月夜にまたたく魔法の意思 第4話3




人の群れを避けて朱雀が進んで行ったのは、東京日比谷公園。
この公園を真っすぐ突っ切って行くと、聖ベラドンナ女学園の高い石塀がすぐに見えて来る。

夕陽が低い位置で、ビルの輪郭を浮き上がらせている。まもなく、街頭が灯される、薄暗い時間帯。
空だけが燃えるように赤く染まり、無数の山カラスが、赤い空に黒い影を伸ばしながら上空を覆う。
その群れの鳴き声が、優たちを急かしているようにも聞こえた。

「そろそろ時間だ、急ぐぞ」
優の先を歩く朱雀が、足を速めた。

「そんなに早く歩けないよ」
優が文句をいうと、大噴水の所で朱雀が優を振り返った。

「馬鹿な魔力封じのゴーグルなんかかけるから、そんなことになるんだぞ。あれくらいでバテルなんて、だらしない。お前は、助けてもらった相手に、礼もなしなのか」
ネチネチ嫌味を言いながら、朱雀は優が追いついてくるのを少しだけ待って、再び歩き出した。

「お礼って、助けてくれなんて頼んでないけどね。どうしてあなた、あそこにいたの? もしかして、ストーカーみたいに私をつけて来てたの?」
「俺の探知能力は半径300メートルだ。だから知りたくなくても、お前が学園の敷地外に出て行くのが分かったのさ。はじめは無視してたが、吏紀にお前を護衛しろって言われたし、しかも、お前が行った方向から闇の魔術の力を感じたから見過ごすわけにいかなかった」
「闇の魔術って、何のこと?」
「やっぱり気づいてなかったのか……、そんなことだから車にはねられて死にかけるんだぞ」
「え、まさか、さっきのトラックは魔法に操られていたの?」
「みなまで言わせるな、鈍い奴め」

闇の魔術という話を聞いて、優は交差点で誰かに呼び止められたことを思い出した。

「私、誰かに名前を呼ばれて、振り返ったのよ」
「誰に?」
「分からない。でも振り返ったら、今度はいきなり首根っこを掴まれて後ろに引っ張られたの。それで、交差点の真ん中で転んじゃったの。そしたらトラックが突っ込んできた」
「俺から言わせれば、誰に呼ばれたかも分からないのに振り返るな、だ。用心が足りない」

優は口を尖らせた。
用心が足りない、と、朱雀は言うけれど、自分の名前を呼ばれたら、普通は振り返るはずだ。
朱雀の言うことが優には理解し難かった。

日比谷門から公園の外に出ると、太い国道沿いでまた信号が赤になった。
道行く人々が聖ベラドンナ女学園の制服を着た優と、赤い目をした縮れ髪の青年のペアを面白そうにジロジロ見るのだが、人間差別派の朱雀は目も合わせず、まるで周りに誰もいないかのように真っすぐ前だけを見て、足早に歩いて行く。

「危ない! ダメだよ」
赤信号を無視して交差点に入って行く朱雀を、優が引き止めた。
「なんだよ」
「赤信号は止まれって、学校で習わなかったの?」
「変な仕来たりだな、ちょっと道を渡るだけだろう」
「仕来たりじゃなくて、これは信号だよ。道路交通法で決まってるんだよ」
「道路交通魔法……?」
「道路交通法、魔法じゃなくて、法律だよ」
「ゴホン、とにかくな、信号くらい知ってる。赤は止まれ、青は進めだろ。今、思い出した。度忘れしてただけだ」
「ああ、そう。それは良かった」

(田舎者め)、と、朱雀の手を放しながら優は心の中で呟いた。ダイナモン魔法学校は、信号もないようなど田舎にあるんだろうか。
そう思うと、やっぱりカップラーメンとポテトチップスを買いに戻りたくなった。
でも、今からじゃもう遅いか……。

聖ベラドンナ女学園の裏門をくぐる頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。

「ねえ、ダイナモンにはどうやって行くの? 夜になったら出発って言ってたから、やっぱり夜行バスなの?」
「馬鹿だな、鏡抜け魔法で行くに決まってるだろ。すぐに着く。荷物はさっき、空と流和がまとめて暖炉宅配便で送ったから心配ない」
「暖炉宅配便て、何」
「魔法界で一番有名な宅配業者のサービスだ、そんなことも知らないのか。専用の伝票に行き先を書いて、宅配パウダーを振りかけて暖炉に放り込めば、目的地の暖炉に届く」
「へえ、すごいね」
優は素直に感心した。優の実家にも暖炉があるから、宅配パウダーは何かのために役立つかもしれない。

