月夜にまたたく魔法の意思 第10話13
朱雀の黄金の杖が火を噴き、玉座に続く血ぬられた赤の扉を吹き飛ばした。
一面、白亜の間に、真っ赤な薔薇の花弁が舞い上がった。その向こうに、黒いローブの男と、白いドレスの女の姿を認めて、朱雀は立ち止る。
一体、どんな顔で朱雀たちを待ちうけているかと思ったら、高円寺夫妻は玉座の間の小さな円卓の前に腰掛けて、優雅にお茶を飲んでいた。
その奥の暗がりの玉座に、聖羅が座っているのが見えた。
部屋の中は意外にも、暗くはなかった。ドーム状のガラス天窓があって、外の光が差し込んでいるのだ。
鼻を刺す、強烈な薔薇の臭いは、かつて永久がダイナモンの暗闇の間でかいだものと同じだった。その苦い香りに混じって、この部屋にもやはり、血と死の臭いが満ちている。
不意に視線を上げた永久が、キャ、と小さく悲鳴を上げた。
玉座の両脇に立つ6本の円柱に人がぶら下がっているのを見たのだ。6人とも、年頃は永久たちと同じくらいの、まだ若い魔法使いだ。
茨の蔓が彼らの肉を裂き、締めあげて、その血が、白亜の円柱に赤い筋を垂らして鈍く光っている。滴り落ちた血は柱の下の溝に溜まり、そこから流れて、玉座の左にある水盤に集められているようだった。一見すると、小さな棺のようにも見えるその水盤が、一体どのような意味をもつ物なのか、永久には推し量る術もない。
水盤の上に一冊の古い本が、――確かあれは、ベラドンナから発った日に優が持っていた本だ――が、置かれていた。
「早かったな、朱雀」
父、阿魏戸は息子には目もくれずに含み笑うと、ティーカップから一口飲んで、静かに受け皿に戻した。
「遅すぎたくらいだろ」
朱雀がつっけんどんに返す。親子の会話としては、あまりに淡白で、冷たい。けれど、それは今に始まったことではなく、朱雀が産まれたときからずっと変わらない。
母、華留蛙も、父と同じように朱雀のことを少しも見ようとはしない。朱雀が産まれたときからずっと変わらず、母は息子に無関心であるか、あるいは意図的に無視した。
朱雀はそんな両親を前にして、急に、優のことが恋しくなった。プレシディオ・リングを預けているから、よほどのことがない限り、きっと無事だとは思うが……。
「ナジアスの娘は、またしてもお前の傍にはいないようだな」
父に心の中を見透かされたようで、朱雀は自嘲の笑みをこぼした。
そうだ、この父親はいつも、朱雀の心の中にある一番大切なものを見抜く。そして奪おうとする。
「言っておくけど、紹介するつもりはない」
「ああ、明王児 優だったな。紫苑が、黒狼の大群を引きつれて始末しに行っている。可哀そうに、墓に埋める肉片一欠片さえも、残らないだろう」
大丈夫さ、と、朱雀は自分に言い聞かせた。優は強くなった。教えられることは教えた。東條と美空、それに三次と桜もついている。
それでも、優が傍にいないことが、朱雀にはとても辛かった。本当は気が狂いそうなほど優のことが心配で、恋しい……。
――優、どこにいるんだ?
そんな不安を押し殺して、「親父は俺がやる」、と、朱雀が仲間たちだけに聞えるように囁いた。
「吏紀、悪いが、母さんの相手をしてやってくれるか」
「かまわないさ」
と、吏紀はすぐに承諾する。
いずれにしろ、吏紀はダイナモンの舞踏会の夜に徹底的にやり込められた雪辱を、ここで晴らすつもりだった。
「空と流和は、聖羅を。任せていいか」
「わかってるさ」
「任せて」
最後に朱雀は、永久にそっと目配せした。
「あの水盤が見えるな、永久」
永久が無言で頷く。
「奴らが、この部屋で一番守りたい物が、あれだと思う。仕掛けは分からないが、多分、魔女の命に関わる物なんだろう」
「壊せばいいのね?」
「ただし、慎重に。どんな仕掛けがあるか分からないからだ。そして、ゲイルの予言書を取り返すんだ。あれが俺たちの手に戻れば、」
「賢者ゲイルがハープで光の予言を強めることができる」
と、吏紀が後を引き継いだ。
作戦では、そのために賢者ゲイルも、ハープを持ってすぐ近くまで来ているはずだった。
「お手合わせ願えますか、父上」
朱雀が父、阿魏戸に向かって黄金とルビーの杖を構えた。その杖は勝利と栄光をもたらす、王者の象徴。
朱雀の瞳がシュコロボヴィッツの紅色の輝きを帯びるごとに、広間に勢いよく炎の力が広がってゆく。
「生意気な……」
亜魏戸は嫌そうに顔を歪めると、ハイエナのように背中を丸めて体の向きを変える素振りを見せ、――消えた!
