月夜にまたたく魔法の意思 第5話5





よく眠れない夜だった。
窓から白い光が差し込み始めていたからかもしれないし、慣れないベッドと枕のせいかもしれない。
身体は疲れ切っているはずなのに、妙に頭が冴えていて、優はまた昔の夢を見た。

――見知らぬ男が、家の中で優の父親と揉み合っているのが見える。
「阿魏戸、お前は私からあの子を奪うつもりか」
優の父親の声だ。
そして、黒いローブの男が、嘲笑うように吐き捨てるのが聞こえて来る。
――「お前にあの子は育てられまい」

優は薄暗がりの中で、そっと目を開いた。魔力封じの黄色いスキーゴーグルは、父がくれたものだ。
誰かが、優の火の力を狙っていたからだ。だから、優の両親は殺された……。
――こんな力、いらない。

父が「阿魏戸」呼んでいた、あの黒いローブの男は、一体何者だったのだろうか……。
それと同じ名前を、優は昨晩、沈黙の山で闇の魔法使いたちが言っていたのを聞いた。
優の頭に突然、朱雀の顔が浮かんできた。
何故だろう?
阿魏戸という男をよく知らないのに、優の頭の中で、阿魏戸と朱雀が重なった。

直後、優の脳裏にダイナモンの大浴場で見た朱雀の全裸が鮮明に蘇る……。

優は枕の下に頭を沈め、身悶えしながら両の拳で自分の頭を殴った。いっそのこと、記憶喪失になれたらいいのに、と思う。


「優、もう起きてる?」

優の部屋の開け放したドアから、流和が覗きこんできたので、優はビクリとしてボサボサの頭を枕から上げた。
ダイナモンに幽霊がよく出るという話に、優はすっかり恐れおののいていた。そのため、優は自分の部屋のドアを、一晩中開けっ放しにすることにした。
ドアを開けておけば、部屋の中に閉じ込められることもないし、声を張り上げれば隣室の流和や永久と話ができるからだ。
「眠れなくて」
「実は、私もよく眠れなかったわ。でも、朝食の時間だから、そろそろ起きなくちゃ」
ベラドンナの白い制服に身を包んだ流和が、一糸乱れぬ姿で優の部屋に入って来て、ベッドの端に座った。

流和の言葉に、優はベッドサイドに置いていた自分の腕時計を取り上げた。
「まだ7時前だよ」
「ダイナモンの朝は早目なのよね……。もうじき広間の鷲時計が鳴って、みんな食堂に下りて行くわ。食べそこなったら、きっと昼までもたないわよ」
「でも、全然眠ってないんだもん。頭がボーっとするし、熱もあるかもしれない。とても起きれそうにないよ、吐き気がするし、全身がダルいの。……頭痛もするよ」
思いつく限りの理由を連ねて、優は頭から毛布をかぶり、寝返りをうって流和に背を向けた。

毛布の端から、優のクルクルに絡まった髪が、毛糸だまのようにはみ出している。
優の髪のクルクルさ加減は、魔力封じのゴーグルをはずし、ダイナモンに来たことで確実にパワーアップしている。
流和は小さく溜め息をついた。
シュコロボビッツの力が戻るにつれ、優のヘアーメイクにかかる時間が増大しそうなことは明らかだった。

「とても、恐いの」
毛布からはみ出している優の髪を引っ張って、流和が呟いた。
「今日一日がどんな日になるのか。優や永久が、どれだけ嫌な思いをさせられるかって考えると、とても恐い……。でも、私、決めたの。生まれて初めてできた親友を、これからは私が自分の手で守る毎日にしよう、って」

「守るって、私を? 守ってもらわなくたって大丈夫だもん、私はそんなにヤワじゃないよ。でも、永久は泣き虫だから、ダイナモンの子たちに虐められないように守ってあげなくちゃならないけど」
と、優が毛布の中から眠そうにこたえた。

「なんですって? 優、今の聞こえたわよ。私が泣き虫だなんて、よくも言ったわね」

永久が優の部屋に入って来て、素早い技で毛布の上から優のお尻をたたいた。
「優だって、さっきまで朱雀くんたちに裸を見られて泣いてたくせに……よく言う」

優が毛布から寝ぼけた顔を出した。
「あのねえ永久、私は卑劣漢に襲われかけたんだよ。 しかも覗き見されて……辱めを受けたの……」
優が報復のために永久の腕をつねって、また毛布にもぐりこんだ。

