月夜にまたたく魔法の意思 第3話2





優は生まれつき寒がりだ。
春なのに、優は寒くて目が覚めた。辺りはまだ薄暗く、時計の針はきっかり4時50分を指していた。

寒くて目が覚める朝は決まって、何か悪いことが起こる予兆に思えてならない。優の両親が殺されたのも、こんな寒い朝だった。
寒い朝を迎える度に、優は両親が死んだ日のことを思い出す。
――「阿魏戸、お前は私からあの子を奪うつもりか」
あの日、初めて聞いた父の険しい声。阿魏戸(アギト)という名前も、優はそのとき初めて聞いた。
――「お前にあの子は育てられまい……」
阿魏戸という男の声が、父を見下して言った。父と男は口論になり、止めに入った優の母親を巻き込んで、二人は死んでしまった。
ささいなケンカだったと大人たちは言った。突き飛ばされて、当たり所が悪かったのだと。
だが、優にはすぐに分かった。強い火の魔力が辺りに満ちていた。
優の両親の体には、呪いをかけられた者にできる赤い痣が浮かんでいた。

その後、優は追い立てられるように聖ベラドンナ女学園に送られた。
ダイナモン魔法学校にではなく、聖ベラドンナ女学園に優を通わせることが、父の遺言だったという。


あの日から優は魔法が嫌いになった。人を傷つけ、殺し、家族をバラバラにする魔法。
その力に翻弄されて苦しんでいる人が、世界にはどれだけいるだろうか。
魔法なんか無くなればいい。
優は素早くベッドから抜け出して、聖ベラドンナ女学園の白い制服に着替えた。

図書室の様子が心配になった。文句を言っていた予言書はどうしているだろうか。また、並び位置を変えてやった方がいいかもしれない。

流和には、ダイナモンの生徒に見つからないように、なるべく隠れているように言われたけれど、
まさかダイナモンの生徒も、こんな朝早くから出歩いてはいないだろう。
ちょっと図書室に行くだけだから、大丈夫。

優は鏡の前で、思い通りにならない渦巻き髪を手櫛で軽く整えると、いつものように黄色いスキーゴーグルを装着して部屋を出た。



春のこの時期に、聖ベラドンナ女学園に朝靄がかかることは珍しい。
優は肌寒さをこらえて、図書室まで走った。
靄でかすむ木々の間を抜け、近道をして薔薇園の方から図書館に向かうと、寮からの道を5分短縮できる。

息をはずませて優は図書館の扉に続く階段を上った。優にとって、図書館は辛いことを忘れて空想にふけられる、安らぎの空間だ。
聖ベラドンナ女学園校舎の中で、優は図書館が一番好きだ。
だが、図書館の表扉にたどり着いて、優は驚いて足を止めた。

昨日の午後、流和と一緒に図書館を出たときに、優は確かに、図書館の外の鉄扉に南京錠をかけた。
その南京錠が今、粉々に砕かれて地面の上に散らばっているのを見て、優は口を半開きにしてその場に屈みこんだ。

図書館のカギが壊されるなんて、今まで一度もなかった。一体、誰がこんなことを……?
優は、散らばった南京錠の欠片を用心深く拾い上げた。
「冷たい!」
優はすぐに、欠片から手を放した。まるで氷の破片のように、いや、優にとってはむしろ、その南京錠の破片はそれ以上に冷たく感じられた。

「もしかして、魔法……?」

でも、魔法だとしたら、これは一体、何属性の魔法だろう、と優は思った。
少なくとも、五大属性の中にこんなに冷たく感じる魔法は存在しないはずだ。

優は、南京錠が破壊されて無防備になった鉄の両扉に手をかけた。
その時、扉に刻まれているフェニキア薔薇が、いつもと違って見えることに優は気がついた。
花が散っている。
そればかりではない、いつもより棘が鋭く伸びているみたいに見える。しかも、その棘の先には血のような染みがついていた。

「一体、何があったっていうの」

優はいよいよ顔をしかめて、両扉を開いた。真っすぐにエントランスを突っ切って、図書室に続く扉のノブを回した。
すると、不幸中の幸いとも言うべきか、中扉の鍵には異常がないことが分かった。図書室の扉の鍵は、ちゃんと閉まっている。
優がブレザーのポケットからキーを取り出して、それをカギ穴に差し込むと、扉はいつもと同じ金属音をたてて開いた。
冷たい魔力も感じないし、物理的にイタズラされた痕跡もない。

円形の図書室に入ると、すぐに本たちの寝息が聞こえてきた。
優の心配をよそに、本たちは安らかに眠っている。

優は足音をたてないように、ゆっくりと、注意深く図書室を見回った。どの棚にも異常はない。
予言書の棚の『ゲイルの予言書』も、今はイビキをかいて眠っている。

外の南京錠がイタズラされただけで、誰かが中に侵入したわけではないのか。
解せない思いを胸に、優はひとまず図書室の扉に再び鍵をかけた。外の南京錠は後で、新しい物に取替えよう。

