月夜にまたたく魔法の意思 第3話11





「ゲイルの予言書について知っているなら、どうして俺たちに言わなかった」
朱雀の声が低く震えた。
今や優は、朱雀と、狂気した闇の魔法使い両方から睨まれることになった。

優は唇を噛みしめ、朱雀を見上げた。
――恐い。
手も足も震えていた。
ここは魔法の図書館だ。図書委員には、本たちが守っている秘密を共に守る責任と義務がある。
はじめてこの図書館に足を踏み入れたとき、優にはすぐにそれが分かった。

「私はこの学校で一番優秀な、図書委員なのよ」

初めてこの場所に来たときから、本たちは優のことを図書委員だと認めてくれた。
優がこの学校に入学するまで、聖ベラドンナ女学園の白亜の図書館はずっと、開かずの間だったという。
入学式の日に校内をさまよっていた優が、偶然、フェニキアバラの庭で錆びた鍵を見つけ、導かれるようにドーム状の白亜の建物に近づいたことで、図書館が再び開くことになった。
もしかしたら、優が最初にこの図書館に足を踏み入れた生徒だから、本たちは優のことを図書委員だと勘違いしたのかもしれない。
多分、そうだろう。

――こいつを追い出して!
ゲイルの予言書が、いきなり叫んだので優はビクッとした。
それに続いて、それまでずっと黙っていた本たちが、口々に文句を言い始めた。
――最低のヤツ!
――本の扱いを分かってないのよ! 私を床に落として、謝りもしないのよ!
――僕なんか踏みつけられたぞ!
と、ノストラダムス予言の本も叫んだ。
――こいつは気が狂ってる! 僕らの秘密を読めるわけないのさ!

あまりに本たちが一斉に叫び始めたので、優は頭の中で銅鑼を鳴らされたような衝撃を受けた。
「静かにして!」

静寂の中でいきなり優がそう叫んだので、朱雀と吏紀、それに燕尾服の男の子が逆にビックリして優を見つめた。
「おい、どうした?」
「大丈夫か」

「ゲイルの予言書はどこだイ? 早く僕に教えてヨ」
燕尾服姿の男の子が無邪気な子どものように、優に詰め寄って来た。

――行きたくない! 行きたくない! 行きたくない!
ゲイルの予言書が、今世紀最大とも思えるくらいの叫び声を上げた。
「分かってるってば!」
優が本棚に向かって怒鳴った。朱雀や吏紀には聞こえないのかもしれないが、ゲイルの予言書の声はギーギーしていて、とても煩いのだ。真夏のセミの鳴き声をもっとキツくした感じの濁りの効いた声だ。
ゲイルの予言書が騒ぎはじめたら、黙らせるのは一苦労だ。


「闇の魔法使いに、ゲイルの予言書を渡しちゃいけない!」
優と本たちとのやりとりが聞こえない吏紀は、優がゲイルの予言書を闇の魔法使いに渡すつもりなのだと思って、危機迫る声で優に言った。
「ゲイルの予言書は特別な本なんだ。もし闇の魔法使いにそれが渡れば、世界は闇に変わってしまう!朱雀もなんとか言ってくれよ」
「吏紀、少し黙ってろ」
 勘の鋭い朱雀は、注意深く優の言動や視線の先を探りながら、意味ありげに吏紀に頷いた。
「根暗な女は、【本と会話する】っていうだろ。もしもコイツが予言書を本当に渡す気なら、俺も杖を抜く。心配するな」
「……そうか」
朱雀の意味深な言葉に、吏紀も、優が本と会話できることを思い出したようだ。
そう言われてみれば、先ほどからの優の言動には少し不自然なところがある、と吏紀は思った。

「私はこの学校で一番優秀な図書委員なのよ。根暗とか言わないで」
「で、どうするつもりだ、図書委員」
朱雀が制服のポケットに両手を入れて、近くの本棚に寄りかかった。そうして無防備な素振りを見せながらも、闇の魔法使いに対する警戒は怠っていないようだ。
燕尾服の男の子が、いとわしげに朱雀をねめつけている。

