月夜にまたたく魔法の意思 第10話7




 例えるなら、水責めの日。

 激流の中、優は必死に木の根にしがみついた。
 どれくらい流されてきたんだろう。

「助けて! 誰か!」
 口を開くと水が入って、優は激しくむせ込んだ。
 暗闇の中、辺りを見回しても何も見えない。凄まじい水の音以外、周囲の音さえ聞き取ることができない。

 そのとき、何か柔らかいものが優の体に触れて、
「優!」
 水の中から吏紀が顔を出して、優がつかまっているのと同じ木の根にしがみついた。
 ほどなくして、三次と桜も流れ着いて来た。皆、水を飲んで激しく咳き込んでいる。
 この激流の中でまともに喋ることができたのは、吏紀だけだ。

「よく聞くんだ! 俺の合図で、同時に手を放し、このままもっと下流まで流されて行く!」
「ゲホッ、……冗談でしょ! 死ん、じゃう!・・…」
「流れに逆らわずに、力を抜いていれば大丈夫だ! 下流に行けば流れは穏やかになり、そこに休憩地点もある!」
「そんなのできないよ!」
 優は必死に叫んだ。
「朱雀ならきっとそうする! 後の者も皆、この川をやってくるはずだ!」

 朱雀ならきっとそうする、と、吏紀に言われて、そんなことがどうしてわかるのよ! と内心では思いながらも、優は頷いた。
「いち、に、さん、の合図で! みんないいな、行くぞ!」

 吏紀の合図で、三次、桜、優も同時に手を放し、また凄まじい流れに体をあずけた。

 時折、岩にぶつかりながら、所々足がつきそうな水かさだったのが、ほどなくしてどんどん深くなってきた。それと同時に、心なしか流れが穏やかになってきて、水面に顔を出していられる時間が長くなった。
 周囲の音が聞こえる……。
 ゴーオオオオ! と。

 これまでの川の流れとは違う、大きな水の弾ける音。その音は流れに従ってどんどん大きくなってゆく。

「ああ、うそ、やだ……あれって、滝の音じゃない!?」
 優は流れに逆らって泳ぎだすが、流れはどんどん早くなって抗うことができない。
「ああ、そんな! まだ死にたくない!」
「滝から落ちたら、僕たち死んじゃうのかな?」
 と、三次はあくまでも素朴な疑問を口にしただけだったが、それがことさら呑気に聞こえた。

「そのくらいで死ぬわけない。ちょっと、痛いくらいさ!」
 と、吏紀が真面目に答えている。
「滝壺に巻き込まれて、浮かんでこれなくなることはない?」
 と、桜は意外に冷静。
「魔法使いの幸運を信じろ!」
「吏紀、正直に言う。私怖くて死にそう!」
 最後に優が涙声で叫ぶのを聞いて、吏紀が笑った。
「バカなこと言うな、俺も怖い。けど、意外に泳ぎが上手いじゃないか、優! きっと大丈夫だ!」

 吏紀の言葉を優が最後まで聞きとる前に、それはやってきた。
 少しも緩むことなく襲いかかる、ツルりと飲みこまれて、あとは重力に任せて落ちて行く感覚。
――「「きゃああああああああああ!!」」
――「「うわああああああ!!」」

 その後は、水しぶきと衝撃で、音も感覚も全てが閉ざされた。
 水中でグルグル回転して、上も下も分からなくなり、どんな抵抗も無駄だと悟る。

 やがて強い流れの渦から解放されると、優は水面に顔を出して大量の水を吐きだした。

 無我夢中で陸地を目指して泳いで行くと、吏紀が腕を引きあげてくれた。
 そのまま地面にドサリと倒れて、呼吸が整うまで優はしばらく吐き続けた。桜と三次もすぐ傍に居る。生きている……。

 吏紀だけが休むことなく、大地に手をついて魔法の言霊を唱えると、川の底がアメジストの光で輝きだした。
 それで、暗闇の中でもあとから流れ着いて来た仲間たちを簡単に見つけることができた。

「空、他のみんなは?」
 流和に手を貸しながら川から上がってきた空を見つけて、吏紀が駆け寄った。
「みんな川を流されてくるはずだぜ、朱雀の指示だ」
「そうか、やっぱりな。あの状況じゃ退路は他になかった……永久!」
「平気よ! 泳ぎは得意じゃないけど、流和の水の魔法で助けてもらったの」
 吏紀が永久を肩に担いで、陸あげした。

「優は無事?」
「死にかけています」
 と、仰向けに横たわったまま優が応えた。

 美空と東條は自力で川から上がってきた。
「まさか滝があるとはね! 死ぬかと思った。私、泳ぎは好きじゃないのに」
「多分、高円寺は始めから滝があることを知って……飛びこめとか無茶言いやがって……」
 さすがの美空と東條も文句たらたらだ。

 そして最後に、朱雀が川から上がってきた。
「文句を言うなら飛びこむ前に言え。それより、みんな見事な飛びこみ具合だったぜ。よくやった」

 そう言って朱雀はまっすぐに優の寝ている横まで来ると、地面に座り込んだ。
「優、泳げたんだな。お前のことが気がかりだった」
 だが優は朱雀には応えず、チラリとその様子を伺って心配そうに聞いた。
「怪我はない?」
 優には分かる。
 このメンバーの中で、今、朱雀が一番弱っている。
「うん。けど、ちょっと……疲れたな」
 と、朱雀が答えた。

 朱雀がみんなの前で弱みを見せるのは、これが初めてかもしれない。これには吏紀、空、東條、美空の4人が驚きを隠せなかった。
 少なくともこれまでは、どんなに過酷なミッションの中でも、朱雀が疲れを見せることは一度もなかったからだ。
―― 優になら、弱さを見せられると言うこと?

