月夜にまたたく魔法の意思 第10話11




 ポータルでダイナモン魔法学校にやってきた時と同じ感覚――光のない渦の中をくぐりぬけて、優は柔らかい地面の上に投げ出された。
 温もりのある仲間の体が、すぐ傍に横たわっているのが感じられる。東條と、美空、それに三次と桜だ。
 目を開けると、分厚い灰色の雲を背に、枯れ葉が舞い上がっているのが見えた。どうやら優たちはまだ、西の森にいるようだ。
 
「おそらく、ゴーレムの体の一部にポータルが仕込まれていたんだな……、まんまと引き離された……」
 優の隣で起きあがった東條が、苦しそうに声を震わせていた。右手は地面につき、左手はローブの前を握りしめて、胸のあたりを強く押さえているようだ。

「怪我したの?」
 優はすぐに起きあがって、東條の顔を覗きこんだ。その顔が青白い。見ると、鼠色のグローブが赤黒く濡れて、そこを押さえる東條の左手が真っ赤に染まって、血の筋がポタポタと滴り落ちている。
「怪我してる! 桜、手伝って」
 
 色のない、透明な炎を手のひらに、優は東條の左手に自分の手を重ねて意識を集中した。東條は抵抗することもなく、じっと耐えている。
「熱い?」
「だとしたら、俺は無事ではなかったんだろうな」
 東條の反応から、優は癒しの炎、サニターテムが成功したことを知った。優がもっと優秀な魔法使いだったら、自分の魔法が相手に本当に良い効果をもたらしているのかどうかを自分で見極められたはずだが、支援の魔法や癒しの魔法には、優はまだおっかなビックリなところがある。それでも戦場では、躊躇っている暇はない。

 桜が背中から皮鞄をおろして、白蝶貝の貝殻を一つ取り出した。中には、焦げ茶色の練り薬が仕込まれていた。
 桜はその貝殻を両手で目の高さまで掲げると、
――「イアマティコネロ」
 と慎重に唱えた。
 たちどころに、貝殻から水が湧きでて、それが金色に輝きながら桜の両手から滴り落ちた。

「飲んで」
 桜は有無を言わせず、東條の口に白蝶貝の貝殻をあてがって、薬を飲ませた。
「すっぽんの肝をニガヨモギと合わせて燻製にしてから、よくすり潰した薬よ。白蝶貝の恩寵と、癒しの水の魔法を込めてる」
「どんな効果があるの?」
 東條のかわりに優が訊ねると、桜は真剣な顔で頷いて見せた。
「精力増進と、……」
 ブフッ!
 東條がいきなりむせ込んで、「薬が間違ってるんじゃないのか」、と力なく抗議した。
「ああ、ごめんなさい、すっぽんの精力増大効果は有名だから、つい一番最初に出てきちゃった……。えーと、この場合の効用は、疲労回復と、即効の造血効果、それよ!」

 その言葉の通り、東條の顔色がみるみる回復して、赤みが差して来た。もし空がこの場にいたら、「絶倫してきたか」、と冗談を言ったかもしれない。

 東條の傷は、優のサニターテムの炎で止血され、もし傷から毒が入ってしまっていたとしても、大抵の毒ならば問題なく解毒されたはずだ。だが、東條の鼠色のローブと制服のブレザーは見事に切り裂けて、右上腕から胸にかけてできた、3本の鋭く深い傷はおぞましい存在感を放っていた。鳥ゴーレムの腕が襲って来た時、もしちゃんと防御していなかったら、例えば優が無防備であの時、鳥ゴーレムの攻撃を受けていたなら、傷は心臓まで達して命を奪っていただろう。
 東條が、優をかばってくれたのだ。おそらく、命をかけて。咄嗟にそんなことが、できるものだろうか。
 
 「ありがとう」、という言葉が喉まで出かかったが、今それを言うことは、仲間としてここにいる東條の気高い行為を侮辱するような気がして、優は思いとどまった。
――仲間に礼を言う必要はない。
 命を預け合っているのは当然のことだから。けれど、東條にこんな傷を負わせてしまって申し訳ない気持ちが込み上げてくる……。

「ごめん、なんて言ったら、ぶっとばすぞ」
 桜に包帯を巻いてもらいながら、東條がいきなり不機嫌に呟いた。
「なんで?」
「それはな、ダイナモンじゃ仲間を裏切るときに言う、最悪の言葉だからだ」

 その言葉に、優は唇を噛みしめて涙をこらえた。ごめんも、ありがとうも言えないなんて、淋しすぎる。戦場とはこんなに寂しいものなのだろうか。思いのやりどころがなく、言葉にもできず、自分がどうしたらいいのか分からない。