「流和がお前の荷物も先に送ってたけど、忘れ物はないんだろうな」
と、念を押すように朱雀が言った。
「平気よ。持てる物は持った、けど、非常食をきらしちゃって、さっき買いに行ったのに、それも全部ダメになっちゃった」
「食べ物ならダイナモンにちゃんとある」
「カップラーメン、ある?」
「なんだそれ、そんな物はない」
「ポテトチップスは?」
「ない」
「じゃあ、ジュースは? 私、炭酸が入ってるのが好きなの」
「炭酸、て、もしかしてフ・ァンタのことか? 初めてここに来た日、ワインかと思って飲んだら酷い目に合った。舌が痺れた」
「もしかしてファンタグレープのこと言ってる?」
「あんなものを飲んでると、いつか身体を壊すぞ。ヤギの乳を飲め」
「ヤギの乳? 勘弁してよ……いやだよ、そんなの、ファンタかコーラか、メロンソーダがいい!」
「そんな物はない」

それから、朱雀はプイとそっぽを向いて、図書館に続くイチョウ並木を進んで行った。
聖ベラドンナ女学園は、石塀をくぐり抜けてから校舎までの道のりが長い。
グラウンドや弓道場、音楽館、本校舎と旧校舎、学生寮と、カフェテリア。それから教職員用の別棟もあるという。
どの建物も重厚な歴史を感じさせる豪華な造りだ。さすがは、聖アトス族の宮殿跡地というだけのことはある。
ただし、敷地内に庭がありすぎだ、と、朱雀は思った。
ラベンダー、ヒソプ、薔薇、ユリ、ミルトス、サフラン……、そのほか、朱雀がよく知らない野の花も庭園に植えられている。
この庭園があるせいで、建物と建物の間がやけに広く開いてしまっているから、移動が大変なのだ。
空をひとっ飛びすれば早いのだが、優は飛ばないだろうし。

じれったい気持ちで図書館に向かって歩きながら、朱雀は、先ほど優が狙われたことを考えた。
優を狙った闇の魔術の使い手は、誰なのか。もちろん、闇の魔法使いであることに間違いはないが、でもそれは、図書館に侵入したコウモリ少年ではないという気がして、朱雀の脳裏に漠然と引っかかっている。
現時点で、唯一ゲイルの予言書を見つけることのできる優を、なぜ殺そうとしたのか。

朱雀が気になっているのはそれだけではない。
そもそも、ゲイルの予言書がベラドンナに隠されているということは、あの時校長室で予言を聞いた自分たちだけが知りえる情報のはずだった。
それなのに、ゲイルの予言書がそこにあることを、コウモリ少年はどうして知ったのか。
図書室でコウモリ少年と対峙したときに問いただすつもりだったのに、優が余計なところで出しゃばったので、朱雀は尋問の機会を失ってしまったのだ。

――校長室での秘密の会話が敵に漏れている。
朱雀はそんな気がしてならなかった。

だとすれば、敵は魔法のハープが示した予言の一部を知っているのだ。
『門を開け。門を開け。魔女の息吹が邪悪な心に誘いかけている。
沈黙の山に赤き月が昇る時、古の魔女は墓より目覚め、地獄の門を開かんとせん。
魔女に立ち向かうことができるのは、二つのルビー、風のエメラルド、水のサファイヤ、光のダイヤモンド、大地のアメジストを持つ、まだ不完全な若き魔法使いたち』

五大属性最上位の石を持つ魔法使いは、魔法界に何人もいる。
だが、ルビーを持つ火の魔法使いは朱雀と優の二人しかいない。もしどちらかが欠ければ、予言は成就しなくなる。
敵がこの予言を知っていたとすれば、魔力封じのゴーグルで力が弱くなっている火の魔法使いは格好の標的だ。
予言の魔法使いを殺してしまえば、予言を書き換えるためのゲイルの予言書も必要なくなるからだ。

問題は、どこから情報が漏れたのか。

一刻も早くダイナモンに戻り、猿飛校長にこのことを報告しなければならない。
朱雀ははやる気持ちを胸に秘め、図書室の扉を開いた。





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