第4話−13
――逃げなさい! 振り返らずに走り続けなさい!
そう言われて、必死に走ったような気がする。遠い、遠い、夢の中で。
真っ白いワンピースが赤く染まって、生温かさが広がる。
さなえはすぐ傍で、それを見ていたような気がする。暗いお城の中で、寒さに震えながら。
――逃げて!
夢の中に出てきた女の人と、朝吹さんが重なって、さなえは目を覚ました。
「メグ……?」
すぐ目の前に、メグの顔があった。……近い。
ここは? そうか、女子寮の部屋のベッドに寝ていたんだ。
眠っているメグが、やけに強い力でさなえのことを抱きしめている。
ちょっと、苦しい。
窓から差し込む光がほんのわずかに青白く、腕時計に目をやると、朝方の3時過ぎだった。
頭だけ起こして部屋の中を見回すと、ドアの前に寄りかかって、キンタが大の字になって寝ている。なんでここに?
キュウはソファーの上で丸くなっていて、なんだか猫みたい。
それにリュウまで、床の上に座って壁に背をもたれて眠ってる。
なんでみんな、さなえの部屋にいるのかな。
「さなえ? ……起きた?」
昨晩の記憶を取り戻そうとしていると、メグがさなえを抱きしめたまま、ベッドの中で身じろぎした。
「……平気?」
「うん、私は大丈夫。それより、」
そうだ、思い出した。
「朝吹さんは?」
「手遅れ、だったわ」
「そ、っか……」
どうしてだろう。なんとなく想像はしていたことだけど、メグの声で聞いたらいきなり、こらえられなくなって。
さなえは枕の中に深く頭を沈めた。声を出さないようにって唇を噛みしめるけど、押し殺した声が静かな部屋の中に響いてく。
こんなふうに、子どもみたいに泣きじゃくりたいわけじゃないのに、悲しくて、痛くて、苦しくて、涙が止まらない。
「恐い夢、見てたんじゃない? ずっとうなされてたよ」
メグが背中をさすって、なだめてくれる。
「うん……」
「もう大丈夫だから」
「うん……」
「どこか、痛い?」
「心が、張り裂けそう」
「うん、……そうだね」
そうして、どれくらい泣いていただろう。メグは私が泣きやむまでずっと、背中や頭を優しく撫で続けてくれた。
「小さい時も、よくこうやって、二人で泣いたよね」
「あたしは半分くらいしか泣いてないわよ。ほとんど、さなえが泣いてたんでしょ」
「えへへ、そうだっけ」
「夜は二人で怯えて、でも、さんざん泣いて朝を迎えると、なぜだかまた起きあがる勇気が湧いて来るの。二人一緒だから」
「うん」
さなえは鼻をすすって、寝返りを打った。
「……あのね、メグ」
「ん?」
「朝吹さん、とっても苦しくて、恐かったと思うの、あのとき」
「……うん」
「でもね、最後に、……笑ったんだよ。これまで生きてきたこと、ぜーんぶ、感謝するみたいに……笑ったの。私、多分一生、朝吹さんのことを忘れないと思う」
「……うん、そうだね」
そうしてまた、子どもみたいに抱き合って、メグと私はベッドの中で泣いた。
泣くのはこれで最後。
―― 朝になったらまた、起きあがる勇気が湧いて来るの。だからそれまでは……
そんな二人のやりとりを、同じ部屋にいたキンタも、キュウも、リュウも聞いていた。眠ってなどいなかった。眠ることなどできなかった。
悲しくて、痛くて、苦しくて。胸が張り裂けそうで。
そうして悲しい夜を静かに、一緒に、同じ場所で乗り越えたんだ。
翌朝、諸星警部たちが3年の佐久間さんを連行しようとしている、という情報を聞き付けて、私たちは大慌てで警部のもとに駆け付けた。
「待って下さい!! 佐久間さんは心理的にみて、犯人じゃないと思います!」
まさに今、多くの警官に取り押さえられて連れて行かれようとしている佐久間さんの前に、キュウが立ちはだかって訴えた。
「心理? なーにを言ってるんだ。昨晩9時に、こいつはアリバイがないんだ」
「まずはこれを見てください」
キュウはなんとか諸星警部を説得して、昨晩の動画をシアタールームで再検証することに同意を得た。
多くの警官や刑事が部屋の外を包囲する中で、諸星警部と猫田刑事と佐久間さん、それから私たちQクラスのメンバーだけでシアタールームに入り、昨晩の殺人動画をもう一度流して見た。
「ここをよく見てください。被害者の朝吹さんが、犯人を招き入れるような動きをしているのが分かりますか?」
ドアを開いた朝吹さんが、来訪者を部屋の中に招き入れるように手を広げているのが画面の端に映っている。
「確かに……、そう見えるな」
諸星警部と猫田刑事が頷き合う。
「朝吹さんが、コレクターだと疑っていた佐久間さんを、こんなふうに簡単に自分の部屋に招き入れるでしょうか? いいえ、そんなことをするはずがない」
「つまり、朝吹さんが犯人に対してとった、この無防備な行動こそが、佐久間さんが犯人じゃないという証明なんです」
キュウとリュウがそこまで言っても、諸星警部はまだ渋面を浮かべている。
「しかし、この男にはアリバイが……」
「だから、そのアリバイ自体がトリックだったのよ」