だが、朱雀は身じろぎ一つせず、迷うことなく宙の一点に向かって杖を振りおろした。
カーン!
瞬身魔法で現われた阿魏戸のブラックルビーの杖が朱雀の杖と激しくかちあった。
間髪をいれず、剣のように、槍のように、父と子は互いの杖を激しくぶつけあった。その度に、冷たい黒の炎と、熱い赤の炎がそれぞれの杖先から吹き上がる。
吏紀がアメジストの杖を抜いて華留蛙に向かい、空と流和が玉座に進む中、永久は戦いの中をくぐり抜けて水盤に駆け寄って行く。
「華留蛙、それに近寄らせるな!」
亜魏戸が怒りの叫びを上げた。
永久に狙いを定めて振りかざされるブラックダイヤモンドの杖を、危機一髪、吏紀のアメジストの杖が叩いた。それが功を奏して、永久に向けられた氷の刃は的を外し、永久の背後の壁を無惨に破壊した。
「下がれ、邪魔をするな! 乳臭いガキの分際が、こしゃくな!」
怒りを露わに、華留蛙の杖が今度は吏紀に向かって激しく振り下ろされるが、吏紀はそれを正面から受け止めて、必死に押し返す。
吏紀は一歩も引くつもりはない。永久には、指一本だって触れさせはしない。
その強い覚悟が、吏紀の瞳をアメジスト色に輝かせた。
アメジストのマジックストーンは本来、知恵を象徴し、邪悪なものを見抜いて身を守る性質が強い石だ。だが、アメジストは別名、「愛の守護石」、と呼ばれることがある。
その名にふさわしく、愛する人を守りたいと思った時、吏紀のアメジストの力は真価を発揮した。
これまで見せたことのない力で、吏紀は華留蛙の硬質で冷たい、邪悪な力を退けた。
永久は真っすぐに水盤に駆け寄った。華留蛙と阿魏戸は、吏紀と朱雀を相手にしていて手出しはできない。
水盤を壊すように言われたときから、永久はどんな魔法を試すかを決めていた。だから迷わず唱えた。
――『ガヴェッラ!』
キラっと光がまたたいて、永久の頭上に金色の小槌が召喚されたかと思うと、小槌はそれ自体が意思を持つかのように、水盤に向かって強烈な一撃を加えた。
打撃音がして、にわかに地面が揺れるほどの衝撃が走ったが、直後、永久は愕然とする。
小槌の一撃を受けたのに、水盤にはひび一つ入らないばかりか、歪みさえしなかったからだ。
玉座の聖羅が立ち上がり、金切り声で呪いの言葉を唱え始めた。瞬間、空と流和が玉座の天蓋に吹き飛ばされ、そのまま磔になった。
たちどころに薔薇の花弁が玉座の間に舞い上がり、白亜の床を割って茨が伸びてくると、朱雀、吏紀、空、流和、それに永久の体に絡まりついた。
茨は水盤と、その上のゲイルの予言書にも隙間なく絡みついてゆく。
永久は太もものホルダーからダガーを抜いて、体に絡みつく茨を切り離そうとしたが、一つ切り落とすごとに、茨は蛇のように永久に噛みつき、一層強く巻き付いて来た。
魔力封じの毒薔薇。通称、魔女の花……。西の森について書かれた本で読んだことが、朱雀の脳裏をかすめた。
魔力を封じられ、抗うこともできずに朱雀は父、阿魏戸に首を締めあげられ、壁に抑え込まれた。
絡みつく茨の棘が肉を裂くのを感じても、指一本動かすことができない、強い闇の力だ。
吏紀は茨に埋め尽くされた床の上で、華留蛙に踏みつけにされ、空と流和は玉座の天蓋に張り付いたまま茨に覆われている。
ダガーの反撃も虚しく、永久は茨に引きずられて水盤近くの円卓の上にくくりつけられた。
今、聖羅がゆらり、ゆらりと、円卓の永久に近づいて行く。聖羅の体はもう朽ちかけている。
播磨先生の目を通して魔女の城を覗き見たときから、それは明らかだった。
魔女は永久の肉体を求めているのだ。
「永久、逃げろ!」
吏紀が悲痛な叫びを上げるが、体は少しも動かない。
「聖羅、やめて! 目を覚まして、聖羅!」
流和がなんとかしようと茨の下で暴れ回る。肉が切れ、棘が深く食い込み、手からも足からも血が滴り始めるが、流和は何としても聖羅を止めんと抗う。
聖羅は死んだように表情のない顔で口元をほころばせると、円卓の上の永久に、馬乗りになった。
それを見た吏紀が懇願する。
