月夜にまたたく魔法の意思 第5話4





蛙はそっとやってくれた。
左右の胸の間にできた深い切り傷に、直接水が当たらないよう、蛙は上手く優の首筋に水を当てた。
水は優の首筋から胸の谷間に流れ、優しくその傷口を洗い流した。

痛みはすぐに消えた。
それどころか、柔らかな金色の水が肌を伝っていく感触は、温かくて、気持ちが良かった。
優は目を閉じて、蛙の口が吐き出す水に身を任せた。

そうやって、どれくらいの時間がたっただろうか。
身体が十分に温まり、急に眠気が強くなってきたので、優は目を閉じたまま蛙にお礼を言った。

「ありがとう、とっても良くなったみたい。なんだか、すごく、眠くなって来ちゃった」

「それは良かった。 で、さっきから、誰と話してるんだ?」

優は驚いて目を開いた。それは蛙の声ではなく……

「きゃああ!!」
優は慌てて上半身をローブで覆い、水の中に飛び込んだ。
蛙の背後にある六柱殿の中に、朱雀、空、吏紀の3人が立って、こちらを見ていたのだ。

「い、いつからそこにいたの!?」

ひきつった顔で、優は六柱殿の中にいるローブ姿の3人を見つめた。
3人ともカラフルなローブをゆるくまとっていて、胸元が大きく肌蹴ている。
優は水の中に顎まで浸かって、自分のローブの胸元をきつく抑えつけた。

「ああ、いつもならサルーテにいるんだが、今日は空の傷を癒すために神殿に来てたんだ。それから少し、ここで休んでたんだけど……」
吏紀が紳士的に振る舞おうとしながらも、優からは目をそらして、笑いをこらえているのが見え見えだった。

「せっかく気持ちよく寝てたのに、お前の声で目が覚めたんだ」
そう言った空は、優の裸を見たことよりも、自分の眠りを妨げられたことの方が気になっているようだった。
朱雀だけが、挑戦するように優を見て笑った。
「俺はお前がこの神殿に近づいて来たときから気付いてたぞ」
と。

「見たの? わ、私の……」
「いや、俺は、気づかれる前にここを出ようって言ったんだけど」
「見たの!?」
「朱雀と空が、面白そうだからしばらく見守ろうって言って」
「誰かと話しているように見えたからな」
「見たのね」
「頭でもイカれたんじゃないかと思って、心配して見てやったんだぞ」

「最低! そういうの、覗き見って言うのよ。見たんでしょ、はっきり言って。その方がスッキリする」

「それって、感想を述べて欲しいって、ことなのかな……」
吏紀が困ったように肩をすくめて優を見た。
「痩せてるな。ちゃんと、食べた方がいいと思う」

その言葉に、優は唖然とした。
すると、空がフンと鼻で笑う。

「あんな子ども体型、見たうちに入らない」
「最低!」
優が怒って空に水をかけた。

「そう怒るなって、もしかしてお前、処女か」
朱雀が呆れたように溜息をついて、自分の緋色のローブをその場で脱ぎ捨てた。

「きゃあ!」
優が両手で顔をおおって、朱雀に背を向けた。
と、同時に、朱雀が水の中に飛び込んで来た。

「ちょっと何考えてるの!? こっちに来ないで!」

優は大慌てで蛙の神殿から外に逃げ出した。

神殿の外に出ると、すぐそばで流和と永久が水をかけあって遊んでいた。

「優、どう? 傷の調子は、良くなった?」
優に気づいた流和と永久が楽しそうに振り返った。
だが、二人の顔を見るなり、優はめそめそと泣き出した。

「ちょっと、優? 一体どうしたのよ」
優は鼻をすすりながら、水の神殿を指差した。
「中にあの3人がいたの。私、身体を見られた。ひどい辱めを受けたわ……もう、最低」

「なんですって!?」
流和と永久が目を丸くして顔を見合わせた。
直後、神殿の滝の中から朱雀、空、吏紀の3人が出て来た。しかも、朱雀は裸のままだ。

その瞬間、流和が恐ろしい声で怒鳴った。
「朱雀! ……ローブを着なさい! あんたたち、何考えてるの!? 優に何したの」
「何もしてない。いや、正確には、何もする気が起こらなかった」
朱雀がケロっとした顔で流和たちの方へ泳いできた。
流和がひどく怒った顔をしたので、吏紀が朱雀を引き止めた。

「ここはレジーナだ、ローブを着ろ」
空が朱雀に緋色のローブを投げつけた。

「話があるんだ、流和、聖羅のことで」
「話? 話なら、ここじゃなくても出来るでしょ。私たちはもう上がる、じゃあね」
「俺たちは聖羅を諦めない! それだけ、伝えておこうと思って」
「今回の任務で、俺たちが取り返しのつかない失敗をしたとすれば、それは聖羅を置いて帰って来たことだ」
「それは……そうかもしれないけど、でも聖羅は闇の魔法使いに心を奪われていたじゃない」
「聖羅の光は、まだ完全には消えてなかった。それにあいつ……、ポータルのことを烏森の連中に話してなかっただろ。俺たちがポータルで逃げることを知ってたはずなのに、言わなかったんだ。そのおかげで、俺たちはダイナモンに戻ることができた」

空の言葉に、流和が振り返った。
「あんたたちが、聖羅を置いて帰って来たことを後悔してるのは分かった。でも、どうやって? 私たちに何ができるの」
「それはまだ分からない」
空が言葉を詰まらせた。

「だが、聖羅を見捨てないという共通の意識を持っていれば、いつか何かできるはずだ。それを伝えたかった」
と、吏紀が後をついだ。

「そうなんだ。で、朱雀はどう思ってるの?」
「俺の感情は問題じゃない。聖羅を引きずり戻して、目を覚まさせてやるだけだ。チャンスがあれば、何度でもやるつもりだ」
「それって、ただのエゴなんじゃない? 任務で失敗するなんて初めてだから、取り返したいだけじゃないの?」
「その通り。中でも仲間を見捨てる行為は、最低の失態だ。このままじゃ、校長に示しがつかないだろ」
朱雀がニヤリと笑った。

「やっぱりね。あんたが聖羅のことを本気で心配してるなんて、信じられないもの。良く分かったわ。動機はいろいろあるだろうけど、私も聖羅には助けてもらったことがある。だから、聖羅のことで何かできることがあれば、もちろん協力するわ。それと、今後、私の親友に酷いことしたら、絶対に許さないわよ、その時こそ、長年の恨みを根ほり葉ほり全て猿飛先生にぶちまけてやるから、覚悟しなさい。 じゃあ、これで」

流和はクルリと3人に背を向けると、まだメソメソ泣いている優と、優の肩をさすって戸惑った顔をしている永久を連れてレジーナに帰って行った。


「面倒な掟だよな」
流和の後ろ姿を見送りながら、空がぼやいた。
その隣で、吏紀が頷く。
「そうだな。『仲間を見捨てるな』という掟が、『仲間を裏切るな』という掟よりも優先される。業校長が定めた中で、最も厳しい掟だと思う。だから、仲間が裏切り者だと分かっていても、俺たちにはその仲間を見捨てることは許されない」
「でも、あの場合可能だったのかな。聖羅を連れて帰って来ることは」
空の疑問に、朱雀がこたえた。

「馬鹿だな、不可能か可能かは問題じゃない。俺たちは聖羅を連れて帰るべきだった、それだけだ」





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