月夜にまたたく魔法の意思 第5話11





フィアンマ・インテンサ・ドラゴンが中央広間に? 一体、何のことやら。
ざわめき立つ食堂内の生徒たちを尻目に、優はプリンにスプーンを突きさした。
その時、一人の大柄な男が食堂内に入ってきて、優の名前を呼んだ。

「明王児優! ベラドンナから来た明王児優はいるか!」

毛皮のチョッキにムートンブーツを履いた、猟師のような出で立ちのその男は、食堂に座っている灰一色のダイナモンの生徒たちの中から、ベラドンナの白い制服をすぐに見つけ出し、優たちのいるテーブルまでやって来た。

「明王児優はどの子だ」

優がプリンを一口食べて、手を上げる。

「ああ、君か! よし、すぐに私と一緒に来るんだ。業校長から話は聞いている、君が新しいドラゴンの飼育員だとな。ちょっと手を貸してくれ」
「うわっ……」
皆が唖然として見つめる中、分厚い革のグローブをはめた手が軽々と優の身体を持ち上げ、連れ去った。
有無を言わせぬ早業だ。

「……あれ、誰なの?」
「魔法生物学の熊骸(クマガイ)先生よ」
と、流和が早口に答える。

向かいの席で、吏紀がひび割れたグラスをテーブルに置いた。
「なるほど、ドラゴンの飼育員とは、考えたな。竜の巣を利用しようというわけだろう」
「まさしく、火の魔法使いに御あつらえ向きって感じだな。けど、アイツ大丈夫かな。さっき確か、フィアンマ・インテンサ・ドラゴンって……。やばいんじゃないか」
空が他人事のようにそう言いながら、台無しになった食事を見下ろして溜め息をついた。
その横で、朱雀がナプキンで口元をぬぐい、テーブルの上に叩きつけるように放って、勢いよく立ち上がった。

「朱雀?」

朱雀はそのまま足早に食堂を出て行った。
空、吏紀、流和、永久の4人が顔を見合わせ、ほぼ同時に立ちあがった。食べかけの昼食はそっちのけで、皆、向かう先は同じ中央広間だ。


鷲時計が置かれた中央広間は、その名の通りダイナモン魔法学校の中心に位置している巨大な空間で、主に祭事や儀式、舞踏会などで使われる。
天井から吊り下げられた煌びやかなシャンデリアがなんとも豪勢で、碧玉の床を一層輝かせている。
広間はぐるりとテラスに囲まれており、天気のいい日は四方からサンサンと光が照りこむ。どの窓からも中庭に出て行くことができて開放的だ。
ここは、ダイナモンの者ならいつでも自由に出入りすることのできる公の場所。

普通、ドラゴンは人が居住していない西の塔で管理されているはずで、こんな公の場所に出て来ることはなかった。
城内に、しかも中央広間にドラゴンがいるなど、前代未聞の大事件だ。危険すぎる。
それも、ドラゴンの中でも特に凶暴なフィアンマ・インテンサ・ドラゴンが現れたとなっては、学校中が大騒ぎになるのも不思議はない。

すでに中央広間には、普段では滅多に御目にかかれないドラゴンの姿を一目見ようと、多くの野次馬たちが集まっていた。
流和や永久、空、吏紀も、そんな野次馬たちを掻き分けて中央広間に入って行く。
その野次馬たちから少し離れた所にポツンと、優が立っていた。その目の前に、黒い鱗を光らせた巨大な生物がうごめいている。
体調がゆうに4、5メートルはあろうか。弧を描いた鋭い四肢の爪が碧玉の床を砕き、筋の立つ長い尾が時折振りまわされて、壁や床を鈍く破壊し、ドスンドスンと音をたてていた。
――フィアンマ・インテンサ・ドラゴン

今、口枷と足枷をはめられて、どうにか動きが抑えられているドラゴンは、燃える紅の瞳を見開いて辺りをねめつけている。
その瞳にあるのは、恐怖と憎悪と、激しい怒り……。

枷をはめられたドラゴンが、黒い翼を広げて羽ばたいた。途端に、物凄い風圧が広間に吹き荒れ、何人かの生徒が身の危険を感じて地面に伏せた。
優も、ドラゴンの巻き起こした風圧に押されて、よろめいた。
ドラゴンがあまりに暴れるので、四肢に当てられた足枷が今にもはずれてしまいそうだ。

