月夜にまたたく魔法の意思 第6話8





 朱雀に抱えられて医務室に運ばれた頃には、優はすっかり気を失っていた。
 朱雀が状況を説明する前に、マリー先生が顔を強張らせて口を開いた。
「あんた、またやったのね!」
「言っておくけど、今回は俺じゃありませんよ」
「どうだか! 毎度毎度、重症患者を医務室に送り込んでくる常習犯は誰かしらね、朱雀! 今度という今度は……」
「マリー先生、今回は本当に朱雀がやったんじゃありませんよ。俺たちも分からないんですが、どうも暗闇の間で何かあったみたいで」
 朱雀に続き、永久と一緒に医務室に入って来た吏紀が言った。

「私がやったんです」
「君は黙っていて、話が混乱するから」
 吏紀が涙目の永久を黙らせた。

「まあいいわ、その子を早くこちらのベッドへ」
 マリー先生に言われて、朱雀は美空の隣のベッドに優をそっと横たえた。美空は、今は薬で眠っているようだ。

 マリー先生がすぐに優の体に両手をかざし、状態を確かめた。その両手から、七色の光が出ているのは、オパールの力だ。

「肋骨が折れて肺を傷つけている。すぐに呼吸を確保しないと、命に危険があるわ。少々荒療治だけど、仕方ない」
 マリー先生は両手をアルコールで消毒すると、引き出しから太い注射針を持ち出し、優の制服の胸元を開いて、それをいきなり胸に突き刺した。
 吏紀と永久が目をそらす中、朱雀だけが無表情にマリー先生の処置を見守っている。

 猿飛校長を呼んで来た空と流和が医務室に駆けこんできた。桜坂教頭も一緒だ。
「永久!」
「流和……」
 ベッドに横たわる優にすぐに気付いた流和の表情が曇る。
「優、何があったの?」
「私が……」
 永久の瞳に再び涙が浮かぶのを横目に、吏紀が素早く答えた。
「暗闇の間に迷い込んだらしい。そこで何か異常なことが起こったんだ」
「異常なこと!? ゴブリンがやったの?」
「いや、ゴブリンじゃない」
「ちょっと静かにして! 怪我人の治療中よ。みんな下がっていて、邪魔よ」

 優の胸に突き刺された太い針から、空気が漏れ出て来た。その瞬間、優がむせかえって大きく息を吸い込んだ。
「良かった、呼吸が戻ったわ。肺から漏れた空気が胸腔を圧迫して呼吸ができなくなっていたのよ。これで何とか一命はとりとめた。でも、厄介ね。肋骨が数か所折れているし、肺からの出血もあるみたい。それに左足は複雑骨折、両手と右足の骨もいっちゃってるわね」
「これは酷い。お手伝いすることはありますかな、真理子先生」
 紫色のローブに身を包んだ猿飛校長がゆっくりとベッドに近づいて来た。
「再生の精霊を召喚するために炎の力が必要ですわ、校長先生」
 マリー先生は校長に向かってそう言うと、チラリと朱雀に目配せした。
 手を貸してやるようにと校長に目で諭された朱雀は、すぐさまパチンと指を鳴らし、それから何事も無かったかのように腕を組んだ。
 医務室の暖炉の中で、青い炎が激しく燃え上がった。
「ありがとう、高円寺くん」
 マリー先生は機械的な笑みでそう言うと、小走りに薬棚から黄色い粉の入った瓶を取って来て、それを一つまみ暖炉の中に投げ入れた。炎が瞬く間に金色に輝いた。
 続いてマリー先生が空中から七色に輝くオパールの杖を取り出して、杖の先を暖炉の炎の中に入れた。マリー先生が暖炉から杖を引き抜くと、その先にこげ茶色の小さな生き物が乗っていた。
「何なの、あれは」
 永久が震える声で囁く。
「再生のトカゲだ。高度な医術魔法で用いられる精霊さ。召喚には、強い炎の力が必要だ」
 と、空が説明する。

 マリー先生はオパールの杖に乗せたトカゲを優の胸の上に置くと、優の肌をメスの先で小さく切って、その血をトカゲに舐めさせた。そして何やら聞きなれない言葉でトカゲに話しかけると、トカゲは金色の炎になって優の体に吸い込まれて行った。

「お見事ですぞ、真理子先生」
 業校長が感心して頷いた。
「高円寺くんの炎がトカゲをおとなしくさせてくれたおかげですわ。すぐに薬を調合します。傷ついた細胞はほぼ1日で回復できると思いますが、全身の折れた骨が完治するには1週間はかかると思います」

