月夜にまたたく魔法の意思 第10話12




 その場所は暗く、臭かった。
 これまで数多くの戦闘経験をしてきた朱雀は、血と死の臭いには慣れているはずだったが、そんな彼が鼻を腕で塞ぐほど、その場所は悪臭に満ちていた。

 優たちが鳥ゴーレムのポータルで飛ばされた、その少し後、龍崎一族の前から忽然と姿を消した朱雀、吏紀、空、流和、永久の5人は今、闇の魔法陣で魔女の城へと強制送還されていた。

 円柱が並ぶ大広間にいるらしいことは分かったが、広間の終わりも、天上の高さも計れぬほどに、辺りは闇で満ちている。ただ、闇の向こうに邪悪な気配があることが、目には見えなくともハッキリ感じ取れることが、ひどく不気味だった。
 見られている。どこから? あちらこちらからだ。
 舐めるような視線で体をなぞられている、その不快な感覚に、朱雀の全身がピリピリと脈打った。

 朱雀、吏紀、空、流和、永久の5人は、闇の中で互いに背を向けて円となる陣形をつくり、静かに杖を構えた。だが、杖に明かりを灯すことはためらわれた。そんなことをすれば、自ら進んで標的となるようなものだ。

 挑発するような口笛の音や、侮蔑のこもったヒソヒソ話し、そして狂気の笑い声が、かなり高いところから聞こえて来る。
 朱雀はその反響音と、自らの魔力探知魔法で、空間の形状と広さ、そして敵の位置を、脳内で正確にマッピングしていった。
 向こうからなかなか攻撃してこないのは、闇の魔法使いたちが、圧倒的に有利なこの状況を楽しんでいるからだろう。なんといっても朱雀たちは、罠にかかって暗闇のど真ん中、敵の陣地にいきなり放り込まれたのだから。

 朱雀の隣で、空が舌打ちした。想定していなかった不利な状況に、苛立っているのが分かる。

「――空、吏紀、流和、永久」
 闇の中で、朱雀が仲間たちの名前を静かに呼んだ。
 温もりはまだ、すぐ近くにある。朱雀の声が何ものにも動じていない、冷静なものだったので、暗闇に苛立ちや焦りを感じていた仲間たちは、ハッと正気を取り戻した。

「よく聞いてくれ」
 朱雀は途切れることなく、仲間たちに語りかけた。焦りはないが、迅速、かつ明確に。
「目を閉じて、瞳に明かりをともせ。光に目を慣らしておくんだ」
 暗闇に目を慣らすのではなく、【光】に目を慣らすとは……。仲間たちにはそれが意外なことに思われたが、いちいち質問している猶予はない。それに、朱雀が血迷ってデタラメな指示を出しているとも思えなかった。
 吏紀、空、流和、永久の4人は言われた通りに目を閉じて、光の魔法を瞳の中で発動させた。
――深い暗闇の中でも目を閉じて。そうすれば、あなたの内なる光がまだそこにあり、輝いていることが見えるから。
 若き魔法戦士たちを手助けするため、業校長に伴って西の森を進む賢者ゲイルの腕の中、予言のハープは歌い続けている。
 だが、朱雀たちはそんなことは知る由もない。

朱雀自身も、仲間たちと同じように目を閉じて、さらに話し続けた。
「俺の合図で、永久が光を灯す。普通の光じゃない、それは眩しい朝明けの光、真夏に照りつける太陽の光、目も眩むほどの、最強光度の光を、地の果てに届くほど輝かせるんだ、できるな、永久」
 永久はドキリとした。朱雀に名前を呼ばれて、役割を与えられるのは初めてだ。朱雀の有無を言わせぬ気配に、永久はまさか、「できない」 とか、「自信がない」 と弱音を吐くことはできなかった。

「わかった」
 と応えた永久の声が、気持ちとは裏腹に弱々しく震えてしまった。
 永久は抑えようもなく震えていた。正直なところ、力が上手く入らない。本当はこんな状況で、自分がまともに魔法を使えるのかどうかさえ、自信がない。こんな深い、暗闇の底で……。

