月夜にまたたく魔法の意思 第4話5





真っ暗闇だ。
そういえば優は、鏡抜け魔法を知らなかった。朱雀のキザさに呆れて一人で賢者の鏡に飛びこんでしまったけど、今考え直して見ると、随分と無茶なことをしたものだと思う。
出発前に吏紀が鏡抜け魔法の注意を説明していたようだけど、優は<光の魔法と古の魔女>との会話に夢中で、あまり聞いていなかったし。

上も下も分からない暗闇の中を、優は歩き続けた。



「たった3歩でダイナモンに着くんじゃなかったの?」
やがて聞き覚えのある声がして、優は足を止めた。

「流和?」
「優も来たわね」
「うわっ」
「きゃあ!」

優は暗闇の中で、誰かにぶつかった。
「ちょっと! 気をつけてよ」
ダイナモンの暁美空の声だ。
その優に、今度は後ろから朱雀がぶつかってきた。

「なんだこれは、どうなってる?」
「これで、全員そろったな。やっぱりおかしい。どうやら俺たちは、そろって鏡抜け魔法に失敗したようだ」
「そんなまさか、どうしてだ」
「私たち、どうなっちゃうの?」
「なんだか、息苦しいわね……」

空気圧が増したような圧迫感が、闇の中にいる全員を襲った。
窓のないとても狭い部屋の中に、ぎゅうぎゅうに押し込められているみたいに、蒸し暑くて、息苦しい……。

そんな中で、空の囁く声が筒抜けで聞こえて来た。
「ここで圧迫死するとしても、君と一緒なら本望だよ、流和」
「こんなときに、ふざけないで」

流和に冷たくあしらわれても、空は気にかけてはいないようだ。不思議と、真っ暗闇の中でも息使いや語調から、互いの雰囲気を感じ取れる。
優の背後で、空と流和のやりとりに朱雀がほくそ笑んでいる気配がした。実際、朱雀は少し笑ったかも知れない。

「汗をかいた身体を柔らかな女性と密着させることは、男にとってはある種のロマンだ」
「不潔。近寄らないでよ」
優が朱雀を肘で突いた。
「痛いな、狭いんだよ。変だな、どんどん狭くなってるみたいだ」
「これって、満員電車よりもひどいわ」
永久が苦しそうに言った。

「鏡の中での死。詩人も想像できないような死にざまだな」
吏紀までもが感傷深いことを言い始めた。

「男って最低ね」

圧迫感が、数秒ごとに強くなっていく中で美空が呟いた。

「さあ、どうする?」
「朱雀、なんとかしてよ」
「無理だ。出口が分からないし、第一、何が原因でこうなったのかも分からない」
「今、闇雲に動くのは危険なような気がするな」

「お前、さっき、本棚で燃えた本と何か話してただろう」
「そういえば優、最初に鏡に入ろうとした永久に、鏡に入っちゃダメって言ったわよね」
朱雀と流和に言われて、優は、<光の魔法と古の魔女>に言われた呪いのことを思い出した。
もしかして、ムーンカードから受けた呪いはこのことだろうか?
呪いを解くためには……。

「永久、さっき私に見せてくれたムーンカード、貸して」
「この状況で、占いでも始めるつもり?」
「馬鹿な子」
美空と聖羅が呆れて呟いた。狭い部屋の中にいるようなもので、どんな小さな声で囁いても丸聞こえだ。

「まったく、藁にもすがりたい気持ちだな」
「優、どこにいるの?」
「こっちよ、永久」
「うわ、ちょっと、なんだよ、動きまわるな。貸せ、俺が優にまわす」
「これよ、優にまわして」
「わかった。おい優、どこだ、手を伸ばせ」

闇の中で、空の声をたよりに優は手を伸ばした。だが、届かない。
空と優との間には、流和、美空、聖羅がいる。

「届かないよ!」

そうこうするうちにも、圧迫感と息苦しさが増し、そろそろ本当に限界が近づいて来た。
「美空、手伝ってやれ」
朱雀がじれったそうに言った。

「もう、仕方ないわね! ほら、手を出して」

空から美空に手渡されたムーンカードは、美空から無事に優の手に届いた。

「ふう、よし取れた。皆さんご協力ありがとう」
「こんな状況でやるからには、とっておきの手品を見せてくれるんだろうな」
と、朱雀が言った。

「その前に、一体何をするつもりなのか説明してもらいたいわ、このままじゃ私たち、本当に死んじゃう!」
美空が苦しそうに叫んだ。

「本が教えてくれたの。私たちは魔女に呪いをかけられた、って」
「呪いだって? どういうことだ」
「魔女が、墓の底からムーンカードを介して私たちに呪いをかけたのよ。誰も触ってないのに、気味の悪いカードが表向きになっているのを永久が見つけたの。これは魔女の呪いなのよ、多分。もしかしたら、鏡の中に閉じ込められたのはそのせいかもしれない。本当は鏡に入る前にその呪いを解かなくちゃいけなかったんだけど……」
「呪いを解く方法があるのか?」
「あるなら、早くやって!」
「カードを、燃やすの」
「優、お願い!」

優はムーンカードをかざして、魔力を指先に集中させた。
ムーンカードを燃やすことさえできれば、呪いは解けるはずだ。だが、力がどうしても湧いて来ない。
これも、魔力封じのスキーゴーグルを3年間かけ続けていたツケなのだろうか。