熊骸先生が優の背中を押し、ドラゴンに近付けた。

「業校長の命令なのだ。異例ではあるが、フィアンマ・インテンサ・ドラゴンを中央広間に連れ出し、明王児優と引き合わせるように、と。君なら必ず、ドラゴンを鎮めることができると業校長は仰った。だから今、君の力を皆の前で見せてもらいたい」

――そんな、無茶な!
優が目を丸くして熊骸先生を振り返る。
だが、熊骸先生は間髪入れずに素早い動きで長い鎖を引いた。その鎖は目の前のドラゴンの口枷につながっており、熊骸先生が鎖を引いたことで、ドラゴンの口に嵌められていた枷がゆるんで、けたたましい金属音と共に地面に落ちた。
そんなことをしたら……!

クワアアアアアアアアアアア!!!

ドラゴンの嘶きが、地響きを伴って辺りに響き渡った。建物自体を崩しかねない大音量が、振動となって生ける者全ての血と肉を震え上がらせる。
優は両手で耳をふさいで、腰を抜かしそうになりながらも、かろうじてドラゴンを見上げた。鳴き声の振動が、心臓にまで直接伝わって来て、胸が痛い。
だが不思議なことに、このとき優が感じていたのは恐怖ではなかった。
恐いというより優はむしろ、初めて見る伝説のドラゴンに対する神秘と好奇心の方が強かった。
そして同時に、優は戸惑ってもいた。こんな見たこともない生物を、素人の自分に一体どうすればいいというのか……。

ぽかんとして見上げる優に、ドラゴンが牙を剥いた。強い炎の力がドラゴンを覆って行くのが感じられる。優に危害を加えようとしているのは明らかだ。
それでも優は、どうしていいのか分からずに、立ちすくむ。

「皆、危ないから下がれ!」
熊骸先生が危険を感じてそう叫んだとき、フィアンマ・インテンサ・ドラゴンが優に向かって容赦なく火炎を吹いた。

優は一瞬にして炎に包まれた。目の前が真っ赤になるとはこのことだ。
誰もが息を呑んだ。フィアンマ・インテンサ・ドラゴンの炎を直に受けて無事でいられる者などいないと思ったからだ。
それは全てを焼きつくつ灼熱の炎……。

だがしかし、優は無傷だった。ドラゴンの吐き出す炎がおさまった時、優の隣に緋色の瞳を輝かせた朱雀が立っていた。
まるで優をかばうかのようにかざしていた朱雀の右手から、煙が上がっているのが見えた。
朱雀は今、目の前のドラゴンからは目をそらさずに、かざしていた右手を痛々しげに降ろす。
「さすがに、強烈だな」
朱雀が毒づく。
――それは業校長のもくろみ通り、傍観者だった朱雀が自ら他人に介入した瞬間だった。

一方で、何も知らない優が不思議そうに朱雀を見上げる。
「何してるの?」
「何、って」
朱雀が呆れて目を見開いた。
「助けてやったんだろうが。ドラゴンの炎は、お前にはまだ早い」
そう言いながら、朱雀は優とドラゴンの間に立った。
そんな朱雀の背中を見つめて、優が首を傾げる。初めて会った時、人のことを呪縛魔法で焼き殺そうとしておきながら、よく言えたものだ、と優は思った。

「助けてもらわなくても大丈夫だったよ」
素直に礼を言うのがなんとなく癪で、優が口を尖らせた。朱雀は結局いつも、憎まれ口を叩きながら優のことを助けてくれる。そんな朱雀のことを優は理解できない。
「震えあがって声も出なかったくせに」
「別に、震えあがってなんか……」

クワアアアアアアア!!!
ドラゴンの叫びが再び辺りを一掃し、全ての音を掻き消した。
優と朱雀が、並んでドラゴンを見上げる。

「この鳴き声には我慢がならない」
朱雀が舌打ちして炎を瞬かせた。朱雀がドラゴンに攻撃を加えようとしているのだと悟って、優が止めに入る。
「攻撃的な炎はダメ! 何考えてるの、正気?」
「はあ? ……お前に言われたくない。どっちが上かを思い知らせてやるんだ、そうすれば大人しくなるだろ」
「犬じゃあるまいし! そんなことをしたらこの子をもっと怒らせてしまうだけよ」
優が肘で朱雀を押しのけて、ドラゴンの前に出た。

