月夜にまたたく魔法の意思 第5話7





優は火かき棒で炉の中の空気の流れを調整して薪を組み立てなおした。
まるで炎の悲鳴が聞こえてくるようだ。自分が元火の魔法使いだから、センチメンタルになっているだけだろうか?

優は湿気った薪の上で燃えなければならない炎たちに同情した。
教室中で苦しんでいる炎たちを叱咤激励するために、優は手にしていた火かき棒で足もとの炉を叩いた。
「ちょっと薪が湿気っているくらいで、だらしない! しっかりしなさい! 煙はもうたくさん!」

するとたちまち、教室中の炉でくすぶっていた他の生徒たちの炎が、赤々と元気に燃えあがった。
しかも、全然火がついていなかった優の炉の中にも同じように炎が燃え出た。
優はそれを見て、感激したように朱雀を見上げた。

「いいとこあるじゃないの、……やればできるのね」
「はぁ?」
朱雀が驚いた顔をする。

突然と燃え上がった活きのいい炎に、何人かの生徒が優を振り返った。その中に、吏紀や空、流和もいた。
好奇の眼差しを向けて来る彼らに、優は朱雀を指差して見せた。
火をつけたのは朱雀で、そうするように説得したのは自分だということを示すように、鼻高々に。

「どう? いいことするって、気持ちがいいでしょう」
「お前の馬鹿さ加減には、うんざりする……」

そう言って、優のシュコロボビッツの瞳を見つめながら、朱雀が目を細めた。
今、目の前で燃える朱雀の炉の炎と、優の炉の中で燃えている炎には明らかな違いがある。それは、朱雀の目には明らかだ。
二つの炎は、音も香りも性格も全く違う。それなのに、互いに強く惹き合っている。

朱雀は、教室中で燃え上がっている炎が、朱雀ではなく優の力によるものだということを言うべきかどうか迷う。
だが、どうせ口で言っても、本人に理解させるには相当のリハビリと訓練が必要だと思って諦める。
そうして、朱雀は物思いに沈んで優から目を放した。

このとき朱雀が、優をしゃきっとした火の魔法使いにするための厳しい訓練メニューを頭の中に思い描いているとはつゆ知らず、優は上機嫌で沸騰しはじめた鍋の中にリンゴの皮を投げ入れた。
リンゴの皮の後は、生きた蛙とヒソプの葉っぱだ。

優は、自分のために流和が用意してくれたガマガエルを瓶から取り出して、誰にも見られないように素早く床の上に逃がした。


「おい、誰だ!? 蛙が逃げてるぞ!」
まもなくして、前の席の方で男の子たちが大騒ぎを始めたが、誰も優が逃がした蛙だということに気づかなかった。
ただ、朱雀だけが呆れ顔で優を一瞥した。

「何? ジロジロ見ないでよ」
「別に見てないし、何も言ってない」
朱雀は無表情で、鍋にヒソプの葉を3枚浮かべた。朱雀が炉の上に手をかざすと、みるみるうちに燃え盛っていた炎が小さくなった。

何事もなかったように蛙の工程を省いた優も、ヒソプの葉を鍋に入れて、炉の中の炎に、少しだけ灰をふった。
そうすることで、炎を小さくしたのだ。
優がそうするのを、朱雀が不愉快そうに横目で見て、何か言いたそうにしたが、結局何も言ってこなかった。

教壇から生徒たちの作業を見守っていた薬師丸先生が言った。
「ヒソプの葉を入れたら、火は弱火に。鍋の沸騰がおさまってから、老人の爪を入れるように。もっとも、その爪はリュウマチ薬用に特別に採取されたものだ。本来であれば、実際にリュウマチ薬を必要としている患者の爪を用いる方が効果が高い。老人の爪を入れたら、すぐに海藻で水面を覆うこと」