「今日はもう魔法を使わない方がいいよ」
 優が起きあがって、右手を大きく横に伸ばした。瞬間、炎が瞬き、その場にいる全員の水気を払った。炎の団扇だ。
 髪も洋服も、濡れていたものが全て完全に乾いて、温かさが全身を覆ったことに、朱雀以外の全員が感嘆した。



「今夜はあそこで休む」
 吏紀が示した先に、枯れた森の中で唯一、葉の生い茂る大きな柳の木があった。
 近づいて行くと、その木の周りには巧妙にアトスの石が埋め込まれていて、そこだけ闇を退けていた。

「光の魔法で中に入れるんだ」
 吏紀が柳の幹に触れて『スヴェトリナ』と唱えると、かすかなアメジストの光とともに、幹に人が一人通れるくらいの入り口が開いた。

 中は、黄金の藁が敷き詰められた寝床となっていた。10人で入って、ちょうどゆったり横になれるくらいの広さだ。

 皆が思い思いの場所で早速くつろぎ始めた。
 中央で燃える焚火の近くに桜が座ると、自然と三次もその横に。

「ねえ、男子と女子の場所を分けよう。境界線を引いて、互いにその線を踏み越えないようにするの」
 優は真面目にそう言った。
 だが、吏紀が永久の隣に座りながらもっと真面目に言い返す。
「何言ってるんだ? そんな遊びに付き合っている暇はない。みんな、疲れてるんだぞ、優」

「本当、疲れたな。3日分は眠りたいね」
 と、東條。
「永遠に眠らせてやろうか」
 と、空が流和の膝に頭を乗せて横たわりながらのたまう。

「男女が入り乱れているのはよくないよ……」
「どうして?」
「ほおっておけ、空。優は神経質なんだよ、男女の距離感にはな」
 そう言って、朱雀がローブを脱いで藁の上に敷くと、ブレザーのネクタイを緩めてその上に横になった。
「来いよ、優」
 当然のように手を伸ばして来る朱雀に、優は腕組して仁王立ちして見せた。
 すると、朱雀が大きく溜め息をついて、
「俺たちは火の魔法使いなんだ。氷の雨が降る西の森で一人で寝たら、朝まで無事ではいられないんだぞ」
 と、悲嘆にくれた声で訴える。
「……、わかった」
 素直に隣に座る優に、朱雀が満足そうに微笑んで目を閉じる。

「じゃあ、俺は寝るから。朝まではお前が暖をとってくれよ」
 朱雀はそう言い残すと、頭の下で手を組んで、そのまますぐに眠ってしまったようだ。
 たちどころに部屋の中央で燃えていた焚火が小さくなり、室温が下がってみんながブルブル震えだした。

「一体、どうなってるの? 火が消えそう」
 焚火で調理をしようとしていた桜が困ったようにダイナモンの先輩たちを振りかえると、吏紀が説明した。
「ダイナモンで朱雀と一緒にミッションに出ると、朱雀はその間中、仲間に炎の守護魔法をかけるんだ。そのおかげで、俺たちは闇の魔法使いの寒さから守られる」
「じゃあ、その魔法が今はきれたってこと?」
「この野郎、ガチで眠りやがって」
 そう言って、空が意味深に笑いながら優を見た。
「優がいるから、自分は寝ても大丈夫ってことだろうけど。……優、寒い。早く火を焚いてくれ」

 なるほど、暖をとるとはそういうことか。

 優は言われた通り、消えかけた焚火に息を吹きかけた。
 たちどころに紅色の炎が燃え上がり、部屋中に熱気が渦巻く。

「優、これじゃちょっと暑すぎるわ。少し抑えられる?」
「それが難しいんだよね……ちょっと待って」
「朝までに全員焼け死ぬに一票」
 東條が嫌味を言う横で、美空もクスリと笑った。
「いいえ、焼け死ぬのはきっと、火の魔法使い以外の8人だけだわね」

 それから、優が火に向かって怒ったり、拗ねたり、脅したり、泣き声になったりしながら調整すること小一時間。
 ようやく快適な暖がとれる、しかも調理にもふさわしい炎が生み出された。

 桜が布袋から薬鍋を取り出して、魔力封じの毒に当てられた仲間のために特製のお茶を調合し始めた。
 ゴーレムに襲われたり、黒エルフの襲撃にあったり、滝から落ちたりしたが、幸いにも全員かすり傷程度ですんで、深手を負った者はいなかったのは幸いなことだ。

「これ、その人にも飲ませた方がいいわ。体内に入った魔力封じの毒を解毒する効果があるから」
 朱雀が起きないので、桜は、お茶の入った鉄のカップを優に手渡した。

「朱雀」
 けれど優が呼んでも、朱雀は起きなかった。
「朱雀」
 今度は少しゆすってみるが、それでも起きない。
「ねえ、朱雀の起こし方知ってる?」
「知らないわ。そんなに深く眠ってるの、見たことないから」
 美空に助け舟を求めるも、解決策はないようだ。

「仕方ないなあ、もう」
 優はダメもとでフウ! と朱雀に息を吹きかけた。紅の炎がパチパチと爆ぜ飛んで朱雀に振りかかる。
「ん……、なんだよ」
 起きた。
 優はすぐに、朱雀の頭の下に手を回して持ち上げた。
「魔力封じの毒を解毒するお茶。桜が作ってくれたよ。これだけ飲んで、休むといい」
 優に頭を支えられて、朱雀が半分寝ぼけ眼で、あてがわれるままお茶を飲み干す。
 それから何事もなかったように、またすぐに眠りに落ちてゆく朱雀を見て、空が内心、ワーオと口笛を吹いた。 

 

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