「確かに朱雀くんの行動には私たち驚かされることが多いけど、からかわれただけだよ。私は泣き虫じゃない、少なくとも優よりは」
「どうかな。……なんなら勝負する? どっちが最初に泣かないか」
「いいけど、優がすぐに朱雀くんに泣かされちゃうに決まってるわ」
「ひっどい! 永久、そんな風に見てるの? 言っておくけどあんな奴、目じゃないわよ」
「ストップ、ストップ! もう二人とも、やめて! あなたたち、自分たちの置かれてる状況を分かってるの? ここは安全なベラドンナではないの。私たちは今日から、ダイナモンで差別の標的にされるのよ。現実は優や永久が思ってるよりも深刻で、私はそのことで一晩眠れなかったっていうのに、二人とも……、朝からどうでもいいことでケンカするのは止めてよね……」
そう言った流和が、いきなり顔をしわくちゃにして泣き始めた。

「ああ流和……どうしたの、泣かないで」
流和が感情をむき出しにして泣きだすなんて、初めてだ。突然のことに、永久が動揺して優に助けを求めた。
だが優は、ニヤニヤ笑いを隠しもせずにこう言った。
「あらら、一番泣き虫なのは流和だね」
と。

永久が無言で優に睨みをきかせ、慰めるように流和をそっと抱きしめる。
優はわざとらしく頬を膨らませてベッドから抜け出し、避難した。
流和の押し殺した泣き声だけが、静かな部屋の中に響いている。

永久が、なんとか流和をなだめようとするものの、効果はない。

「ねえ、優もなんとか言ってよ。私たちちょっと軽薄だったわ。流和に謝るべきよ」
だが、優は永久の言葉に耳をふさいで、クローゼットの前でピンク色のネグリジェを脱ぎ捨てた。
「優!」
永久が怒った顔をする。

「わかったってば、謝ればいいんでしょう。でも、これだけは言わせて。苦しみに合うことよりも、悲しみに合うことよりも辛いことがこの世に2つだけ。愛する人を失うことと、自分を見失うこと。わかる?」
「え?」
「私がルビーを手に入れた13の誕生日に、ママが贈ってくれた言葉なの。あのときは意味がよく分からなかったけど、今ならなんとなく分かるんだ。つまりね、流和、ダイナモンの子たちに何をされようと、何を言われようと、そんなのは一時の苦しみや悲しみにすぎないの。だから、流和も永久も私も、どんな時にも自分を信じて、生きたいように生きるべきだってこと。私は、笑ってる流和が好き。ダイナモンに戻って来たからって、昔みたいに無理することないって。流和がやりたいようにやればいいんだよ。私はいつも、流和の味方になるから」

「もう、そんなボサボサ頭でよく言うわ……」
流和が永久の胸から顔を上げて、呆れたように鼻をすすった。
「ねえ、実は昨日、私も眠れなくて」
流和が泣きやんだのを見計らって、今度は永久が口を開いた。
「あら、永久も?」
「いろいろなことがありすぎて……。それで、これを作ったの」
そう言って、永久が制服のポケットから刺しゅう糸で編んだ紐を取り出した。赤、青、白の3色で編みこまれた紐が、全部で3本、永久の白い手に握られている。
「大したものじゃないんだけどね、3人で一緒にベラドンナに帰れるように、願いを込めて編んだの」

「あ! もしかしてそれ、プロミスリング? 私が小学生のとき、流行ってたやつだ。永久って、好きだよね、そういう縁起物」
「プロミスリング? 何それ」
流和が、永久の手のひらの小さな輪を不思議そうに見つめた。
どうやら、魔法界ではプロミスリングは流行らなかったようだ。

「願い事をこめて手首に結ぶの。紐が自然に切れた時、その願いが叶うというのがプロミスリングよ。でも私が作ったのは、願いかけというよりもお守りね。赤い糸が優で、青い糸が流和、白は私。3人で一緒にベラドンナに帰るときまで、このリングが私たちを結び合わせ、守ってくれますように」

永久が祈るようにそう言った時、小さな光の粒が永久の周りでキラリと輝いた。
永久自身は気づいていないようだが、優と流和が、一瞬、驚いたように顔を見合わせた。永久の光の魔法が、永久の意識していないところで働いている。
言葉なしに発動する魔法は、強い魔力や強い思いがある証拠なのだ。

永久が、流和と優の二人の左手首にリングを結んでくれた。
そのお返しに、永久の手首には、縁起をかついで流和と優の二人で一度ずつ結び目をつけた。
「ありがとう、永久。3人でお揃いの物を身につけるなんて、初めてよね。とっても嬉しい」
編み込まれた糸の間がキラキラ光っているように見えるのは、永久の光の魔法が編み込まれているからだ。
それは流和にとっては大切な友からの、しかも特別な魔法の贈り物だった。

「それはいいけど、どうでもいい時にプッツリ切れちゃったらがっかりだよね」
と、化粧台の前でボサボサの髪を撫でつけていた優が水をはさむ。
「優ったら!」
永久がすかさず、さっきの仕返しに優の腕の内側の、柔らかなところをつねった。

