月夜にまたたく魔法の意思 第10話10




 龍崎一族と、10人の若き魔法戦士たちが、3体の鳥型ゴーレムを従えた、血に飢えた乾一族と向かいあった。
 もはやその間に、水の守護壁はない。
 巨大な水と闇の力が、大地の西側と東側で競うように高まり昇ってゆく――大気は異なる二つの力の間で時を止めたかに感じられた。

 大地が揺れ動き、地中に根を持たないものはみな浮き上がった。
 吸い込む空気が薄くなり、立っていることさえ困難だと感じる、そのさなかにあって、「杖を構えろ!」と、龍崎家頭首が叫んだ。

『「「「「「「 フォース エイーナ! 」」」」」』
 龍崎一族のサファイヤの杖が一斉に、最上級の輝きを満たす。

『炎の守護壁!』
 朱雀が杖を回し、大地に鋭く切れ目を入れた。千年桜の下で発動したときとは比較にならない熱を抱いた炎が、たちどころに龍崎一族と10人の魔法戦士たち全員を囲む壁となる。誰一人死なせない、という強い意思が感じ取れる、最強の炎だ。

『ルーメン エスト!』
 優は叫んだ。誰にそうしろと言われたからでなく、そうせずにはいられなかった。目の前に闇が押し寄せて来る。

『ルイーズ!』
 永久の声は震えて、悲鳴のように聞こえた。

『フォース エイーナ!』
 美しい流和から、そんなに太い叫びが出るとは、誰が想像しただろう。

『スマラグディ!』
 空の声には、死を意識した緊張の色があり、

『スヴェトリナ!』
 仲間たちを鼓舞するように、吏紀は激しく叫んだ。

――『ルミーナ!』、『ソーラス!』、『シ・エスト・クレイヤ!』、『イリースダット!』

 東條、美空、桜、三次が渾身の力を振り絞って、それぞれが天に杖を掲げる。

 虚無の闇と、命の光がぶつかり合う時、音はしなかった。ただ、大地は悲痛な叫びをあげ、空間は轟き歪んで、大気が割れる音で、優は気絶しそうになった。
 これほど大きな虚無の闇を、この時代の魔法使いたちは誰一人見たことがないだろう。
 心の内に、恐れを抱かずにいられる者などいなかった。
 光を集めて、力を合わせて闇を押し返すのに、乾一族の魔力が少しずつ、少しずつ光の魔法使いを押し返し、前進してくるのが誰の目にも明らかだった。

「ちくしょう! なんだこの力は!!」
 東條の叫びに、恐怖の色が滲んでいる。
 空一面に黒い雲がとぐろを巻き、日の光さえ遠ざかってゆく。

「優!」
 先頭にいた朱雀が叫んだ。
「俺は手が離せない。お前が、ここにいる全員に支援魔法をかけるんだ!」
「でも、私も今手が離せないよ!」
 闇は目前まで迫っている、少しでも光の力を弱めれば、例え一人でも光を灯すことを止めたら、かろうじて保っている均衡が崩れて、その瞬間に暗闇に押しつぶされてしまいそうなのだ。


『ルーメン エスト!』
 炎の守護壁を広範囲に発動しているのに、さらに朱雀が優の光を受け継いで、優の分まで強く闇を押し返す。
「俺がいるのを忘れるな。二人一緒なら、俺たちはもっと強くなれる」
 強大な炎の力を操りながら、そう言う朱雀の背中が、なんだか前よりも少し大きくなったように、優には見えた。
 この背中がこれまでずっと、優を導いて来てくれたことを優は忘れていない。これからもずっと、この人の後に着いて行きたい。そう思った時、優の心に力が湧いてきた。
「わかった!」
 支援魔法は最近覚えたばかりの、一番難しい魔法だ。まだ、朱雀にしか試したことがない。
 これだけ追い詰められた状況で、これだけ多くの人に一度にかけることができるのかどうか、そんなことを頭で考えたら怖くなる。
 けれど優は、できる、と自分に言い聞かせた。絶対にできる。――朱雀が一緒だから、私ももっと強くなれる。

 優は光の魔法を終息させて、杖を、ゆっくりと前に倒した。ミルトスの若枝の先で、優の花形のルビーが強い紅色になる。

『ナスクム、ノーメン……』 ――我、名もなき助け手なり
 前方の闇を押し返しながら、背後で尋常とは思えない炎の力が高まってゆくのを感じとって、「おっかないねー」 と、空が含み笑いを漏らす。優の支援魔法を受けるのはこれが初めてで、失敗すれば、お察しの通り。乾の闇に喰われるか、優の炎で灰となるか。少しも身動きのとれない状況の中で、他に選択肢などないことに、空は笑わずにはいられない。

『マヌス!』 ―― 天上の炎よ!
 紅炎が優を一瞬で包み込んだ。

『アウキシリアム!』
――下りて、我が友の助けとなれ!

