月夜にまたたく魔法の意思 第10話5



 雲の上を飛びながら早めの昼食を終えた頃、カラスが一羽飛びあがって来て、空のまわりを旋回すると、またすぐに雲の下に降りて行った。
 先頭を飛ぶ朱雀、空、吏紀が何やら話し始めた。
 どうやら快適な空の旅を終えて、雲の下に降りる時が近づいたみたいだ。

「まもなく死の沼上空だ。下には烏森一族の連中と、アラゴンが数百匹。天候は、悪い。みんなずぶ濡れだとさ」
 空はまるで、「この先渋滞だとさ」とでも言っている車の運転手のように、単調に事態を仲間たちに説明した。
 探索カラスからの情報によると、死の沼では東雲一族が、アラゴンを引きつれた闇の魔法使いたちと激戦を交えているらしい。おまけに、雲の下には激しい嵐が吹きまくっているという。
「まあ、予想通りだな」

 何も戦火の渦中に降りて行かずとも、西の森に直接降りて行けばいいじゃないと優は思ったが、西の森はそう簡単にはいかないらしい。
 というのも、森全体が迷路にように複雑で、その領域は闇のエルフたちが支配している。不用意に立ち入れば、闇のエルフの罠にかかって二度と森から出られなくなるのがオチ。
 西の森への安全な入り口は、死の沼から続く聖者の道、ただ一つだけだという。そこには、300年前に魔女を封印したアトス族とシュコロボヴィッツが残した守護石があるのだ。それ以外の道からは、光の魔法使いは西の森に入ることができない。
 闇の魔法使いたちも当然そのことを知っているので、今、優たち魔法戦士たちが来るのを群れをなして待ち構えているというわけだ。

「朱雀、どうする?」
「正面突破だ」
 朱雀は迷うことなくそう言った。
 
 そう、始めから選択肢などない。
 10人の仲間たちに、一様の緊張感が漂い始めた。

 吏紀が作戦を説明した。
「俺たちはこれから下に降りるが、そこで行われている戦闘には加わらず、真っすぐ森へ進む。敵からの攻撃は東雲家が防いでくれるとは思うが、左翼への攻撃は空と美空が、右翼への攻撃は俺と東條の防御壁で防ぐ。朱雀は前方、優は後方警戒。その他の者は飛ぶことに集中してくれ。この先、ルートの選択は朱雀が行い、全員が朱雀に従う。陣形を保ち、はぐれずついて行くこと。例え仲間が途中でロストしても振り返るな。全員、止まらずに、前に進むことだけを考えるんだ」
 
 吏紀が話し終えた直後、前方の朱雀のルビーの輝きが増した。次の瞬間、朱雀の体が垂直に雲の中に消えた。
 空、吏紀がすぐ後に続き、後の者も皆、前の者が進んだと同じラインを雲の中に切れ込んで行った。
「遅れるな!」
 雲に入る瞬間、東條が叫ぶのが聞こえたが、すでにその姿は見えなかった。
 雲の中は視界ゼロ。急に大気が冷え込んで、息苦しくなった。ゴー……と唸る、恐ろしい音がどんどん大きくなり、ガタガタと杖が揺さぶられる感じ。
 下るほどに光が届かなくなり、白く閉ざされていた視界が、今度は黒く閉ざされた。

 優は意識を鋭く、仲間たちの魔力を探知しようとした。
 大丈夫、先頭を行く朱雀の炎の瞬きがしっかりと感じとれる。空のエメラルドと、吏紀のアメジスト。流和のサファイヤと永久のダイヤモンドも。
 黒い雲の中で突如、上からも下からも水が飛び散ってきた。洗濯機の中を飛んでいるような奇妙な感じだ。息が苦しい。あとどれくらい下ったら雲を抜けるんだろう。
 けれどそんな中でも、美空のタイガーアイと東條のダイヤモンドを、三次のオパールと桜のピンクパールの輝きを感じる。みんなはぐれずに、翼となって飛んでいる。

 突如、凄まじい光が目の前を切り裂いたかと思うと、優たちはついに雲から抜け出た。
 雨と風が吹き荒れる空前の悪天候ではあったが、強い浮力が全員を繋ぎとめるように覆っている。それが朱雀の浮力であるということが、優にはすぐに分かった。
―― 飛びやすい。
 みんなが安心してついて行っているのが分かる。