 それから、マリー先生は忙しく動き回って、優の傷を治療するための薬を調合し始めた。

 業校長がゆっくりと歩み出た。
「さて、諸君。何があったのか、詳しく説明してくれるかの」

 永久が涙をこらえて校長の前に進み出た。
「私がやったんです」
「なるほど、最初から話すのじゃ」
 校長の鳶色の瞳に見つめられ、永久は大きく深呼吸して話し始めた。
「石壁の間からの帰り、私と優は道に迷って、地下の暗い、あの……」
「暗闇の間」
 すぐに吏紀が助け舟を出す。
「そう、暗闇の間に迷い込んでしまったんです。扉を開けると真っ暗で、優は帰ろうって言ったんです。けど、匂いがしたの……」
「匂いって?」
「薔薇の匂いよ。ベラドンナの薔薇園の匂いとは違う、もっときつい薔薇の香り。私、どうしてなのか、動けなくなった。そしていきなり中に引きずり込まれたの」
「何かを見たかね?」
「いいえ、何も見ていません。真っ暗で何も見えませんでした。息苦しくて、とても寒くて、真っ暗で……、私は優の名前を呼んでいました。でも、とても変な感じだったんです。私の声のはずなのに、まるで夢の中にいるみたいにボーっとしていて、私の声じゃないみたいで、すごく嫌な感じがしたんです。気がつくと松明を持った優が目の前にいて、私に帰ろうって言ったんです、きっと流和が心配してるから、って」
「そして君はどうしたのじゃ?」
 業校長の問いかけを受けた永久の頬に涙が伝い落ちた。
「私、優をもっと、暗闇の奥に連れて行こうって考えていた……。友だちなのに、どうしてそんなことを考えたのか分かりません……、今なら優は弱いから、殺してしまおうって思ったんです」
「永久!」
 流和が青ざめて永久を遮る。
「本当にそう思ったの! 殺せ、殺せ、って何度も頭の中で誰かの声がして……」
「誰か? 誰かって誰なの、どんな声だった」
「いいえ、やっぱり私の声よ」
「よく思いだして永久、あなたの声であるはずがない。その声は他に何て言った?」
 流和が永久の肩を両手で掴んで揺さぶった。
「よく覚えていないわ! シュコロボビッツとか、誰か男の人の話を……それに優のこと、優の亡くなった両親のこと、私とても酷いことを言ったような気がする。とても悲しかった。優が泣いていた……、あんなに悲しそうな優を見たのは初めてよ……。はっきりと覚えているのは、優が最後に言った言葉だけ」
「優は何て言ったの、永久」
「あんたに殺される筋合いはない、永久から、出て行け、って。変よね、何で優はそんなこと言ったのかな」
「お前ではない別の誰かに対してそう言ったのさ。別に変じゃない」
 それまで黙っていた朱雀が口を挟んだ。

「でも、あの場所には私と優の二人しかいなかったわ」
「質量的にはな」
 と、朱雀が意味深に付け加えた。
「なるほど、そういうことじゃったか……。うむそれで、君たちはそれからどうしたのじゃ?」
「それからのことは全く覚えていないんです。ただ、それまでは凍えるほど寒かったのに、優が私に『出て行け!』って言ってから、急に体全体が温かくなって、私、ホッとしました。優が私を助けてくれたんだ、って思ったんです。気がつくともう扉の外に、二人で倒れていました」


「ふむ。もと光の魔法使いであったアストラが、自空間魔法と憑依術を自在に操ることは有名じゃ。奴は媒介として他の光の魔法使いや鏡を利用する。迂闊じゃった」
「もしかして、俺たちが賢者の鏡でダイナモンに帰ろうとした時に誤って沈黙の山に出てしまったのは、魔女の仕業だったのですか?」
「そう考えてほぼ間違いないじゃろう。そればかりではない。アストラは光の魔法使いである山口永久くんを操り、今回は殺人を試みたのじゃ」

「それって、どういうことですか? 操られるって」
 永久の問いかけに、朱雀が早口で答える。
「他人の意識を乗っ取る闇の魔法だ。憑依とも言う。熟練した魔法使いなら憑依されないように自分の身を守ることもできるが、初心者は自分が憑依されていることにすら気がつかない場合がある。お前みたいにな」
 吏紀が後を引き継いで言った。
「通常、憑依には生贄が伴う。つまり、憑依された人間は憑依を解かれる瞬間に命を取られるはずなんだ。今回のが憑依だとすると、なぜ永久はまだ生きているんだろう」
 空が肩をすくめて口を開いた。
「その場合考えられるのは二つだ。永久が完全には憑依されていなかったか、あるいは相同魔法が発動したか。どちらも考えにくいけどな」
「最初の一つはまず無いな。人を殺すという行動は、中途半端な意識の乗っ取りでは成しえない。だが今回の場合、永久は明らかに優に殺人衝動を持って致命傷を与えた。殺すための行動を全うしたわけだから、完全に憑依されていたと考えるのが普通だ」
「となると、可能性としては一つだな。相同魔法が発動したんだ」
「私がまだ魔女に憑依されているという可能性はないの?」
「それはない」
「馬鹿だな!」
「そうだとしたら僕たちは一発で気がつくよ」
「そうね、私もそれはないと思う」
 と、朱雀、空、吏紀に続いて流和も付け加える。