 炎は、上からやってきた。はじめ、透明の熱が大地に降り注ぎ、一面に白く燃え上がったかに見えた。
 たちどころに、それは滑らかに、よどみなく、真っすぐとやってきた。炎の守護壁の中にいる光の魔法使い、その一人一人の周りを、光の白炎が取り囲み始めたのだ。
 水の碧い光、風の緑の光、ダイヤモンドの白い光、オパールの七色の光や、ピンクパールの淡い桜色、アメジストの紫に、タイガーアイの黄金色も……その白炎は、色とりどりの輝きに呼応して、より一層輝き、歌うように燃え上がった。

「進め! 今こそ闇を打ち砕け!」
「進め! 進め!」
「進め! 進め! みな進めえ!!」

 光の魔法使いたちが、一歩、また一歩と前に進み出てゆく。

―グウオオオオオオオン!
 ロウが上空から絶え間なく注ぐ白炎に包まれて、気持ちよさそうに長く鳴くと、カーロル・ジュオテルマルも、グルエリオーサも、同じように、歌うように鳴き始めた。
「歌っているみたい!」
 永久が光の中で、思わず叫んだ。
 激しくて、揺るがない、聖なる炎。
 誰もがその炎に触れて同じように思った。――歌っているみたいだ、と。
 だとすればそれは、天から降り注ぐ歌。一体、この炎はなにものだろう。
 やがて闇は光の前で、影のように薄くなり、虚しく掻き消えた。その瞬間、強烈な光が辺りに弾けて、大地一面に光の粒が降り注いだ。

 眩しさに目を細めながら、皆が一斉に歓声を上げる。
 時が再び動き始めて、龍崎家の者が肩を叩き合い、流和と空が抱き合い、吏紀と永久は控えめに手を握り合って、互いがまだ生きていることを喜んだ。
 優もすぐに朱雀のところに駆け寄りたかったけれど、肩越しに少し振り返った朱雀と、陣の一番後ろにいる優は、束の間見つめあって互いの無事を確かめあっただけだった。乾一族を倒しても、まだ、魔女は残ってる。本当の闘いはまだ、これからだ。だから朱雀は陣の最前衛から動かなかったし、優も最後尾から動かない。

 乾一族は跡形もなく消え去り、後には鳥型のゴーレムだけが残された。
 術者を失ったゴーレムは、歪に降り曲がった格好で大地の上に倒れていた。

 残党を探して龍崎一族が休む間もなく周囲の偵察に回っている間、優たち魔法戦士は頭首に先導されて前進した。
 そのとき、ガラン、という金属音が足もとで低く鳴ったので、優は足を止めた。
 もはや動くはずのないゴーレムを、振り向きざまマジマジと見下ろす。と、
「優!」
 朱雀の声が聞こえたような気がした。けれど、刹那に優の視界に飛び込んで来たのは、瞬身魔法で現われた東條の背中と、鳥ゴーレムの爪がぬうっとこちらに伸びて来る光景。東條と一緒に優は吹き飛ばされて、すぐ後ろにいた三次、桜、そして美空に次々にぶつかるのを背中で感じた。
 空間が回って、ジェットコースターに乗っているみたいに目が回る。この強い重力、前にもどこかで……。
 目の前から光が遠ざかってゆくのを感じながら、優は初めてダイナモンにやってきたときのことを思い出した。沈黙の山からポータルでワープした、あの感覚そのものだった。


 東條、優、三次、桜、美空が。5人の魔法戦士が一瞬にして、姿を消した。
 辺りが騒然となる中、フィアンマ・インテンサ・ドラゴンのローが、動き出した鳥ゴーレムを前脚で踏みつぶした。
 黒曜石で象られた鳥ゴーレムは粉々に砕けて……、
「手だわ!」
 流和が叫んだ。瓦礫の間から、人の手が出ている。
「近づくな!」
 頭首が足で瓦礫を掻き分けると、そこに、なんと闇の魔法使いが横たわっていた。鳥ゴーレムを操っていた最後の術者は、ゴーレムの中に隠れていたのだ!
 ローに踏みつぶされて体のあちこちが奇妙な方向に曲がっているが、まだ息はある。

 男は不気味な笑みを浮かべて朱雀たち5人の魔法戦士を指差した。
『深淵なる闇こそ、我らが安らぎ……』
「優たちをどこへやった。何をしたんだ!」

 だが男はそこで、パタリとこと切れて、動かなくなった。

 魔法の中には、術者が死んだときに自動的に発動するものがある。
 
 それは息を呑む間もない、あまりに早すぎる展開だった。
 龍崎一族の眼前で、朱雀、空、吏紀、流和、永久の5人が、最初の5人と同じく音もなく消えた。
 彼らのいたその場所に、汚れた星の魔法陣が黒く浮かび上がって後に残されていた。

「やられた!」
 龍崎家頭首が大地に膝をつき、悲痛の拳を地面に打ちおろした。
――『魔女、アストラ!!』

 その憤りの叫びが、稲妻となって上空の大気を切り裂いた。




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