月夜にまたたく魔法の意思 第11話1




 光は透き通って、私には儚く見えた。だから墨のように黒い闇の中に入れば、もっと強くなれると思った。
 私がそうまでして強くなりたかったのは、高円寺朱雀に認めてもらいたかったから。――ずっと彼が好きだったのよ。
 彼もやがてこちらの世界に来る、と魔女は言ったけれど、私を引き込むために、きっと魔女は私を騙したのね。だって、彼は来なかったもの。
 
 結局私は強くなれなかったし、高円寺朱雀も私のものにはならなかった。
 私は暗闇の底で惨めに凍えて、魔女に支配された身体が醜く朽ち果てて行くのを、見ているだけだった。魔女は、私にとって良いものを何も持っていなかったわ。あの人にあったのは、私を踏みにじる残虐な強さと底しれぬ強欲だけ。それに私と同じように、魔女もシュコロボヴィッツに愛されたがっていた、ただの一人ぼっちの惨めな女だった。

 いっそのこと、死んでしまいたかった。後悔なんかしなかったわ。死んで当然。
 けれど最後の最後になって、魔女が私を捨てて出て行こうとした時、あの痩せっぽちの明王児優が、どうしてなのか私に炎の温かさをくれた。
 なんて温かい、優しい光―― 光は私に、生きて。と言った。
 涙が止まらなかったわ。絡まった心の糸が急速にほぐれてゆくのを感じたの。

 月影聖羅。私は水晶をマジックストーンに持つ、光の魔法使い。
 この石が持つ本来の力は強力な浄化の力。
 闇に閉ざされた私の水晶が、明王児優の紅色の炎に触れられて、再び脈を打って輝きだすのを、私は心で見た。
 だから私は応えたの―― 生きたい、と。

 気がつくと美空が私を抱きしめていたわ。
 これまでずっと、朱雀の一番近くにいた存在。私が妬ましく思っていたことを、きっと貴女は知らないのね。
 私はあの日、沈黙の山で貴女を殺そうとした。本気でね。それなのに、貴女は今も私の親友でいてくれるの?
 ダイナモンに帰る居場所などない私の拠り所となり、一度は闇に堕ちた私に向けられる周囲からの冷たい視線から、今日も守ってくれる。
 まったく私は、貴女のことを見くびっていたのね、暁美空。今になって私は貴女の偉大さを知り、私が抱いていた妬みなど取るに足りないものだったと知ったわ。
 貴女の気高い行いを、私は決して忘れない。―― ありがとう。

 魔女を討伐するために派遣された魔法戦士たちは、私にとっては意外な取り合わせだったわ。
 東條晃。愚直な光しかもたない馬鹿な男だと思っていたのに、本当は骨のある魔法使いだったようね。ビックリ。
 東雲空と龍崎流和は、相変わらず鼻もちならない似合いのカップルのようだけど、二人の関係は以前よりも深まったみたい。胸糞が悪いわ。
 九門吏紀は、賢者ゲイルの本当の正体にまだ気づいていないみたい。鋭いくせに鈍感なところは変わらないけど、以前とは印象が大分変ったわね。
 あの人間出の山口永久が原因かしら。――なんて清らかな、希望に満ちた綺麗な光。今となっては、彼が彼女に恋をするのも無理はないわね。
 地ヶ谷三次は、少し間抜けに見えるわ。だから変わり者の鳳凰桜とお似合いよ。
 年下の彼らが、よくもまあ魔法戦士に加われたものだわ。将来はすごい魔法使いになるかもね。

―― ああ、高円寺朱雀、貴方は。
 これまでにない熱い炎を帯びて、明王児優を愛しげに見つめているの。
 数多の女性と恋をしてきた貴方が、今はただ一人のひとに心から焦がれて恋をして、愛を注いでいる。
 あなたたち二人を見ていると、私の心は不思議と安らぐわ。



 これにて私の愚かな恋煩いも、永遠にお終い。
 
 だって貴方の心は永遠に、彼女とともにあるのでしょうから。
 



「優、お風呂行くわよ! 早くしてよねー」
 流和と永久が、すでにダイナモン地下浴場に行く準備を整えて優の部屋の前で待っている。
 西の森から帰って来たばかりで、体中泥だらけだ。だから優もすぐに風呂に入るつもりで、あちこち破れている制服を脱ぎ捨てて、今まさに裸をピンクのタオルで覆ったところだ。
「私は部屋で入るからいいよ」

「何言ってるの、最後くらい一緒に入ろうってさっき言ったばかりじゃない。吏紀くんたちが下で待ってるのよ、優」
 永久が早く風呂に入りたくて痺れをきらしている。
 その横で流和が気配を察知して目を細めた。
「グズグズしてると朱雀が来るわよ……」