優は、薬師丸先生に言われた通りにした。
老人の爪を少々入れてから、すぐに海藻を大量に加え、水面を覆う。

この段階になると、薬師丸先生が火を弱火にすることを何度も強調した。
「海藻を入れたらよく混ぜる。やがて液にとろみが出てきたら、各自、燃える魔法の石炭を加えるように。火は弱火のままで!」

どうやら、魔法の石炭を鍋に入れてからが大変のようだ。
石炭を鍋に入れた途端に、あちこちで鍋が沸騰してダメになり始めた。
ほとんどの子は、そこで作業の中断を余議なくされ、薬師丸先生から不合格を宣告されていた。

優の隣で、朱雀が火ばさみに掴んだ魔法の石炭を鍋に入れるのが見えた。
朱雀の鍋がどんなことになるか見ものだ、と思った優は、わざわざ身を乗り出して朱雀の鍋を覗きこんだのだが、嫌味なことに、朱雀の鍋には何も起こらなかった。
朱雀の炉の炎はおとなしく燃えているし、鍋に魔法の石炭を入れたにも関わらず、薬液は少しも沸騰しなかった。

その隣で、同じように鍋に石炭を入れた永久が、薬液を激しく吹きこぼした。
「きゃあッ! すごい……何なのこれ」
「永久、大丈夫?」

薬師丸先生が近づいてきて、永久に不合格を宣告した。

薬師丸先生が教壇に戻ってから、永久がぼやいた。
「初日からこれじゃ、先が思いやられるわ……、優はどう?」
「私はこれから。見てて、きっとすごく沸騰すると思うよ。だってこの石炭、すごく怒ってるもん」
「え? 優、今何て言ったの? 石炭が怒ってるなんて、面白い表現ね」
永久が優の言葉づかいに不思議そうな顔をした。すると、朱雀が鍋から目を放さずに呟いた。

「怒っているというのは、陳腐で子どもくさい表現ではあるが、この場合は正しい」
「え、そうなの?」
永久がきょとんとした。それを見て、優はハッとした。
もしかすると、石炭が怒っているように感じるのは、火の魔法使いである優や朱雀だけなのかもしれない……。
永久や、他の生徒たちは、優が今、当たり前のように感じている魔法の石炭のくすぶる音や、爆発しそうな震えを感じてはいないのだ。

「そんな感じがぼんやりしただけ……」
自分が火の魔法使いだということを、認めたくなかった。
優は燃える石炭を、黙って鍋の底に沈めた。

「わあ、すごいわ、優。沸騰しない」
「あれ? おかしいな」
「蛙を入れなかったからだろ。馬鹿め」
「え、嘘、さっき逃げてた蛙ってまさか、優の?」
「しぃ! 先生に聞こえちゃうでしょ」
優が慌てて人差し指を立てた。
永久がぎょろりと目を回す。

「だって、可哀そうだったんだもん」
「自分だけ蛙を逃がすなんて、信じられない。 優が逃がすと分かってたら、私も同じようにしたのに、どうして教えてくれなかったの? 今思うと可哀そうなことをしたわ……」

「そこ、私語は厳禁! 2度目の注意はないぞ。次、私の目に止まったら、罰則を与えるからな」

薬師丸先生が教壇の上から優と永久の二人を指差した。

「ごめんなさい」
「すみません」

お口にチャック。
優は切り刻んだゴボウを急いで鍋の中に入れた。

「刻んだゴボウを入れるとすぐに、薬液が鮮やかなブルーになる。そうなったら最終段階だ。極めて弱火にして、ドラゴンの髭を静かに入れなさい。いいか、極めて弱火だ!」

が、しかし。
優の鍋の薬液は、ゴボウを入れた瞬間に真っ赤になった。ブルーではなく、真っ赤に。
しかも、薬液はマグマのようにドロドロで、ぐつぐつと煮えたぎっている。