「じゃあ、相同魔法って何なの?」
 その質問に、吏紀が親切に答える。
「二つの方向から同時に働く魔法のことだ。今回の場合で言えば、憑依された者を外側から解放しようとする力と、憑依された者が自ら憑依を退けようとする内側から働く力が同時に発動したってことだ。意味わかるかな」
「分からないわ」
 混乱状態の永久に痺れを切らした流和が補足する。
「だからね、永久に憑依していた魔女を、優が外側から、一方で永久が内側から追い出したってことなの。これってすごいことなのよ。魔法の相性が良くなきゃできないことだし、二人の信頼関係も重要なの。まさに友情の力発動! ってわけね。すごいわ、永久と優」
 流和が誇らしげに永久を抱きしめた。
「でも私は何もしてないわよ」
 戸惑いを見せる永久。

 それまで朱雀、空、吏紀、そして流和のやりとりを見守っていた業校長が、長い髭を指で弄びながら微笑んだ。
「時に、理屈では測れないことが起こる。若い魔法使いが予言を受けて魔女に立ち向かう。これを理不尽と呼ぶか、奇跡と呼ぶか。お主らは、まだ自らの秘めたる可能性を知らず、限界も知らない。これを危ういと呼ぶか、喜ばしいと呼ぶか」
 校長の言葉に、誰もが首を傾げた。
「年寄りにも分からないことがある。じゃが、そなたらの手に巻かれた光の輪には、偉大な力が込められているようじゃの」
 永久と流和が、自分の手に巻かれたミサンガを掴んで、互いに顔を見合わせた。同じミサンガが優の手首にも結ばれている。
「これは永久が編んでくれたミサンガなんです」
「ミサンガ? それって何の魔法だ」
「魔法じゃないわ。ただのお守りよ。3人で一緒にベラドンナに帰ろうって、願いを込めて編んだの」
「ほお、なるほど。秘めたる可能性じゃな。どうやらそのミサンガというやつが、今回の相同魔法に一役かったようじゃの」
「はあ」
 永久がきょとんと首をかしげている。
 一方で、朱雀、吏紀、空の3人は永久たちが腕にはめているミサンガに興味しんしんだ。


 優はまだ目を覚まさない。
 暖炉の薪が赤々と燃え、沈黙を柔らかく包んだ後、吏紀が思いつめたように口を開いた。
「業校長、ひとつ気になっていることがあるのですが」
「なんじゃ、九門吏紀」
「賢者の鏡とダイナモン魔法学校、どちらにも守りの結界がはられているはずです。本来であれば魔女に付け入られる隙などないはずではありませんか」
「確かにそうじゃ、アストラが付け入る隙など無かった、今まではな……」
「そんな、まさか」
「魔法警察と、魔法魔術学の神原先生たちがすでに調査をしているところだが、現時点で、守りの魔法はどちらも、魔女の復活の時期を境に内部から何者かによって一部崩されていたことが分かった」
「それは、裏切り者が内部に存在しているということですね」
「事を荒立ててはならないぞよ。このことは信頼のおける一部の魔法警察やダイナモンの優秀な先生方のみが知ることじゃ。引き続き警戒し、監視を行っておる。確かなことが分かるまで何人たりとも口外は許さぬ。不要な混乱が、争いの元になるとも限らぬ」

「ダイナモンは、もう昔のように安全ではないということでしょうか」
 空が問うと、業校長はすぐに首を横に振った。
「それは違うぞ、東雲空。ダイナモン魔術魔法学校の先生方は、総力を上げて学内の監視を行っておる。さらに、聖アトスの城壁は何人にも崩すことのできないものじゃから、闇の魔法使いがダイナモンに侵入することはまず、不可能じゃろう。気をつけねばならぬのは、内部に潜んでいるやもしれぬ反逆者の存在と、鏡や肉体を介する憑依のみじゃ。そしてこの学内にわしが居る限り、反逆者はわしが容赦しないつもりである。憑依に関してはもっと明るい見通しをして良いじゃろう。なぜなら、憑依自体、術者の肉体が仮死でなければ成せない技。察するに、わしは、魔女がまだ完全には眠りから覚めていないのだと考えるからじゃ。今回、明王児くんと山口くんによって魔女の憑依が跳ね返されたことで、術者のアストラに相当なダメージを与えたことも間違いないじゃろう。我々が今、最も考えねばならぬのは、試しの門を行い、選びの魔法使いを一刻も早く訓練し、来るべき戦いに皆が備えることじゃ」





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