 そんな優の心中を察してか、
「顔を上げて」
 と、美空が鋭く、だが優しく言った。
「後ろは任せたわよ」
 と。

 自分の未熟さのせいで仲間を傷つけてしまう悔しさも、やりどころのなさも、越えてゆかなければならない。それが己を鼓舞し、強くなる原動力となる。
 強くなっていかなければならない。自分の名声のためにではなく、仲間のために。
 ダイナモンの生徒たちはよく言うものだ。「弱い者は死ぬ、生き残れない」、と。その言葉はしばしば誤解されて、冷たいととらえられがちだが、実はその言葉は弱い仲間に対して向けられたものではない。その言葉は、弱い己自身に向けて発せられる、自分を鼓舞するための言葉なのだと、優はハタと思いいたる。
 
 優は思いを呑みこんで、言われた通り顔を上げた。なるほどどうやら、森の中にいる優たち5人を、すでに何か邪悪な者たちが取り囲んでいるようだ。
 美空が黄金の弓を手に、木々の向こうを警戒して身構えた。三次がオパールの杖を抜き、同じように構える。

「明王児、朱雀たちの居場所がわかるか」
「ううん、わからない」
 誰も口には出さなかったが、自分たちが森のどこにいるかも分からない今、東條は深手を負い、敵にぐるりを囲まれてしまったこの状況下にあって、主力である朱雀も、空も、吏紀もこの場所にいないことが、とても心細く感じられた。
 それでも、優の光は揺らぐことがない。
「けど、見つけられると思う」
 優のシュコロボヴィッツの瞳が一層明るく、紅色の輝きを帯び、辺りに炎の力が広がった。その熱が仲間たちを力づける。

「いざとなったら、僕たちが敵を引き付けている間に、君だけでも高円寺くんたちの所へ向かうのがいいと思う」
 と、三次が言った。
「それはダメだよ。もし三次や、東條や美空、それに桜がいなかったら、私はすごく不安になっちゃうよ。それに、最後まで一緒に戦おうってドラゴン小屋で約束したでしょう、三次!」

 そうだ。ドラゴン小屋で優と三次は約束したのだ。
 10人で最後まで一緒に戦おうと。そして誰一人欠けずに戻ってこようと。

 その時、背中を丸めた無数の黒狼が低い唸りを上げながら、木々の陰から一斉に姿を見せた。
「いくらなんでも、数が多すぎるわ……」
 美空が上空に矢を打ち上げる備えをしたが、一度にすべてを仕留めることは不可能だろう。

 まだ傷の手当の途中だったが、東條がダイヤモンドの杖を抜いて立ち上がろうとした。
「包帯をちゃんと巻かなくちゃダメよ!」
「どうせ喰われるなら、ラッピングなしのほうが親切だろうさ」
 だが、東條と桜の言い合いは、優がルビーの杖を勢いよく回転させながら宙から取り出した瞬間、ハタリと止まった。
 杖を取り出しただけでルビーから紅炎が零れ、辺りを聖なる炎の力が圧倒したからだ。

 優は紅色の瞳で狼たちを見据えた。
 沈黙の山で喰い殺されそうになったことが、すごく昔のことのように思える。あの時は、朱雀が狼を蹴り飛ばして優を助けてくれた。
「初めに言っておくけれど、私は蹴るよりももっと酷いことをするわよ」
 黒狼たちは優の言葉に、さらに背中を丸めていきり立ち、その毛を逆立たせて牙を剥きだしにした。
「奴らは空腹を満たすことしか考えてないのさ。銀色狼のように、話が通じる相手じゃないぞ」
 絶え間ない飢えが、黒狼たちを凶悪な闇に駆り立てているのだ。それを思うと優には、黒狼たちのことが少し哀れにも思えた。

「立ち去りなさい」
 優はやさしくそう言った。だが、黒い獣たちは木々の間から一斉に飛び出し、優たち5人に、前から後ろから左右から、黒い線となって飛びかかって来た。
――『炎の守護壁!』
 優が杖で地面を一突きすると、炎のサークルが優たち5人を取り囲み、一気に上空まで立ち上って硬化した。朱雀と何度も何度も練習した、優がただ一つ使える、防御魔法だ。
 炎の壁にぶち当たった狼たちが、一瞬で霞みとなってたち消えてゆく。塵も残さぬ、強烈な炎だ。

「熱くない!?」
 炎の守護壁の内側にいる仲間たちに向かって、優が心配そうに問うと、東條が再び地面に座って桜の応急処置を受けながら返す。
「だとしたら、俺たちは無事ではなかったんだろうな!」
 と。
 炎の力は操るのが難しいのだ。癒しの炎も守護の炎も、そして支援の炎も、もし失敗すれば、仲間たちは無事では済まされない。
 燃やさない炎をつくること。優にはそれがすごく難しいことだったが、朱雀から何度も怒鳴られながら厳しく指導されて、本当に良かったと優は思った。

 やがて黒狼たちは、炎の守護壁に攻撃することを止めて、少し離れた位置で優が力尽きるまで待つことにしたようだ。持久戦になれば、こちらが不利だ。これでは優が消耗してしまうので、美空が光の弓で次々と狼を確実に打倒してゆく。それを隣で見ていた三次が、前方を指差して嬉しそうに声を上げた。
「見て、高円寺くんだ!」
「本当だわ、朱雀よ!」
 と、美空も歓喜して、勢い、炎の守護壁の外に駆けだして行きそうになったので、優がハッとして叫んだ。

