月夜にまたたく魔法の意思 第3話9




天窓から光の差し込む本の宮殿は、いつもと変わらない。
ただし、優たちが入って行くと、退屈そうにお喋りをしていた本たちがパタリと口を閉ざした。
ダイナモンの見慣れない生徒が優と一緒に入って来たので、本たちは早くも人見知りをはじめたようだ。

優は朱雀と吏紀を中に入れると、後ろ手に木扉を閉め、図書委員のカウンターの中に入って行った。
「他校の生徒に本を貸し出すなんて、初めてよ。貸出カードを作らないといけないから、借りたい本を見つけたらカウンターに持ってきてね。もし、『見つけられたら』だけど」

最後の一言を強調して、優は、ゲイルの予言書を探しに来た朱雀にほくそ笑みながら、図書委員専用のエプロンを締めた。
何はともあれ、久しぶりの来館者が訪れたことで、図書委員の本領を発揮できる機会を得たのだ。自然と気合が入る。

「飲食は禁止。本は必ず元の場所に戻してね。それから、他の人の迷惑になるから私語は禁止」

優の注意を受けて、陳列棚を見回していた朱雀と吏紀が、カウンターを振り返った。
「私語は禁止って、他の奴なんていないだろうが」
「もったいないな、この図書館、一日にどれくらいの生徒が利用してるんだ? これじゃあ宝の持ち腐れだ」
優は、そのどちらの質問にも答えない。

優はカウンターの椅子に腰かけて、修復予定の本のリストに目を通し始めた。
今週予定している古い本の修復作業は、来館者が帰ってから行うことにしよう。
朱雀と吏紀が、図書室内のあちこちを見回して、鏡の配置がどうとか、天窓から差し込む光がどうとか、床の紋章と本棚の位置関係がどうなっているかとか、いちいち細かいことを言い合って、難しい顔で図書室の中を歩き回っているうちは、どうにも集中できそうにない。

「この図書館の歴史は、いつ頃から始まったか知ってるかい」
図書室を一回りしてきた吏紀が、カウンターにやって来たので、優はリストから顔を上げた。
3年間も図書委員をやっていると、本たちからいろいろな話を聞くことがあって、確か、この図書館の歴史についても聞いたことがある。
うつろな記憶の糸をたぐり、優は最も印象に残っていたことを思い出した。
「ずっと昔、王様が建てたという話を聞いたことがある。その王様は、この図書館を誰かのために作ったのよ、確か」
「誰かのために王様が? それって誰、王様って」
吏紀が興味を示して食いついてきた。だが、優はそれ以上は思いだせなかった。何しろ、本たちはお喋りで、いつも一度にたくさんのことを教えてくれるので、優はとても一つ一つの情報を覚えきれないのだ。

「聞いたような気がするけど、忘れちゃったよ」
優は肩をちょこっと上げて、またリストに顔を落とした。

「聞いたって、誰に?」
吏紀がしつこく質問を続けて来る。
「本にだよ」
優が、リストから顔を上げずに答えた。
「え、本? どういう意味だい」
「喋るのよ、本が」
「本が喋る? まさか……」
吏紀が驚いて、朱雀を振り返った。
「そいつはメルヘンな傾向があるから、気をつけろ」
と、朱雀が口を挟む。

「でも、あり得ないことじゃない。初代ゲイルは、本に魂を吹き込み、会話することができたと聞く」
吏紀が言うと、朱雀もカウンターに近寄って来た。
「そいつが、初代ゲイルの末裔だと?」
「どうかな、分からない……」
吏紀が肩をすくめた。
「君の両親のどちらかは、アメジストの魔法使いなのかい」
「いいえ、父さんはガーネットの魔法使いで、母さんは人間よ。魔法使いじゃない」
「お前、混血児なのか!? 汚れた血……ありえない」
朱雀が心底、嫌な顔をして優を見た。優がムッとして朱雀を睨む。
汚れた血、と言われる筋合いはどこにもないから、朱雀がどうしてそんなに嫌な顔をするのか、優には理解できなかった。

その横で、吏紀がしばらく思案して言った。
「初代ゲイルの子孫は、聖アトス王と結婚してから2つに分かれている。一方の子孫は魔法界に根差し賢者の魔法使いとなり、ゲイルの役を引き継いだ。もう一方の子孫はアトスの民として王宮で生きることを選んだが、アトス族は滅びて、今はただの人間だ。そう考えると、初代ゲイルの血が現代の人間に受け継がれていても不思議はない。人間の両親から突然、魔法使いが生まれることがあるように、後天的にゲイルの能力が開花することも、あり得ないことじゃない」

