月夜にまたたく魔法の意思 第3話1





――空を飛べなくなる夢を見た。



聖ベラドンナ女学園に来て2回目の夜、朱雀はまた悪夢にうなされた。

ルビーの杖が手からはなれて、転がって行く。
朱雀は夢の中で硬い地面に叩きつけられ、絶望的な気持ちで空を仰いでいた。
そこは見覚えのない湿地帯だ。とても寒い。
やがて視界が薄れ、光が見えなくなっていくと、朱雀は恐怖に心を支配され、沼地に沈んで行く。

飛ぶことさえ出来れば、こんな沼地から抜け出すことなど簡単なはずなのに、浮力が思い通りに操れない。
それどころか、自分の中にいつも感じていたはずの炎の力が、全然感じられない。

とても寒い。
夢の中で、朱雀は抗うことができずに、沼地に沈んで行く。
誰も助けに来ない。助けに来られるはずがない、と朱雀は思う。

だがその時、夢の中で朱雀の名を呼ぶ声がする。
それが誰なのか、朱雀には分からない。
朱雀を呼んだその人物が、泥に沈んで行く朱雀の手に触れると、その手から炎の温もりが蘇る。

朱雀を助けることのできる炎の魔法使いが、どこかにいるのだ。


――お前は、誰だ


朱雀は勢いよくベッドから起きあがった。
夢の中で掴んだ汗ばんだ手には、今は何も握られていない。

時計の針は明け方の4時50分を指していた。
炎の温もりがこれほど恋しく感じられる朝は久しぶりだった。
朱雀はベッドから起き出して、ダイナモンの制服に着替え始めた。もともと、よく眠る方ではない朱雀だが、最近は悪夢のせいでさらに眠る時間が短くなっている。気持ちが落ち込むのもそのせいだろうか。

朱雀は火の魔法使い特優の憂鬱を胸に、その朝も暖炉にたくさんの薪をくべた。
火の魔法使いはいつも寒さを感じている。
自分一人が熱を通さない真空管の中に取り残されて、隔絶された感覚。熱はどこにもなく、ただ無機質で、世界中が底冷えしている感じがする。
熱いココアを飲んだり、温かい暖炉の熱に触れると、人はホッとするものだ。
だが、朱雀にはそんな風にホッとできる瞬間がなかった。自分より温かいものがこの世界に他に一つもないから。
朱雀は火の魔法使いであるが故に、いつも孤独で、寒かった。

幼いころから唯一、朱雀の傍にいた火の魔法使いは、朱雀の実の父、阿魏戸(あぎと)だった。
その父は、今は闇の魔法使いに鞍替えし、熱を持たないブラックルビーの持ち主となってしまった。
光が闇に変貌する瞬間を、朱雀は見た。それは朱雀が最も慕っていた肉親の身に起こった出来事だった。

あの時から朱雀は、自分の光が闇に変わるという幻想から離れることができない。



早朝の誰もいない談話室で一人、朱雀は暖炉の火の中に手を入れて確かめた。
今はまだ、炎は赤々と燃え、熱を持っている、と。
――まだ、大丈夫だ。
闇の魔法使いの前では、炎は決して赤くは燃えないのだから。


「さて、一仕事だ」

朱雀は炎を払って立ち上がると、鏡の前で身だしなみを整えてニヤリとした。
まだ誰にも言っていないが、鏡に映った自分は、我ながらイイ男だと自負し始めるようになって、もうしばらくたつ。
クセの強い天然パーマが昔はどうしても好きになれなかったが、最近では、それも一つのカッコ良さなのだと思えるようになった。
実際、朱雀のクセ毛はダイナモン魔法学校の女子生徒の間で、ワイルドでセクシーだと人気だ。

鏡の中の元気そうな自分の姿に気を取り直した朱雀は、優雅な身のこなしで談話室を後にし、そのまま階段を下りて行った。
留学生用の特別寮から外に出ると、朝靄が辺りを白く覆っていた。

朱雀がその朝靄の中に歩み出して行くと、洋館を囲うモミの木に停まっていた一羽の山烏が、一声だけ鳴いた。
朱雀は烏を無視して歩き続けた。


「どこ行くんだ、こんな朝早くに」

すぐに洋館の2階の窓から、主人が顔を出した。もちろん、山烏の主人が、だ。

「手下の烏も気の毒だな、一晩中、過重労働をさせられて」
朱雀は振り返らずに、親友の空に嫌みを言った。

「烏はもともと外で休む。見張らせるくらい、わけないさ。で、なんなわけ、逢引きか、駆け落ちか、またいつもの自殺願望か。いづれにしても、ここはダイナモンじゃないんだから、騒ぎを起こされるのはゴメンだぜ」
「わかってる。ちょっと図書室を見回りに行くだけさ」
「あ、そう。 付き合おうか?」
「結構だ。騒ぎが起きたときだけ、尻拭いしに来てくれ」
朱雀がイタズラに笑った。

「絶対に嫌だね」
空が、断固として首を振る。
「朱雀、仕事も結構だけど、授業には遅れるなよ。留学生が授業を休んでちゃ、怪しまれるからな。今日も、一時限目は飛行術だそうだ」

「飛べないアヒルの授業だろ、わかってる。じゃあ、後でな」

背後で窓の閉まる音がした。
朱雀はそのまま、真っすぐに図書室に向かって歩き出した。

ゲイルの予言書を探すことも重要だが、昨日の炎の気配をまたどこかで感じられるかもしれない。
朱雀の足が、自然と早くなった。





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