月夜にまたたく魔法の意思 第10話8




「優、おはよう」
 頭の下で朱雀の声がして、優は目を覚ました。
 いつの間にか眠りこんでしまって、背後で寝ていた朱雀の上に倒れ込んでいたみたいだ。ちょうど朱雀の胸を枕にして。

「うわ、ごめん」
 優はビックリして上半身を起こしたが、目はまだ開きかけだ。

「何が?」
「重たかったでしょう」
「別に、重くないよ」
 朱雀は猫のように大きく伸びをすると、起きあがった。
「たださ、次はもうちょっと上手く添い寝してくれよな」
 屈みこんできた朱雀が、耳もとにキスを落としてきてくすぐったい。けど、昨晩の疲れもあって優はまだ寝ぼけ眼の放心状態で、反撃の余地もない。
 対する朱雀は、とっても寝起きがいいようだ。『俺、普段はうつ伏せに寝るから、次は優が枕してくれ』、とか言ってる。

「腹が減ったな」
 とぼやきながら、ゴロゴロと猫みたいに後ろから腕を絡めてくる朱雀に、優はようやく肘鉄を喰らわせて、自分のリュックサックを引き寄せた。

 非常食として持たされていた高エネルギーの乾パンは、……ダメだ。案の定、水に濡れてダメになってしまっている。
 つくづく、ビニールやプラスティック包装という文明の利器がない魔法界がうらめしい。

 他に優がピンク色のリュックに詰めて持ってきていたのは、ストロベリートマトが一袋と、……そうだ!
「いいのがあったよ、食堂から持って来たの、これ」
 そう言って優がリュックの底から取り出したのは、巨人の太腿サイズくらいありそうな燻製のハムの固まり。
「必殺、黒狼対策」
 どうよ、すごいでしょ、と言わんばかりの優を、朱雀は憐みの表情で一瞥し、宙からスローイングナイフを取り出して肉の塊を受け取った。
「鴨がネギしょって歩いてるって言われるぞ、可哀そうに」
 実際、巨大なハムの固まりを背負って森を歩く優を見たら、腹をすかせた黒狼は大喜びするだろう。
 優がどんな秘策を講じようとも、ハムの固まりが黒狼対策になることはない、と朱雀は断言できたが、そんな優のことが、愛おしくて、恨めしいからそれ以上は何も言わない。

 ちょうど、桜が昨晩使った石の板があった。それを鉄板代わりに火の上に設置して、朱雀は器用にハムを10枚に切り分けてゆく。
 そうして、川の水に浸かったハムに念入りに火を通す。
「いい炎だ」
 優がともした炎は、苦労の甲斐あって今もよく燃えている。
 
 燻製ハムを焼く香ばしい匂いが辺りに立ち込めると、他のみんなも続々と目を覚ました。

 東條は起きるとすぐに、自分の布鞄から銀の薬缶を取り出して、それを流和に差し出した。
「すまないが龍崎、水をくれないか」
 流和が欠伸をしながら起きあがって、差し出された薬缶をコンと指で突いた。それだけでポシャ、と水の満ちる音がした。

 東條は慣れた手つきで薬缶に専用の濾紙をかぶせると、その中に挽きたてのコーヒーを入れて薬缶ごと火にかけた。
「コーヒー、欲しい奴はカップを出せよ」
 朝はみんな口数が少なく、話す声も低めだ。
 みんな黙って、東條の周りに自分のカップを並べた。優も、今朝はコーヒーが飲みたい気がしたから、自分の歯磨き用のピンクのコップを出した。

 三次と桜は香草やハーブをたくさん持っていて、朱雀が焼いたハムに、オリーブと塩で漬けたミルトスを載せてくれた。
 そうすれば味も引き立つし、殺菌効果もあるからだ。

 美空が、柳の部屋の中に生えている大きな葉っぱを人数分切り取って来て、それを軽く火で炙ってから、一枚ずつ皿のように朱雀の近くに並べた。
 朱雀がその上に焼きあげた分厚いハムを、人数分載せて行く横で、優はストロベリートマトを2個ずつ飾り付けてゆく。

 ところで、部屋の中には、一晩で梨のような果物がたわわに実っていた。
 今、その実を吏紀が一つ手にとって、出来栄えを確かめている。
「何なの? それは」
 永久が不思議そうなのも無理はない。昨晩はそんなもの、生えていなかったのだから。
「大地の魔法、マジック・ピールだ。九門家の十八番さ」
 吏紀が永久にウィンクして、一つ差し出した。
「ダイナモン生はもう食べ飽きてるとは思うけど、上手く出来たよ」
 と、今度は流和にも渡す。
「私、これ好きよ」

 空がマジック・ピールの収穫を手伝って、朱雀、東條、美空、三次、桜に次々に投げてよこした。
 優も身構えたが、空は優にだけ親切に手渡ししてくれた。
「ありがとう」
「お前、キャッチできなさそうだから」
 と、一言添えて。
 親切なんだか意地悪なんだか……。まあ、確かにそうだけどと優は思った。



