第4話−11
その頃、さなえは自分の部屋で一人、床に座って、白い壁をジーっと見つめていた。
意識を手放し、余計な情報を脳に取り込まないようにするための対処法だ。
先ほどからガンガンと耳鳴りがしていた。
目まぐるしくいろいろなことが起こっているせいで、さなえの中の超感覚が暴走しかけているんだ。
蛍光灯の音がチェーンソーの金切り音のように煩い。
さなえの両隣の部屋は、片側が失踪した小倉絵美菜さんの部屋で、反対側が朝吹さんの部屋だ。
さなえが今、ジーっと見つめているのは朝吹さんの部屋の方の壁だった。人の気配。
隣の部屋で、朝吹さんがテレビをつけ、ビデオデッキを起動させる音まで聞こえてくる。
ややしばらくして、携帯で誰かに電話している声も。
会話の内容は聞き取れなかったけど、携帯やテレビやビデオデッキの電波が、キンキンとさなえの耳にうるさく響いてくる。
そして、廊下を歩くかすかな足音。
――違和感
またあの感じだ。
感覚が研ぎ澄まされすぎて、なんでもないことまでもが、変に思えてしまう。
足音は朝吹さんの部屋の前で止まり、……
さなえはハッと息を呑み込んだ。
――違和感!
発作的に呼吸が早くなり、抑えようのない感覚の波が押し寄せる。
心臓の鼓動も早鐘を打ち、締めあげられるような痛みが全身に流れる。
こんなの今まで、感じたことがない。
ジットリと汗の浮かぶ冷たい掌を握りしめて、さなえはフラフラと立ち上がった。
目の前の白い壁を見つめて、わけがわからず首をかしげる。なんだろう、その向こうに何かがある。
――違和感!!
さなえは吐き気をもよおして、震え始めた。
その違和感の正体がにわかには信じがたいのだが、これは。すごくイヤな感じ。
「朝吹、さん?」
その時、ふらふらと部屋を飛び出して隣の朝吹さんの部屋に向かったさなえが感じ取っていたもの、それは。
――殺意だ。
「ここ、女子寮だわ!」
リュウの部屋で遠谷さんが驚いた声を上げた。
時刻は9時ちょうど。
パソコンの画面の中では殺人シアターの再生が始まっていた。
「生中継ってことよね。誰の部屋かしら……」
ノックの音がしてドアが開き、中から女子生徒が招き入れる。
カメラの視点が下向きに固定されているので、そこが誰の部屋で、招き入れた人物が誰なのかも分からない。
「誰の部屋に入ったんだ?」
キュウ、リュウ、メグ、そして遠谷さんが顔を寄せ合って画面を凝視する。
ドカ!
いきなり鈍い音が鳴って、カメラに背を向けていた女子生徒が倒れた。
カメラが視点を変えて、部屋の置時計が9時ちょうどを指しているのが映し出される。
それからほどなくしてカメラは床の上に倒れている女子生徒に向けられ、足もとから徐々に、徐々に、少しずつ上半身に向かって動かされて行く……
「きゃっ!」
腹部に大きな包丁が突きたてられている様子がアップになったところで、遠谷さんが悲鳴を上げた。
カメラは移動しつづけ、その人物の正体を映し出す。
今、リュウの部屋にいる全員が、その女子生徒の名前を知っていた。
――「私、朝吹麻耶。よろしくね!」
初めて会った日に、そう言って元気に自己紹介してきた女の子。
それはついさっき、リュウが女子寮に送り届けたばかりの、リュウの心を見抜いた可愛らしい女の子。
「いやあああああ!!!!」
朝吹さんだ。
目を見開いたまま、苦しそうに顔を歪める朝吹さんが、口から血を吐いていた。まだ生きている!
メグが悲鳴をあげ、キュウもリュウも、そして遠谷さんもパニックに襲われる。だが、動画はまだ続いていた。
コンコン。
パソコンの映像の中で、誰かが部屋の外からドアをノックした。
――「朝吹さん? 私、春乃さなえです」
コンコン。
――「入るよ?」
「嘘だろ……」
リュウの顔からサッと血の気が引いた。
犯人はまだ部屋の中にいる。そこに、偶然にもさなえがやって来たのだ。一体、どうして、なんで? こんなタイミングってあるだろうか!
カメラを手に持つ犯人も、これは想定外だったと見えて、慌てた様子でカメラの映像がぶれた。
画面が揺れて、犯人がドアの陰に隠れるのとほぼ同時に、さなえが部屋の中に入って来るのが映し出された。
すぐにさなえは朝吹さんが倒れているのに気づいて駆け寄って行く。その背後に潜んでいる犯人には気づく様子もなく。
――「朝吹さん!? 一体なにが……」
朝吹さんの上に屈みこみ、携帯を取り出して救急車を呼ぼうとしているさなえに、カメラがゆっくりと近づいて行く……。
「さなえ、いやだ、危ない、逃げてえええ!!」
メグが狂ったように泣き叫ぶ。
キュウは凍りつき、遠谷さんは震えて腰を抜かした。
画面の中でさなえが背後から抑え込まれるのを見るや否や、リュウは我を忘れて女子寮に向かって駆けだした。
さなえがやって来た時、朝吹さんはまだ生きていた。
「朝吹さん!? 一体なにが……」
お腹に刺されたナイフを抜きとろうとする朝吹さんを、さなえは震える手で止めた。そんなことをすれば、出血量が多くなってしまう。
血のついた朝吹さんの手を握り、携帯を取り出す。
「すぐに救急車を呼ぶから……」
けれど、朝吹さんはそれを遮って、何かを言おうとした。
口から血がいっぱい溢れて来て、言葉は声にならない……。
「喋っちゃダメだよ!」
刻一刻と生気が失われて行く朝吹さんの顔色に気づき、さなえの目から涙がこぼれ落ちる。
そのときの自分がどんな顔をしていたのかなんて、想像もできない。けど、なぜだか朝吹さんはさなえを見て、最後にふっと優しく微笑んだ。
朝吹さんの瞳から命の輝きが消えて行く……
「いやああああ!!」
次の瞬間、さなえは全く想像もしていなかった強い力で後ろから掴み上げられて、視界が真っ暗になるのを感じた。
音も感覚も、すべての悲しみも、伸ばした手の中からこぼれ落ちて、急激に遠ざかっていく。
さなえは意識を失った。
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