月夜にまたたく魔法の意思 第3話10
普段は黒い朱雀の瞳が、今は深紅に輝いていた。
「のこのこ出て行くな! バカ」
優の耳元で、朱雀が怒鳴ると、優はひらひらと手を振り、言った。
「大丈夫よ、授業をサボっていることがてバレても、私が上手く言い訳しておくから」
すると、朱雀は白目をむいて天を仰いだ。
「言っておくが、あれは先生でもないし生徒でもない、あいつの魔力を感じないのか? このバカ娘」
朱雀が優を掴んで本棚に押し付けた。その瞬間、優の身体に熱が走る。
朱雀に掴まれているところから火の熱が伝わって来て、優の中の炎の力を煽っているようだ。
優は、その熱さが嫌で、朱雀の胸を押し返した。
そうやって二人が揉み合っている間、吏紀が宙から杖を取り出し、本棚の影から中央広間を覗き見た。
「早速、おでましか。図書室の守護魔法を解いたのはまずかったな、タイミングが悪すぎた」
朱雀は、吏紀の言葉に頷きながら、恐い目で優を見下ろして言った。
「いいか、お前は魔力封じのゴーグルをかけていたせいで、今はいつ消えてもおかしくない蝋燭の灯みたいに弱くてちっぽけだ。2つだけ忠告するからよく聞け。1つ、俺から離れるな。2つ、闇の魔法使いに触れられるな。分かったな? 絶対だぞ」
「意味がわからないよ」
「殺されたいのか!」
朱雀が怒りを本棚にぶつけて、蹴飛ばした。運悪く朱雀のトバッチリを受けた本は、鈍いうめき声を上げて毒づいた。
「これは遊びじゃないんだ、弱い者は死ぬ。敵は素人だろうと人間だろうと、お前を殺ることを躊躇しないぞ、分かったな」
「……、わかったよ」
戸惑いながら、優はしぶしぶ返事をした。
朱雀と吏紀の様子が、さっきまでとは一転して、鋭いオーラに変わっている。
優のことを炎の呪縛魔法にかけたときの朱雀も怖かったが、あのときの朱雀はどこか、弱い者いじめをしている虐めっ子のように楽しんでいた。
でも今、優の目の前で図書室への侵入者に対峙しようとしている朱雀の横顔は、全然楽しそうではない。
全身から棘のある魔力をみなぎらせている朱雀に、優は、痺れるような恐怖を覚えた。
殺し合いの喧嘩が始まる前触れだ。
住む世界が違うのだ。
朱雀が自分とは別の世界に住む人間なのだと、優は直感した。
「行くぞ」
朱雀、優、吏紀の3人は一列に並んで、進入者の方に向かって行った。
朱雀が先頭を行き、優がその後に続く。そして優の後ろを守るように、吏紀が続いた。
優はこのとき、朱雀が杖を出さないことを不思議に思った。
吏紀は魔法の杖を出しているのに、朱雀は手ぶらで、両手をズボンのポケットに突っこんでいるのだ。
朱雀は杖を持っていないのだろうか? そんな疑問が頭をよぎったのだが、優は心に浮かんだ疑問を口に出さないように気をつけた。
今、何かを言えば、それこそ本当に舌を抜かれそうだ。
足音を立てないように、息を潜めて、朱雀、優、吏紀の3人は図書室の奥へと進んだ。
朱雀は、侵入者がどの棚に向かったのかを探し歩いたりせずに、まっすぐに予言書の棚に向かって行った。
まるで、侵入者がそこに居ることが、最初から分かっているみたいに的確に。
棚に近づくにつれ、優は奇妙な感覚に襲われた。
なぜか、寒気と息苦しさを感じ始めたのだ。ストレスのせいだろうか……。空気がとても重たく感じる。
本たちの囁き声一つ聞こえない図書室は、今や静寂のベールに厚く覆われてしまったようだ。
――寒い。
中央広間を抜け、奥の棚の列に入って行くと、優は異常な寒さを感じて足を止めた。
両手がかじかみ、肌がチクチク傷んだ。
離れずについて来い、と朱雀に睨まれ、優は二、三歩前に歩き出したが、すぐにまた足を止めた。
優の身体を奇妙な浮遊感が襲う。……足に力が入らない。
心臓の鼓動が、誰かに意図的に操られて早められているような、気持ちの悪い感じがして、優は吐き気を覚えた。
自然と呼吸が浅く、早くなっていく。
その時、自分の吐く息が白くなっていることに気づいて、優は驚いた。
体調不良で寒く感じるのではないのだ。図書室が本当に、冷蔵庫みたいに寒くなっている事実に、優は初めて気づいた。
優はそれ以上、前に進みたくなかった。
だが、朱雀はどんどん図書室の奥へ、予言書の棚へと進んで行く。
「とってもイヤな感じがする、行きたくない」
でも、朱雀はどんどん先へ進んで行く。
後ろから来た吏紀が、優の背中を押した。
「大丈夫、朱雀の傍にいれば平気だ」
吏紀が杖をかざして、アメジストの光を優に見せた。不思議と、優はその光で気分が楽になっていく気がした。
魔法をこんな風に感じたのは初めてだ。