優が口を開いた。
「本を貸し出すか貸し出さないかを、最初に吟味するのは本自身なのよ。私じゃない。ここは、」
――コウモリ
「へ?」
優が眉をしかめて、足もとを見下ろした。
「水晶鏡の万華鏡」という本が優の話を遮ったのだ。この本が喋るのを、優は今まで聞いたことがない。
本は一言だけ「コウモリ」と呟いて、あとはもう何も言わなくなった。
優は訳が分からず、先を続けた。

「ここは魔法の図書館なの。ここにある本たちはいつも、誰に自分の秘密を解き明かすべきか、あるいは誰に解き明かすべきではないかを、見極めている。だから、」

――コウモリ
鈴の鳴るような透き通る声で、また本が言った。だが、優は聞き流して話を続けた。
「……、だから資格のない者は本を見つけることさえできない。はじめはとても不思議だったの。だって、探している本が目の前にあるのに、見つけられない人がいるんだもん。それで気付いたの。どんなに探しても、どんなに強い魔力があっても、資格のない者は決してその本を手に取ることができないって」
――コウモリ!
水晶鏡の万華鏡が一層、声を張り上げた。

「図書委員の仕事は本たちの意思を尊重し、本たちが守ろうとしている秘密を、共に守ること……。今、ゲイルの予言書は見つけられることを嫌がっている」

――コウモリ!

ついに優は、下から二番目の列の右寄りに並べられている「水晶鏡の万華鏡」という本を睨みつけた。
「何よ、コウモリって。一体、どうしたの?」

優は本棚の本に向かって言ったのだが、何故か燕尾服の男の子が一瞬、ビクリとして優を見た。

――きっと、そいつの名前さ!
床に投げ出され、ページが破れかかっているノストラダムス予言の本が言った。
――コウモリ!
――追い出して! 追い出して!
――そうだ、立ち入り禁止だ!

本たちがまた騒ぎ始めた。
優は朱雀の背中から歩み出て、男の子に言った。それだけで、体中から血の気が引いて行く気がした。
「あなたの名前は、コウモリ?」
少年は答えない。ただ、さっきよりも警戒した眼差しを優に向けてきた。

「どういうことダ? どうして……」

動揺した様子の男の子を尻目に、吏紀と朱雀がほぼ同時に口を開いた。
「コウモリだって? 図書委員はそんなことまで分かるのか」
「まるで【魔法】みたいだな、見ず知らずの相手の名前を言い当てるなんて。あれ、でも魔法って、魔法使いにしか使えないんじゃなかったか」
朱雀の言葉は、優へのあてこすりだろう。続いて朱雀は少年を見つめ、挑発するようにニヤリと笑った。
「魔法界では、名前は極めて重要な意味を持つ。相手の名前さえ握れば、それだけで呪いをかけることもできるし、より強い魔法をかけることもできるからな。だから、魔法使いなら誰でも普通は、敵に自分の名前を知られたくはないはずだ。名を名乗れ、なんていうのは、人間界だけで通用する礼儀さ、なあ、コウモリ」
 親し気に呼びかける朱雀の声はだがしかし、チェックメイトを宣告する棋士のように冷淡に響いた。

「でも、本を貸し出すには、名前が必要だもの。まずはあなたの名前を教えてもらわなくちゃ」
優が言った。
「僕を騙す気だナ」
「騙す気なんてない。試すのよ。あなたがゲイルの予言書を手にする資格があるかどうかをね」
「いいだろう。僕、ゲイルの予言書を借りるよ、貸出手続きをしてくれル? 僕の名前は、そう、コウモリさ」