図書室に沈黙が訪れた。
カウンターの奥に座る優を、朱雀と吏紀が射抜くように見つめる。
優は蔵書リストをまとめて、机の引き出しにしまった。
「そんな目で見ないで、何が気に入らないわけ? ゲイルとか、魔法使いとか、私にはよく分からない。私の母さんは読書好きで、作家だったの。ここで私が図書委員としてやっていけるのは、きっとそのせいだよ」
優はカウンターから出て、二人を案内して足早に歩き出した。
「ついて来て。ゲイルやアトス族について書かれた本が、歴史書の棚にある。この図書館や、ベラドンナ女学園について書かれた本もそこにあるから、そんなに気になるなら、自分で調べてみるといいわ」
「さっき言ってた、王様の話をした本がそこに?」
「そうよ」
優が、二人を手招きした。


魔法史以外の歴史の本は、魔法史の本棚とは区別されていて、中央広間を抜けた先の、一番右。
真理の鏡のある東側の壁一面が、歴史書の本棚になっている。
棚の前まで行くと、優は本棚に向かって話しかけた。
「前に王様の話をしてくれたのは誰だっけ。この図書館が昔、偉大な王様によって建てられたって話をしてくれたでしょう、あの時の話を、もう一度聞かせてくれる?」

本棚に向かって話しかける優を見て、朱雀と吏紀が苦笑いした。

「そう、ありがとう。助かった」
優は壁に備え付けられている梯子を、無駄のない素早い動きで左上の「ア行」の列までスライドさせて、上り始めた。
「本たちは何だって?」
吏紀が、梯子が動かないように片手で支えてくれた。

「『アシュトン王の功績』っていう本の、最後の方のページに書かれてるって」
優は、目的の本をすぐに見つけて、梯子の上から吏紀に手渡した。
「はい、どうぞ。読めそう?」
「どういう意味」
「本たちは気難しくてね、読む人を選ぶことがあるから」
優の言葉に、吏紀は手渡された本をゆっくりと開き、ページをめくった。

「古代文字で書かれてる。でも、大丈夫、読めそうだ」
「それは良かった」

優は梯子から慎重におりて、吏紀と一緒に『アシュトン王の功績』を覗きこんだ。

――364ページだよ! くすぐったいから、そっとね

本が、久しぶりに手にとってもらったことを喜んで、優に話しかけてきた。
吏紀や朱雀には、やっぱり本たちの声は聞こえていないようだ。
優は本の言った言葉を吏紀に伝えた。
「364ページだって。ページはそっとめくってね」
吏紀は一瞬、驚いた顔をしながら、それでも優に言われた通り364ページを開いた。

朱雀だけが、二人から少し離れた所で真理の鏡を凝視していた。
真理の鏡の中に、紅の炎が舞い上がっている。朱雀はその炎の輝きに見とれて、息をするのも忘れるくらいだった。
優が人間と魔法使いのハーフだと知った朱雀は、複雑な思いを隠せない。どうして人間からシュコロボビッツが生まれてくるのか。
朱雀にはそれが理解できない。あり得ないことだった。
それなのに今、朱雀が見つめている真理の鏡には優が写っていて、鏡の中の優は、紅炎と呼ばれる美しい炎を身にまとって立っているのだ。
紅炎は、普通の火の魔法使いには操れない、最高火力だ。
真理の鏡は、優が間違いなくシュコロボビッツであるということを示している。

人間差別派で、自分が純潔の魔法使いであることに誇りを抱いていた朱雀は、ショックを受けた。
朱雀が何回も、目の前にいる優と、鏡の中に映っている優とを見比べていると、吏紀が朱雀を呼んだ。

「朱雀、これを見てくれ。この本によると、驚くべきことに、ここは聖アトス族の宮殿跡地だ!」
「なんだって?」
朱雀が我に返って、吏紀の差し出した本を覗きこんだ。

「しかも、この図書館は、黄金時代にアトス族の王アシュトンが、初代ゲイルのために建てたものらしい。だからこの場所は、アトスの聖なる力とゲイルの魔法で守られていたのさ。これで分かったぞ。もともとこの図書館は、ゲイルの予言書を隠すために造られた場所だったんだ!」
吏紀の言う黄金時代とは、魔法使いが最も栄えた時代のことだ。
それは最初の炎の魔法使いシュコロボビッツが誕生した時代でもあり、そのシュコロボビッツと、火の魔法使いナジアスの伝説の時代でもある。
そして、邪悪な魔女アストラが誕生し、封印された時代……。