「外に出ちゃダメだよ! あれは朱雀じゃない!」
 木々の間から真っすぐ歩いてやって来る、鼠色のローブをまとった朱雀の姿。紅色の目も、少し気どった歩き方も、柔らかく跳ね上がった髪も、朱雀そのものだ。優たちが今、一番心の拠り所としたい存在だ。
 けど、優は確信した。――あれは朱雀ではない、と。

「何を言ってるのよ、炎の力を感じるでしょ?」
 確かに、炎のような力を感じる。けど、朱雀の炎の力はもっと……、優をドキドキさせるのだ。それに比べて目の前にある炎の力は、残念なほどぼんやりしている。
「あれは朱雀じゃない」
 と、優はもう一度繰り返した。
 それでも美空は、すぐにでも朱雀のもとに駆け寄って行きたそうに優に問いなおす。
「魔女の欺きの力なんじゃない? 本物なのに、偽物だと思っているんじゃない?」
 すると今度は東條が冷静に異を唱えた。
「ちょっと待て、暁。 確かに龍崎頭首は【仲間映し】の闇魔法に警戒しろと言ったけど、それは偽物なのに本物だと思わせる闇魔法だ」
「でも……」
 みんなが不安げに、目前に迫って来る朱雀を見つめる中、優は少しも炎の守護壁を弱めなかった。それどころか、かえってますます火力を上げる。

「もしも本当に朱雀だったら……」
 美空が責めるように優を横目で見る。だが、優はケロリと言い返す。
「もしも本当に朱雀だったら、きっと『いい炎だ』って褒めてくれるよ。それに、本物の朱雀ならこの守護壁の中に自分で入って来られるはず」

『狼たちはもういない。外に出て来いよ、優』
 と、朱雀が言った。
 優はイラっとする。……偉そうな命令口調も声も、呆れるほど朱雀にそっくりだ。けど、これではっきりした。上手く隠してはいるが、優にはそれがはっきりと感じ取れた。
――闇色のアメジストの輝き。

 そう、闇色なのに、輝きがある。優の胸が希望で膨らんで、思わず笑顔が零れた。

「マリー先生が待っていますよ、紫苑さん」

 唐突に投げかけられた優の言葉に、守護壁のすぐ外側まで来ていた朱雀が、ピクリと震えたように見えた。

『今、何と……?』
 朱雀だけではない。守護壁の中にいる東條、美空、三次、桜も、優の言葉の意味が分からずにきょとんと首を傾げている。

「あなたは朱雀じゃなく、紫苑さんです。暗いアメジストの力を感じるもの。朱雀になりすまそうとするなんて、大失敗ですね」
「ほお、君はなかなか、いい目をもっているようだね。魔女さまがその目を恐れるだけのことはある」
 優たちの目の前で、朱雀の姿がみるみるうちに歪んで、大人の男性の姿になった。
 前に一度、播磨先生の目を通して魔女の城で見た男だった。――高い鼻と、知的だけどどこか冗談めかした目元。口元には清潔感があるが、紳士的というよりは、笑い方には危険な男性の魅力を漂わせている……。すごくハンサムで、優の好みの顔の持ち主であるその男は、マリー先生の恋人だった人だ。

「マリー先生から伝言を預かっています。――今でもあなたを待っている、と」

 漆黒の紫苑は少し驚いた顔を見せたが、すぐに平静を取り戻すとローブを深々と頭にかぶって、優に微笑みかけた。
「では僕からも、君の仲間たちの言葉を伝言しようか。いやこの場合はどうしても『代弁』ということになるかな。先の5人はすでに魔女の城に送られた。魔女さまと高円寺夫妻は容赦がないから、今も彼らが生きていれば、まあかなり運がいい方だ。『さようなら、あの世で会おう』と、代弁するよ」

 紫苑はくるりと踵を返すと、黒狼たちをすべて引き従えて去っていった。去り際に、「急げ!」、と言い残したのは、おそらく優に向かって。

 なぜだか、胸騒ぎがして優は炎の守護壁を解いた。
 辺りを見回しても、右も左も枯れ木ばかりで、魔女の城に行くにはどちらの方角へ進むべきなのかが分からない。

 少し高い所から見下ろせばわかるかもしれないと思ったが、浮力は全然きかなかった。そのことから、少なくとも、優たちが今いる場所が西の森の奥地なのだということだけは分かる。

 本当に、急がなければならない気がする。
 優の右手の親指にはめられた朱雀のプレシディオ・リングが、焼けるように熱くなっていた。
 浮力がきかない西の森の奥地で、飛ぶことはできず、方角は分からない。けれど、急がなければきっと、仲間たちの命が危ない。
 迷っている暇はなかった。
 優は意を決して制服のブレザーの内ポケットに手を入れて、賭けてみよう、と自分に言い聞かせた。



次のページ 10話12