「今日はどこまで進むの?」
 みんなで焚火を囲んで朝食をとりながら、優が朱雀に訊いた。
「どこまで、って。……最後までだよ」
 と、朱雀がちょっと不思議そうな顔をした。

「ゴホン。主語と目的語を明確にしてくれるかな。なんか朝から卑猥な会話を聞いてるみたいだ」
 東條が横槍を入れるが、実際、他のみんなもちょっとそう思ったのには違いなかった。
 なんだか、優と朱雀の距離が以前よりも、ずっと近くなったように見えるからだ。

「最後、って?」
「達するまで」
 朱雀が仲間たちの思惑を察して、わざとそう言った。
 優だけ、意味がわかっていない。

「でも、こういうのって、何日もかかるものなんじゃないの?」
「そんなに長くかけてたら、体がもたない。まあ、優がそうして欲しいなら、俺は長くしてもいいけどな」

 途端に空がケラケラ笑いだし、同時に吏紀が朱雀をいさめて言った。
「そのくらいにしてくれ。不謹慎だろう、朱雀」

「え、何が?」
 優が首をかしげる横で、朱雀が両手を広げて肩をすくめて見せる。
「見ての通り、被害者は俺だ。こいつの鈍感さときたら」
「ご愁傷様」
 と、空が涙を流しながら、あとを引き継いだ。

「冗談はさておき、今日中には魔女を仕留めるんだぜ、優。俺たちが西の森にとどまれるのは、長くてもあと一日」
「できれば日没前に魔女の城に進行し、朝には無事に引き上げたいところだな」

 なるほど、今日も忙しくなりそうだ、と優は思った。

「そんなことが、本当にできるの?」
 と、今度は永久が不安そうに呟いた。

 その言葉に、皆が顔を見合わせて、しばし言うべき言葉を失って沈黙した。
「やらなければならない」

 やがて吏紀が真っすぐな瞳でみんなを見回した。
「俺たちはそのために遣わされたんだ。何があっても、最善を尽くそう」

 静かな朝だった。
 闘いの前に食べる最後の食事は、あり合わせの、寄せ集めの朝食だったかもしれない。
 しかし香草の効いたハムと、ストロベリートマトと、マジック・ピールと、東條の入れたコーヒーに、全員が満足した。
 特に優はマジック・ピールが気に入った。それ一つだけで一日分のカロリーがとれるという優れ物は腹を満たすだけでなく、濃厚な乳と蜜の味がする不思議な果物だった。

 朱雀が立ちあがって、燃える炎の杖を勢いよく回転させながら宙から取り出した。またたく間に、辺りに朱雀の熱が広がり、仲間たちを力づける。語らずとも、朱雀の考えていることが仲間たちに伝わった。―― 誰も死なせない。全員、俺に着いてこい、と。
 昨晩の疲れた様子とは一変、元気な朱雀の様子に優が安堵の笑みを浮かべながら立ち上がる。
「私もいるのよ、忘れないで」
 優の手に静かにルビーの杖が現れて、朱雀の炎に協調してより大きな命の力が辺りを覆い尽くす。
 紅の瞳を輝かせる二人の炎の魔法使いを前に、仲間たちは息を呑んだ。本当に、シュコロボヴィッツとナジアスがそこにいるみたいだから。

 流和が元気に立ちあがって、碧く輝くサファイヤの杖を勢いよく回転させて、朱雀と優の杖に重ねた。
 闘いの前に流和が笑っているなんて、初めてのことだった。

 永久も唇をキュっと閉じて、力を込めて立ち上がった。
 震える手を伸ばした時、ダイヤモンドの輝く杖が勢いよく召喚されて、圧倒的な、目も眩むほど強い希望の光が弾けた。
 吏紀が驚いて、あまりに驚いたせいで、自分でも気付かないうちにフッと笑った。

 それから吏紀と空が同時に立ちあがり、空宙から回転するアメジストとエメラルドの杖を軽快に取り出すと、それを左右に盛大に振りまわして光を飛ばしながら、先の4人の杖に重ねた。
 二つのルビーと、水のサファイヤ、光のダイヤモンド、大地のアメジストと風のエメラルド。
 魔女を滅ぼす予言の魔法使いたちの輝きが、重ねられた杖の上で強く瞬いた。

 だが、光はそれだけではない。
 東條のダイヤモンドの実直な輝きが、美空のタイガーアイの夜明けの輝きが、桜のピンクパールからは楽しみ喜ぶ優しい光が、三次のオパールからは大地の息吹に溢れる七色の輝きが。
 10人の魔法戦士は輪になって、円陣の中心で杖を重ねた。
 同じ光は一つとしてなく、どの輝きも美しく、気高く脈打っている。この輝きは彼らが天から与えられたもの。その命の輝き。


 その時、魔女の城で人知れず、ゲイルの予言書が叫んだ。
―― 彼ラはその光で、暗闇に立ち向かウ。さあ、道を照らセ!


 同じ時、戦線に赴こうとしている賢者ゲイルの腕の中でも、魔法のハープがコロコロと震え、歌いだした。

 『その光は闇の中をうごめいている。闇は、光に打ち勝たなかった』  と。




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