と、今度はメグが口を出した。
キュウが映像をまた少し進めて、今度は画面に大写しになった目覚まし時計のところで停止させた。
「見てください、コレクターは被害者の部屋の中の目覚まし時計を、わざわざカメラを向けて映しこんでいます。この映像はリアルタイムでネット掲示板で流れていたから、その時間にアリバイのない者が犯人だ、と、普通は考えます。でも、もしこの目覚まし時計の時刻そのものが、犯人による細工だとしたらどうしますか?」
「え?」
ここで初めて、警部たちが犯行時刻に疑念を抱いたようだ。
リュウが後を続ける。
「被害者にとって犯人は、招き入れるような親しい関係なんです。時計の針を進めることぐらい、いつでもできます。現に、僕が8時過ぎに朝吹さんから電話を受けた時、彼女の部屋に何者かが訪ねて来たんです」
「それ、本当か?」
「はい。もしそれが犯人だとしたら、時計の針を進めるチャンスは必ずあったはずです」
「しかし、犯人が時計の針を進めたという証拠がないだろう?」
キュウがまた映像を少し進めた。
そして、朝吹さんが被害にあった直後に、さなえが部屋に入って来たところで映像をストップさせた。
今度はさなえが諸星警部に話しかける。
「正確な時間は見てないんですけど、私が朝吹さんの部屋に入ったのは、9時よりも前のはずなんです」
「なにい!?」
さなえは自分の携帯を開いて、受診履歴を諸星警部に見せる。
――8時55分着信 メグ
メールの内容は、ネットに新しい動画が貼り付けられているから、今からリュウの部屋に集合するというものだった。
「携帯は肌身離さず持っていました。このときも、救急車を呼ぼうとして携帯を開いています。だから、メグからの着信があったなら必ず気づいていたはずです。でもこのとき、映像の中の私はまだ、メグからのメールを受信していなかったんです。それは確信をもって言えます」
「それが本当だとすると、この映像が撮られたのは少なくとも、8時55分より前だったってことか」
「さなえの証言を裏付ける事実もあります」
そう言って、今度はキュウが、朝吹さんの部屋で不自然に録画されていた、途中からのバラエティー番組を流し出し、同時に赤丸のついたテレビ番組表を警部たちに指し示した。
それにより、実際に朝吹さんが録画しようとしていた番組と、ビデオに録画されている番組が食い違っていることから、時間の矛盾を取り上げて説明できるのだ。
「つまり、犯人はあらかじめ目覚まし時計の針を進めておくことで、リアルタイム映像と見せかけて殺人シーンを録画し、アリバイをでっちあげた、と僕たちは考えています」
「なんだって!? あの映像は、生中継じゃなかったのか……ってことは」
「夜の9時のアリバイは意味を成さなくなる」
「そういうことです」
「マズイですよ……」
猫田刑事が顔を引きつらせ、恐る恐る視線を送る先で、佐久間さんが中指を立てて怒りを露わにしている。
「よし、もう一度アリバイを洗い直しだ!」
「……はい」
初めに疑いをかけようとしていた佐久間さんから、執拗にガンをつけられ、猫田刑事は逃げるように部屋を出て行った。
「諸星警部」
リュウが警部を呼びとめた。
「押収した朝吹さんのビデオテープを、僕たちにも見せてもらえませんか」
「どうしてそんなことを?」
「数字の打たれたビデオの中で、6巻だけが抜け落ちていたんです。そのビデオを犯人が持ち去った可能性があります」
「本当か!?」
「その前後の映像を見ることで、何か手掛かりがつかめるかもしれません。お願いします」
リュウが頭を下げた。
これまで、リュウがこんなふうに警部に頼んだことがあっただろうか。と、さなえは少し驚いた。
するとメグもリュウに並んで、深く頭を下げる。
「あたしからも、お願いします!」
それこそ、さなえはビックリした。メグは権力主義の大人に対して、こんなふうに頭を下げるのは大嫌いな性格の持ち主なのだ。
「お願いします」
最後にキュウも頭を下げた。
さなえが意識を失っている間に、一体何があったんだろう……。
捜査に向かう真剣さ、というか、今は何が何でも必要なものをかき集めて犯人を突きとめてやる、という気迫が感じられるのだ。
「わかった。捜査本部に連絡して見られるように手配しておく」
いつもなら、捜査資料を提供することを渋る警部が、その気迫に押されて応諾した。
これもまた、なんだかいつもと違う。
「「「ありがとうございます!」」」
キンタが訳知り顔でリュウ、メグ、キュウのことを見ていたけど、さなえには3人の心境の変化がどうして起こったのか、ハッキリと理解することができなかった。
でも、みんなが真剣なんだってことは分かる。
もう誰も死なせない。
犯人を必ず突き止める。そんな思いが伝わってくる。
Qクラスの仲間たちの背中が、この時、さなえにはいつもよりもずっと大きく見えた。
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