「坊っちゃん!」
 雲を抜けてすぐに、エメラルドの杖に乗った白いローブの男性が、空と並んで飛び始めた。全身ずぶ濡れだ。
「その呼び方は止めてくれ、恥ずかしい!」
 稲妻が数秒おきに鳴り渡る嵐の中で空が叫び返した。

「お父上からの伝令です。上空にはアラゴンが。低く飛べ、と!」

 見ると、黒くて大きな翼をもつ巨大な生き物たちが、優たちの周りを飛びまわっているではないか。闇に紛れているその魔獣が、稲光を浴びて時おり光っている。
 頭がつるんと丸くて、目は鮫のようにつぶらで小さいが、無数の牙を剥き出しにしている恐ろしい生き物。体長の倍はありそうな巨大な翼には鋭い棘がある。あの翼にぶつかるだけでも大怪我をしそうだ。

 一方、地上近くには闇の魔法使いたちが陣形を整え、早くも優たちを待ち構えている。
 アラゴンがどれほど危険かは分からないが、少なくとも闇の魔法使いたちの陣の中を飛ぶよりは安全なんじゃないのかな、と優は思った。

「坊っちゃん! お父上が道を開きます。振り返らず、真っすぐに進んでください!」
「わかった。朱雀!」
「了解。行くぞ」

 朱雀が杖をスケボーのように蹴って、地上に向けて体を倒した。周囲を飛んでいたアラゴンたちがその動きに呼応して、下から襲いかかって来る。
 しかし、先頭を飛ぶ朱雀はルートを変えず直進加速しながら、空中から魔獣狩りの大刀を取り出した。
―バシュッ!
 アラゴンの前脚をひらりと交わした朱雀が、野球のバッドをスウィングする要領で大刀を振り抜き、勢い軽々とアラゴンの首を切り落とした。
 次から次に、進路に襲い来るアラゴンを切り落としながら、朱雀は物凄い速さで地上すれすれまで降下して行った。
 その光景を目の当たりにした優はしたたか悲鳴を上げたが、空や吏紀は別段珍しくもなさそうに、むしろ前方にいる闇の魔法使いたちに意識を集中している。

 大地を冷気が覆い、吐きだす息が白くなる。地上には闇の力が満ちている。
 優は杖を強く握り、はぐれないように、前方の仲間たちに注意を向けた。

 敵の矢が降り注ぎ、闇の魔法が空からも大地からも繰り出される。このまま突っ込めば、一網打尽にされてしまう!
 だが、朱雀は速度を緩めることなく、真っすぐに進んで行く。空も、吏紀も、流和も永久も、美空も東條も、三次も桜も、皆、敵中に一直線だ。

「スカッツワル!」
「アヴィエンテ!」
 吏紀と東條が同時に叫んだ。右翼への闇攻撃を危機一髪、防御壁で凌ぐ。仲間たちは脇目もふらず、ただ真っすぐに西の森に進む。

『イックトゥ・レヴィ・ヴェント!』――光の風よ吹け!
 黄金のエメラルドの杖に乗った初老の紳士が、突如、朱雀を先導して前を飛び始めた。
 優はその後ろ姿をまじまじと見つめて、その魔法使いの髪の色や巻き方、立ち姿が空にそっくりだと思った。

『フィリエ・フィラアレ・ノストラーエ、イカーゼ!』――我らの息子、娘たちを進ませたまえ!
 
 強い、エメラルドの輝き。こんなに強い魔法使いが優たちの仲間なのだと思うと、勇気が湧いて来る。
 すると、最初の魔法使いに加勢するように上空にも地上にも、数多のエメラルドの輝きが光りだし、本当に風が吹いた。優たち全員を、光の風がまるで大波のように押し進ませてゆく。
 その強烈な光は前方の闇の魔法使いたちを払いのけてゆく。

 しかし、闇の魔法使いたちもただで引き下がるつもりはないらしい。
 黒い燕尾服を着た烏森一族の男、以前に沈黙の山で見た男が杖を掲げて黒い稲妻を落とした。

『ニージェルト・ニーイトリィ!!』
 そしてまた黒い稲妻。稲妻が落下した地点からたちどころに竜巻が生じ襲いかかって来る。恐ろしいのは、光さえ飲みこむ強い引力だ。光が奪われ、辺りが闇に浸食されてゆく。エメラルドの光が遠くなってゆく。

「急げ! 光が届いているうちに、この先へ!」

 瞬間、何か黒いものが右翼の桜を捕まえて、優の視界を右から左に横切って行った。
「桜!」
 自分の下をかすめ飛んで行った桜に、三次がとっさに手を伸ばすが、届かない。桜はそのまま闇の中にさらわれて行った。
 一瞬のことだった。
 優は考えることもせず、杖の先を左に向けて体を傾けた。そして桜を追いかけて暗闇に飛び込んだ。

