月夜にまたたく魔法の意思 第5話10




「あとは、高円寺朱雀をどう説得するかじゃな」

校長室で薬師丸と二人きりになった業校長は、考えあぐねて長い髭に手をやった。

「そうですね、高円寺は優秀ですが、生き物全般を嫌ってますから、ドラゴンの面倒を見るのを嫌がるでしょう」
「だが、明王児優一人にフィアンマ・ドラゴンを任せるのは、少々厳しいかもしれぬ。あの子は魔法から離れた生活をしておったせいで、自分の力を制御するのが難しくなっているようじゃからな」
「その点、高円寺は火力をコントロールするセンスが天才的です。あの子なら、おそらく明王児優の暴走を止められるでしょう」

「さよう。だがしかし、なぜ朱雀は、薬草学の授業で明王児優が暴走したときに、ファイヤー・ストームを止めなかったのか。 ……さてはあ奴、ファイヤー・ストームを抑えることができたのに、皆が恐がって逃げ回るのを面白がって見ていたな……、想像に難くないことじゃ、まったく」

「高円寺は、そういう子ですからね。ドラゴンの飼育をさせるのもおそらく無理でしょう」

「いや、だが、今回ばかりはそうとも限らん」
業校長が含み笑いしながら、戸棚からかりん糖を取り出して、一かじりした。

「と、言いますと?」
薬師丸がキラキラ光る新しい眼鏡をずりあげて、校長に聞き返す。

「明王児優の存在じゃよ。不思議なもので、あの子にはどこか人を惹きつけるオーラがあるな。まるで鉄を精錬し、混じりけのある金を純金に変える炎のように、周りの人間を変えてゆく子じゃ」
「シュコロボビッツの特徴ですね」
「そう、だからこそ、昔から、炎の魔法使い同士は強く惹き合うのじゃ。明王児優がドラゴンの世話をすることになれば、遅かれ早かれ、朱雀も必ず動きを見せるであろう」
「つまり、今は傍観者の朱雀も、明王児優が関わればそうではなくなると?」
「ワシはそう見ておるがの。どれひとまず、このまま流れに任せるとしようではないか。きっと上手くゆくぞ、ほっほっほ。ワシにいい考えがある」

校長がいつになく愉快そうに笑うので、薬師丸もわずかに口の端を吊りあげて微笑んだ。
「承知しました」
業校長に鋭い先見の明があることを、薬師丸はよく知っている。おそらくきっと、業校長の言う通りになるだろう、と薬師丸も思った。



その頃、ダイナモンの食堂では、流和と永久の二人が、口数も少なく同じテーブルについていた。
羽根のついたペンと伝票が対になって食堂内を飛びまわっていて、新しく席についた生徒たちの所にオーダーを取りに来る。
食堂内をブンブンと、虫が飛び交うような音だ。

「何なのこれ!? 落ちつかないわ、こんなにうるさく飛びまわられたんじゃ、きゃあ!」
物凄い速さで、ペンや伝票がすぐ目の前を飛び抜けて行くので、永久が神経質に身をかがめた。

「そのうち慣れるわよ。決めた?」
「うん、ほうれん草のクリームスパゲティーにする」
永久が即座に注文を決めて、メニュー表を閉じた。

流和が慣れた様子で手を上げ、羽根ペンと伝票を呼び寄せる。ペンと伝票が、すぐに目の前に飛んで来た。
「ほうれん草のクリームスパゲティー、それから、飲み物は?」
「ダージリンティー」
「ダージリンティーよ。 私はブルーベリーのベーグルサンド、生クリームたっぷりね。それから、生ハムサラダとオレンジジュース」

「俺は子牛のソテーとポテトサラダ、あと、コーヒー」
前触れもなく向かいの席に滑りこんできた空が、流和のオーダーをとったのと同じペンに付け加えた。
ペンが忙しく伝票に注文を書き込む。
その動きが止まる前に、空の後からやって来た吏紀が、さらに注文を重ねる。
「地中海風ピラフと小エビのカクテルサラダ。アイスコーヒーをつけてくれ」

ペンが狂ったように伝票を書きあげ、やがて物凄い速さで厨房の方に飛んで行った。

空と吏紀の二人しかいないのを見て、流和が訊ねた。
「あら、もう一人はどうしたの?」
「もう一人、って朱雀のこと? 朝も俺に同じこと聞かなかったっけ、流和」
空が棘のある口調で言った。