 だが、そんな永久の心中を察して、朱雀は励ます。
「大丈夫、必ずできるさ」
 炎の魔法使いは、危機的な状況で仲間を脅したりしなかった。かえって、これまで見せたことのない優しさで、永久を励ました。命をかけた闘いが初めてなのだから、恐れるなというほうが無理なのだ。

 吏紀には、永久の気持ちがわかっていた。恐れている、永久はひどく、恐れている。それなのに彼女は震えながら、ここにいて、弱音は吐かず、闇に立ち向かおうとしている。吏紀はそんな永久のことを、人間出の魔法使いなどとはもう少しも思えず、ただ心から愛しい人だと思った。
 暗闇の中で目を閉じたまま、吏紀は永久の手を握った。
「僕は、君の光が大好きだ。君の光の前には、どんな闇もひれ伏すに違いない。永久、きっと大丈夫だ」
 吏紀の温かい手を、永久は無言で握り返す。

 朱雀が作戦の続きを説明した。
「永久の光で、闇に目が慣れている奴らには、一瞬、隙ができるはずだ。その隙に、俺と、空、吏紀、流和で敵を確実に仕留める。いいか、チャンスは一度だ。一度で確実に殺るんだ。雑魚の相手をしている暇はない。魔女はおそらく、この先の玉座の間にいる。なぜって、その場所の闇が一番深くて、冷たいからな」
 そこには魔女と、闇に堕ちた高円寺夫妻がいる。そして、聖羅も……。朱雀の魔力探知魔法が、その冷たい力をまざまざと感じ取っていた。

 今、玉座の間は閉ざされ、その手前の大広間に朱雀たちはいるのだ。前座の敵は、4人。
 朱雀たちをすぐに攻撃してこなかったのが、闇の魔法使いたちの運の尽きだ、と、朱雀は思った。闇の向こうで悦になっていられるのも今のうちだ、馬鹿め。自分たちの優位を過信して、いつまでも下品な観賞に浸っているつもりなら、こちらが先手をとるまでだ。

「吏紀、空、手加減するなよ」
 と、念の為、確認すると、
「その心配はない」
「何を今さら。初めてじゃないんだぞ」
 と、少々不満げな回答が返って来た。朱雀はニヤリとして、人知れず頷く。本当に心配なのは……、「流和、大丈夫か?」。
 先ほどから流和が何度も深呼吸しているのが聞こえている。
 やがて流和は応えた。
「殺しは初めて。けど、ためらわないわ」
 流和にも、殺らなければ殺られることが、この暗闇の中でハッキリと感じ取れていたのだ。これほどの悪意と殺意を、流和はこれまで感じたことがない。
 まさか、本当にあるとは信じていなかった、完全なる【悪】という存在が、今、流和のすぐ鼻先に実体として在るのだ。気高い流和は目をそらすことなく、その事実を受け止めた。

 空は流和のことを思って、心を痛めた。
 普通の感覚の持ち主であれば、殺しを気持ちよくは思わないはずだが、流和はそれ以上に心底から戦いを嫌っている。そのことを誰よりも知る空は、相手がどんなに邪悪な魔法使いであろうとも、殺しをすれば流和の心が傷つくのが分かっていた。
 できれば、汚い仕事は自分が引き受けるつもりだったのに……。空は流和には殺しをさせたくなかった。
 けど、空にも分かる。殺らなければ、確実に殺られると。殺しを躊躇わない分、闇の魔法使いの方が一段上手。一隅のチャンスを逃すことは空たち全員の死に繋がるだろう。

「大丈夫よ、任せて」
「愛してるよ、流和。君がどんなに恐い人でも」
「せいぜい、惚れ直してよね」

「敵は4人。俺は12時、吏紀は3時、流和は7時、空は9時だ。空、9時の奴は人ならざる者かもしれない、気をつけろ」
「了解」
「虎の合図で光を。片付けるぞ」
「わかった」

―「鼠」
 皆が朱雀に呼吸を合わせた。

―「牛」
 永久がダイヤモンドの杖を握りしめ、他の4人は踏み出す足に力を込める。そして、

―「虎!」

 暗闇の中、両手につかんだ杖を、永久は勢いよく頭上に掲げた。渾身の力で叫ぶ。
――『ルイーズ! シェイオ・デ・エスト! セウアヴェルト、アヴェルト、アヴェルト!!』
 
