月夜にまたたく魔法の意思 第4話4





図書室にはすでに、今夜ダイナモン魔法学校に出発する全員が揃い、朱雀と優の二人を待っていた。
朱雀が言った通り、荷物は暖炉宅配便で先に送ったのか、皆、手ぶらだ。
「朱雀、ちょっと来てくれ。鏡抜けの段取りを話したい」
朱雀の帰りを待ち構えていた吏紀が、賢者の鏡のある方に朱雀を連れて行った。

携帯電話をもてあそんでいた永久が、優の腕をつかんだ。
「どこに行ってたの?」
「買い出しだよ。久しぶりにシャバの空気を吸いたくなって」
「まったくもう、心配したのよ。私たち、優が学園の敷地を出て行ったことに全然気付かなかったの。けど、朱雀くんが慌てて女子寮に来て、『あいつはどこに行った』って恐い顔で言うんだもの。男性立ち入り禁止の女子寮に入って来たもんだから、流和はカンカンに怒りだすし、大変だった。私たち、ちゃんと優を見張ってなくちゃダメだろうって、朱雀くんに怒られたわ」

永久が朱雀に聞こえないように小声でまくしたてるのを、優はポカンとして聞いていたが、やがて舌うちして言った。
「ごめんね、嫌な思いさせて」
「それはいいけど、心配したわよ。何か悪いことが起こってるって、朱雀くんが言ってたから……」
永久の話を聞きながら、優は横目でチラリと朱雀の様子を伺った。
確かに、何か悪いことが起こっているのは間違いない。交差点での出来事は奇妙だったし、あの時、朱雀が来なければ優は死んでいただろう。

「心配かけて、ごめん」
優はなんだか、自分が嫌になった。ここ数日の優は、やることなすこと、全て上手くいかなくて、良かれと思ってしたことが裏目に出ているような気がした。
嫌味な朱雀に命を助けられることは、優にとっては屈辱だ。
でも何より許せないのは、自分のせいで友人に嫌な思いをさせたり、余計な心配をかけてしまうこと。

「携帯に電話したんだけど、気づかなかった?」
「へ?」
永久に言われて、優は自分の制服のポケットをさぐった。
「あれ!?」
「どうしたの?」
「やだ、確かにポケットに入れてたんだけど、落としちゃったみたい! 嘘、どうしよう!」
優はいつも、自分の携帯電話をブレザーのポケットに入れていた。学校を抜け出したときにも、確かに持って行ったはずだ。
どこかに落としたのだろうか……。
もしかして、交差点で転んだ時?

「あらら。携帯落とすのはショックだよね、私も経験あるよ」

本当にそうだ。携帯電話を落とした喪失感と言ったら、足もとの安定感がなくなったような不快な感じだ。
こういう場合、まずは遠隔ロック機能で携帯にロックをかけてから、最寄りの交番に問い合わせだ。
2、3日しても見つからなかったら、携帯会社に連絡して利用を停めてもらうしかない。

「そういえば、優」
「何?」
携帯電話のことで頭がいっぱいの優に、永久がまた話しかけて来た。

「私のムーンカードに触った?」
「触ってないよ。……どうして?」
「うーん、ちょっとね。さっき見たら、見覚えのないカードが表になってたから、気になって」
おもむろに永久が、1枚のカードを優に差し出した。
――黒い山の上に赤い月が昇っている。その月の色は炎のようでもあり、流された血のようでもある。
星一つない漆黒の空に輝く真っ赤な月は、落ちて来そうなほど大きな存在感を誇っているので、見る者の心を不安にさせる。

「何これ、どういう意味なの?」
優は嫌な顔をして、ムーンカードを永久に返した。
「それが、さっぱり分からないの、何かのはずみで偶然、裏返っただけかもしれないんだけど、不気味よね」
「流和には聞いてみた?」
「うん。でも、流和にもさっぱり分からないって」

永久は、赤い満月のカードを、制服の胸ポケットにしまった。
――偶然だ
そう思いたかったけれど、ここ数日、ムーンカードの予知はことごとく当たっている。
誰かがイタズラしたのでないのなら、一体どうして、新しいカードが表向きになったのだろう。