「優!」
 後方の異常に、すぐに流和が気づいた。
「流和、振り返るな! 前に進むんだ」
 と空が怒鳴る。

 朱雀も、吏紀も、空も振り返らない。皆、桜と優が陣から離れたことに気づいていたが、振り返ることはできない。ここで立ち止まるわけにはいかない。逸れた仲間を追いかけてバラバラになることはできないのだ。

 朱雀の瞳がシュコロボヴィッツの強い輝きを帯びた。炎の瞬きが一層強く、熱が広がる。
 暗闇の中でも、優が朱雀を見つけて戻って来られるように。


『エカルジーニ、ササーリ! 臆せずに進め、魔法戦士たち。西の森の入り口はこの先だ!』

「優、早く戻って来い……」

――「フランマ!」

 何が起こったかは、見なくても明解だった。優のフランマが暗闇の中で炸裂したのが、朱雀には手に取るように感じられた。
 ほどなくして、桜を抱えた優が、転がるような危なっかしい飛び方で陣に戻ってきた。

 興奮した様子で優が叫ぶ。
「コウモリ少年だったよ! 炎の鉄拳をくらわせてやった!」
 優の言葉に、空がニヤリとする。戦闘訓練のとき、空が喰らった優のフランマの鉄拳。吏紀と東條、美空と流和と永久が加勢して空たちが6人がかりでも止めることができなかった強烈な一撃をコウモリ少年が喰らったという事実に、自然と笑いがこみあげて来る。
「よくやった、優!」

「言い忘れていたが、ロストした仲間を連れ戻すのは最後尾を飛ぶ者の使命だ。これからも頼むぞ」
 と、吏紀。

「え、そうだったの!? なら、私がはぐれたら、誰が助けてくれるの?」
「優は自分で戻って来られるさ。先頭を飛んでるのが朱雀なんだからな」
 確かに、優には朱雀の熱がどこにいても強く感じられる。

 桜も大丈夫そうだ。闇の魔法使い、コウモリ少年に触れられたせいで少し青白い顔をしているものの、すぐに優に救出されて炎の熱を受けた。
「桜、平気かい?」
「大丈夫よ、かすり傷一つない。それより……ごめん」
 桜は、自分が危険な目にあったことよりも、仲間の足を引っ張ってしまった事の方がショックが大きかった。
「生きて戻ったんだ、謝ることはない。前方の敵にばかり意識がいってた俺の責任でもある」
 と、東條がキッパリ言った。
 それまで黙っていた朱雀が口を開いた。
「その通り。東條、ダイヤモンドの魔法使いであるお前が右翼を守るのが当然だ。仮にそうじゃなくても、お前が守れ」
 物言いは厳しくとも、つまりそれって、東條のことを頼りにしてるってことなんじゃないのかな、と優は思った。

「さあ、行こう」
 吏紀が言った。
 エメラルドの光が消えかけている。

「ここで戦っている仲間は、俺たちを進ませるために務めを果たしている。俺たちは俺たちの務めを果たしに行こう」



「行け、こどもたちよ!」
 それまで先導していたエメラルドの男が左脇にそれ、最後に空の肩に少しだけ触れた。
「息子よ、お前を誇りに思うぞ。無事を祈っているからな」

 このとき空の表情は見えなかったが、頷き返した空の背中が一回り大きくなったように、優には見えた。

 朱雀が浮力を増大し、前に加速した。
 押し寄せてきた暗闇の渦を空のお父さんが一手に引き受けて、かろうじて10人の若き魔法戦士たちは西の森に滑り込んだ。
 古の魔法使いたちがかつて魔女アストラと戦ったときに残して行ったアトスの石のおかげで、その場所はわずかに周囲の闇を退けている。

 背後では、エメラルドの光と暗闇がいくつもぶつかり合っている。
「はぐれずに進むんだ。振り返るな」
 
 枯れた木々の間、岩くぼだった割れた地面を、優たちは休むことなく歩き始めた。
 後ろで戦ってくれている光の魔法使いたちのことが気がかりで、後ろ髪を引かれる思いがする。けれど、振り返らずに進まなくては。
 これから優たち10人の魔法戦士たちは、かつての魔法使いたちが進んだのと同じ道を、アトスの石を辿りながら進むことになる。

 そこには一体、どんな罠が待ち構えていることだろう。



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