月夜にまたたく魔法の意思 第6話14
魔法使いは不思議なものだ。目には見えない彼らだけの扉があって、そこから出たり入ったりするのが常なのだから。
箱の中に吸い込まれた優は、ぼんやりとそんなことを思った。
薄暗い。
靄がかかっているのか、視界がとても悪い。時折、いろいろな色の光がキラキラと瞬いては消えてゆくのが見える。
声が聞こえる。――多分、人の声だ。戦場の中の人々の怒鳴り声や、……叫び声、胸を締め付ける悲鳴が聞こえる。
夢のようにうつろな影がゆらめき、優は自分が幻を見ているのだと悟った。試しの門は過去や未来を見せ、そこを通る者に選択を迫ると猿飛業校長が言っていたっけ。
「流和……?」
はっきりと耳に届いた悲鳴の中に、優は親友の声を聞きとった。
広大な大地の真ん中に、流和が倒れているのが幻として見えた。すぐ近くに空がいる。二人はマントとローブを身にまとい、まるで本物の魔法使いみたいだ。
空がエメラルドの杖を構えながら、泣いている。何かとても恐ろしいものが二人に迫っているのが、優にも分かった。はやく、その場所から逃げなければいけないはずだ、と優は声を絞り出す。
「逃げて! 空、流和を連れて、逃げて!」
だが空は動かない。
大地に倒れて動かなくなった流和の前に立ち、泣きながら杖を構えている。
「逃げて!」
だが、優がそう叫んだとき、幻は消えて、かわりに別の幻が光り出した。
「永久?」
見ると、永久の美しかったダイヤモンドの杖が、輝きを失って打ち捨てられていた。その傍らに、仰向けに倒れている永久がいる。死人のように真っ青だ。優は、永久が死んでいるのだと瞬時に悟った。誰かが、倒れている永久に近づこうと地面を這っている。――吏紀だ。ひどく顔色の悪い永久とは対照的に、吏紀は血まみれで、思うようにならない体を引きづり、永久に手を伸ばす。だが、二人が触れあう前に、吏紀は力尽きて動かなくなった。
優は声も出せずに、幻を見続けた。
死の恐怖が闇となって優に襲いかかって来る。辺りがどんどん暗くなって行く恐怖に叫びだしそうになったとき、優の目の前に炎の瞬きが見えた。
「朱雀!」
すがるように炎の光に近づこうとした優だが、次の瞬間、それが朱雀ではないことに気がついて後ずさる。
――『阿魏戸、お前は私からあの子を奪うつもりか』
――『お前にあの子は育てられまい、晴矢』
お父さんの声。実際に見たわけじゃないのに、いつも同じ夢を見る。
――『燈子、優を連れて逃げろ!」
――『お願い、やめて!! いやあああああ!!』
――『妻に手を出すな! うああああああ!!」
霞の中から、黒い髪を炎のように巻きあげた男が姿を現す。騒ぎを聞きつけた人が気を効かせて呼んでくれたパトカーのサイレンの音。
幻の中に優の両親を殺した阿魏戸の姿が浮かび上がった。黒い瞳は燃えるように煌めき、整った顔立ちに、口元を傲慢に歪めている恐ろしい男。でもその男を、優は幻の中で初めて見た気はしなかった。もっと優がよく知っている人物、同じ炎の魔法使い……その面影は、朱雀にそっくりだ。
優の両親を殺したのは朱雀の父親なのだ、というひらめきが優の中ですぐに確信に変わって行った。
そして、幻の亜魏戸の隣に、優が想像した通りの朱雀が浮かび上がった。
「朱雀……」
だが朱雀は優の呼びかけには答えない。阿魏戸が朱雀の肩を抱き、闇の中に連れて行く。
「朱雀、行っちゃダメだよ」
――『一人では、どうにもできないことがあるんだ……』
朱雀は悲しそうに優を振りかえると、そのまま闇の中に消えてしまった。救い出そうと伸ばした優の手は届かなかった。
「どうしよう、みんな、バラバラになっちゃう」
優の呼吸が速くなり、暗闇の中でパニックになる。
すると今度はすぐ耳もとで、ポロポロと透き通る声音が、悲しげに歌うのが聞こえてきた。
――『こうして魔女は復活し、立ち向かう者は必ず死の淵に追いやられる。
魔女の封印には命の代償を。
最初にサファイヤが消え、次にエメラルドが欠ける。
ダイヤモンドとアメジストは大地に倒れ、起きあがれない。
最初のルビーは光を失い、最後のルビーは黄泉に下る。
彼らは二度と戻ることはないだろう』
ゲイルの予言の書に書かれていた内容だ。
また別のぼんやりとした光が優の目の前に広がっていく。その中に優は、水辺のほとりにうつ伏せになって倒れている人影を見た。
驚くことはなかった。それは優自身の姿だ。たった一人で、泥にまみれて、ちっぽけに大地に横たわる、自分の死にざま。