「どうして朱雀は杖を持ってないの?」
再び歩き出しながら、優は朱雀には聞こえないように、吏紀に訊いた。
「前を見て歩いて」
吏紀が優の背中を押しながら、小声で教えてくれた。
「魔法戦闘術のマニュアル通り、初対面の相手から何らかの情報を得たい場合には、それが敵であることが明確であっても、最初は杖を持たずにコンタクトをとるのが原則なんだ。杖を持って相手の前に出れば、相手も警戒して、いきなり攻撃してくるかもしれないからね。朱雀が杖を出してないのは、そのためだ」
「でも、杖を持っていないからって、相手が攻撃してこないとは限らないでしょ? ダメじゃない」
「朱雀は杖を出さなくても強力な魔法が使えるんだ。朱雀と長く付き合っていれば分かることだけど、あいつはヘマをしないよ。今、俺たちはパーティーで、その中で、朱雀は最初に敵とコンタクトをとり、盾になる前衛役。俺は朱雀をバックアップする後衛ってわけ。だからこのパーティーで、杖を出すのは俺だけでいいんだ」
吏紀の言葉に、優は少し考えてから自分を指差した。
「私は何役?」
吏紀が優の背中をまた押した。
「足手まといにならないように、前を見て歩く役だ。言われただろ、朱雀から離れるんじゃない」
突つかれるように吏紀に何度も背中を押されて朱雀に追いついた優は、温かさと冷たさが混じり合った空気を感じた。
その温かさと冷たさは完全に混ざり合うことを嫌って、互いに反発しあっているみたいだ。
右の頬に温かさを感じたら、左の頬には冷たい風が通り抜けて行く、といったふうに。
ストーブとクーラーを同時につけているような変な感じがした。
朱雀が予言書の棚の列で立ち止まり、前方を見据えていた。
その先に誰かがいるのが、優にも見えた。
黒髪をペタリと額になでつけ、見慣れない服装をした男の子だ。
燕尾服だろうか……中世の紳士を思わせる見知らぬ男の子の場違いな風貌に、優はぽかんと口を開けた。
年頃は、優たちと同じくらいに見える。ひどく顔色が悪くて、額に大粒の汗をかいている。
ダイナモンの生徒の月影聖羅もそうだったが、近頃、具合の悪そうな人が多いな、と、優は思った。もしかして、風邪が流行っているのだろうか。
黒い革の手袋をはめた見知らぬ男の子の手が、予言書の棚を上から下までペタペタと探っていた。
「ビリビリ……ビリビリ……」
男の子は、ひっきりなしに意味の分からない呟き声を発して本棚をまさぐり、優たちに気づく様子はない。
「お前、そこで何してる」
ひどく無愛想な朱雀の声に、男の子が驚いて振り返った。
明らかに動揺した様子の男の子は、本棚から飛びのく拍子に、何冊かの本を床に落とした。
「本を、探してるんダ」
一瞬、鋭い視線で朱雀を見返した男の子は、すぐに笑みを浮かべながら返事をした。声変わりはしているが、まだ幼さの残る声だ。
顔色が悪くて、着ているものが古風なだけで、意外と普通の男の子なのかもしれない、と優は思った。
だから、優は図書委員として背筋を伸ばし、朱雀の前に歩み出て男の子と向き合った。
「私はここの図書委員よ。お探しの本があるなら何なりと。でも、あなたはこの学校の生徒じゃないわね? 一体どうやってここに……」
次の瞬間、男の子と目が合った優は、強烈な寒気と吐き気を覚えて悲鳴を上げそうになった。
――冷たい!
驚いた。冷たいのだ。
目の前の男の子の存在そのものが、氷のように冷たい。
足から力が抜けてゆき、優は先ほどと同じ奇妙な浮遊感に呑みこまれそうになった。
朱雀が不意に優に腕をまわし、優の身体を自分の後ろに引き戻した。
すると瞬く間に優の身体に熱が戻り、吐きそうな気分の悪さはすぐに良くなった。
何がどうなっているのやら、優には意味が分からない。
朱雀が横目で優を見下ろし、小声で呟いた。
「さっき言った忠告をもう忘れたようだな、俺の前に出るとは、いい度胸だ。お前、もしかして光を失った魔法使いを見たことがないのか……? そうか、それなら少しは思い知って、いい勉強になっただろう。邪魔だから下がってろ」
優が何も言う前に、朱雀は深い溜め息をついて首を振った。
確かに優は、光を失った魔法使いを見たことがない。
一般に言われる『闇の魔法使い』のことを、嫌味をこめた呼び方で『光を失った魔法使い』と呼んだりすることを、優は話にしか聞いたことがなかった。
闇の魔法使いのことを、魔法界の犯罪者のようなものだと思っていた優は、それが本当はどんなものなのか、よく知らない。
でも、目の前の青年と向き合った優は、一瞬で大きな恐怖にかられてしまった。
もしかして、これが本物の闇の魔法使いなのだろうか……?
