月夜にまたたく魔法の意思 第2話7





恋人たちの甘いひとときを見そこなった優は、鼻で笑いながら図書館の重たい両扉を開いた。
緑色の石が敷き詰められたエントランスを抜けると、奥に図書室に続く木の扉がある。
外の扉には、カギはめったにかけないのだが、中の木扉は、優がいないときはいつも施錠することになっている。

「閉館」の札が木扉に架けられていることを確認してから、優はカギ穴にキーを差し込んだ。

「あれ?」

いつもなら、左に回せばカチリと音をたてて開くのに、キーが左に回らなかった。
取っ手に手をかけて押してみると、扉は何の抵抗もなく開いた。

おかしい。
昨日の帰り急いでいたから、カギをかけ忘れたのだろうか? でも、そんなミスを犯したことは今までに一度もない。
もしかすると、すでに中に誰かいるのだろうか? 顧問の先生は滅多にやって来ないし、図書室のカギを管理しているのも優だけのはずだが。
優は警戒しながら、図書室に足を踏み入れた。中に入ると、いつもと変わらない本たちの囁き声が聞こえてきた。
ドーム状の天井からは光が差し込み、図書室はいつも通り、平和で静かなように思われる。
辺りの様子を伺いながら中央広間まで行くと、テーブルの上に昨日のムーンカードが並べられたままになっていた。


「おかしいわね。カギをかけ忘れるはずないのに」

優は首をかしげて、辺りを見回した。
魔法生物の棚には異常がない。薬草学、魔法史、属性魔法各論、飛行術、妖精大全、妖精魔法をまとめた棚。
その他、図書室中央の広間から放射線状に並べられている本棚を優は片っ端から覗いて行ったが、どこにも異常があるようには見えなかった。

だが、予言書の列に来たとき、優ははたと足を止めた。予言書の棚の前に、優が昨日、置きっぱなしにしたハシゴがあった。
そのハシゴの位置が、斜めにズレているではないか。

優はハシゴに手を伸ばし、触れてみた。すると、ハシゴがかすかに緑色に光った。
――風の力。
先ほど会った、鼻もちならないダイナモンの男子生徒のことが頭をよぎった。流和の彼氏だ。


「昨日、図書室に誰か来たでしょう」
誰もいない図書室で優が囁いた。

――来テナイヨ。悪イ奴ハ誰モ来テナイ

予言書の棚の中の一冊がすぐに答えた。

「嘘つかないで」

――嘘ツクモンカ。悪イ奴ハ来テナイッテ言ッタンダ!

ノストラダムス予言というタイトルの本が、いじけたように言った。

「いい奴なら来たってわけ? 誰が来たの」
ノストラダムス予言の本は、優の指に突かれて口を閉ざした。答えようとしない。

一段上の、「賢者の輝きと大地の魔法使い」という本が、しわがれた声で代わりに答えた。

――アンタト同ジクライノ年頃ノ子ラガ、昨日ノ夜ココヲ通ッテ行ッタンダヨ。見掛ケナイ子タチダッタ
――梯子ニブツカッテ行ッタンダヨ!
ノストラダムス予言が口を挟んだ。

「なるほどね」
おそらく、ダイナモン魔法学校の生徒たちだろう。
「でも、ここを通って行ったってどういうこと?」
優が不思議に思って問うと、予言書の棚の向かい側にある魔法道具書の棚の中で、「魔法の鏡の歴史」という本が答えた。
――鏡カラ来タ、賢者ノ鏡、繋ガッテル、道、開ク

片言で聞き取りにくいその本の言葉を、優はかろうじて理解した。
つまり、ダイナモン魔法学校の生徒は鏡から出てきて、図書室を通り、内側からカギを開けて外に出て行ったのだ。
だから優が来た時、図書室の木扉のカギが開いていたのだ。
それにしても、賢者の鏡から人が出て来るなんて、本でしか読んだことがない話だ。本当にそんなことができるなんて、考えたこともなかった。
賢者の鏡を使った鏡抜け魔法は、とても難しいのだという。それをやってのけたダイナモン魔法学校の生徒は、優が考えている以上に優秀なのかもしれない・・・・・・。


優は黄色いスキーゴールをはずし、瞬きした。途端に、感覚が研ぎ澄まされていく。
炎の熱気が、優の足元から図書室全体に広がって行った。長く魔力封じのゴーグルをかけていたお陰で、優の魔力はだいぶ弱くなっていたが、それでもゴーグルをはずすと敏感に他の魔法属性を探知することができた。

――タイガーアイ、水晶、アメジスト、エメラルド、・・・・・・それにルビーだ。


遠くの方で、放課後を知らせるチャイムが鳴った。

「優!」

そのとき閉館の図書室に、優を呼ぶ流和の叫び声が木魂した。
流和は息を切らして駆けこんでくると、優を見つけていきなりその手首を掴んだ。

「流和? ちょ、どうしたの」
「ゴーグルをかけて、優! あいつらに見つかっちゃう」

優はすぐにゴーグルを頭に戻した。流和が優の手を引っ張って走り出した。
「朱雀が来てるの、あいつなら、ゴーグルをはずした優に気づいてすぐにここにやって来る!」
「すざく?」
「訳はあとで説明する、今は一刻も早くここから離れないと!」