その最後の幻を見た時、優は何故か心が落ち着いて行くのを感じた。
他の誰か大切な人の死ではない自分の死のほうが、優にとっては受け入れやすかったのかもしれない。
―― 「偽りの決断には命の代償を。汝、進むか否か」
声なき声が優の心に問いかけてくる。答えはすでに決まっていた。
優は答えた。
「進む」
―― 「汝の決断は真なり」
突如視界が開けて、優は辺りを見回した。まだ薄暗い六角柱の箱の中にいるのは間違いないが、すぐ近くに流和や永久、それに朱雀、吏紀、空がいるのが見えた。
「優!」
「みんな!」
互いに互いの存在に気づき、名前を呼び合う。
「流和!」
「空」
「永久」
「吏紀」
「朱雀」
仲間に駆けより、優はホッと安堵する。そんなに長い時間ではなかったはずだが、一人きりでとても心細かったのだ。
「こんなに近くにいたんだね」
みんながどんな幻を見たのか、優は気になったが、今は触れないことにした。みんな、とても顔色が悪く、汗をかいている。きっと優が見たのと同じようなひどい幻を見たのだろう。
「再会を喜んでいる暇はないわよ。ここからどうやって出るのかを考えなくちゃ」
美空の声に緊迫感が漂う。
「ちっくしょう、来るんじゃなかった! 外では先生たちが時空の扉を維持するために最大限力を尽くしてくれているんだろうけど、消耗する魔力は半端ないものだ。いずれ限界が来て扉は閉じる。それまでに出られなかったら、俺たちは箱に閉じ込められたままお陀仏だな!」
ダイヤモンドの杖で壁をたたきまくっている東條晃が苛立ちのこもる口調で言った。
「っていうか何でお前がここにいるんだ、東條。負け犬のくせに」
と空がぼやく。
「空、その話は後だ。俺たちが置かれている状況は想像以上にやばい」
吏紀がそう言った時、足もとがズズズと揺れた。
「本当、これはヤバそうだ」
そう言った声の主を振りかえり、優が歓声を上げる。
「三次!」
「優、友だちができたの?」
「誰だよ、三次って」
「うん、ここに入るちょっと前に知り合ったの。三次も中に入れたんだね! すごいね!」
「それはどうかな。僕は早くもビビってるよ」
三次が優を見てへへへと笑った、直後。
――ズドーンッ!
地面が大きく揺れて、地震のように箱の中全体が揺れ始めた。そればかりか、何か強力な力にも引っ張られてみんながバランスを崩した。
「時空にひずみができてる! 吹き飛ばされないよう、みんな掴まれ!」
吏紀が叫ぶ。
優はすぐに三次に手を伸ばした。だが、三次と手をつなぐ前に後ろから誰かに抱き寄せられて身動きができなくなる。
薄暗かった視界がみるみる暗くなり、すぐに何も見えなくなった。
だから目で見て確かめることは出来ないが、それでも優は抱きしめられる温もりに、それが誰なのかをすぐに悟ることができた。
そしてその温かさに心底ホッとしている自分に、少し驚く。
優の両親を殺したのは朱雀の父親なのだ、という考えが頭をよぎるが、闇の魔法使いになった朱雀の父親と朱雀自身は、多分、違う。それにきっと朱雀自身でさえ、その父親が優の両親を殺したことを知らないのだ、と思った。だから憎しみや悲しみを朱雀にぶつけるのは間違っているし、優はそんな風に誰かに八つ当たりして生きるのはもう辞めると心に誓ったのだ。誰の子どもだとか、魔法使いだとか人間だとか、そんなのはもうどうでもいい。優自身の目で何が正しいことなのかを見極めて、前に進んで行くんだ。
後ろから回されている朱雀の腕にそっと触れて、優は口を開いた。
「流和、永久、大丈夫?」
「流和は任せろ、俺がしっかりおさえてる」
と、流和の変わりに空が答えた。
「永久は?」
「平気、だと思う」
と、今度は吏紀が。
「平気よ」
とすぐに永久が答える。
「東條は死んだか。ざまみろだな」
「ふざけないでくれ、ちゃんとここにいるぞ」
「三次?」
「平気だよ。えーっと、名前は分からないんだけど、ちゃんと手をつないでる」
「桜よ」
と、静かに聞きなれない女の子の声が答えた。
「美空、いるか」
最後に朱雀が聞くと、美空が不機嫌に答える。
「もちろん、平気」
揺れがひとまずおさまり、みんな少し冷静さを取り戻した。
「さーて、どうやって出るか」
「誰も知らないのか?」
「聞いたこともないね。説明もなかったし」
「そもそも入るのだってどうするか分からなかったよね。みんなはどうやって分かったの? 私は天使に聞いて、・・」
「「「「天使?」」」」
「何のことだ」
と耳もとで囁かれる。
「天使が入り方を教えてくれたんだよ」