「じゃあ、コウモリ、すぐに貸出カードを作ってあげる。だけどその前に、その棚にあるゲイルの予言書を見つけられる? 借りたい本は自分で取ってね」
「ダメだ、見つけられないよ。読めない文字ばっかりサ」
「それなら、残念だけど、あなたにはゲイルの予言書を手にする資格はない。意味わかるでしょ? ここは魔法の図書館なの。あなたは失格よ、コウモリ」

「騙したな……」
コウモリの顔が途端に歪み、口がへの字に折り曲がった。
「騙してない、試したの。読めもしない本を借りてどうするつもり? 貸出手続きはできません」

優がピシャリとそう言った。
直後、コウモリの身体からピアノ線のような黒い糸が無数に飛びだした。
朱雀が優を後ろに引き戻し、自分の身体を盾にして優をピアノ線から守った。
その衝撃で、朱雀と優は床に倒れ込んだが、炎の盾が舞い上がり、コウモリの攻撃からは逃れた。

間髪いれず、吏紀が素早く杖で宙を切った。
すると杖の先から空を駆る光の刃が飛びだし、うごめくピアノ線を切り裂いた。

コウモリの皮膚を貫いて飛びだした無数の黒い糸は、ミミズのようにのたうって、辺りにあるものを手当たりしだいに破壊した。
糸の先に塩酸でも仕込まれているのか、その黒い糸に触れた物はジュージューと音をたてながら焼き切られた。
「吏紀、気をつけろ! そいつ毒を持ってるぞ」
「わかってる! 当たったら痛そうだ」
そう言いながらも、吏紀は光のブーメランを3つ飛ばしてコウモリのミミズを次々に断ち切っていった。
根元から切り落とされた黒いミミズは本棚や床でのた打ち回った後、煙を上げて溶け込み、黒い染みを残した。

「ちょっと、ちょ……、それ以上傷つけないで! 染みになってるじゃないの!」
優が床から跳び起きて吏紀とコウモリに怒鳴った。
「危ないからお前は下がってろ」
朱雀が優の腕を掴んだ。
「これだから魔法使いはイヤなのよ、壊すことばっかりじゃない!」
優が朱雀を突き飛ばした。
頭に来たのだ。図書委員としての優の領域を侵して、魔法使いたちは好き勝手に暴れまわる。図書室が汚れようと、本棚が打ち壊されようとお構いなしだ。

「聖ベラドンナ女学園図書委員の権威に基づき命じる。『コウモリ』、図書室立ち入り禁止!!」
瞬間、怒り心頭した優は仁王立ちしてそう叫んでいた。
すると突然、白い大理石の床に閃光が走った。

瞬く間に、床を走る白い光が輪を描き、コウモリを取り囲む。

「なんだこれは?!」
「もしかして、ゲイルの守護魔法か!?」
「違う、これはアトスの光の輪だ!」

高速回転の光がコウモリを包みこみ、黒いミミズはみるみるうちに縮んで威力を発揮しなくなった。
光は轟音を立てて回転し、コウモリを図書室の出口に向かって引きずり出していく。

「ぐ、ぐわあああアアあ!!」

光に囚われたコウモリが中央広間を抜け、出口の方に姿を消すと、遠くの方で図書室の扉がバタンと閉まる音がした。
図書室に静寂が戻り、先ほどまでの冷たい空気が完全に消えた。

優は顎が外れそうなほどポカンと口を開けて、コウモリが消えた方角を見つめていた。

朱雀がヒューと口笛を吹いた。
「なるほど、アトスの聖なる石の守護は、今もこの学校の図書委員に委ねられているのか」
「やるじゃないか、図書委員」
と、吏紀も言った。

だが、一番驚いたのは優だ。
立ち入り禁止と叫んだのは図書室を荒らされて頭にきたからで、光の輪が出て本当にコウモリを追い出すなんて、思いもしなかった。

「こんなの知らなかった、立ち入り禁止って言っただけで、光が出るなんて……」





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