 光は天から、滝のように降り注いだ。その聖なる光に、暗闇は恐れおののき、切り裂かれ、なすすべもなく地面に平伏す。
 光よ満ち溢れよ、天よ開け、開け、開け――
 その神々しさに、光の魔法使いでさえ目を細めて、そして微笑む。「マジかよ」、と。
 これほど純粋な光があるだろうか。これほど優しい光があるだろうか。震えている永久から、どうしてこれほど偉大な光が溢れ出すのだろうか。
 山口永久。光に愛された、ダイヤモンドの魔法使い。
 瞬間、朱雀、吏紀、空、流和は地面を蹴って、姿を消した。

 はじめに朱雀が、前方12時の方向にいる黒装束の男を捕え、片手で素早く触れた。それだけで激しい赤の炎が男を包みこみ、塵となって崩れ去る。
 続いて吏紀が、3時の方向にいる男を捕えた。瞬身魔法で宙を駆りながら、吏紀は、円柱から逆さにぶら下がっているコウモリのようなその男の首を、アシュトン王の剣でためらうことなく切り落とした。
 地面に着地した吏紀が、剣を振って血を払ったとき、流和が7時の方向にいる骸骨のような女を捕えた。瞬身魔法で目の前に現れた流和の姿に、女は気づいていない。光に目をくらませて、縮みあがっているその女の頭蓋骨を、流和はメイスで打ち砕いた。きっと即死だったろう。

 最後に空が捕えていたのは、朱雀の忠告したとおり、人ならざる者だった。
 二足歩行をしているものの、全身を覆う分厚い被毛と、裂けた口の端からのぞく鋭い牙。――それは狼人間だった。
 光に目をくらませても、鋭い嗅覚と野生の感で、狼人間は瞬身魔法で現われた空にすぐに気づいて、反撃してきた。
 追い詰められた野生が強靭な力を発揮し、狼人間の毛むくじゃらの前腕が空を地面に組み敷いた。空は咄嗟に二本の短剣をクロスさせ、狼人間の鋭い爪に切り裂かれないようにガードしたが、物理的な力差は歴然。背中を丸めた狼人間は咆哮を上げ、口を大きく開いて、空の頭を食い千切ろうとした。

「く、っそ!」
 バキッ!
――ギャフン!

 空が肝を冷やした、次の瞬間。自分を組み敷いていた狼人間が悲痛な叫びを上げて飛びのいた。
 栗色の髪がなびくのが見えたかと思うと、流和が素早く空を掴み起こした。その手に、血のしたたるメイスが握られているのを見て、空は切ない気持になる。
 狼人間の脇腹が歪に窪み、血が滴り落ちている。致命傷とはならなかったものの、流和の一撃は相当効いたと見える。

 空は二本の短剣を構えなおすと、瞬身魔法で狼人間の胸の下にもぐりこみ、間髪いれずに心臓を一突きにした。
 グルグル、と呻いた狼人間の目から、急速に生気が失われて行くのを見届けてから、空は短剣を引き抜いた。生温かい返り血を浴びたが、そんなのは気にならない。
 素早く剣を振って、血を払い落してから、空は流和を振り返った。

「この戦いが終わったら、その物騒な鈍器は処分する」
「それは残念。ほんの、少しだけ、これが気に入って来たところなのに」
 そう言って流和は、手をかざして水を召喚し、メイスについた血を洗い流した。武器に血がついたままなのは良くない。刀を滑らせ、切れ味を悪くする。
 殺めた者の血を武器に残さずに払い落すのは、ダイナモンの生徒にとってはその殺人を名誉としないことの証明であり、殺しという残酷な行いから手を切る、この関係を断ち切る、という意味がある。だからダイナモンの生徒たちは気高く、剣を振って血を払い、水で洗い清める。
 殺した相手の血を残して喜ぶのは、闇の魔法使いのような異常者の所業だ。

「行くぞ!」
 朱雀がルビーの杖を回転させて、走り出した。
 そのすぐ後ろに、瞬身魔法で吏紀、空、流和、永久が姿を現し、ともに走り出す。

 玉座に続く、扉の向こう。そこに魔女がいる。高円寺夫妻と、聖羅も。



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