を受けた。
「はじめまして、僕は地ヶ谷三次(ちがや サンジ)。三次と呼んでくれていい」
――大地のオパール。
 地ヶ谷三次と名乗った青年の力を、優はすぐに見抜くことが出来た。
 それは朱雀や空、吏紀がかもしだしている雰囲気とは全然違う。もっと素朴で、誰にでも優しい光。三次というその男の子には、優がそれまでダイナモンの生徒から感じていた気どったところが全然ない。
「僕は最上位の石は持っていないけど、試しの門を受けて見るつもりなんだ。最初からそう決めていた」

「はじめまして。私は明王児優」
「知ってる」
 三次は少し笑って、握りこぶしをスッと優の前に出して来た。
「なに?」
 優が聞くと、三次が逆に首を傾げた。

「なにって、はじめましての挨拶。握手のかわりに、拳と拳をタッチするんだ」
「そんなのやったことない」
「そうか。じゃあきっと、僕の仲間うちだけで流行ってるんだな」
「ふーん、そうなんだ」
 試しに優が手を握ると、三次が優の拳にコツンと自分の拳を合わせてきた。
「よろしくっ」
「うん! よろしくね」
 と、優も元気に答えた。三次とはすぐに仲良くなれそうな気がした。
 そうやって優が三次と話しているうちに、試しの門を受けるつもりの生徒全員が、六人の先生たちの周りに集合し終えた。すると、最後に播磨先生が叫んだ。

「ドーア ラティオ!!」

 瞬時に床に五芒星が浮き上がった。
 ゴゴゴゴゴ――
 岩の擦れる音がしたかと思うと、優たちの立っている地面が揺れ動き、床の五芒星から光が溢れ出て、辺りが真っ白になる。
 優が眩しさに目を細めて前方を見ると、円になった六人の先生たちの真ん中の、五芒星の中に、七色に輝く大きな石の箱が霞ながら現れ、やがてそれが確かに肉眼で見ることのできる実体となった。
 巨大な石の箱は六角柱になっているようで、小さな家くらいの大きさがある。
―― あれが試しの門?
 そのどの面にも入り口はなく、箱の上部には奇妙な彫像が四体、据えられているのが見えた。四体の彫像はそれぞれ四つの顔を持っており、一つは人の顔、一つは獅子の顔、一つは牛の顔、そして一つは鷲の顔だった。さらにその彫像には一体ごとに翼が四枚ある。どの彫像も二枚の翼で体を多い、残り二枚の翼を天高く広げている。優はその姿を以前に本で読んだことがあった。そう、あれは古の聖なる書にその存在が記録されている、守護天使ケルビムの彫像だ、と優は思った。守護天使ケルビムは、神の契約の箱を守ったり、隠されたエデンの園で命の木を守っている、いつも特別に大切なものを守るために神が配置する天使だ。まさにその守護天使ケルビムが、今、優の目の前で七色に輝く箱の上に四体もいる。


「我々の力で時空の扉を開いておれる時間には限りがある。意思ある者はすみやかに前に進み、門をくぐり、また戻れ」

 業校長がそう言うので、試練を受けようとする生徒たちは円の中に入って、六角柱の箱に近づこうとした。だが、優の前を進んで行った生徒たちが後ずさり、すぐに引き返してきた。
どうしてなのか分からず、 優は引き返してくる生徒たちを迂回して箱に近づいた。すると、多くの生徒たちが箱に近付けなかった理由がすぐに優にも分かった。なんと、箱の周りを、炎に包まれながら回転する剣が飛び回っているのだ。その剣には無数の目がついており、箱に近づこうとする生徒たちを退けている。
 円の中に入るとすぐに優の目の前にも炎の剣がやって来たので優はハッとして足を止めた。剣の炎があまりに熱く、さらに剣の動きがあまりに高速なために、剣が飛び回ると周囲の空気がパンパンッと破裂した。優の目の前にやってきた剣は、魔法や物理攻撃で退けられるものではない、と、優は直感した。もっと巨大な力、聖なる力がその剣を動かしているのだ。
 剣は優の前で速度を緩め、ゆっくりと回転しはじめた。剣についている無数の目が優を見ている。エメラルド色をした目。目はまばたきをしない。
 進むべきか、退くべきか。これじゃあ進めない、と優が思った時。
 
 パンパンッ!――
 回る炎の剣が音をたてて優の前からいなくなった。
 理由は分からないが、進んでも良いということなのだろう。優は進み、箱の前まで行くことが出来た。

 優は探りながら、七色に輝く巨大な箱の周りを一周してみたが、試しの門と言っていたにもかかわらず、門らしき入り口はやっぱりどこにも見当たらない。
 流和や永久、それに朱雀や吏紀や空の姿も見えない。他の生徒たちの姿も。
 今、円の中で七色の箱の前に立っているのは優一人だけのようだ。円の外側には六人の先生と、その向こうにダイナモンの生徒たちが見守っている。
 どのように進めばいいのか分からないので、優は考えあぐねて目の前に立ちはだかる七色の壁を見上げた。壁、壁、壁、どの面も壁だ。
 すると、頭上の天使ケルビムの彫像がギロリと優を見降ろして来た。
 いきなりのことに、優はビクっと飛び上がった。彫像だと思ったのに、まさかこれは、本物の天使なのだろうか……?
 天使は柔らかな動きで巨大な体をかがめると、その大きな翼で優を覆い、優の顔を覗きこんできた。生き物ではない……透き通るようにキラキラしているのだが、天使は確かに優の前に存在している。その存在の大きさに、優は恐れを感じた。
 ケルビムは優に囁いた。

――「進む扉はそなた自身の心にあり、帰る扉は真の光の中にある。試しの門は内側から外側に開くときに成就する」
 
 天使が身を起こし、元の場所に戻ると、七色に輝く箱の面に優は自分自身の姿が写っているのを見た。
 痩せっぽっちで、わがままで、弱虫の自分の姿だ。そんな自分が嫌になる。
 だけど、炎の魔法使いだ。心の優しい人間と、愛に溢れた魔法使いの間に生まれた、本物の炎の魔法使い。
 七色の面に写る頼りない自分の姿に、優はスッと手を伸ばした。
 こんなちっぽけな優だけど、父と母の面影を受け継いでこれから生きて行く。そのために前に進もうと決めたんだ。
「進む扉は、私の心の中に」

 優の手が箱の面に写る優自身の姿に触れた時、優は音もなく箱の中に吸い込まれていった。


 石壁の間では、箱を取り囲み魔力を集中している播磨先生たち六人と、その周りでダイナモンの先生たちと、猿飛業校長が見守っていた。
「何人、中に入った?」
「全部で十人です」
 と、播磨先生が答える。

「そうか。あとどれくらい時間が残されておる」
「もうそんなにもちません。せいぜいあと、三、四分、もつかどうか……」
 業校長の問いかけに、箱を囲む先生たちが苦しそうに答える。
 業校長がダイヤモンドの杖を出し、輝く杖を掲げた。すると、床に描かれた五芒星が輝きを増し、試しの門と呼ばれる七色の箱も一層煌めいた。
「わしも力を貸そう。もちこたえるのじゃ。どうか、あの子たちが無事に戻るまで」




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