月夜にまたたく魔法の意思 第6話7
闘技場をのぞく学校内を杖で飛ぶことは、ダイナモンの校則で禁止されている。
飛行速度は速い者で時速100キロを超えるから、校内での飛行は他の生徒との衝突の危険がある。
だが、朱雀は校則なんかクソ喰らえ、と思っている。
緊急時であれば学内でも杖で飛び抜けるし、夜の9時過ぎに女子寮に行って女の子とイチャつくし、教師の立ちあいなしにいくらでもデュエルする。
それが朱雀のスタイルだ。
複雑に入り組んだ廊下と階段をいくつも飛び抜けて北の塔にやって来た朱雀は、迷わず暗闇の間に続く地下の階段を下って行った。
闇の魔法使いの存在は感じられない。だが、朱雀は今、確かに『闇の魔力』を感じ取っていた。
これがゴブリンであるはずがない。
解せない、と朱雀は思った。
闇の魔法使いがいない場所で、闇の魔力だけが発動しているとうのは、矛盾しているからだ。
しかも、ダイナモン魔術魔法学校には、聖アトス族の聖なる石と、オロオロ山の聖なる魔力、さらに、業校長の光の魔法という鉄壁とも言える防御がある。
この時代、魔法使いにとってダイナモンほど安全な場所はないはずだった。――闇の魔法使いが侵入できるはずがない。
「一体、何が起きている?」
優の炎がどんどん弱くなっていくのを感じ取って、朱雀は焦った。
炎が消えることは、火の魔法使いの死を意味する。
「死なれちゃ困る」
そう呟いた朱雀は次の瞬間、ハッと眉をひそめた。暗闇の中に、優のものとは違う、強い光の魔法が発動するのを感じとったのだ。
その輝きはまだぎこちなく、不器用に強い輝きを放つ、驚くほど清純な光……。
「あいつか」
朱雀は苦虫を噛んだように顔を歪めた。
「人間出のくせに」
山口永久――。人間出でありながら、ダイナモンにいる他のダイヤモンドを持つ光の魔法使いをはるかにしのぐ魔力だ。
その永久の光の魔法に助けられるようにして、優の消えかかっていた炎が再び燃え上がる。
永久の光に共鳴するように、優の炎がどんどん強力になっていく。
朱雀の心臓がドキリと脈打った。
香りがするほど熱い優の炎に、朱雀の肌が上気した。
――朱雀の脳裏に、ベラドンナの真実の鏡の中で見た優の姿が蘇る。紅色の炎に全身を包まれた優の姿が、とても力強く、優しく、そして美しかったことを。
朱雀は一層速度を上げて階下に舞い降りて行った。
もしかすると優はルビーの杖を召喚したのだろうか。
炎の魔法使いとして覚醒した優の姿を、朱雀は今すぐに見たくてたまらなくなった。
朱雀が暗闇の間についたときには、すでに闇の魔術の気配は消えていた。
何より朱雀ががっかりさせられたのは、優の炎の力がすでに沈下していたことだ。
「遅かったか」
見ると、扉の前に優が倒れ、その上に永久が突っ伏してオイオイと声を上げて泣いている。
朱雀が杖から飛び降りて近づくと、永久が涙でグシャグシャになった顔を上げた。
「何があった」
「わ、私がやったの。私がやったのよ。……私が、優を殺そうとした……」
「お前が?」
朱雀は永久の言葉に眉をひそめて、倒れている優の様子をうかがった。生きてはいるが、かなり重傷と見える。
「まあ、殺したくなる気持ちも分かるが、お前がやったんじゃないことは確かだ」
朱雀が永久の顔を覗きこんで、バカにしたように笑った。永久の眼には曇ったところが少しもないのが、朱雀には一目瞭然だった。
「お前に人は殺せないさ。もう一度聞く、何があった?」
だが永久は泣きじゃくるばかりで、朱雀に分かるように何が起こったかを説明することができなかった。
何度も、自分が優を殺そうとしたと繰り返す。
「う、……永久」
優が意識を取り戻した。
「優!」
永久がハッとして優にしがみつく。
瞬時に、優が苦しそうに顔を歪めてうめき声を上げた。
「あ、いたたた。永久、痛いよ……」
「あッ! ごめん、優……本当にごめんね、優。 ――私……」
「それより、なんであんたがここにいるの」
朱雀に気づいた優が、いきなり嫌そうに言った。
「偶然通りかかっただけだ」
朱雀は素っ気なく優に応えると、暗闇の間に続く扉を勢いよくガバッと開いた。
ジットリと湿り気のある闇が誘い込むように朱雀の足に絡みつく。だが朱雀はものともせずに煌めくルビーの杖を野球のバッドのように大きく一振りして、闇を払った。
瞬く間に朱雀の杖の先のマグマのように燃えるルビーから炎が噴きでて、あんなに真っ暗だった暗闇の間を真昼のように明るく照らし出した。
ギーー!! ギーー!! ガサガサッ!