「朱雀くん、朝もいなかったんじゃない? 食事を摂らなくて平気なのかしら」
永久がさりげなく口を挟んだ。
「朱雀は朝食を食べないことが多いんだ。もうすぐ来ると思う」
吏紀が席につきながら永久に答えた。

「朱雀のことが気になるんだな」
空が流和に話をぶり返す。
「自然な会話の流れでしょう。あのねえ空、私は今、それどころじゃないの。優が校長室に連れて行かれちゃって、どうしようってとても気持ちが落ち込んでいるんだから、くだらないことで私を煩わせないでちょうだい」
流和がプイとそっぽを向いた。

「へえ、もう連れて行かれたのか」
流和と空のいつもの痴話喧嘩をよそに、吏紀が呟く。
永久が頷いた。
「そうなの。どんな顔で戻って来るか、とても心配だわ。本当に鞭でお尻を叩かれてるかもしれない」
「鞭でぶたれるくらいならまだいいが……」
吏紀が何やら考え込むふうに、テーブルに肘をついた。
「それどういうこと?」
途端に永久の顔が強張る。
吏紀が他人事のようにすました顔で永久に答えた。

「僕は薬草学の教室を爆発させたことはないから、想像もつかないな」
「そうでしょうね」
優のことが心配でたまらない永久は、吏紀のことをまだよく知らなかったが、ただ漠然と吏紀のことを羨ましいと思った。
見るからに優等生というタイプの吏紀は、悪いことをして罰を受けたことなんか、ないのかもしれない。
永久は誰よりも努力家だったが、ベラドンナでどんなに努力しても、魔法使いとして良い成果を出せたことは少なかった。
空を飛べるようになったのだって、つい最近のことで、親友の優が永久を励まし、最後に吏紀が力を貸してくれたからだった。

永久はテーブルの向かいに座る吏紀を見つめた。
短めに切りそろえられた吏紀の髪には清潔感があり、知的な眼差しは、いつも何かを考えているように宙をさまよっている。
こういう男の子を、永久はあまり見たことがない。スラリと背が高くて、ルックスはバッチリって感じだ。
ただどこか、冷たくて霞んだ印象を与えることは別にして……。
この人はどんな人なんだろう、と永久は物思いに沈んだ。
「冗談だよ」
吏紀がいきなり微笑んだので、遠慮なくジロジロと人間観察に浸っていた永久は、慌てて我に返った。
「え、何が?」

「鞭でぶたれるよりひどい罰を受けてるかもしれない、ってほのめかしたこと。冗談さ」
吏紀が小首を傾げた。永久の反応が予想外だったのか、考え込むような顔をする。
だが、テーブルに近づいて来た朱雀に気づいて、吏紀の思考はすぐに中断されたようだ。
「朱雀、やっと来たな」

「やっとだって? 時間通りさ。 リブステーキとオニオンスープ。サラダはいらない。レギュラーコーヒー、冷めてたら承知しないぞ」
吏紀の隣の空いている席に座るのと同時に、朱雀が早口で言った。注文を受けたペンと伝票が、朱雀の前にたどり着く前に慌ただしく厨房に引き下がって行く。

「あいつはどうした」
席に着くなり、流和と永久の二人を見て朱雀が聞いた。

「『あいつ』って、優のこと? 優のことが気になるんだ」
流和が、空の真似をして棘のある口調で言った。 

「なんだ、また喧嘩か。おめでたい奴らだ」
流和の口調と空のふてくされた様子に気づき、朱雀にもすぐに事態がつかめたようだ。
でも、その喧嘩の原因が朱雀本人だということを、朱雀は知らない。

吏紀が代わりに答えた。
「校長室に連れて行かれたらしい。もうじき戻って来るだろうが、お前の探知魔法があれば、優が今どこにいるか、聞かなくても分かるだろ」
途端に、朱雀が苛立った様子で天を仰ぐ。
「どうして俺が、あいつを探して『魔法』を使わなきゃならない? あいつごときに、この俺が。 はっ! ごめんだね」

そうは言いつつも、直後、食堂に入って来た優に一番最初に気づいて振り向いたのは朱雀だ。炎の力を感じて。
「忌々しい奴め」
朱雀が毒づいた。
強い魔力は探知魔法を使わなくても感じ取ることができてしまう。