 そう言われて振り返った優が、ビクリとして目を丸くした。
 流和は、肩越しに優の視線を追って後ろを確認すると、小さく肩をすくめた。
「ほら見なさい」

 グレーのカットソーをゆるく身にまとった朱雀が、タオル一枚の優を怪訝に一瞥すると、そのまま何も言わずに優の部屋のクローゼットから風呂用ローブを取り出して、それをフワリと優の頭からかぶせた。
「ローブくらい着ろよ、破廉恥だな」
「勝手に入って来ないでよ」
「迎えに来てやったんだろ、行くぞ」
「私はいいよ」
「ダメだ。さすがに今日はその胸の傷をカエルに流してもらわないといけないからな。ほら」

 朱雀に言われて、優は仕方なくぶかぶかの黒いローブを体に巻き付けると、そのまま手を引かれてダイナモン地下浴場まで下りて行った。

 優が初めてダイナモンにやってきた日と同じ、眩いばかりの白い光に満ちた白亜の大浴場は、天井に雲と青空が広がっていた。
 
 朱雀はエメラルドの回廊を右回りにエクセルシオールに向かい、優たちは左回りにレジーナに向かった。
 一緒にレジーナで着替えればいいのに、と優がふざけて言うと、「お前がエクセルシオールに来い」、と言われた。

 レジーナの六柱殿にタオルを置いて、シルクの黒いローブのままお湯に入ると、身体の疲れが流れ出て途端に軽くなるのを感じた。
「ふう〜……いい湯だなあ」
「朱雀がカエルの神殿で待っているんでしょう、優。早く行きなさいよ」
「え、一緒に来てくれないの?」
「私たちはトレッタで空と吏紀に合流することになってるの。きっと後で朱雀も、優を連れて来てくれるわよ。みんなで乾杯しましょう」
「むう。……わかったよ」

 優は泉の中を蛙の神殿に向かいながら、少しだけほっぺを膨らませた。
 だって、初めてダイナモンに来た日の夜は、流和はすごく優のことを心配して、朱雀から守ろうとしてくれたのに、今は優の子守を朱雀に任せてしまって全然心配していないみたいなのだ。優の裸の胸を見て、大笑いして、優の見ている前でローブを脱ぎ捨てて追いかけてきた朱雀は、それはそれは恐ろしいものだった。つい最近のことなのに、ずっと昔のことみたいに感じるのが可笑しい。
 今は全然、朱雀のことが恐くないんだ。それもまた、笑えるくらい可笑しい。

 薄い水の膜でおおわれた小さな神殿の中にある朱雀の炎の力を頼りに、優は奥へ進んで行った。
 白い柱と水の壁に囲まれた神殿の中は、今夜は思いのほか静かだった。
 蛙の石像の前にある岩の台座に、緋色のローブをまとった朱雀が座っていた。優が呼ぶと、朱雀が手を伸ばして、優の身体を軽々と引きあげてくれた。

 人一人座るのにちょうど良い台座の上で、優は朱雀の膝の上に座らせられる形でおさまった。
 濡れた薄いローブの布地ごしに、朱雀の体温がすぐに感じられて優は少しドキリとする。
「傷を見せてみろ」
 耳もとで囁かれて少しくすぐったかったが、朱雀は単純に優の傷の心配をしているようだったから、優は言われるまま、ローブの胸元を少し開いて見せた。
 鎖骨から胸の中心にかけて白い痕になっている4本の線は、沈黙の山で黒狼に切り裂かれたときのもの。その傷の少し左側に、優が銀色狼の牙刀で自ら刺した、まだ新しい傷が生々しく残っている。
 その傷に指先でそっと触れてから、朱雀は後ろから優のことをギュッと抱きしめて、優の肩に頭をもたげてきた。
「優が、どんな姿になったとしても、俺は生きていて欲しいと思ったよ」
 声がかすれて、なんだかいつもの朱雀じゃないみたい。それに、朱雀の指先がまだちょっとだけ震えていることにも、優は気づいた。

「私、ちゃんと生きてるよ」
「一度死んだだろうが」
「でも、ちゃんと戻ってきた。ねえ朱雀、震えてるの?」
 朱雀は答えなかった。ただ、優を抱きしめる腕にもっと力が入った。

 首だけ振り返って朱雀の表情をうかがってみようとしたけれど、朱雀は優の肩に顔をうずめているので、優は朱雀の頬にそっと触れてみた。
 その瞬間、優の中に朱雀を思う愛しさがこみ上げてきた。声も出さずに、朱雀が泣いているから。
「朱雀、大丈夫だよ。恐くないよ、ちゃんとここにいるよ」
「俺を一人にしないって、約束しただろ」
「うん」

 それから朱雀が落ちつくまで、優はずっと抱きしめられるまま朱雀の腕にもたれていた。
 エメラルドの蛙の目が瞬きもせずに二人を見ていたが、何か言いたそうにしながら、ジッと口を引き結んでいるらしいことを優は感じ取った。