運動神経抜群でラクロス部所属の流和は足が速い。
優は半ば転びそうになりながら、流和に手を引かれて図書室を走り出た。

「待って待って、カギをかけるから!」

優が制服のポケットからカギを取り出すのを、流和はもどかしそうに見ていた。
「早く!」

図書室の木扉にカギをかけて再び走り出すと、優がまた立ち止った。
「待って待って、カギをかけるから!」
「今かけたばかりじゃないの!」
「こっちにもかけるの、物騒だから」
優は南京錠を取り出し、それを図書館の外の鉄扉にはめ込んだ。

「よし」
優は南京錠がしっかり閉まったことを確認すると、流和に手を出した。
「もう」と、流和がその手を掴み、再び走り出す。

正直言って、優はあまり運動が得意ではない。猛烈な勢いで流和に引っ張られて走りながら、優は何度も文句を言った。
だが、流和は決して止まることなく走り続けた。
一体どうしたというのか。流和がこんなに取り乱しているのは初めて見る。

今は使われていない旧校舎のはずれの、古い礼拝堂の所まで来て、流和はやっと走るのをやめた。

「ひー、ひー、ふー。疲れた、もう走れない、ひー・・・・・・」
優が芝生の上にへたりと座り込んだ。
これだけ走ったのに、流和の息が少ししか乱れていないのが、優には納得できない。

「どうしてこんなに走らなきゃならなかったの? あの場所から離れなくちゃいけないって、どうして」
「ダイナモンから来た連中が、最上位の石を持つ魔法使いを探してるのよ」
「へ?」
そう聞き返す優の声が、まったく間の抜けたものだったので、流和は優に事の重大さを理解させるのに焦りを覚えた。

「魔法界に邪悪な魔女が復活するっていう予言が表れたらしいの。それで最上位の石を持つ魔法使いは皆、ダイナモンに連れて行かれることになったって、さっき空から聞いたのよ。永久も私も、ダイナモンに連れて行かれることになった・・・・・・でも、優はまだアイツらに存在を知られていない。このまま隠し通せれば、優はダイナモンに行かずにすむのよ!」

流和が凄い剣幕で語り切るのを、優はポカンとして聞いていた。
邪悪な魔女の復活なんて、優には実感の湧かない遠い世界の話だった。

「流和と永久はダイナモンに行っちゃうの? もう見つかっちゃったの?」
「私はもともとダイナモンの魔法使いだし、永久は今朝、飛行術の授業で見つかってしまったらしいの」
「いやだよ、そんなの」
「ダイナモンの連中は、力づくでも私たちを連れ帰るつもりよ。とても逃げられそうにない・・・・・・。優、よく聞いて。ダイナモンは酷い所よ。あそこに行けば、誰も戦闘訓練を避けられない! 特に最上位の石を持つ者、ましてや、優のように火の石を持つ魔法使いはスパルタなんて言葉じゃ片づけられないくらい、痛い目に合わされる」
「うっげー。無理だよ、そんなの」
「私も、優にそんな辛い思いはして欲しくない。優、火の魔力はね、ルビーだけが持つ特別な力なの。魔法界でも、その力を持つのは、私が知る限りでは優以外に一人しかいない。魔法界は今、火の魔法使いを強く必要としているのよ。優を見つけたら、魔法界が手放すはずない!」
「私は魔法使いじゃない。ゴーグルをかけてるから大丈夫だよ。目の色だって隠してるし」
「さっき一瞬、ゴーグルをはずしたでしょ。もしかしたら気づかれたかもしれないわ。だから逃げたのよ、奴らが優の力を嗅ぎつけて図書室にやって来る前にね」
「あんなにちょっと外しただけで?」
「朱雀は、」
「すざくって誰?」
「今回ダイナモンから来てる連中の中に、朱雀っていう炎の魔法使いがいるの。高円寺朱雀。優と同じシュコロボビッツで、あっちは優と違って小さい頃から厳しい戦闘訓練を受け、いくつも実践をくぐり抜けて来てるのよ。そいつは恐ろしい魔法使いだから、気をつけて。もしかするとゴーグルをかけていても、優の正体を見抜くかも」
「そんなにスゴイの?」
「最低の奴よ。血も涙もないゲス野郎だから、くれぐれも気をつけて。朱雀にだけは会わないように、隠れてるのよ」
「わかった」
「本当に、わかった?」
「うん、わかったよ」

優は素直に頷いた。流和が最低の奴と言うからには、朱雀というのは本当に酷い奴なんだろう。
魔法使いに興味はない。できることなら、会いたくないし、関わり合いにもなりたくなかった。

「でも、流和と永久は本当にダイナモンに行っちゃうの? もう帰ってこないの?」
それだけが気がかりだった。
すると流和が笑顔をつくって首を振った。

「永久と私は、すぐに帰って来る。空から聞いた話では、最上位の石を持つ全員が魔女との戦いに巻き込まれるわけじゃないみたいなの。みんな、試しの門を通って、それから戦士が決まるの。私たちはどうせその試験をパスしないはずだわ。大丈夫、必ず、永久と一緒に帰って来るから」

「うん」


流和はそう言うが、優はなんだかとても嫌な予感がした。流和と永久の二人がダイナモンに行ってしまうのは嫌だ。
親友たちが行くのに、優だけがベラドンナに留まることができるだろうか・・・・・・。
すっきりしない気持ちを胸に、優は立ち上がって、スカートについた芝を払い落した。
永久と一緒に飛行術の練習をする時間だった。




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