見た目には普通の男の子なのに、予言書の棚の前に立つ燕尾服姿の男の子が、とても不気味で、不思議な存在に見えた。
朱雀の前に出て男の子と直接向き合った時、優が感じたのは、冷たさと、死を連想させる暗さだった。しかもその感覚は、いとも簡単に皮膚を貫いて、優の身体の奥深くに突き刺さり、魂にまで絡みついてくるような嫌な感じだった。
震えで足がガクガクするのを、優は、朱雀や吏紀に気づかれないように、必死にこらえた。
「君がここの図書委員なのかい? それなら、僕が探している本を見つけられル?」
男の子が近づいて来たので、優は朱雀の背中の後ろで反射的に後ずさりした。
「それ以上近づくと、焼き殺すぞ」
朱雀の周りに炎が閃き、男の子を退けた。
敵に回せば嫌な奴だけど、味方につければ心強い存在かもしれない、と、優はこのとき初めて朱雀に好感を持った。
だがその直後、朱雀は優のことを鋭く睨んで、
「お前はそれ以上俺から離れるな。何度も同じことを言わせんな馬鹿。もう我慢の限界だ、お前が凍え死んだとしても俺は何とも思わない。むしろ清々する」
と言って舌打ちした。
――やっぱりイヤな奴だ。
朱雀のことを少しでもイイ奴かもしれない、と思った自分の考えに、優はすぐに横線を引いた。
「あなたが探している本って、何?」
気を取り直して、優は男の子に訊ねた。ただし、朱雀の背中を盾にして、男の子を直視しないように気をつけた。
優が訊くと、男の子がいきなり、ケケケッと、病的に笑い始めた。
その笑い声と相反して、図書室に静寂の影が伸びた。
やがて、男の子の奇妙な笑い声が、低い、獣の唸り声に変わった。
『 ゲイルの予言の書 』
「へ? 今なんて」
『……、どこだ、ゲイルの予言書は、どこだあああああああ!!』
突然、男の子が発狂して叫び出した。両手を鉤爪のように折り曲げ、今にも優たちに襲いかかってきそうな形相だ。
朱雀の周りに再び炎が閃き、その炎が威嚇するように男の子に牙を剥いた。
そのおかげで男の子は、優たちに近寄ることができずに、自分で自分の顔を引っ掻き始めた。
引っ掻いた痕から血が滲み、青白い皮膚に赤い筋を作っていく。
「あの子は一体どうしたの!? 頭がどうかしちゃってるの?」
男の子の理解できない行動に恐れおののきながら、優が朱雀に訊いた。
「気にするな。闇の魔法使いはみんな頭がおかしい」
「いくらなんでも、その言い方ってひどいじゃない」
優がいさめると、朱雀が軽蔑の視線を投げ返してきた。
そんな二人の間に吏紀が割って入る。
「よそ見するな二人とも! 朱雀が言ったのは、闇の魔法使いは皆『狂気』に支配されているという意味だ」
吏紀が説明しているうちに、目の前の黒い少年は全身をブルブル震わせ始めた。
まるで彼だけに、直下型巨大地震が訪れているかのようだ。
『うああああああ! いくら探してもないからダ! この図書室はどうなってル!? 早くアレを出せ!』
男の子が癇癪を起して予言書の棚の本を次々に床にばら撒きはじめた。
「ちょっと、やめて!」
優が怒鳴った。
優には、床に投げ出された本たちが叫び声一つ上げずに、じっと耐えているのが分かった。
いつもなら、ページが折れただけでも泣いて抗議するくらいデリケートな本たちが、闇の力の前で必死に沈黙を守っている。
「やめてったら! あなたがお探しの予言書は、間違いなくその棚にあるはずよ、よく探した?」
優が、朱雀の背中ごしに男の子をなだめようとした。
その瞬間、朱雀と吏紀が鋭い目で優を睨んだことに、優は気付かなかった。
ゲイルの予言書は本当に、予言書の棚にある。それは一昨日、優が並び位置を変えて置いたのと同じ場所に、今もある。
優には確かに、棚に並ぶゲイルの予言書が見えている。
だが、男の子にはその本が見つけられないのだ。
男の子は怒り狂って床に投げ出した本を踏みつけ始めた。
「どこにもないぞ! 僕を騙す気だろう」
「嘘じゃない! ゲイルの予言書は間違いなくその中にある! 今あんたが踏みつけてるその本かもしれないよ!」
本を傷つけられるのがイヤで、優は咄嗟に叫んだ。
そう言うことで、男の子が本を傷つけるのを止めると思ったからだ。
優の予想通り、男の子は本を踏みつけるのを止めた。
だが、その代わりに狂気した男の子の関心が一点に、優に注がれたことは、誰の目にも明らかだった。
朱雀が舌打ちした。
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