「いつになったら、金色のお水をかけてくれるの、蛙さん」
 ブシュウ!!
「あんッ、イッタ!」
 蛙の口からいきなり鉄砲のような勢いで水が吹きだし、その金色に輝く癒しの水が優の胸の傷に直撃したので優は痛みで跳びはねた。
 すると朱雀が後ろで笑い出した。
「今の声、なんかエッチだ」
「あッ、ちょ、っと……朱雀!」
 優の髪をかきあげて、首筋を唇で食んできた朱雀を、優がパシンと叩いた。
「何するのよ、馬鹿」
「いつか俺に抱かれる時、どんな声で鳴くのか試したくなったんだよ」
「ふざけないで」
「あんまり動くなって、……硬くなるだろ。うわっ」

 朱雀のおふざけが過ぎると見たのか、蛙が朱雀の顔面に水を直撃させた。

『シュコロボヴィッツとナジアスの気質というものは、不思議と受け継がれているようじゃ。しかし、300年前のシュコロボヴィッツ本人は、もっと紳士じゃった!』
「この蛙、マジで喋るんだな」
 朱雀が少し嫌な顔をして蛙の石像を一瞥したが、蛙は構わず話し続ける。
『ナージャの優しさは相も変わらずじゃが……、その反面、ナージャには妙に冷酷なところもあっての。そっくりじゃよ、お嬢さん』
「ナジアスに冷酷なところがあったって、どんな?」
 今度は優が問うと、蛙は丸くて大きなエメラルドの目をさらに大きく見開いた。
『ワシわの、かつてあの子に食われそうになったヒキガエルである!』
「え! 私ヒキガエルなんて食べないよ」
『本当かいの? ナージャはヒキガエルに目がなかったぞ。もし、シュコロボヴィッツがワシを憐れんでくれんかったら、間違いなく丸焼きにされて食われておったわ』
 朱雀がゲラゲラ笑った。
「で、癒しの石像になったのか?」
『さよう。シュコロボヴィッツがワシに力を与えてからというもの、ここで癒しを担っておる。いつでも元の姿に戻って、この泉を泳ぎ回れるぞい。今思えば、シュコロボヴィッツはこの日がくることを見越していたのかもしれん。過去と未来を繋ぎ物語る蛙がおれば、面白いとでも思ったのか……。時に、お嬢さん』
 不意に、蛙は金色の水を吹くのを止めて、キラキラ光るエメラルドの瞳で真っすぐに優を見てきた。

『シュコロボヴィッツの涙を払いたければ、そなたの愛を示すが良かろう。ほれ、その指にあるルビーが、相応しい証となろうて』
 蛙に言われて、優は何気なく右手の親指にはめたままになっているプレシディオ・リングに手をやった。
 朱雀がはめたその指輪は、本来朱雀にしか外せないものであるはずだが、優が触れると指輪はするりと抜けた。きっと、持ち主に返すときなのだ、と優は思った。

 優がプレシディオ・リングを外してしまったのを怪訝に見つめる朱雀だったが、優に手をとられて、紅色に輝くルビーの指輪を人差し指にはめられることには抵抗しなかった。
 指輪は朱雀の指におさまると、瞬間、ウィンクでもするかのようにキラっと瞬いて熱を帯び始めた。

――どうか朱雀が、生涯幸せでありますように。愛に満ち溢れた毎日を送りますように。
 お願い、朱雀の命を守って……。――大好きだよ。
 死の間際に優がこめた強い思いが、熱を帯びた指輪から今、大波のように朱雀の体に流れ込んでくるのを感じて、朱雀は驚いて息を呑んだ。

「優、……いったい、何をしたんだ?」
 抑えようもなく目がしらが熱くなり、胸の奥が締め付けられて、痛みさえ走る。けれどその痛みは、嫌なものではなくて、もっと心地いいもの。
 息が詰まるほど愛が溢れて止まらない。溢れて、溢れて、壊れてしまいそうだ、と朱雀は思った。
 感謝の言葉が見つからない。優が今ここにいてくれること。この世界に生まれて来てくれたこと、そのすべてに。

 奪うのではなく、与えてくれる彼女。命に代えて、幸せを願ってくれる彼女。
 朱雀が心から安心して、息を吸って吐きだすことができるように、朱雀の存在を認め、願ってくれるただ一人の彼女。
――愛してくれている。優は死の間際にあって、これから先、朱雀の傍にいられないとしても、それをしようとしてくれたのだ。だからプレシディオ・リングをはめた状態で優が死んでも、朱雀は生きていた。優がそれを願ったから。

 生かされている、愛されている。
 それは、朱雀が今まで想像すらしたことがなかったほど強く、熱く。
 これまでの高円寺朱雀には、願うことすらできなかった宝物が、今は腕の中にある。

 朱雀の宝物である優は振り向いて、朱雀の額に額を当てて、鼻と鼻を当てて、それから微笑みながら唇を重ねてきた。
 くすぐったくて、照れくさくて、嬉しい。
 優の愛に包まれていることを感じながら、朱雀は顔をくしゃくしゃにして笑った。



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