「やめてくれ」
「聖羅! お願い……永久は私の大切な親友なの、お願いだから……」
流和の頬を涙が伝い落ちる。
だが、誰も聖羅を止めることができない。
聖羅の冷たい手が、品定めするように永久の頬をなぞる。永久はその死んだ目を、凛として睨みつけた。
「入れるものなら、入ってきなさい。私は断じて、器になるつもりはないから」
悦に入った亜魏戸が、朱雀の耳もとで冷たく囁く。
「魔女さまが新しい肉体を得れば、力は我らの物となる。世界はもっとシンプルに、闇一色になるだろう。お前はどうする? 死の沼にまで落ちて、まだ逆らうのか、愚かな息子よ」
「誇りに思ってもらいたいね。俺がまだ踏みとどまっていることを、さ」
その時、阿魏戸は息子の手のひらから呪いの刻印が消えていることに気づいてハッとする。
「竜の呪いはどうした!」
「消えたよ」
「馬鹿な! そんなはずがない! 言え、何をした?」
父親に痛いほど顔を掴まれて、瞳の中を覗きこまれる。少しでも嘘をついたら見抜いてやるぞという、鬼のような形相は昔と変わらない。
朱雀は苦笑する。
――今となっては、優の怒った顔のほうが恐い。そんなこと、口が裂けても優には言わないけど。
「その件では、彼女と大喧嘩して、大変な目にあったよ、親父」
「誰だ、それは何者だ、まさか……ナジアスの娘のことか」
父、阿魏戸の闇色の目が怒り煌めく。
「明王児、優。――俺の最愛の人だ」
朱雀の瞳が、柔らかな優しい光を帯びた。
父、阿魏戸には、息子に何が起こったのかを全く理解することができなかったが、朱雀にはよく分かっていた。
――優の炎を感じる。すぐ近くに。しかもそれは、物凄い速さで近づいて来る。
朱雀はホッとして、不意に口元をほころばせた。
「そういえば優は、父さんと母さんに、挨拶をしたがってたよ」
朱雀がそう言い終わるか、終わらぬかのうちに、天を裂く竜の嘶きが魔女の城全体を震わせた。
次の瞬間、白い炎を帯びた美空の光の矢が、天窓を突き破って、雨のように玉座の間に降り注いできた。けど、降って来たのはそれだけではない。
「どう、どう! フミアルビー! 止まって! 危ない、ぶつかる……みんなスペースを開けて! きゃあああああああ!!!!」
「うわああああああ!」
「優、止めて!」
「きゃあああ!」
「お願い止まってええ!!」
優、東條、三次、桜、そして美空の叫び声がけたたましく玉座の間に飛び込んできた。
5人は、見まがうほど真っ白で、ふわふわした、長く巨大な白竜に乗っている……というより、振り落とされないように必死でしがみついていた。
竜は玉座の間の天井をぶち破って、ガラスの破片や白亜の瓦礫とともに、勢いよくなだれ込んできたのだった。
この予想だにしなかった突然の衝撃に、高円寺夫妻と聖羅は無防備に壁際までなぎ払われた。
竜は白亜の床の一部を破壊する勢いで着地したかと思うと、早くも戦闘体勢に入ってとぐろを巻いた。どうやらかなり、怒っているようだ。
白炎がその周りを取り囲み、たちどころに地面の茨を焼き始める。
ギャオオオオオオ!!!!
白竜の嘶きに、視界は震え、鼓膜は破れるほどだ。
どう見ても制御不能に陥っている、荒らぶるサンクタス・フミアルビーの背中から、優はひらりと飛び降りると、小さな金の鍵を竜の鼻先に突き出した。
「無理に背中に乗せてもらって悪かったよ、ごめんね! そのことは、後でダイナモンに戻った時、ゆっくりゆっくり謝るから! じゃあね、フミアルビー、だから、ありがとうって! 心から感謝してる。……え? 本当だよ、感謝してるって! じゃあね!」
優が金の鍵を竜の鼻先で回すと、空間に金の線が入って、光の扉が開いた。
気高いサンクタス・フミアルビーは、まだどこか不満そうではあったが、最後に優の体を鼻先でど突くと、舌打ちでもするかのようにブンッ! と喉を鳴らして光の中に消えて行った。
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