「優、ここよ! 席とってあるから」
永久が手を上げて優を呼んだ。

「キャアッ! 何なの、危ない」
優が羽根で飛びまわるペンとぶつかりそうになって、反射的に思い切り叩き落とした。
哀れなペンは床に叩きつけられて羽根が折れ、フラフラと力なく低空を飛び去って行った。
それから優は、通路を通って永久たちの座る席に来るまでに、まるで害虫を追い払うように、ブンブン飛びまわるペンや伝票を次々に叩き落とした。
「あいつ何やってるんだ? 正気とは思えない」
「営業妨害だな」
空と吏紀が呆れたように呟く。


「優、どうだった?」
永久が同情の眼差しを向け、優を迎え入れた。
しかし、優は永久の質問には答えず、テーブルの向かいに座る朱雀、吏紀、空の3人に目を止めた。
「どうしてこの人たちが同じ席にいるの?」

嫌な顔をして席に座ろうとしない優の元に、注文を取りにペンと伝票が飛んで来て、優の餌食となる。パシッ!
どうやら、不機嫌な火の魔法使いは朱雀だけではなさそうだ。

「話は座ってからよ。優、ほら、昼食をオーダーして」
羽根の折れたペンと伝票が再び叩き落とされる前に、流和が優にメニュー表を差し出した。


「ハンバーグとプリン。メロンソーダある?」
「そんな劇物はここにはないって、前に言ったろ」
優のオーダーに、即座に朱雀が口を挟み、朱雀と優が一瞬、睨み合った。

「魔法使いって、どうして文明を遠ざけて不便な暮らしをするのかな。自虐的趣向だと思わない? コンセントも、電波も、テレビも、メロンソーダもない生活なんて……」
「そんなに劇物が飲みたければ、自分で沼の水を汲んで来て硫酸を入れて飲めばいい。ついでにトロールの鼻水を入れたら、色もそれらしくなるぞ」
朱雀の認識の中では、ファンタグレープに準ずるメロンソーダはあくまでも『劇物』扱いのようだ。

優がしげしげと朱雀を見つめた。
そして、朱雀の炎の力がいつにも増して、メラメラといきり立っていることに気づいた。
それは優に対していきり立っているというよりも、何か別のことで腹を立てているような感じだ。揺れる朱雀の熱に、優は首を傾げた。

「どうしてそんなにイラついてるの? すごく、不安定な感じがするね。まるで生理中の女の子みたい」
からかったのではなく、優は本気でそう言ったのだ。
朱雀が不敵な笑みを浮かべて優を見つめ返す。
「男と女の違いが分かってないようだな。身体で教えてやろうか」

この二人、すごいことを言い合ってるぞ、と、周りにいる誰もがそう思った。だが、朱雀と優の二人はいたって平静だ。

「レモネードがあるわよ。優、レモネード好きでしょう」
流和が裏返りそうな声で言った。
「じゃあ、レモネード」
優がパタリとメニュー表を閉じ、席に着いた。ペンと伝票が、力なくフラフラと厨房に引き下がって行く。

「大丈夫? 優。顔色があんまり、よくないようだけど」
「平気、だけど面倒なことになっちゃった……」
優は校長室での出来事を思い出して、いきなりテーブルに顔を突っ伏し、大きな声を出した。
「ああ! もうベラドンナに帰りたい!」
「うそ、鞭でお尻を叩かれて、ベラドンナに強制送還されると思ったのに、違ったの?」
流和がビックリして優を覗きこむと、優がテーブルに顔を突っ伏したまま激しく首を横に振った。毛糸玉がモコモコと揺れる。

「それはないだろう、試しの門を受けずに帰らせるなんて、業校長がそんなことをするはずがない」
「あり得ないな」
空と吏紀がそう言って、顔を上げた。料理がすでに運ばれてきたようだ。
厨房から皿を運んでくるのは、今にも料理をぶちまけそうなほど不安定に揺れる空飛ぶお盆だ。
さすがに皿を載せた盆は、魔法のペンや伝票のようにバタバタとは飛びまわらないようだが、それでも蝶のように右に左に揺れすぎなので、心もとない感じがする。
初めに4枚の盆が、ユラユラと舞って来て、永久、流和、空、吏紀の前に着地した。