「信じられない……」
「これを見ろ、見たことがあるだろう?」

吏紀が、見開きページに描かれた白い宮殿の絵を朱雀に見せた。それは間違いなく、聖アトスの宮殿だった。
ダイナモン魔法学校でも、聖アトス族の宮殿の絵は歴史の本に載っている。朱雀がこの図書館の外観を見たとき、どこかで以前にも見たことがあるような気がしたのはそのせいだったのだ。

「昔とは形が少し変わっているが、聖ベラドンナ女学園の校舎そのものがアトスの宮殿だったんだよ。この図書館はほとんど姿を変えていない。朱雀、お前のデジャブーは本物だったな!」
「でも、あり得ない……どうして、俺たちはそのことを今まで知らなかったんだ。アトス族とモアブ族はかつて、強力して魔女と闘ったんだろ。アトスの宮殿がどこにあるのか、どうして今まで俺たちは知らなかったんだろう」

「そこが問題だ。この本によれば、聖アトス族とモアブ族は、もともと敵対関係にあったと書かれている。特に、聖アトス族はモアブ族を嫌っていて、この二つの民は、古の魔女アストラと闘うときに初めて力を合わせたらしい」

「敵対してたなんて、初めて聞いたぞ。だが、モアブ族出身の初代ゲイルはアトス族の王と結婚したんだろう? 敵対関係はその後も続いたのか」
「敵対関係とは言わなくても、その後も互いに距離を置いていたのは間違いない。初代ゲイルがアシュトン王と結婚することにも、多くの反対があったみたいだ。だから、宮殿の場所はモアブには隠され続け、今日まで、俺たちも知らなかった」
「なるほどな。でも、不公平じゃないか。ダイナモンにはその資料がなくて、ベラドンナの図書館にはあるなんて」
朱雀が不満そうに本を指差した。
重要な情報が書き記された本が、由緒あるダイナモン魔法学校にではなく、ベラドンナ女学園に保管されていることが、朱雀には気に入らなかった。

「ここはアトス族の領域だ。アトスに関する資料が豊富なのは当然だ。モアブ領域にある俺たちの学校とは違うのさ」
と、吏紀が言った。

「校長たちは、このことを知らなかったのか」
「ここがアトスの領域かもしれないということは、初代ゲイルの予言書が隠されている事実から予測はしてただろうが、俺たちに何も言わなかったってことは、おそらく確証はなかったんだろう」

そのとき朱雀が突然何かに気がついたように、ハッと眉をひそめて言った。
「ゲイルの予言書がベラドンナに隠されていることを知っているのは本来、初代ゲイル直系の時の賢者一人だけだよな」
「そう、予言書の在りかについて知っていたのは時の賢者ゲイルだけだ。魔女が復活するという不吉な予言があって、うちの曾婆様がみんなの前で話すまでは、おそらく猿飛校長でさえ、予言書の在りかは知らなかったはずだ」
「ならどうして、闇の魔法使いは今朝、ここにやって来て、南京錠を壊したりしたんだ……? おかしいだろう、そもそも闇の魔法使いは、ゲイルの予言書の在りかを知らないはずなのに……今、予言書がここにあると知っているのは、あのとき校長室にいた俺たちと、魔法界の重役たちだけのはずだ。たとえ黒魔術を使ったとしても、外部から盗み聞きするのは不可能だ。校長室はフェニックスの魔法で守られているんだから」
「そうだな、闇の魔法使いはどうやって知ったんだろう。ここにゲイルの予言書があるということを」
吏紀がはっとして本から顔を上げた。

「もしかして、情報が漏れてるのか……」
「一体どこから、どうやって……」
朱雀と吏紀が顔を見合わせた。
そのとき、図書室に誰かが入って来る気配がして、二人は会話を中断した。


天窓からさしていた光が急に弱くなり、なんだか寒気がした。
それまで、黙って本棚に寄りかかって朱雀と吏紀の話を聞いていた優が身体を起こした。
閉館の札を架けたままにしていたはずなのに、誰が入って来たのだろうか。

――入って来てはいけない者がやって来た!

吏紀の手の中で、『アシュトン王の功績』が叫んだ。それから、本たちは一言も喋らなくなった。
予期せぬ訪問者の正体を確かめようと、優が音のした方に向かった。すると、朱雀がすかさず優の腕を掴んで、後ろに引き戻した。





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