「さあ、そんなに怒らないの、いい子だから。枷をはめられたのが嫌だったんだね。すぐにそれを外してあげるからね。私は、明王児優。ほら、何もしないよ」
優は身をかがめ、両手を広げてドラゴンの前に無防備な体勢を取り、頭を垂れた。
ドラゴンは鼻息荒く頭を一振りすると、警戒するように優を一瞥し、それから優に噛みつくように大きく口を開いた。
「きゃああああ!!」
野次馬たちから悲鳴が上がり、朱雀が身構えた。
だがすぐに、広間がシーンと静まり返った。

ドラゴンは優に噛みつくような仕草を何度かしてから、それでも優がジッと動かないのを見ると、今度はその大きな鼻先で優の頭を一突きした。
優が一瞬よろける。が、それでもジッと動かずに、ドラゴンの気がすむまで自分の身体を調べさせる。
鋭い牙で頭をガブリとやられてもおかしくない、危険な状態であることに違いはなかったが、優はジッと耐え続けた。
全く恐くないと言ったら嘘になる。けれど優は、もしも本当に自分に危険が及んだときには、背後にいる朱雀が助けてくれるから大丈夫だという気がしていた。
だからこそ優はこんなに大胆に、ドラゴンの前に無防備をさらすことができるのだ。

やがてドラゴンの鼻先が優の額に触れて、動かなくなった。
ドラゴンの強い炎の力を感じて、優の肌が赤らむ。どうやらフィアンマ・インテンサ・ドラゴンには火属性の魔力があるようだ。
ドラゴンと額が触れた時、優は火の魔法使いに触れられているのと似たような感覚を覚えた。


――グルエリオーサ

ドラゴンの心臓の鼓動が伝わってきて、優の鼓動と一つになった。
優はゆっくりと目を開いて、ドラゴンの瞳を覗きこんだ。シュコロボビッツの瞳に似て、燃えるように赤い、綺麗な目だった。
そのドラゴンの瞳が、警戒するようにすぐ近くで優を見下ろしている。先ほどの激しい怒りと憎悪は消えていたが、不安や不信感はまだ消え去っていない。

「はじめまして、グルエリオーサ」
優の言葉に、ドラゴンがゴロゴロと低く喉を鳴らした。
優が恐る恐る、そっと手を伸ばしてグルエリオーサの鼻筋に触れる。
じっとりと湿った鱗が、手のひらに吸いついてザラザラした。とても硬くて岩みたいにゴツゴツしている。でも、熱いくらいの温もりがあって、呼吸とともにかすかに上下する感触から、確かに生きている、生き物なのだということが分かる。

「朱雀、来てみて。とっても温かい感じがする」
生まれて初めてドラゴンに触れた驚きに、優が我を忘れて朱雀を呼んだ。
「俺はいい、生き物は好きじゃない」
「いいから」
優が片手をヒラヒラさせて朱雀をせっつく。嫌がる朱雀は、仕方なく優に歩み寄った。
ドラゴンが警戒して朱雀を睨んだ。
「大丈夫よ。この人は朱雀、イヤな人だけど、悪いことはしないと思う」
「どういう意味だそれ」
「いいから、早く。ほら、暖炉の炎よりも温かい感じがするの」
いぶかる朱雀の手を、優が掴んでドラゴンの鼻先に乗せた。その瞬間、優が感じているのと同じように、朱雀の中にもドラゴンの炎の躍動が流れて行く。

――グルエリオーサ

優の言っていた言葉の意味を理解して、朱雀がかすかに微笑んだ。
「そうか。はじめまして、グルエリオーサ」

「聞こえた?」
優が興奮に瞳を輝かせて、朱雀を見上げる。
朱雀が黙って頷いた。こんな風にいつも素直だったら可愛いのに、と内心、優に苦笑しながら……。


ダイナモン魔術魔法学校で、フィアンマ・インテンサ・ドラゴンに素手で触れたのは、優と朱雀が初めてだ。
二人の様子を密かに遠くから見守っていた猿飛業校長が、厳かに微笑んだ。
「魔力が衰えし暗黒の時代。だがしかし、新しい伝説が、ここから再び始まるのかもしれぬ」




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