永久のほうれん草のクリームスパゲティー、流和のベーグルサンド、空の子牛のソテー、吏紀の地中海ピラフ。
まもなくして、朱雀のリブステーキと、優のハンバーグも同じように盆によって運ばれて来た。
全て注文通りだ。

「私は出来ないって言ったのに……」
優が、校長に命じられた使命を思い出してぼやきながら、焼きたてのハンバーグを口に頬張った。
それを見て、空がもの申す。
「ナプキン、使えよ」
空が盆に備えられているナプキンを手早く広げて、膝の上に置いて見せた。優雅な動きだ。
優はもう一口ハンバーグを大きく頬張ってから、言われた通りにナプキンに手を伸ばした。
「男の子にそんなこと言われるの初めて」
「口に物を入れたまま喋るな」
「うるさいなあ、もう」
優が空を睨む。

流和が苦笑いしながら口を挟んだ。
「空はテーブルマナーにはうるさいの」
「お坊ちゃんだからな」
朱雀が小馬鹿にしたように言うが、そう言う朱雀もナプキンの使い方は心得ているようだ。

「黙れ。テーブルマナーの悪い奴と一緒に食事をすると、気分が悪くなるんだ」
そう言った空をはじめとして、朱雀や吏紀、ダイナモンの生徒たちはナイフやフォークの使い方がとても上手い。食事の流れがとても自然で、美しくさえある。
テーブルマナーの授業でもあるのだろうか、と、優は思った。

「悪かったわ、ごめんね。 ……んッ!」
レモネードを飲もうとしながらそう言ったので、優がタイミングをはずして口から少しこぼした。
空が呆れたように見つめて来たが、今度は何も言わない。


「それで?」

皆が食事に集中して会話が途切れた頃、朱雀が突然、優に話を振った。
何を聞かれているのか分からない優は、口の中のハンバーグをゆっくりと飲み下してから、口を開いた。
「何が、『それで?』なの。 会話の流れが読めないんだけど」

リブステーキをつつきながら、朱雀が大して関心のない態度を示しながら続けた。
「校長に呼ばれたのは、何だったんだ」
「ああ、そのこと」
「そういえばさっき、面倒なことになったとか言ってたわよね、優」
永久が、スパゲティーを器用に丸めながら、話に加わって来た。

「そうなの。実は良いことと、悪いことが一つずつ。飴と鞭だって、校長先生は言ってたよ。まずはイイことから話すね。なんと、校長先生が私たちの部屋に、専用のバスルームを作ってくれることになったの」
「何でそんなもの」
朱雀にはいまいち話が分からないようだ。

「欲しい物を何でも一つ与えるって言うから、大浴場は嫌だって校長先生に話したの。覗き見されるから」
「人聞きの悪いこと言うなよ、好きで見たわけじゃないのに。あれは、景色みたいなもんだった」
と、空が言い訳する。

「年頃の女の子のグラマラスな裸を見ておいて、よくもそんなことが言えるね」
「よく言うゼ、胸板浅いくせに」

「で、その代償は何だ?」
言い合いを始めそうな空と優を遮って、朱雀が真顔で問いかけた。
業校長が優に何でも欲しい物を与えると言った、その引き換えに優に何をさせるつもりなのか。朱雀が気になるのはそこだ。

「実は、ある係に任命されたの。私は、できないって言ったんだけど……」

そう言いながら、優が食後のプリンに手をつけようとしたときだった。
巨大な高音が突如、大気を貫き、一瞬で全ての音を掻き消した。
その音に優のプリンが揺れ、永久がフォークを取り落として耳を塞ぎ、流和のオレンジジュースのグラスが割れた。

空飛ぶ盆が怯えて皿を床に落とし割っても、音という音は一切聞こえない。ただ、突然に起こった巨大な金木り音が全てを掻き消す。
周囲にいるダイナモンの生徒たちが、恐怖と不安に顔を歪めているのが見えた。みんな、それが何の音なのかを知っているようだ。

『何なの、この音は!?』
優が叫ぶが、そう叫ぶ自分の声さえ聞こえない。

金木り音が止み、自分の聴力がまだ正常だということに気づいたのは、食堂に駆けこんできたダイナモンの男子生徒がこう叫ぶのを聞いたからだ。

「ドラゴンだ! フィアンマ・インテンサ・ドラゴンが中央広間にいるぞ!」




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