急いで寮に帰って、朝食の席で流和と永久に、図書室にイタズラがあったことを相談しようと思った。
もしかしたら、ダイナモンの生徒の仕業かもしれない。
湧き上がる苛立ちを覚えながら、優は緑色のエントランスを戻り、外に続く鉄の両扉に体重をのせて勢いよく押し開けた。

「うわっ!」
こんな朝早くに誰かが出歩いているはずはない、と思っていた優は、そのままつんのめるように急停止した。
見たことのない男の子が、図書館の扉の外にいた。
地面に膝まづき、散らばった南京錠の破片を手にしていたと見える男の子は、欠片を、すぐに地面に落した。

――強い、炎の力。
ゴーグルをかけている優にもハッキリと分かった。辺りに炎の熱が満ちている。その熱が図書館の周りの朝靄を退けているのが分かった。
これが、炎の魔法使い……。優はゴクリと生唾を呑んだ。

男の子がゆっくりと顔を上げ、優と目が合った。
制服を見ただけで分かる。ダイナモン魔法学校の生徒だ。
流和の彼氏でもなく、永久の飛ぶ練習を手伝ってくれた男子生徒でもない、3人目のダイナモンの生徒だ。
――『高円寺朱雀にだけは会わないように気をつけて。もしかすると、ゴーグルをかけていても優の正体を見抜くかも』
親友にきつく言われた言葉が頭に蘇り、優の心臓の鼓動が速くなった。

優は後ろ手に図書館の鉄扉を閉めると、そのままカニ歩きで男の子の脇をすり抜けた。
男の子は何も言わず、そんな優を不振な目つきで見ている。
優が男の子に背を向けると、背後で男の子が立ち上がる気配を感じた。
突如、優は一目散に走り出した。

この男の子は空や吏紀とは違う。明らかに、まずい雰囲気を持っている、と優は思った。
流和があれだけ、会わないように気をつけろと言った意味が理解できた。この男の子からは逃げなくてはいけない。


「呪縛魔法、囚われ」

「へ?」

炎だ。
薔薇園を駆け抜ける優を、一瞬にして真っ赤な炎が取り囲んだ。突然のこの仕打ち。
優の足もとに円を描いて燃え上がった炎は、火柱となって優の周りに炎の壁を形成した。息も詰まる熱気に、優はむせかえった。
炎を振り払って逃げようとしても、火は、まるで生きた蛇のように優の体を締め付けてくる。

「熱い!」

熱と息苦しさに、優はもがき叫んだ。

「へえ、喋れるのか。普通なら、死ぬのに」

炎の壁の外で、男の子が物足りなさそうに優を見ていた。

「お前が、明王児 優だな」
「何が目的なの! やめてよ、苦しい……」
昔は火あぶりという処刑方法があったというけれど、それはきっとこんな感じだ。吐き出しそうなくらい、全身が熱くて痛いのだが、それよりも苦しいのは息ができないことだ。息を吸い込むたびに、肺に痛みが突き刺さる。そしてむせ返り、さらに息ができなくなる。

「俺が誰なのか分かるか」
「高円寺 朱雀、ダイナモンの……ゲホッ」

早くも視界がぼやけ、意識が定まらなくなってきた優は、それでもゴーグルの奥から朱雀を睨みつけた。
本当に、血も涙もないゲス野郎だ。

苦しむ優を前に、朱雀は顔色一つ変えず、炎を煽り続けた。
「分かってるんじゃないか。なら、これも分かるだろ、俺にそんな小細工は通用しないって。他の奴はどうか知らないが、俺に隠し通せると思ったのか。その忌々しい、馬鹿げたゴーグル……魔力封じのゴーグルだ。お前がやっていることは魔法への冒涜だ」
朱雀はそう言うと、炎の中にいる優のゴーグルに手を伸ばしてきた。ゴーグルを優から取り上げる気らしい。
優はその手を払いのけた。

「触らないで!」
瞬間、二つの炎が飛び散った。

朱雀の手に痛々しい焦げ跡が残った。途端に、朱雀の眉間に不機嫌な皺が寄った。

「ゴーグルをはずせ。言うとおりにすれば、そこから出してやる」
「イヤ。……私は魔法使いじゃない」
「はずせ」
「いや!」
「そんなに死にたいのか」
炎の色が、赤から青に変色した。優が叫び声を上げた。
火の蛇が、さらにきつく優の身体を締め上げる。

「ぐ……殺すなら、殺せばいい! 父さんと母さんを殺したように」
朦朧とする意識の中で、優は泣きながら叫んだ。
力で弱者を抑え込む理不尽な魔法使いへの怒りと、炎に身体を焼かれる肉体的な苦しみ。そして、かつて火の魔法使いに両親が殺されたことへの悲しみと憎しみ。
様々な感情が一気に溢れ出てきて、優は泣き叫び、ついに意識を失った。



――魔法使いなんか、大嫌いだ。





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