これは何かおかしいぞ、と思って、隣の朱雀の鍋をチラと覗いてみると、綺麗な藍色が見えた。
鍋は煮えたぎるどころか、眠るように静かで、ドロドロもしてない。

自分の鍋は、火が大きすぎたのかもしれないと考えて、優は炉の中にさらに灰を振って、炎を小さくした。

しかし、それでも優の薬液はいつまでたっても真っ赤のままだった。
不可解ではあるが、どうせ、蛙を入れてない時点で優のリュウマチ薬が完成するはずもないのだ。優は諦めて、ドラゴンの髭を鍋に放り投げた。

その時、優の鍋の様子に気づいた朱雀がギョッとして一瞬、動きを止めた。
「おい、ちょっと待て」

だが、朱雀がそう言ったときにはすでに、優はドラゴンの髭を鍋の中に投げ入れてしまっていた。
途端に、真っ赤なマグマが、物凄い勢いで沸騰しはじめた。
「火が強すぎる」
朱雀が鋭い口調で言った。

「そんなことあるわけない、見てよ、消えそうなくらい小さくしてるんだから」
「火の大きさは問題じゃない。俺が言ってるのは、火力のことだ、お前の」
「口出しする気?」

優は、沸騰を抑えるために、鍋を炉から降ろそうとして釣鐘に手をかけた。
「あちッ!」
結果、重たい鍋を上手く動かすことができずに、薬液が少し床にこぼれた。

ジュウ

焦げくさい臭いが辺りに広がったかと思うと、薬液がこぼれた所に穴があき、そこから火が燃え上がった。
「やだ、どうしよう」
優は燃え上がった火を慌てて足で踏み消した。

今や、優の薬液は黒みを帯びた本物のマグマとなり、鍋から勢いよく煙が吹きだし始めた。
「おいおいマジかよ。せめて、俺がこのリュウマチ薬を仕上げるまで待ってくれないか」
朱雀が被害者ぶった口調でわざとらしく言った。
早々と自体を理解した朱雀は、リュウマチ薬を作るのを諦めて優のピンチを見て楽しむことにしたようだ。

「うるさいなあ、もう!」
優が匙で朱雀の腕をたたいた。
そうする間にも、優の鍋からマグマが飛び散って、机や床を溶かし、あちこちに火がついた。周りの生徒たちが、危険を感じて優の周りから離れて行く。

「一体、何をしたんだ!?」
騒ぎに気付いた薬師丸先生が大慌てで優に近づいて来た。
それに対し優が弁明しようとしたとき、大鍋から突然、炎の柱が吹き上がった。
鍋から大砲が発射されたようなとてつもない爆発音と衝撃に、周囲にいた生徒たちが悲鳴を上げてその場に伏せた。
炎は天井にまで達し、みるみるうちに薬品棚や教壇にまで燃えうつった。

教室中がパニック状態に陥った。煙と炎で、教室内の温度が一気に上昇し、息をするのもままならないほどだ。
「皆、外に避難しろ! 今すぐにだ!」
薬師丸先生の怒号が響き渡る。だが、その声も優の大鍋の次なる爆発音によって掻き消された。
生徒たちは我先に、とひしめき合って、教室の外に逃げ出して行く。

炎の勢いはとどまるところを知らず、あっという間に教室中を覆い尽くした。
煙が雲となり、炎がトグロを巻いて、台風の目のようにゴウゴウと唸り声を上げて暴れまわる。

しかも、炎の台風はまるで生きているかのように、教室の外に逃げ出した生徒たちを追って来た。

「キャアアアアア!!!」
「助けて!」
 地下の狭い通路に、逃げ場はない。皆、折り重なるように地面に伏せて、炎の台風が風の速さで過ぎ去る間、死を覚悟した。

 一瞬のことだった。
 一瞬にして、ダイナモン魔術魔法学校の伝統ある薬理学教室はすべて灰となり、地下の通路が黒炭化した。

 誰よりも一番驚いていたのは、優だ。





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