「それにしても、その髪……ほら、梳かしてあげるから、こっちに来て。このままじゃ朝食に遅れちゃう」
流和が笑って、優を手招きした。

「いいの、こんなの手櫛で充分だよ。櫛なんか、通りっこないんだから」



それから身支度をすませて、3人が螺旋階段を降りて行くと、ベーコンの焦げた匂いや、食欲をそそるオニオンスープの匂いが漂ってきた。
朝食を知らせる鷲時計は、優が鏡の前で自分の髪と格闘しているときに、とっくに鳴っていた。
優たちが階下に降りて行ったときには、多くの生徒がすでに朝食をすませて、それぞれの教室に移動を始めているところだった。

2階にある、ダイナモン魔術魔法学校の大食堂。
そこは、聖ベラドンナ女学園の光の食堂に比べると、極めて陰湿な印象を優に与えた。
天井も壁も、灰色のゴツゴツした岩が剥き出しになっているために、まるで洞穴みたいに見える。
しかも、食堂内には、小さな天窓がずっと上の方にわずかにあるだけなので、全体的に薄暗い。
これじゃ、どんなに天気の良い日でも、気持ちのいい陽光は届かないだろう。

食堂の端から端まで続く長テーブルの上に、料理が山盛りに並べられているのを、自分で取り分けて自由に食べる仕組みらしい。
優が、流和と永久に並んで適当な席に座ると、すぐに、吏紀が優に大盛りのマッシュポテトを持ってきた。
「バターをたっぷりのせておいたから、ちゃんと食べろよ」
「ちょっと、何よこれ! こんなに食べれるわけないでしょ。こっちは寝不足で、食欲なんてないんだから」
「おはよう吏紀」
「おはよう、吏紀くん」
「おはよう、女子のみなさん。俺はもう済ませたから、先に行くけど、一時間目は薬草学だ。遅れるなよ」
吏紀はそう言うと、最後にもう一度、「ちゃんと食べろよ」と優に念を押して、足早に食堂を出て行った。

「嫌味なやつ。お風呂でのことにかこつけてるんだ」
優がムッと膨れて、吏紀が置いていったマッシュポテトの皿をつついた。
「吏紀なりに、昨日のことを悪かったと思ってるんじゃない?」
流和がテーブルの中央から紅茶をとって、永久と優に注いでくれた。

「食欲が出ないよ。メロンソーダが飲みたい」
優が文句を言った。だが、テーブルの上にはコーヒーと紅茶と、牛乳とオレンジジュースしかない。

「一晩寝てないくらいでヘタってたら、魔法使いは務まらないぜ。2、3日寝なくても平気でいられるくらい体力つけないとな、ゴホッ……子ども体型」
「おはよう空」
「おはよう、流和」

昨日の沈黙の山での事件をまるで感じさせない、快活な様子で、空が流和に微笑みかけた。
そして、優と永久が見ている目の前で、いきなりテーブルの向こう側から身を乗り出してきて、流和の頬にキスをしたのだ。
優はポカンと口を開けて、フォークを取り落とした。
「ちょっと待った、今何て言った?」
「別に何も、ちょっと咳き込んだだけだ。ゴホ、ゴホッ!……子ども体型っ」
キスをすませた空が、透視するように優の制服の胸元を見てニヤリとした。

「呆れた! 流和の彼氏じゃなかったら、フォークの先で突いてやってるところよ!」
「空、優をからかうのはやめて」
すかさず流和が割って入り、話を切り替える。

「そういえば、朱雀は?」
だが、流和のその言葉に今度は空がムッとした。
「さあ、見てない。なんで? 俺が目の前にいるのに、朱雀の居場所の方が気になるわけ?」

たちまち、空と流和の間に張り詰めた空気が流れる。その様子に、永久と優が苦笑いして目配せし合った。
空が物凄い焼きもち焼きであることは、誰の目にも明らかだ。

流和が言った。
「学内に凶暴なトロールと、美の女神ビーナスがいるとして、最初に居場所が気になるのはどっちだと思う?」
空が首をかしげる。
「ビーナスは裸?」
「ええ、裸だとしましょう」
「それなら断然、裸のビーナスの居場所がまず一番最初に気になるはずだ」
「でも私は、凶暴なトロールの居場所の方が気になるの」
「どうして?」
「警戒しているからよ」
「……なるほど、言いたいことはなんとなく分かった」
「良かった。愛してるわ、空」
「俺もだ。じゃあ、後で。薬草学の教室で待ってる」

空は、席から立ち上がるなり、慣れた手つきでさり気なく流和に投げキスして、食堂を出て行った。
キザな奴だ、と、優は思う。
流和はどうして、あんなのがいいんだろう。
見えないキスを蠅たたきで討ち落としてやりたい気持ちを必死に抑えて、優はマッシュポテトを紅茶で喉の奥に流しこんだ。

その横で、永久が真面目な顔で優にこう囁いた。
「空くんて、とってもロマンチックよね」


優は紅茶を吹き出した。





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