どうしよう……、物を燃やすのって、こんなに難しかったっけ。
そう思った時、闇の中で熱い手が優の手をつかんだ。

「しっかりしろよ、ハニー。本物の一流は、どんな状況でも事を成し遂げるものだ」
朱雀が挑発するように、優の耳元で囁いた。
触れた肌から、炎の力が伝わって来る。

優の身体から炎の力が流れ出していく。
やがて、優の手に握られたムーンカードが暗闇の中に鮮やかに燃え上がった。
優の手の中で、一枚のムーンカードが紅色の炎に焼かれる光は、この世のものとは思えないほど美しかった。
それは朱雀が、真実の鏡の中に見た優の炎と同じものだ。

束の間、優の炎の輝きに誰もが息を呑んだ。

やがて、ムーンカードの焼ける焦げくさい臭いに混じって、優は強い薔薇の匂いを感じた。
一体、どこから? 優が不思議に思ったとき、カードが燃え尽きて炎が消えた。

瞬間、強い冷気が吹きこんだかと思うと、突然、足もとの底が抜けたように身体が支えを失った。

「へ!?」
「ッきゃあああああああーーーーーーーーー!」

悲鳴と強風に、一体全体何が起こっているのか、優は全く分からなくなった。
身体が下に引っ張られている。いや、落ちている!? そうだ、落ちているのだ!
強風にもみくしゃにされ、身体は重力を受けてどこまでも落下していく。

真っ暗だ。
でも、光が見える。
月の光だ。雲ひとつない、夜空の中を、優たちは真っ逆さまに落ちている。

落下の速度に身体が耐えきれず、息をすることもままならない。
ここはどこだろう。
私たちはどこへ落ちて行くのだろう。

ゲイルの予言書をしっかりと胸に抱え、優は落ちて行く先を見つめた。
風で目があまり開けられない。
かろうじて見えるのは、月明かりに照らし出された、黒い山。

優の傍を、永久と流和も一緒に落ちていた。ダイナモンの生徒たちも周りにいる。

「浮力を使え! 飛ぶんだ!」
ダイナモンの生徒たちは、それぞれに杖を取り出し、光を帯びながら宙を旋回し始めた。

「やだ、どうしよう!」
まだ、飛ぶことに慣れていない永久が悲鳴を上げた。
すぐに、流和が永久に手をさし伸ばす。だが、それよりも早く、杖に乗った吏紀が永久を抱きかかえた。
「大丈夫、落ちつくんだ」

吏紀のアメジストの光に包まれた永久は、すぐに平静を取り戻し、自分の力で浮力をつかんだ。
永久のダイヤモンドの輝きが辺りを照らし、流れ星が降って来たみたいな錯覚を優は覚えた。

「流和、俺も抱いてやろうか」
「まあ、優しいのね、空」
流和は空中で笑いながら空を押しのけると、自分は青いサファイアの輝きを呼び寄せて、軽やかに宙を舞った。

みんな、空を飛んでいる。
優も空を飛べるはずだった。だけど、どうしてなのか上手く力が出ない!
他の全員が宙を旋回する中、優の身体だけが落下速度を増し、硬い地面に向かって真っ逆さまに落ち続けている。

「きゃあああッ! どうしよう、私飛べなくなっちゃったみたい!」
「優!?」
「冗談だろう? 炎の魔法使いが空を飛べない!?」
「きゃああああああああああーーーーーーーッ!!!!!!」

「アイツ、本当に最悪だな」
朱雀が舌打ちし、次の瞬間にはもう優を追いかけて急降下して行った。
急がないと、優はハンプティー・ダンプティー。壁から落ちた卵のようにぺしゃんこだ。

地上から数十メートルのところで、優は朱雀の脇に抱えられて危機一髪、落下死を免れた。
少し重たい荷物を抱えるように、朱雀が暗い地面に降り立った。

「これは何かの冗談のつもりか。空も飛べないなんて、聞いてないぞ。いや、もしかして、スリルを楽しんでるだけなのかな? お嬢さん」
「違うよ、もう……、どうしてなのか分からない。全然、思い通りにいかない……」
優は地面に片手をついて、乱れた呼吸を整えた。足がガクガク震えている。だが、反対の手には、しっかりとゲイルの予言書が抱えられている。
「死ぬかと思った」
「ダイナモンに着いたら、みっちり鍛えてやるから、覚悟しとけよ」
そう言った朱雀の瞳が、紅色に輝いた。

「え? ダイナモンに着いたら、って、ここはダイナモンじゃないの?」

「ここはダイナモンじゃない」
二人を追いかけて宙から降りて来た吏紀が、朱雀の代わりに優に答えた。
他のみんなも、それぞれの光を帯びて優と朱雀の周りに舞い降りて来た。

見上げると、暗い山に、モミの木がギッシリと生い茂っている。
山の麓には大きな湖。風がないせいか、水面はシルクのように滑らかだ。
大きな満月が、低い位置で地上を青く照らしだし、辺りは幻想的な雰囲気に包まれている。
星が一つも見えないほど明るい、満月の夜。
四方を山に囲まれたこの場所には、近くに民家があるような気配が全くしない。静かだ。

「じゃあ、ここはどこなの?」

優の問いかけに、深刻な顔をした吏紀が答えた。

「普段は魔法使いでも寄りつかない場所。 ここは、古の魔女アストラが封印されている、沈黙の山だ」

「……、へえ」
優はポカンと口を開けた。




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