「ムーンカードの指し示す意味は本来、願いをかけて占った者にしか分からないというわ。カード自体に特別な意味はないのよ。一見、不気味なように見えるこのカードも、占った内容によっては実はハッピーな予知かもしれないのだし……、とにかく、やっぱり分からないわ」

永久がそう言い終えたとき、優の耳に、優にだけ聞こえるあの声がした。
振り返るとそこには、<光の魔法と古の魔女>というタイトルの本があった。
――『お嬢様方、光の魔法には気をつけなされ』

その時、打ち合わせをしていた朱雀と吏紀がみんなを呼び集めた。いよいよ出発のようだ。
「みんな賢者の鏡の前に集合してくれ、時間だ。今から移動の段取りを説明する」

永久や流和、それにダイナモンの生徒たちが一斉に賢者の鏡の前に集まって行った。
だが、優だけは分厚い背表紙の本をジッと見つめて動かない。
「どういうこと?」

「おい、優。君もこっちに来るんだ」
吏紀が優を呼んだが、優はそれに、軽く手を振って応じた。
「ここからでも十分に話が聞こえるよ。続けて」

「何なの、あの子、態度悪いじゃないの」
美空がわざと聞こえるように言った。だが、優はそれを無視して<光の魔法と古の魔女>を見つめた。
「続けて」
――『光と闇は、とてもよく似ております。かつて闇に堕ちた古の魔女も、最初は光の魔法使いでした』
「古の魔女って、封印されたアストラのこと?」
――『その通り。裏切りは光から入り、闇は光の先に広がっております。ですから、気をつけなされ』
「一体、何に気をつければいいの?」

遠くの方で、吏紀が鏡抜け魔法のペアを発表しているのが聞こえた。
ダイナモンの生徒は一人で鏡抜け魔法ができるが、流和、永久、優の3人は初めてなので、それぞれ空、吏紀、朱雀がサポートにつくことになったらしい。でも、本との会話に夢中の優は、吏紀の話をよく聞いていなかった。

――『光の魔法使いだった魔女は、ムーンカードを操り、呪いをかける。その息吹は、墓の底からでも届きます』
優はゾクリと背筋に寒気が走るのを感じた。
さっき永久が見せた、あのムーンカードは、魔女の呪いだというのだろうか……?

――『あなた様はこの図書館の守護者として、私らにとても良くしてくださりました。ですから、一つだけ、私目に忠告させてくだされ』
優はゴクリと生唾を呑み、うなずいた。

――『ムーンカードでかけられた呪いは、誰かに気づかせてもらわなければ、決して気づくことのできないものです。私がそれを、今、お教えしました。私目に与えられる代償は煉獄の炎……』
突然、<光の魔法と古の魔女>が本棚で燃え上がった。

「大変!」
――『触らないで! 私は塵に帰ります。本は新しく書き換えられるもの、魔女の呪いばかりを伝えて来た私目も、そろそろ書き換えられたいのです。数百年をかけて、再び現れたゲイル様の意思を継ぐ守護者様。あなたが初めてこの場所に来られた時から、こうなることは……ゴホッゴホッ!」

優が本を棚から取り出して、床に叩きつけた。
炎を消せると思った。けれど、それは炎の魔法使いである優にも操れない炎だった。

――『ムーンカードによりかけられた呪いは、それに気付くことさえできれば、必ず解くことができます。手遅れにならなければ……、急いで、カードを燃やすのです。あのカードを持ったまま、賢者の鏡を通ってはいけない!』
「え!?」

優が賢者の鏡を見ると、永久が吏紀に手を引かれて今まさに、鏡をくぐり抜けようとしている所だった。
「永久、待って! 行っちゃダメ!!」

だが、ほんの少しだけ遅かった。
優の声に反応した永久は、優を振り向いたけれどそのまま賢者の鏡の中に吸い込まれて行った。

「あなた、さっきから何をやっているの?」
聖羅が恐い顔で優に近づいて来た。優の足もとでは、まだ、<光の魔法と古の魔女>が燃えている。
ふと顔を上げた優は、賢者の鏡と対極にある、図書室の反対側の真実の鏡に目を止めた。
何か、とても奇妙なものが鏡に映ったような気がしたのだ。

真実の鏡には、今、優の目の前に立っているダイナモンの生徒、月影聖羅の姿が写っていた。
鏡の中の聖羅は死人のように真っ青で、全体に黒い影が差しているように見えた。
夕暮れ時の光の加減でそう見えただけだろうか……?
ふと、優の頬を冷たい空気が触れたような気がしたのも、日が暮れて気温が下がって来たからなのだろうか……?