「そりゃ入るのは簡単だったわよ。教えてもらわなくても、壁に触れただけで吸い込まれたんだから」
「ちょっと待て、天使が入り方を教えてくれたってことは……もしかして、天使は出る方法も教えたんじゃないのか?」
「言ったような気がするけどね……」
優はしばらく考え込んで、
「忘れちゃった」
と言った。
「はあ? 頼りにならないやつ。お前のそういうどんくさいところ、イラっとさせられる。流和の親友でなきゃ今頃は……」
「空」
と、流和が小さな声でたしなめる。
「忘れたのなら思い出せるだろ。今すぐに思い出せ。天使は何て言った」
朱雀があまりに近いところで優に囁くので、優は気が散って身じろいだ。
「えーとね、天使ケルビムは、……進む扉は、私自身の心にあるってことを言ったね」
「俺たちが知りたいのはその先だ」
ゴゴゴゴゴ、と、またしても時空の歪みを知らせるあの揺れがやってきて、優は焦る。
「ちょっと待って、焦らせないで! えーと、帰る扉は、……」
「優がんばって!」
暗闇の中で永久の声がした。その声に優はハッと閃いた。
「そうだ! 永久、そうそう! 光だ。 帰る扉は真の光の中にある、って言ったんだ! 試しの門は、内側から外側に開くときに成就するって」
「内側から外側に開く……、そうか、中に入ることによってではなく、外に出ることによって俺たちの試練は終わるんだな」
「でも、真の光、って?」
「そんなの簡単。魔法使いなら誰でも持つもの。闇の魔法使いが決して持たないもの。それは多分、私たち自身の光だと思うよ」
と優が言うと、
「確かに、この暗闇の状況じゃそれしか考えられないな」
と朱雀が同意した。
優は早速暗闇の中で手を上げた。猶予はない。この死の幻想の世界を断ち切るために、光を。光を灯すくらいの魔法なら、優にもできる。
「ルーメン エスト」
優の放つ紅色の光に、誰もが命の息吹を感じとり、温もりを取り戻した。
間髪いれず、永久が手を上げる。
「ルイーズ」
永久のまばゆい白色の輝きに、みんなが希望を抱く。
「フォース エイーナ」
流和の深い藍色の輝きに、やすらぎを。
「スマラグディ」
空の新緑の輝きは、辺りを平安で満たす、強くて優しい光だ。
「スヴェトリナ」
吏紀の紫色の光が、堅固な知恵と知識を仲間にもたらし、勇気を与える。
「ルミーナ」
東條晃も手を上げ、唱えた。不器用だけど、真っすぐに伸びる強い光に、辺りがパっと明るくなる。
「ソーラス」
美空も手を上げた。気高く美しい黄金色の光。
「シ・エスト クレイヤ」
桜と名乗った女子生徒からは、淡いピンク色の輝きが出た。喜びに満ち溢れている。
「イリースダット」
三次からは七色の光が。大地の豊かさを誇る誠実な輝き。
そして最後に朱雀が手を上げた。
「デ・ルミネ コンプレンテ」
光よ、満ち溢れよ。朱雀はそう唱えたのだった。
朱雀の炎の瞬きは他の全員の光を包みこみ、一つにした。七色の輝きが天高くに舞い上がる。
その時、優たちは確かに見た。
上空が開けて、青い空が広がり、その中を四体の天使が飛んでいるのを。
辺りが光で一杯になり、暗闇が過ぎ去って行く。
地面の揺れと岩のこすれる衝撃音がみるみるうちに遠ざかって行く。
気づくと十人は円になって、石壁の間に立っていた。試しの門や五芒星はすでに無くなっている。
シーンと静まり返っている広間で、試練を見守っていた一人のダイナモンの生徒が言った。
「帰って来た!」
途端に、それまで遠巻きに試しの門を見守っていたダイナモンの生徒たちが歓声を上げる。
見ると、優たちの周りで六人の先生たちが、へなへなと力なく床にしゃがみこんでいた。
「まったく、手のかかる子どもたちだ……」
播磨先生が呆れたように呟く。
東條晃は得意満面にダイナモンの生徒たちに手を振ったりしているが、優はみんなで無事に戻れたことにただ、胸をなでおろした。
猿飛業校長が嬉しそうに近づいて来て片腕を上げると、騒いでいる生徒たちを静粛にさせ、言った。
「これより、試しの門をくぐりし者、ここにおる十人を、予言にかないし魔法戦士と認め、ここに宣言する。ここにおる全員が、そのことの証人じゃ」
―― 魔法戦士、か。
優は遠くを見つめ、ぼんやりと考えた。ふと視線を感じて顔を上げると、朱雀が優を見下ろしていた。
「これが本当に、お前の望んだことなのか?」
「へ?」
予想外の朱雀の問いかけに、優は首を傾げたが、朱雀はすぐに「何でもない」と言って不機嫌に優から目をそらした。
第6話 END (7話に続く)