朱雀の炎を嫌がって、ゴブリンたちが逃げ惑う音が聞こえた。
「やっぱり、ゴブリン以外は何もいないな」
朱雀が扉を閉めて、再び優と永久を見下ろした。
「ゴブリンて、眼が黄色くて子供くらいの背の高さしかない生き物?」
と優が聞いた。
「そうだ。噛まれたか?」
「噛まれてない。何もされてない。それより、私どうして中から出られたの? 永久が私をここまで運んでくれたの?」
「いいえ、私が気付いたときにはもう、二人でここに倒れてたのよ。てっきり優が、私を連れて出て来てくれたんだと思ってた」
「じゃあきっと、あの子たちが私たちをここまで運び出してくれたんだ」
優は、気絶する直前に見たゴブリンのことを思い出した。
「あの子たち、って、そのゴブリンとかいうやつ?」
「うん」
優と永久の会話を聞いていた朱雀が首を振った。
「ゴブリンが人を助けるなんて、聞いたこともないぞ。奴らにとって人肉は、本来、餌になるものだ。そうか……」
突然、閃いたように朱雀が顔をほころばせた。
「さてはお前、煮ても焼いても喰えないって思われたな。くくッ……言っとくけど、褒めてるんじゃないぜ」
「うるさいよ、ばか、いたた」
茶化すように笑う朱雀にこれ以上ないほどの軽蔑の視線を向けながら起きあがろうとした優が、また呻き声を上げた。
優は唇を噛んで、グっと痛みをこらえた。
両手と右足が痛くて動かせない。左足に関しては感覚が全くない。
息をするだけでも肋骨のあたりに幾筋もの痛みが電撃のように走り、呼吸が苦しかった。
「優、大丈夫?」
「左足の感覚がない……、うッ! た、タッタタタッ!!」
朱雀がいきなり優の左足を思い切り掴んだので、優は体をよじって悲鳴を上げた。
「なんだ、あるじゃないか。良かったな」
「う、う……うう!」
優が口をへの字に曲げて、恨めしそうに朱雀を睨みつけ、せきを切ったように泣き出した。
「もう、もう、うちに帰りたい。動けない。うちに帰りたいぃ! 救急車、呼んでよぉ……う、えーん……え、えッ」
「そうか、救急車!」
永久がブレザーのポケットから携帯電話を取り出し、119番を押した。が、すぐに顔を曇らせる。――圏外だ。
「圏外だわ」
と永久が言うと、優は一層激しく、機関車のように泣き始めた。
そのとき、アメジストの輝きに包まれた吏紀が到着した。
「二人とも無事みたいだな」
吏紀は杖から降りると、泣きじゃくっている優と永久を見て、安心したように言った。
「一体、何があったんだ?」
「朱雀が私の足を痛くしたのよぉ!」
優が泣きながら吏紀に抗議するも、吏紀は素早い動きで朱雀を見て、暗闇の間を顎でさした。
「闇の魔法使いか?」
朱雀が首を振る。
「いや、中にはゴブリンしかいなかった。俺が受けた印象じゃ、さっきのは闇の魔法使いというより、もっと別の何か、実態のない存在だ。でも確かに闇の魔術の気配がした」
「だとしたら、一体どうやって……」
「それが一番気になるところだ」
朱雀と吏紀が深刻な表情を見合わせている間で、優が地べたで体をよじり、思いつく限りの文句を並べて泣き崩れている。
「私がやったの。私が優を殺そうとしたの」
「え?」
涙ぐみながら、永久がまた同じことを繰り返した。吏紀があっけらかんとして首をかしげる。
考えた末に、吏紀は心配そうに永久の顔を覗きこんだ。
「喧嘩でもしたの? いや、まさかな。 君は喧嘩で友だちを殺すようなタイプじゃないよ。朱雀じゃあるまいし」
「やれやれ!」
朱雀が呆れてかぶりを振る。
「殺したいと思うのも無理ないさ。こんな我がままで泣き虫のバカ女じゃあ」
「でも、私がやったんだもの!」
永久が溢れる涙を両手で覆い、嗚咽しながら泣き出したのを見て、吏紀が困った顔をする。
「いや、ちょっと待ってくれ。頭が混乱してきた」
「永久がやったんじゃないよ。あれは永久じゃなかったもん」
泣きじゃくる永久を見てか、パタリと泣きやんだ優が吏紀に言った。
「じゃあ、誰がやったんだ?」
「操られてたんだよ、魔女に!」
「なんだって!?」
「あれは永久じゃなかった。変だったもん……ゲホッ、ぐ……息が、苦しくなってきた」
「もしかして、憑依の術……そうか、そう考えれば辻褄があうな。でも、信じられない」
「帰りたい…きゅ、きゅう、しゃ……」
優がますます苦しそうにあえぎ始めた。
唐突に、朱雀が優の体に腕をまわした。
「触らないで!」
「動くな。ひとまずマリー先生のところに連れて行く。話はそれからだ」
朱雀がゆっくりと優を抱き上げ、杖に乗ってふわりと浮きあがった。
吏紀が永久の手を掴んで、優しく引っ張った。
「そうだな。僕たちも行こう」
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