聖羅がスーっと、優に手を伸ばしてきた。その手に、包帯が巻かれている。
「その包帯、どうしたの?」
優は一歩後ろに退いて、その手を逃れた。

「転んじゃって」
「おい、俺たちもそろそろ出発するぞ。聖羅、先に行け。俺はコイツにゲイルの予言書を取らせてから、一番最後に行く」
聖羅が一瞬、ひきつった笑顔を朱雀に向けた。
「ああ、そうね。この忌々しい場所から離れられて清々するわ」
「お前、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
朱雀が聖羅にそう言いながら、優の腕をつかんで自分の後ろに下がらせ、朱雀は優と聖羅の間に立った。
――闇の魔法使いに触れられるな。
コウモリ少年が現れたときに朱雀に言われたことを、優は思い出した。

聖羅は闇の魔法使いではない。そう優は思った。少なくとも、今はまだ違う。
聖羅が発している冷たさは、おそらく、火の魔法使いである朱雀や優にしか感じられないほどのかすかなものだ。


「朱雀! 先に行くからな」
「優、あとでね!」
空と流和が賢者の鏡の中に入って行った。
その後に美空が続く。

「ほら、お前も先に行け、聖羅」
「その子がゲイルの予言書を手にするのを見届けたいわ」
「それは俺の仕事だ」
朱雀が穏やかに言った。だがその反面、威嚇するような炎の熱気が辺りに満ちて行く。
聖羅は朱雀に微笑み返すと、黙って、賢者の鏡の中に入って行った。

それを見届けてから、朱雀が小さく溜め息をついた。

「お前さ、図書委員が図書館の本を燃やすとは何事だ。一体、何を話してたんだ? 話してたんだろう? この本と、可哀そうに」
床の上で黒焦げになった<光の魔法と古の魔女>の残骸を、朱雀が同情するように見つめている。
朱雀は本のことを本当に可哀そうだと思っているわけじゃないのだ。ただ、気まずい雰囲気をそらそうとしてそう言ったのだ、と、優は思った。


「あの子、ちょっと冷たかった」
優が言った。でも、朱雀は何も言わない。

「ねえ、聞いてるの?」
「うるさい」
「闇の魔法使いになっちゃうの? あの子も、コウモリ少年みたいに」
「そういうことを聞くときには、最初に『つかぬことを伺いますが』と付け加えるもんだ。これは、魔法界ではとても、デリケートな問題なんだ。簡単にそんなことを口にするべきじゃない」
「魔法界のことなんか知らないよ。ねえ、どうなの、はっきりして」

「俺たちがどうこう言うことじゃない。あいつがどうなるかは、あいつ自身が決めることだ。みんなそうだよ、最後は自分で決めるんだ」
朱雀はそう言うと、真っすぐに賢者の鏡の前まで歩いていき、優に手を差し出した。

「行くぞ、俺たちの冒険の始まりだ」

優は、予言の書の本棚からゲイルの予言書を呼び寄せた。ゲイルの予言書は、優に呼ばれると宙を飛んで真っすぐに優の腕の中におさまった。
優はそれを胸に抱えて怪訝そうに朱雀を見つめた。
「何のつもり? あなたと手をつなぐなんて、一生ごめんよ」
優は朱雀を避けて、スっと鏡の中に飛び込んだ。
優にムーンカードの呪いのことを教えてくれた<光の魔法と古の魔女>の本のことや、図書館に残していく本たちのことを一時、すべて断ち切って、優は鏡に飛びこんだのだ。


鏡の前に一人残された朱雀は、フンと鼻で笑って鏡に映っている自分を見つめた。
「初めてだな、こんなにイイ男のエスコートを断ったバカな女は。っていうかアイツ、鏡抜け魔法ができるのか?」

朱雀は眉をしかめると、最後に急いで自分も賢者の鏡に飛びこんだ。


誰も居なくなった聖ベラドンナ女学園の図書館に、フェニキアバラの茨が伸びていく。
守護者不在の魔法の図書館は、こうして、再び守護者が帰って来るその日まで、硬く茨に閉ざされて守られる。





次のページ